「イッテテテ…」


玄関を大きく開いて入ってきたメローネを振り返ったのは、偶然そこに居合わせた名前だ。
メローネはどうしたわけか怪我をおい、頬を手のひらでさすっている。


「だ、大丈夫!?」

「あ、名前!!来てたのか。なーんだソレなら何かドルチェでも買ってくるんだった」


慌てる名前をよそにメローネはハグとキスで名前を歓迎し、ニコニコ笑いながら彼女の肩を抱いて共同ダイニングへ導く。
新聞を読んでいたプロシュートが顔を上げ、キアッチョはゲームに視線を向けたまま「静かに帰って来いよな」とゴチた。


「名前にベタベタするな。機嫌の悪いリゾットをますます怒らせる気か?」

「え、リーダー機嫌悪いの?」

「つーか、疲れてんだろ。働きすぎだ」


ギアッチョの言葉に納得し、メローネは名前からさり気ない動作で離れる。
名前はそそくさとキッチンに駆け込み、小さな箱を手に戻ってきた。


「メローネ…ケガを見せて」


救急箱を持って来たらしい。名前はメローネに詰め寄り、有無を言わさず座らせると手際良く消毒液をコットンに湿らせる。
いつもフワフワと笑みを浮かべた名前が、今にも泣きそうな顔をしていた。


「ケガなんかしてんのか?まーた女泣かせたんだろ」


プロシュートが煙草に火を点けながら笑うと、メローネはムッと口を尖らせた。


「なんか、変な女捕まえちゃってさぁ」

「テメーに変だと言われるならよっぽどだな」


ギアッチョもゲームを終え、軽口を叩きながらソファーに腰掛ける。
コーヒーを口に運んで一口飲むが、冷めていたのか、一瞬眉間にシワを寄せてカップをテーブルに置いた。


「怒るとすぐに手を上げる暴力女でさ。面倒だから別れようとしたらこの様だよ」

「そんなもん、お前…」

殺してやれば良かったんだ、と言い掛け、プロシュートは名前を一瞥して口をつぐんだ。
名前の前で言うには、自分達の職業柄あんまりにも冗談にならない。


「どうして好きな人を殴るの?」

「ん?…あー、どうだろうな。名前になら殴られても幸せかも」

「え!?やだよ!!」


もちろんそう言うのを分かった上での発言なのだが、あんまりに労り慈しむような目を向けられると馴れてない分対応に困る。
パッと困惑する名前を、メローネはカラカラ笑って「なんだよ、ケチだな」と更にからかった。


「世の中には色んな奴が居るんだよ」

「…うん・・・・・・」


名前の複雑な生い立ちの中で、唯一恋人というものは幸福な存在だった。まさか恋人に手を上げる人間が居るなんて思いもしなかったのだろう。
名前はメローネに心配そうな視線を向けてキッチンに入り、今度はカップを両手に戻ってきた。
湯気の立ち上るカプチーノは、やはりメローネを気遣っての物なのだろう。
名前が心配するほど傷ついた覚えはなかったがありがたく受け取り、それを飲めばホッと胸を撫で下ろす自分がいた。



「リゾットはそう言うのねーのか?」

「ないよ!!」


プロシュートの何気ない質問に名前は驚きつつも即答し、何を思ったのかポッと頬を赤らめて口をつぐんだ。恋愛うんぬんへの興味は仕事に対するそれ以上のメローネが、そんな名前に食いつかないはずはない。


「何?何を思い出したの!?」

「メローネ…名前にあんまりくっつくな。変態が移るといけねぇ」


移る訳ないというメローネの主張はギアッチョの無言の威圧によって差し戻され、「んで?どうなんだよ」と言うプロシュートの言葉に名前が再び赤くなる。
からかいがいのある反応に、プロシュートはニンマリと楽しそうな笑みを浮かべていた。


「その…リゾットは…すごく優しいから」

「どんな風に?」

「どんなって…その……」


とうとう黙り込んだ名前にプロシュートが吹き出し「まぁ分かってるけどな」と笑うと、長くなっていた煙草の灰を灰皿に落とし、煙を吸い込んで紫煙を吐いた。


「何にせよ、恋人を殴るなんて言語道断。ましてや男が女を殴るなんて許せねえよ」


黙り込んでいたギアッチョは、この点にイラついていたようだ。
蒸し返された話しにメローネが困ったように笑い、「ギアッチョ優しー」と笑うと、ギアッチョは更に温度の下がった視線をメローネに投げる。


「テメーは殴られても仕方ねぇ…」

「やん!ヒドいギアッチョー。名前、慰めて?」

「どれ、メローネ…。俺が慰めてやろう」


突如背後から聞こえた声に、メローネが喉をヒュッと鳴らして名前から飛び退く。
ソファーの端まで飛び退いたメローネは、そこでようやくギギギと音を立てて背後を振り返った。まぁ、振り向かずとも誰が立っているかなんて分かっていたが。
予想通り不機嫌そうな顔で仁王立ちしているリゾットに、メローネは顔色を青くした。


「リーダー、ご機嫌麗し…く、………ないですね。ごめんね」

「リゾット、もう仕事終わったの?」


リゾットはごく当たり前の様子で名前を膝に抱いてソファーに腰掛け、顔をしかめたプロシュートを尻目に名前の持っていたカプチーノを一口飲んだ。
寝不足なのかヒドい顔をしているが、男所帯で暮らす仲間の前でここまで堂々とイチャツかれると反射的にムカついてしまう。


「テメーは慎みってもんを学びに、ジャッポーネに行くべきだ」

「この国に生きる上で、そんなものが必要だと感じたことはないが?」

「見たくねーって言ってんだよ。テメーのだらしねぇ顔なんて見たって面白くねぇ」


プロシュートとリゾットの言い合いに、一番オドオドしたのはもちろん間に挟まれた名前だ。
リゾットの膝を降りようと試みるが、リゾットの腕がガッチリと回され動くことも叶わない。


「リゾット」

「ん?」


困ったように顔を上げる名前を見下ろし、抗議しようとする名前の唇が一瞬でさらわれる。
チュッと重ねられた唇に驚き固まった名前は、次の瞬間耳まで赤くなった。
リゾットのだらしない顔はともかく、名前の反応は見ていて面白い。恐らく自分の周りの女にはない反応だからだろうと冷静に分析し、プロシュートは食い入るように二人を見つめるメローネに蹴りを入れた。
ギアッチョは無駄だと判断したのか、いつの間にか再びテレビゲームに向かっている。


「ぅむっ…、やだ、リゾット…」


リゾットはむしろ名前を見せびらかしたがるが、名前は極度の恥ずかしがりだ。
慎みを持たない国民に囲まれて生活しているはずが、彼女はいつでもジャッポーネらしいジャッポーネ。不思議なもんで、純粋すぎるほど純粋なのだ。


「これも暴力なんだろうか。なぁ?メローネ」


ニヤリと口の端を持ち上げるリゾットに、メローネは「どうだかな」と言葉を濁す。
リゾットの嗜虐的な笑みに名前の今後が透けて見えて、ほんの僅かにだが可哀想にも思える。


「名前が本気で嫌なら暴力なんじゃねーか?」


プロシュートの言葉に肩を跳ねさせた名前は、無言で見つめてくるリゾットから腕で顔を隠してしまった。
ここで嫌じゃないなんて言えばどうなるか、考えなくてもよく分かる。だが、嫌だなんて言い放てば、図らずもリゾットを傷付けかねないし、何より行為自体が嫌なわけではない。


「名前、お前の嫌がる事はしない」


スルリとフェイスラインをなぞり、リゾットの指が名前の唇をくすぐる。
低く優しい声が耳に響き、名前は羞恥心からうっすらと涙を滲ませたままリゾットを見つめ返した。


「何だかなぁ…俺、お前がコソコソ名前にちょっかい出してた時が懐かしいぜ…」

「そう思うならこっそり出て行ったらどうだ?」


足を組んでくつろいだ様子のプロシュートを横目に睨みつけたリゾットは、ここしばらく家に帰っていない。アジトに泊まり込みで、しかもほとんど寝ずに仕事をしている事を、プロシュートだって知っている。
書類仕事なら他にも回せばいいものを、やると決めると全て自分だけで抱え込むのがリゾットの悪い癖だ。


「俺は気に入った相手は苛めるタイプなんだ。苛ついてくるオメーと、真っ赤になって困る名前を見るのは暇潰しにはもってこいだと思ってる」

「わぉ、プロシュートも良い趣味してるな。分かり合えそうだ」


興奮気味のメローネに「一緒にすんな」と吐き捨て、プロシュートは名前を強く抱きしめたままのリゾットをグイグイと部屋の外に追い出し、そのままの勢いで玄関の外に二人を押し出した。


「おいっ!!何なんだ?」

「言ってるだろ、困った名前を見るのが楽しいって。このまま帰らせて、名前が明日どんな顔を俺に見せるか試そうと思ってな」


くわえ煙草のままそう言い捨てるプロシュートに、名前はもう現状把握出来ない様子で困惑顔を見せた。
全く、何を摂取して育てばそんな風に純情で居られるんだか分からない。


「仕事がまだあるんだが」

「んなもん、全員で適当にやっといてやるから、テメーはさっさと帰って一人で留守番してた名前を慰めてやれよ。俺の楽しみのためにな」

「プロシュート…」

「何度も言うが、俺のためだ」


礼を言おうと口を開いたリゾットにプロシュートは平手打ちをお見舞いし、玄関のドアを思い切り締めて鍵をかけた。
ドスドスと荒々しい足音が遠ざかり、響いていたメローネの爆笑する声がぴたりと止まった。
彼の安否が気になります…。


「靴を忘れた」


楽だからとスリッパに変えていたリゾットは、その室内履きスリッパのままだ。
名前に至っては窮屈なブーツを脱いだタイツのまま。
顔を見合わせ吹き出した名前と、苦笑いを浮かべたリゾットはそのまま隣の自宅へと歩き出した。


「分かりにくい奴だ」

「リゾットを心配してるんだよ」


まぁそうなのだろう。
素直とは言えないが彼なりの優しさに甘えることにした。
次の日名前は何とお礼を言うべきか慌てふためき、プロシュートは満足げに笑うことになる。
平静を装って挨拶する名前に「楽しんだか?」と尋ねれば、一生懸命とりつくったのであろう笑顔は一瞬にして驚き顔に変わって耳まで赤くなった。


「名前、リゾットが優しいのは、お前だからだよ」

「へ?」

「アイツが他人に優しかったことなんて一度もない。すっかりお前の色に染まってんだよ」


遠く昔のことのように思える・・・。
リゾットと名前が引き裂かれたあの日から、彼自身も願っていたことだ。口ではなんと言っても、二人がこうなる事を心から望んでいた。


「一生アイツを離すな。宝のように大切にしてもらえ」


プロシュートはそう言って、真っ赤になる名前の髪を撫でた。


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