「お腹いっぱい」
「だろうな」
リゾットと部屋に戻った名前はソファーに倒れ込んだ。
リゾットが苦笑してカプチーノを手渡し、名前はドルチェの余韻に浸りながらカプチーノに口をつける。
ホルマジオが選んで買ってきたチョコラータのジェラートは甘さ加減が絶妙で、名前はすぐに店の場所を教えてもらう約束を取り付けた。
「腹痛で寝込む事になっても知らないぞ」
「その時はリゾットが看病して?」
甘えるように伸ばした腕で名前が服を掴めば、その手にリゾットの大きな手が重ねられる。
「ねぇリゾット、ここ座って?」
名前がポンポンとソファーを叩くと、リゾットはさっと隣に座ってその腕に名前を閉じ込める。
「またソファーで寝る気か?」
「違うよー」
リゾットの腕の中で、くすぐるようなキスの雨に名前は堪らず笑ってリゾットを押し返す。
いつの間にか膝に横抱きにされていた名前は、キスから逃れるようにリゾットの胸に抱きついて額を押し付けた。
「名前、もう寝ろ」
胸に顔を埋めたまま、名前はリゾットに回した腕に力を込める。
「リゾット、何か怒ってる?」
名前はリゾットが自分を助けた後、次第に無口になっていくのに気づいていた。
無口になったリゾットが、自分と目を合わせないようにしはじめた事にも気づいていた。
ソファーで居眠りをする前に普通に戻っていたリゾットが、食事前からまた無口になっていることにも…。
不安になる名前の髪を、リゾットの手がサラサラと滑る。
「ここも…」
「ん?いっ!!!!…リゾット、痛い」
声に表情を無くしたリゾットが首元の痣に触れ、鋭い痛みが名前を蝕む。
リゾットは痛みを訴えた名前の身体を強く抱き締め、腕の力とは裏腹に脱力した頭を細い肩に乗せた。
「ついさっき、お前を護ると誓ったはずなのに、オレは…」
名前を抱き締める腕に更に力が加えられて身体が折れるかと思った瞬間、腕はスルリと落ちて名前を自由にする。
「オレの手で名前を壊したくもなる。どこにも行けないように閉じ込めたくなる」
リゾットの鋭い視線が名前を貫き、ゾクッと肌が粟立つ。
それと同時に、言葉の意味を理解した名前は、リゾットを抱き締めて口づけた。
甘く唇を食んで歯列を舌でなぞり、深く深く口づけていく。
名前からそんな事をするのは初めての事だった。
驚きに固まったリゾットも頭の芯が痺れるようなキスに応え、名前を強く抱き締めてその拙い動きを翻弄する。
「ん、リゾット…」
紅潮した頬も息苦しさに滲んだ涙も、ホゥと溢れる息すら甘くリゾットをしびれさせた。
リゾットは名前の身体をソファーに押し付けて、あちこちに出来た青痣や傷に噛み付き、キスをする。
ただでさえ痛む場所に歯を立てられ、名前は小さく悲鳴を上げて息を飲んだ。
「他の奴が名前を傷つけるのも、抱きしめるのもキスするのも…いちいち苛つく」
苦々しくそう言ったリゾットは、ジェラートが名前にしたように同じ場所にキスをする。
名前はそんな気持ちの呼び名を、ジェラートから教えられたのを思い出した。
「リゾット、"ヤキモチ"妬いてるの?」
ピクリと動きを止めたリゾットは、しばらく考えて首を横に振った。
「わからない」
なにせ、ヤキモチを妬くほど誰かに入れ込む事なんか初めての事なのだ。
前列がないのだから判断のしようもない。
しかし、これが嫉妬なのだと言われれば、確かに納得出来る。
「多分…そうなんだろ」
とすれば、閉じ込めたい願望は独占欲。
そうと分かれば全てがストンと腑に落ちる。
「リゾットもヤキモチ妬いたりするんだ」
「そうらしいな」
目を丸くする名前にリゾットはまるで他人事のように頷いて、再び深く口づけた。
リゾットは朝モヤがまだ晴れない街を、新聞を買う為に歩いていた。
いつもの街にいつもの景色。
いつも通りの景色の中でいつもと違うのは、名前と歩いている事くらいだ。
「ふわぁ…」
眠たげにアクビをして目を擦る名前は、リゾットの腕にしっかりしがみついて歩く。
「寒い」
「そうだな」
ブルッと震える名前の肩を抱き寄せて、リゾットはいつもの店に入る。
店主はいつも通りリゾットに新聞を手渡そうとして固まり、驚愕の表情でリゾットと名前を交互に見つめる。
「チャオ」
丸く見開いた目で見られていた名前は、照れくさそうにはにかんで挨拶をした。
「…チャオ。あんたが彼の恋人だったのか」
リゾットが新聞を買いに行く店は、名前も常連だった。
最近は温かい飲み物を買って、店主と他愛のない雑談をするのが名前の密かな楽しみだったのだ。
「なんだ、知り合いか?」
驚くリゾットに、名前は笑って頷く。
「おじさんが淹れてくれるカプチーノが美味しいから、時々帰り際に寄り道するの」
リゾットは「そうか」と相づちをうちながら新聞を受け取り、名前オススメのカプチーノを貰う事にした。
朝の光がさしこむ小さな店内に、カプチーノの香りがゆっくり広がる。
「どうやってこの男を落としたんだ?」
「落としたって…やだぁ」
笑う名前に店主も笑い返して、いつも無表情だった男が柔らかい雰囲気になった理由が何となく分かった気がした。
「あんたついてるよ。この子は良い子だ」
リゾットはまるで自分の子どものように名前の事を話す店主に、思わず笑みを浮かべる。
リゾットが"いつも無表情な客"なら店主は"いつも気難しい顔をしたオヤジ"だったのに、これではそのイメージはまるで正反対だ。
「あんたも笑ったりするんだな」
「そっちこそ」
リゾットの指摘に店主はフンと笑い、カプチーノを二つ差し出した。
「こっちはサービスだ」
カウンターからごそごそと可愛らしい包みをいくつか取り出し、店主は名前にそれを渡した。
「チョコラータだ!!グラッツェ」
跳ねるように喜ぶ名前に、店主は「大切にしてもらいなさい」と笑う。
どこに行っても相手と家族のようになってしまうのは、名前の特技なんじゃないかとリゾットは思った。
「素敵なおじさんでしょ?」
チョコラータを口の中で転がしながら、名前はリゾットと店を出てゆっくり歩く。
少なくとも今までは"素敵なおじさん"だと思った事なんかなかったが、毎日行っていたのに何も知らなかった自分にリゾットは少し驚いていた。
名前が薦めたカプチーノは、名前好みの甘くて優しい味だった。
「眠いし寒いけど、早朝の空気ってなんか気持ち良いね」
「明日も行くか?」
「うん」
名前はリゾットが断ったチョコラータを口に入れながら、笑顔で頷く。
いつもよりのんびりと帰宅した名前はリゾットに上着を預けると、直接キッチンへ向かって朝食の支度に取りかかった。
「…ボンジョルノ」
一番に起きてきたギアッチョは眠そうに目を擦っていて、珍しく寝癖もそのままだ。
「ボンジョルノ、ギアッチョ」
名前がハグをしようと近寄ると、ギアッチョは突然顔を真っ赤にして「着替えてくる」と言ってキッチンを飛び出した。
「………?」
ワケが分からないが、寂しいのだけは分かる。
名前が眉を寄せていると、メローネが爆笑しながらキッチンに顔を出した。
「ボンジョルノ、名前」
「ボンジョルノ」
メローネはいつも通り名前にハグとキスをして、けれどいつもよりご機嫌な様子で名前に笑いかける。
メローネの"良い笑顔"に、良い予感はしない。
「名前、昨日はリゾットにたっぷり可愛がってもらった?」
「なっ!?」
メローネは名前が逃げられないように、腰に回した手を離さずに笑う。
名前がどうにか逃れようともがいても、全く効果がない。
「昨日はオレ達も遅くまで飲んだからなー」
メローネはクスクスと笑って、真っ赤になった名前にキスをする。
「ディ・モールトベネ!!名前はやっぱりそうじゃなきゃからかいがいがな「メローネ」
騒ぎに駆けつけたリゾットが、その目は誰かを射殺せるんじゃないかと思うような剣幕でメローネを睨み付ける。
「おっ…と。……失礼」
さすがのメローネも名前をサッと解放し、名前は慌ててリゾットの後ろに隠れる。
小動物さながらの動きにメローネはクスッと笑い、リゾットはため息をついた。
「あまりからかってやるな」
「嫌だなぁ。昨夜の感想を聞いただけだって」
それがからかっているという事なんだが、どうにもメローネは悪びれた様子もない。
「昨日は何もしてない」
「ふーん…"昨日は"ね。リゾット、いつもの服じゃないね」
「寒いだろ」
「ふーん」
目敏い奴だ。
リゾットはもう一度ため息をついて、後ろに隠れた名前を見た。
絶対に目を合わせようとはしない名前に、先が思いやられる。
「ボンジョルノ。…何やってるんだ?」
「ホルマジオ!!」
名前はリゾットの背中から離れて、朝食の為に現れたホルマジオに飛び付いた。
「なんだよ、足はもう良いのか?」
「昨日湿布貼って寝たら良くなった」
「そりゃベネ。で、何やってんだ?」
聞いてはみたものの、名前は真っ赤になって答えない。
ホルマジオは、リゾットに猫のように捕まったメローネを見て苦笑いを浮かべた。
「またメローネに変なカマかけられたのか?」
本当の事を言えば、カマなんかかけなくてもリゾットと名前があの後ヨロシクしたんだろう事くらい予想がつく。
名前が真っ赤になれば、それが確信に変わるってだけだ。
「カマかけただけ?」
名前がメローネを伺うと、リゾットに捕まえられたままメローネは首を何度も縦に振る。
「なんだ…」と言ってホッと胸を撫で下ろす名前に、ホルマジオは気まずそうに切り出した。
「あー…でも今日は首元が隠れる服を着た方がいいぜ?」
ホルマジオがトントンと自分の首筋を指差し、名前は慌てて同じ場所に手を当てた。
首まで赤くなった名前を見ながら、ホルマジオは本日二度目の苦笑いを溢す。
「……い」
「「「は?」」」
「しばらく皆に会いたくない!!」
「名前「リゾットもついて来ないでっ!!」
飛び出した名前を追いかける事も出来ず、プロシュートとペッシが朝食を食べに来るまで三人は立ち尽くしていた。