「おせーぞ名前!テメェいい加減にしろよ!?今日はフーゴが居ねぇんだからな」
部屋に入るなりアバッキオから飛ばされる怒号を笑って流し、名前は山積みにされた書類を仕分けていく。
アバッキオは書類仕事が早くないので(とは言っても、ナランチャやミスタよりずっと早いが)、名前が仕分けないと仕事にならない。
「ジョルノに呼び出されてたんだよ」
「あ?…あー、昨日のやつか」
「そう」と答える名前に、アバッキオは書類を読みながら興味なさげに「ふーん」とだけ答えた。
アバッキオは名前を忘れていた事を謝らないし、名前もそれで良いと思っていた。
「そういや、リゾットとケンカしてるんだって?」
「ぶっ!!!…ケホッ、だ…誰から聞いたの?」
飲もうとしたお茶を吹きかけて、名前はむせながらアバッキオに詰め寄る。
「汚ねぇ奴だな。さっきホルマジオから聞いたんだよ」
「ケンカしてないもん!」
「じゃあ何だよ」
ニマニマと笑みを浮かべるアバッキオに、名前はいつかのプロシュートを見た。
他人事だからって、楽しむのは止めて欲しいもんだ。
ムッとしながらも、名前は今朝の出来事をアバッキオに説明していく。
名前が恥を忍んで説明したのに、アバッキオは呆れたように声を上げた。
「は?キスマーク見られただけ?」
「だけって…恥ずかしかったんだから」
思い出しただけで赤くなる名前を見て、アバッキオは「はぁ…」とよく分からない相槌を打って立ち上がる。
「あー、確かについてるな」
「いつの間に!?」
せっかく巻いたストールをスルッと奪われ、名前は慌てて首元を隠した。
アバッキオはその辺の繊細さに欠けると思う。
真っ赤になる名前に、事もなさげにアバッキオが「で?」と言ってストールを返す。
「で……って?」
「その位大した事じゃねーよ。むしろ、悪い虫がつかなくて良いじゃねーか」
確かに、名前はキスマークのお陰でベルリッサに抱かれずに済んだ。……殴られたけど。
「だって…」
「アバッキオ、仕事進んで…おい、名前どうした?」
仕事の進捗具合を見に来たブチャラティは、うつ向いた名前が泣いているように見えて慌てて駆け寄る。
「アバッキオか!?」
「ち、ちげーよ!!」
「ブチャラティ、違うの!」
名前は慌てて取りなそうとしたが、いくら「大丈夫」と言っても納得してもらえず、ブチャラティにまで事情を説明せざるを得なくなってしまった。
「なるほどな。引っ込みがつかなくなったのか」
「うん…」
言ってしまった言葉は取り返せない。
家を飛び出してしまったのに何もなかったようには帰れないとうつ向く名前を、アバッキオは面白くなさそうに眺めて書類を捲った。
「あんまり意地張ると、後で痛い目に合うぜ?」
「いや、それじゃあ名前がかわいそうじゃないか?」
「アンタは面倒見が良すぎるんだよ。大体な、そんなちいせー事で…「アバッキオ、小さいとか小さくないとかいう問題じゃあないだろ?」
「わわっ、ケンカしないでよ!!何とかするから!」
自分の事でケンカされては堪らないと慌てて仲裁に入った名前は、気持ちを入れ換える為に書類をジョルノに届けに部屋を出た。
(リゾットに、謝ろうかな…)
ブチャラティに自分の気持ちを大切にされて、名前は少しスッキリしていた。
それに、アバッキオの言葉も一理ある。
窓の外ではポツポツと雨が降り始め、名前は洗濯物の心配をしながら廊下を歩いていた。
「……だ、…」
「……リゾット?」
名前はどこかから微かに聞こえた聞き間違うはずのない声に振り返り、少し開いたままになっていた扉をそっと覗いた。
そこに居たのは確かにリゾットで、誰かと仕事の話をしているようだった。
(誰だろ?…メローネとか?)
気にはなるが、仕事の話は邪魔出来ない。
名前が部屋を離れようとした瞬間、急に扉が開かれてバランスを失い、名前は部屋の中へ倒れ込んでしまった。
「痛ったぁ…」
「…名前!?」
ケガをした場所を打ち付け、涙が出そうな程の痛みが走る。
リゾットの声に顔を上げた名前は、慌てて立ち上がると謝るのも忘れて部屋を飛び出した。
目の前の光景に、息が止まるかと思った。
(あれ……誰だろう…)
ナランチャにぶつかりかけ、転びそうになりながら名前は走る。
後ろでナランチャが何かを叫んでいたが、それどころではない名前には届かない。
頭の中を支配するのは、リゾットと親しげに話をする見た事のない女の姿。
(リゾット、笑ってた…)
自分にだけ向けられるのだと思っていた優しい表情をしたリゾットと、見知らぬ女。
名前にはその女が、自分よりずっと大人で女性的な魅力の溢れる人に見えた。
アバッキオの「後悔するぜ」という声が頭の中で木霊する。
「名前?」
「……メローネ…」
次から次へと、涙が溢れて止まらない。
名前は驚いて瞠目するメローネの姿に、ついに声を上げて泣き出した。
(いつからこんなに涙脆くなったのだろう。)
名前に温かいカプチーノを差し出したメローネは、「なるほどね」と呟いた。
ようやく泣き止んだ名前の目はすっかり腫れてしまっている。
「ボスから聞いたんだけど…」
名前が握りしめていた書類はメローネがジョルノに届けてくれた。
泣き続ける名前が仕事を出来る状態になるまで帰って来るなという、ありがたい指示まで貰って。
「次の仕事の相方に、ボスが選んだ女らしいよ」
今回のジョルノの配慮には、この事の後ろめたさがあるに違いない。
しかし、後ろめたさを感じなければならない仕事って何だ…。
メローネは考えかけて止めた。
そんな事を口にすれば、せっかく泣き止んだ名前がまた泣き出すに違いない。
「仕事でベニスに行くんだってさ」
「ベニス?」
「そ、ヴェネチア。
今の時期だとカーニバルしてるんだよなー。良いなぁ…」
カプチーノの温かさにホッとした名前は、メローネの話題に乗る事にして顔を上げた。
「カーニバルって?」
「仮面着けて練り歩くんだよ」
年中マスクしてるメローネが更に仮面をつける姿を想像して、名前はフフッと笑みを浮かべた。
「何だ、ヴェネチアに興味あるのか?」
「楽しそう」
「そりゃ楽しいって!!水の都だぜ?
名前が好きそうな話題もあるよ。
確か、ため息橋ってのがあって…日が沈む瞬間にその下でキスをすると結ばれるとか」
名前はうっとりとメローネの話に聞き入り、「ディ・モールトベネ」と笑った。
「名前、さっきのには何か理由があったんだと思うぜ?
だから、………今度ヴェネチアに連れて行って貰ってキスしてもらえよ」
「メローネ、本当にそんな話題ばっかり」
「好きだからな」
きっぱりと言い切るメローネに名前が吹き出し、肩を震わせて笑う名前にメローネも笑った。
「私も行ってみたいなぁカーニバル」
「あ、カーニバルはもうすぐ終わるぜ?」
「えぇ!?」と落ち込む名前に、メローネは少し考えて一つの提案をした。
名前は一つ返事で頷き、二人は各々の仕事の為に別れた。
仕事に戻った名前がアバッキオに怒られてこき使われたのは、言うまでもない。