『アバッキオ、警察になったんだって?』

ずっと憧れだった警察になって、ずっと好きだった名前と久しぶりに会うことになった。
実家のカフェを手伝っていてなかなか会えない名前から、『お祝いをしよう』と連絡をしてきたからだ。

名前とは家族ぐるみで仲が良かった。

昔は、『名前、おっきくなったらアバッキオのお嫁さんになる!!』なんて可愛い事を言ってくれたもんだ。


『お待たせ』

少し遅れて現れた名前を連れて、車を走らせて海へ行った。

『仕事はどう?大変?』

流れていく景色には目もくれず、名前はこっちばかり見て話す。
ハンドルを握る手が、少し汗ばんだ。

『…まぁ、色々あるな』


昔は単純に、『警察の仕事は正義』だと思っていた。
それなのに、その考えが揺らいでいくだけの毎日に、正直うんざりしていた。
それを悟られないように濁したが、名前はしばらく黙って『そうだね』と前を向く。

流れる沈黙が、心の底を見透かすようで辛かった。



『まだ海は少し寒いね』

冷たい風に震える名前の肩を、そっと抱き寄せた。
驚いて頬を染める名前はそれでも、ゆっくりと肩に頭を乗せてきた。

それから飯を食って、夜景を見て…自分の家に連れ込んだ。
小さな頃から知っていた名前は、オレの知らない顔で艶やかな声を出す。
あれは本当、ディ・モールトベネって言うのが最適な夜だった。


それでも、その後がダメだった。
金を積まれて犯罪を見逃すようになると、心が荒れた。
荒れた気持ちで名前を抱いて、何度か泣かせた。


そうなってからの転落はあっと言う間だった。

警察を辞めて、ブチャラティに拾われた。
ブチャラティの「正義」を見ていくつもりだった。

それでも時々夢に見る。
自分を庇った、同僚の死に顔。
転落していくオレを見る、名前の寂しげな顔。
考える事に疲れて、絶対的な力の支配下に身を置くのを望んだ。



『アバッキオ…寝れないの?』

相変わらず…いや、荒み出してからより一層足繁く訪ねてくる名前は、いつの間にか寝食を共にするようになっていた。
身体を横たえたまま、頭を布団から出して見上げてくる名前の髪を撫でてベッドを降りた。

『水…飲んでくる』


本当は、名前が親とケンカしているのを知っている。
その原因が自分にあるのも気づいている。

それでも、名前は何も言わない。
その行動に「強い意識」があるかのように、必ずオレの帰りを待っている。
窓から外を見下ろし、恋人にするように笑って手を振る。

何もしてやれないオレを責めるでもなく、笑ってその日の出来事を話して、笑ってオレの話を聞く。



『…名前』

水を片手にベッドの際に腰かけた。

『ん、何?』

『……正義って、何だ?』



名前に聞いたのは、単なる気紛れと思いつきだった。
だから本当は答えなんかどうでも良かった。
突然どうしたのだと笑われても、怒りは感じなかったかも知れない。







「それで、名前は何と答えたんですか?」

喋るのを止めたアバッキオに、ジョルノは先を促す。

「てめぇ、『さん』くらいつけろよな…ったく、妙な展開になっちまったぜ。
女のお泊まり会じゃあるめーし…」

ぶつぶつ文句を言うアバッキオに、ブチャラティが笑う。

「オレも気になるな。その質問に、名前さんは何と答えたんだ?」

「ブチャラティが『さん』付ける事はねーよ。
確か…」


『……アバッキオ、正義とは、正しくあろうとする心に宿るものだわ』

何の迷いもなく言い切る名前に、正直オレは戸惑った。

正しくあろうとする心が正義なら、オレに正義はない。
警官だったオレが、金を受け取ったあの瞬間からオレに正義はあり得ない。
そう思った。


『アバッキオは、どこに居てもアバッキオよ』

そう続けた名前は、オレにそっと腕を回して力を込めた。





「良い彼女だな」

ブチャラティがそう言い、ジョルノが頷いた。

確かに、名前は良い女だ。
しかし、二人にそう言わしめる何かが、さっきまでの中にあっただろうかとアバッキオは眉を寄せる。


名前は世界一の美人とかではないだろうが、アバッキオの中に彼女以上は居ない。
それは外見の問題ではなく、内面の問題だ。

荒んで転落していくだけのアバッキオを見つけ、拾ってくれたブチャラティ。
仲間になったナランチャとミスタとフーゴ。
最近加わったジョルノも含めて彼らは気の良い奴らだが、アバッキオにとって名前は別格だった。


転落した自分に以前と変わらず接してくれる名前は、それだけでアバッキオにとってかけがえのない存在だった。
名前がアバッキオの想い人なのだから、その思いは一入だ。
それが同情なんじゃないかとイライラした事もあったが、名前はアバッキオに怯える事も哀れむ事もなかった。


ギャングになって直ぐ、『オレに構うな』と怒鳴ったアバッキオに真っ向から『嫌だ』と怒鳴り返した名前を思い出して、フッと口許が緩んだ。



「オレには勿体ない女だな」

アバッキオが自嘲気味に笑うのを見て、ブチャラティとジョルノは顔を見合わせた。


「ダメですよ」

突然ジョルノがそう言って、ブチャラティが続ける。

「あぁ、そんなこと言うなアバッキオ。彼女はお前を必要としている」


アバッキオには、二人が何を言っているのか全く分からない。


「名前さんはお前が警官でもギャングでも、お前が正義だと信じてるんだろう」

「えぇ、絶対そうですよ」

ブチャラティの言葉に頷くジョルノを見ながら、アバッキオは目を見開いた。


正義?



「オレにはない」

絶対的な力の支配下に身を置いて、その命令に従っているだけだ。
アバッキオは何度もそう自分に言い聞かせていた。


言い聞かせていた?

では、それは何の為に?



「いいや、アバッキオ。彼女は信じてる。
そして、現にそれは正解だった。アバッキオはボスと言う絶対的な力から逃れ、トリッシュの護衛につく事を選んだじゃないか」



アバッキオは、その言葉に返事が出来なかった。

アバッキオは、本当は気づいていたのかも知れない。
ギャングになっても、「守るもの」を探していた自分に。
薬が蔓延した世界ではなくて、ギャングの力が加わったとしても、まともに生きる人間が…例えば子ども達が、笑っている世界を見たいと思っている自分に。


名前が笑っている世界を、壊したくない自分に。



不思議と、自覚するとその気持ちが加速してしまうものだ。

アバッキオは沸々と「名前に会いたい」と言う気持ちが沸き上がるのを感じた。


「この戦いが終わったら、会わせて下さい」

ジョルノがそう言ったのを受けて、ブチャラティは一瞬の間の後に頷いた。

「…そうだな」


どうとでも取れそうな曖昧なブチャラティの返事に首を傾げたが、「そろそろ着くぜ」と言うミスタの声にアバッキオは立ち上がった。

もうすぐ着くボスの故郷で、ムーディーブルースを発現させてボスの正体を知らなくてはいけない。
この戦いの全ての鍵だ。

名前と見た海によく似た景色を眺め、ムーディーブルースに時を遡らせる。



カシャンカシャン…



遠くから聞こえる子どもの声と、波の音。

アバッキオは緊張を解かないように注意しながらも、小さく深呼吸して広大な海を見た。




帰ったら……何日も帰らないオレを心配しているだろう名前に、きっとこっぴどく怒られるだろうな。

怒られてもいい。
帰りたい。


怒る名前に謝って、なだめて…
それからキスをしよう。

今までしたことのないような、とびきり優しいやつを。

それから…名前を抱き締めて眠りたい。



アバッキオはふと、自分が完全に浸っていたことに苦笑した。
ムーディーブルースは未だに、トリッシュの母親と一緒にいたボスを探し続けている。








「どこ蹴りとばしてんだよー、ヘタクソー!!」

ボールの弾む音がして振り返ると、高い枝に引っ掻かったサッカーボールを取ろうと子ども達がやっきになっていた。

「あっちでやれ」と怒鳴ったところで、ボールが取れなければ戻らないだろう。



「しょうがねぇな、どれどきな」

アバッキオは未だ過去のボスを探っているムーディーブルースを確認して、ボールを取ってやるために子ども達に近づく。


「ありがとう」
「ありがとう!」

礼を言って走り去る子ども達を見送るアバッキオの胸を、突然の衝撃が貫く。

「!!!!?」


身体に空いた穴から真っ赤な血が溢れ、身体の力が奪われる。

「やはり故郷はいい…。ついてる」


身体の痛みと絶望が、アバッキオをこの地に縫いつけた。

「名前…」


正義が正しくあろうとする心に宿るなら、オレは成し遂げなければいけない。
ありったけの力を込めて…

最後のメッセージを………。




















「自分のワガママで貴方の人生をねじ曲げる私を、許して下さい」

突如現れた奇妙な女がそう言ってスタンドを出現させるのを、アバッキオは絶望の淵から掬い上げられるような心地で見ていた。
ブチャラティ達に残したメッセージは届いた。
ジョルノがちゃんと見つけてくれた。

だが…名前は。

いつまであの窓からオレを待ってくれるだろう…そう思うと気がかりだった。
死んだ事よりも、遺してしまうのが悲しい。

もし、もしも……。
もしもこの女が、自分を本当に救えたら。


アバッキオは期待を抱かずにはいられなかった。
リレガーレされた身体に再び脈が戻り、温もりが戻る。



息を吹き返したアバッキオの焦る気持ちとは裏腹に、ジョルノとボスの戦いには間に合わなかった。
自分やナランチャとブチャラティを救った名前を、彼女の願い通りジョルノの所に送り届けて直ぐに帰路につく。

いつもの道を通り、いつも名前が顔を覗かせている窓を見上げる。

いつもは点いている明かりが点いていない。
部屋の窓にも誰も居ない。


「……名前?」

待ちきれずに出て行ってしまったのだろうか。

アバッキオは焦りを抑えて階段を駆け上がり、鍵を開けて部屋へ飛び込んだ。

「名前!?」


真っ暗な部屋に、ガタンと大きな音が響く。


「……アバッキォ?」

暗がりから顔を覗かせた名前は、掠れた声でアバッキオを呼ぶ。
どれほど泣いていたのか、腫れた瞼が痛々しい。


「名前…」

「アバッキオ!!」


駆け寄ってアバッキオに飛び付き、その胸をバシバシと叩く。

「バカ!バカアバッキオ、もう帰って来ないかと思った!!」

「わりぃ…悪かった、名前」


ドンドンと響く衝撃が、まだ治して貰ったばかりの傷に響く。
アバッキオはそんな痛みすら、幸せに感じた。
本来ならもう二度と痛みも温かみも感じることの無かった身体が、痛みと名前の体温を伝える。


「名前、悪かった」

名前を抱きしめる腕に力を込めて、アバッキオはその首にキスをした。


「離してくれって言われても…もう離れたりしねぇ。
黙って居なくなったりもしねぇし、名前を悲しませねぇ」


名前はしゃくりあげて苦し気に息をしながら、アバッキオの目を見つめて「ほんと?」と問う。

「あぁ」


直ぐに頷くアバッキオに、名前はようやく安心したように笑った。


「ご飯、食べるでしょ?」
「食べる」



アバッキオは泣きじゃくる名前の手を取って、久しぶりの我が家に踏み込んだ。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの名前を洗い立てのタオルで拭ってやって、あの時…死ぬ前に思い描いたように今までにしたことがないような優しいキスを名前に降らせて「くすぐったい」と笑う名前に誓う。


「オレはオレの正義を貫くことに決めた」

見ててくれるかと問うアバッキオに、名前は笑って頷いた。
アバッキオの長い恋は、ようやく落ち着いて時を刻み始める。


これから先、死が二人を別つまでキミと…。


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