名前は、はれて恋人となったリゾットをそっと伺っていた。
恋人になったと言っても、何かが大きく変わったわけではない。
それが名前には不満だった。
とはいえ、だからどうしたいと言うのは特に思い付けないのだから、ねだる事も出来ない。


「どうした?」


新聞を捲る手を止めて、リゾットは名前の視線に向き合う。


「…見てただけ」


口を尖らせてそう言う名前に、リゾットは首を傾げた。

ここしばらく名前はこんな調子で、ため息をついたりぼんやりジェラートを見つめたりしている。


(まさかジェラートに心変わりしたとか?)


名前が淹れてくれたカプチーノを飲みながら、リゾットは微かな疑惑に頭を振った。










「ジェラートォォオ!!」

「女の子なんだから、勇ましい声あげて扉を叩くの止めなって…」


猛烈なノックが繰り返される扉を開けたジェラートは、風呂上がりの濡れた髪を拭きながらため息をついた。
名前を部屋に通してコーヒーを出すと、名前は「いつものポジション」に座ってコーヒーに口をつけた。



「名前………一応言ってみるんだが、狭い」

ソルベは二人用ソファーに割り込んだ名前のせいで半分落ちかけて言うが、「ごめん」と言うだけで退く気配のない名前に諦めて身を縮めた。

ここ数日、毎日のようにジェラートの部屋に訪れる名前はジェラートとソルベの間に座るのが決まりのポジションだった。
ジェラートは、ソルベが諦めて身を縮めるのを苦笑しながら眺めて「何かあったのか?」といつもの決まり文句を口にする。


「んー…」


毎日のように繰り返されるやり取りに、名前は何とも言えない返事しかしない。
だからこそ、ソルベもジェラートもどうしたものかと手を焼いていた。


「ジェラート…」


口を尖らせてカップの中のコーヒーを見つめていた名前は、今日はいつもと違う答えを返す。


「前に…『モヤモヤしてどうしようもなくなったら言え』って、ジェラート言ってくれたよね?」


それはジェラートが一度死ぬ前の話だと、ジェラートは直ぐに思い当たった。


「あぁ、覚えてる」


確かあの時から、ジェラートは「名前はリゾットを好きになる」と思っていた。
もちろん、リゾットが名前を連れて帰った時には「名前はリゾットの特別になる」と信じていたから、恋人になった時も「やっとか」としか思わなかった。
そんなジェラートは、暗殺チーム一、女心の分かる男だ。




「何か…モヤモヤするんだけど、どうすればいい?」

「なるほど」とジェラートは、連日の名前の様子を思い出して一人納得して頷いた。
名前は恋愛に関しては「超ド級」がつく初心者で、リゾットも割りとドライなタイプだ。
対して名前は、スキンシップが好きで、常に誰かと一緒を好む。
ジェラートの部屋に来ると必ずソルベとの間に座るし、出かける時は一緒に行く人の手を必ず握る。


「リゾットは前と変わらない?」

名前は弾けるように顔を上げて、マジマジとジェラートを見つめる。

「何でわかるの?」


あれだけのヒントで分からないなんて、余程鈍い人間だけだろう。
ジェラートは笑って一つの提案をした。

名前は頷き、勇んで自室へと帰って行く。
ジェラートとソルベはソファーに座り直し、「今度三人掛けにしよう」とカタログを捲った。













「どこ行ってたんだ?」

ジェラートと同じように風呂に入っていたリゾットが、風呂から戻ると居なくなっていた名前に声をかける。


「ちょっと…ジェラートとソル「ブフッ!!」

つまらなそうに答えた名前は、突然水を噴いてむせるリゾットに目を丸くした。


「だ…大丈夫?」

気管に入ったと苦し気に咳をするリゾットの背中を擦りながら、名前はリゾットの耳が赤くなっているのを見た。



「何か用事だったのか?」

やっとの事で落ち着いたリゾットは、ソファーに座って水を飲み直す。


「んー…ちょっと」

それ以上言いたくないという雰囲気が、リゾットの中に再び疑惑を呼び起こす。まさかと思いながらも、名前が楽しげにソルベやジェラートと話をする姿が頭から離れない。


「……そうか」

自分の中にもやもやと沸き起こる嫉妬心を気づかれないように、これ以上の追及する術を持たないリゾットは言葉少なく相づちを返して黙り込んだ。


そんなリゾットの感情を他所に、名前は両手を固く握りしめた。

(ジェラートとソルベにするみたいにすれば良いよね…)


緊張で揺らぐ視界を目を閉じて誤魔化して、名前はソファーに腰かけた。

ーギュム…

「ギュム?」


予想と違う感覚に目を開けた名前は、顔から火が出るような想いだった。
リゾットの隣に腰かけるつもりが、目を閉じた名前が座ったのは


「……名前?」


リゾットの膝の上だった。


突然の事に固まったリゾットの手が、どうするべきかとさ迷う。


「わぁーーーっ!!!!…ごめんっ」

慌てて立ち上がった名前の手が強く引かれ、名前は再びリゾットの膝に崩れ落ちる。



「名前、ひょっとして…オレに緊張してるか?」


いわゆるお姫様だっこ状態でガッチリと腕を回され、リゾットの整った顔が名前の視界いっぱいに近づく。

体を強張らせて膝から降りようと力を込めるが、名前の力で敵うわけもなくリゾットの腕はビクリともしない。
名前の心臓が爆発するんじゃないかと思うほどどくんどくんと大きく脈打ち、名前の顔がみるみる赤くなる。


リゾットはそんな名前を見て、込み上げる気持ちを抑えられずに笑った。


「ハハッ…緊張するな」

「無理っ!!だって…リゾットの前で変な事したくないしっ」



嫌だ嫌だと首を振って目を固く閉じる名前の瞼に柔らかい物が触れ、名前はそろそろと目を開く。
くすぐったくなるような触れるだけのキスが額に落とされ、名前は瞼に触れたのがリゾットの唇だと気づいた。

額から頬へとリゾットの唇が名前をくすぐり、恥ずかしくて再び目を閉じると唇にキスが降ってくる。

ふわふわするような触れるだけのキスに名前がトロンと目を開くと、これまで見たことないような穏やかな微笑みを浮かべるリゾットがいた。


「オレも緊張するんだから、困ったもんだぜ」


リゾットはそう言って目を反らしてしまう。


「…リゾットも?」


名前はリゾットの頬がじんわり赤いのを見て驚いた。
自分だけがリゾットを意識して、自分だけが緊張していると思っていた。
リゾットは女性経験だって普通にありそうだし、名前にはいつも余裕に見えていた。


「オレも、だ」

口を曲げてそう答えるリゾットは、やっぱり頬を赤くしている。

いつも真っ白な肌が、今日はどことなくうっすら赤く感じた。


「良かった…私、つまんないから飽きたって言われたらどうしようかと…」

リゾットは名前を抱き締める腕に力を込めて「それはない」と答える。


「つまらないのは、オレの方だろう」


形だけの男女関係なら人並みに経験あるが、ずっと一緒に居るような女を作らなかったリゾットには、名前が何をすれば喜ぶかわからなかった。


「つまんない」


名前がポツリと呟いて、リゾットは血の気が引くのを感じた。


「もっとリゾットの近くに居たいのに」


真っ赤になった名前が何を言っているのかリゾットには理解出来ず、名前が続きを紡ぐのを黙って待つ。


「ソファーも離れて座ってて…休日はリゾット出かけちゃうし」

「あれは、ただの買い出しだ。一緒に行ったってつまらないだろう」


リゾットなりの気づかいに、名前は頬を膨らます。

「置いて行かれるよりずっと楽しいよ」


リゾットの首に腕を回して、「起きたら居ないのは、嫌だ」と力を込める。
目を覚ました瞬間に名前はいつも怯えていた。
暗殺チームを助けた夢を見て、そこから目を覚ましてしまったのではないかと。
リゾットの姿を探して、窓からずっと待つのは恐ろしかった。



「…悪かった」

名前の背中をトントンと叩くと、リゾットは名前の肩に顔を埋めた。
リゾットの息が首筋にかかって、名前は再び身体を力一杯強張らせた。

「名前…」


リゾットの声に名前の心臓は高鳴り、胸が締め付けられる。

「動くなよ?」


突然殺意の込められたリゾットの声に、名前は先ほどまでとは違う意味で身体を強張らせた。

リゾットは名前と自分にメタリカで砂鉄を纏わせ、姿をくらませようとする



「あ、気づかれたぞ!?」

名前の耳に、小さな声が聞こえた。

「殺られる前にとんずらだ!」


カタカタと小さな足が床を鳴らすのを、名前はリゾットに抱えられたまま眺めていた。


「ホルマジオ、メローネ…イルーゾォにプロシュートとペッシか……」

低く底這いするようなリゾットの声に、呼ばれたメンバーが「ひっ」と小さな悲鳴をあげる。




「余程死にたいらしいな…」


ゴゴゴと圧倒的な威圧感の下で、5人はブルブルと小さな身体をさらに縮めて悲鳴をあげた。









「みんな大丈夫かな?」

名前がリゾットの隣に座って幸せそうにカフェラテを飲む。
その肩を抱いて、リゾットはチラリと外を見た。
ホルマジオ以外の4人を屋根から吊り下げて、ホルマジオはスタンドのギリギリ射程外になる屋根にくくりつけた。


「まぁその内、逃げ切った奴等が助け出すだろ」


やれやれとため息をついたリゾットは、これから先の苦労を思いながら再びため息を溢したのだった。










「ギャーー!蜘蛛っ!蜘蛛がっ!!」
「ホルマジオ、リトルフィート解け!!」

「無茶言うな!今解いたら紐が切れる!!オレが落ちるだろうが!!」

「「「「落ちろー!!」」」」


小さな彼らの、大きな悲鳴が静かな夜空によく響き渡った。


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