それは用意周到に計画された誘拐だった。
男はイルーゾォが朝早く散歩するのも知っていたし、名前がリゾットと恋人で身体の関係があるのも知っていた。
だから、誘拐を指示した奴が、名前が処女でなくなっているのを知った時に名前を殴るだろうとも思っていた。


ぼろぼろの寝間着姿のままで床にぐったりと横たわった名前の前にしゃがみ込んで、その男はニタリと笑った。

「ボンジュール、名前」



















「事態は一刻を争うぜ!?忘れるなんてありえねーだろ!!」

ギアッチョがイライラと部屋を歩き回り、ぶつぶつと名前の特徴を呟く。
全員が、"命の恩人を忘れるような不義理を許さない"と自分で自分に叱咤して、情報収集に行ったブチャラティ達が帰ってくるのを待っていた。

「リゾット、お前は平気なのか?」


ホルマジオがソファーに座るリゾットを振り返り、リゾットは今にも凍りつきそうな冷たい視線を返した。
平気なわけなどない。
名前が無事かどうか気が気でないし、拐った奴の事を考えると頭が怒りで沸騰しそうだった。
ただし…

「名前を忘れる気配はない」


名前の姿も笑顔も、涙も出逢いも…名前との全てを一分の狂いもなく思い出せる。
悲鳴のように、涙の代わりに一人で歌っているのだろうか…リゾットは爪が刺さって血が滲むのも構わず拳に力を込めた。


「……貴方にはスタンドを発動していないんでしょうか?」

ジョルノがリゾットを注意深く観察しながら、敵の能力について考察していく。

「ヤったら忘れないとか?「メローネェ…」


至って真面目に言ったつもりのメローネは、ジェラートに鬼のような形相で睨まれて口を尖らせた。


「ジョルノ!マジに大変だぜ!!」

扉をノックする事も忘れて、ナランチャが青い顔で部屋に飛び込んできた。


「ナランチャ、何かわかりましたか?」

「ヤバイぜ!!えぇっと…リゾット、あんたの彼女の名前って女だが…」

ナランチャは完全に名前を思い出せなくなった様だ。
私情を挟まない任務をこなすように手元の紙を見ながら、興奮した様子で続ける。


「買われてたんだよ!!逃げ出したって言ってたよな?買い手は既に決まってたんだ!」

名前はかつて、育ての親に身売りされそうになって家を飛び出した。それをリゾットがわけあって拘束することになったのが、リゾットと名前の出逢いだった。

(あの時には既に買われていたのか…よく今まで無事で居れたものだ…)

スゥと血の気が引く。
それと同時に、冷静さを取り戻した頭が「そいつが犯人だ」と警鐘を鳴らす。


「誰なんですか?」

堪らず立ち上がったジョルノがナランチャに先を促す。


「ベルリッサのヤローだ」


ジョルノを含め、それを聞いた全員が目を剥いた。
かつて名前を買うはずだったのは、パッショーネに次ぐ巨大勢力「サングエブレッド」のボスだった。


「急がなければ…」

相手が敵対するギャングである以上、悠長にはしていられない。
一分一秒を争う事態だった。


「ブチャラティはもう行ったぜ」

ナランチャの言葉に頷いたジョルノは、デスクから地図を出して広げた。


「彼のアジトは幾つかありますが、今のシーズンは間違いなくここです」

ジョルノが指差した場所を素早く記憶し、作戦を組み立てる。


「ジョルノ入るぜ」

アバッキオが顔を出し、リゾットに二枚の写真と鍵を差し出した。
鍵は先ほどリゾットが貸した家の鍵だ。

「ブチャラティに言われて、ムーディーブルースで名前をリプレイした。顔が思い出せねぇんじゃ助けられねぇからな」


手渡された写真の中で、名前が優しく笑っていた。
いつものように笑いながら話をして、いつものように手を繋いで出かけはずだった。
リゾットが震える手で写真を捲る。


「それが、あんたらの家の周辺を彷徨いてた男のリプレイだ」

リゾットの部屋に窓から侵入し、何かに向けて手を伸ばしている男が写真に写っていた。
しかし、その動きに乱暴さは見当たらない。
まるで子どもが親に見つからないように窓から逃げ出そうとしているかのように、軽快で爽やかな様子だった。

「待て…この男…」
「見覚えがあるんですか!?」

写真を握って固まるリゾットの脳裏に、遊園地で話しかけてきた男が蘇る。

『ボンジュール』

「……フランス人?遊園地で会ったんだ。確かにボンジュールと言っていた…しかし、分かるのはそれだけだ…」

手がかりにはなりそうにない。
イルーゾォは再びリゾットの持っている写真へと視線を戻した。

「しかし…これって名前が自らついて行ったって事か?」

思わず口をついて出た疑問に、イルーゾォは慌てて口を塞いだ。
誰も何も言わなかった。
押し黙るメンバーに、アバッキオが眉を寄せてため息をつく。

「……もう一枚、見せるかどうか悩んだんだが…頼むからこれを見ても冷静でいてくれよ?」


アバッキオがポケットから一枚の写真を取り出したのは、先ほどの写真と対になっていた。
窓の近くで後ろを振り返り、涙を拭う名前がそこには居た。
写真を見れば、"名前が従わざるを得ない何か"をこの男が握っている事は明白だった。


「分かりました。この男は…リゾット、貴方には倒せません」

「は…?」

ジョルノは写真を食い入るように見つめるリゾットに、はっきりとそう言った。
弾かれるように顔を上げたメンバーを一人一人見て、ジョルノはメローネを指差す。

「僕とメローネにしか男は倒せない。コイツは名前との相性が最悪なスタンド使いに違いない」

ハッとした。そして、理解させられた。
リレガーレが結ぶなら、その反対はほどく。
リレガーレで魂と身体を繋いだリゾット達は、その力でほどかれてはひとたまりもない。
名前を従わせるために、自分達を人質にしたのだと気づかされたリゾットは唇を噛んだ。

「名前っ…」





















「リゾットを呼べ…出来るだろ?」

男は名前の髪を乱暴に掴んで笑う。
名前はその瞬間に、自分を買った男が自分を捨てたのだと理解した。それは名前にとって、絶望にさす光明に思えた。
リゾットがつけたキスマークを見つけて怒り狂ったベルリッサに殴られた名前は、それでも抱かれずに済んだ事に何よりホッとした。
自分の肌に触れるのは、リゾットだけであって欲しかった。
髪を掴まれたままホッと息をつく名前に、男がニタリと粘着質な笑みを浮かべる。

「勘違いするなよ?お前は接待係になったんだぜ?オヤジ共の相手が嫌なら、リゾットに助けを求めるんだな!アハハ!!」

何故目の前の男がリゾットに拘るのか、名前は知る由もない。
ただ分かるのは、この男がリゾットを殺そうとしていて、男はそれを容易く実行できるという事だけ。
リレガーレをも調べ尽くしてきたこの男がリゾットをスタンドの射程距離に入れた瞬間、名前の技を無効化してリゾットを殺すことが出来るという事だけ。
分かるのはそれだけだった。
唇がわなわなと震えて、涙が滲んだ。


「まぁいいさ…リゾットは必ず来る。リゾットしか来れないんだぜ?」

「ど、して…どうしてリゾットなの?」

喉が緊張で張り付き、唾を飲み込むと血の味がした。大きく息をすると胸が痛む。骨折をしている様子はないのがせめてもの救いだ。

「どうしてって…アイツがオレの兄貴を殺したからさ」

クククと笑う男は、どうみても復讐に燃えているようには見えない。大義名分を抱えて、人を追い詰めるのを楽しんでいる。
楽しんでいるようにすら見える男はスタンドを出現させ、名前の頭を掴んで無理矢理立たせる。



「やれ…マイティーウィングス」

男の合図でスタンドが勢いよく腕を振り下ろし、ボスッと鈍い音が耳に響く。
名前は短く浅い呼吸を繰り返しながらスタンドの腕を目で追い、自分の身体に突き立てられた腕がゆっくりと抜かれるのを虚ろな意識の中で見ていた。

「……リゾット…」


逢いたい。
リゾットに逢いたい。
けれど来ないで欲しい。
きっと…きっと帰るから。
名前の手には既に断ち切られて消えかかったいくつもの『縁』が握られていた。
名前が呼べるように、リゾットの縁だけ残されている。
名前は力を振り絞って遠退く意識の中でスタンドの名前を初めて呼んだ。

「お願い、スワロー…」


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