名前は温かい湯を張って湯船に身を浸して、ブクブクと泡を作って夕方の出来事を思い出していた。



ソルベとジェラートとソファーで眠ってしまい、名前が目を覚ますと部屋の入り口に並んで立っている皆がいた。


『あれ…皆お帰りなさい』

眠い目を擦って声をかけたが、いまいち歯切れの悪い返事しか帰ってこない。


『?…ご飯、すぐ作るね』


名前は全員が揃っての食事中も、どことなく自分が浮き足立っているようで不安だった。








「…やっと出てきたか。まさか溺死してるんじゃないかと思ったぞ」


肩からタオルをかけた名前が脱衣場から出ると、リゾットが腕組みをして待ち構えていた。

時計を見ると、名前が風呂に入ってから2時間が経とうとしていた。


「あ、ごめんなさい…ちょっと考え事してて…」



リゾットの様子もおかしかったのがひっかかっていて、名前は上手く目を合わす事が出来ずにうつ向いた。


「髪…全然拭けてないぞ」

「ん…のぼせて気持ち悪くて…後で拭く」


名前はぼんやりと長湯している間にのぼせて、髪をしっかり拭く体力すらなくなっていた。

少し落ち着いたら拭くつもりで、肩を濡らして風邪をひかないようにタオルを肩にかけた。


黙ったままのリゾットが道を開ける様子もない事に疑問を抱き、顔色を伺おうと名前が頭をあげかけると白いタオルに視界が遮られていた。


「うわっ!!」


ガシガシと思い切り良く、リゾットが名前の髪の雫を拭う。
名前が肩にかけていたタオルで、大人が子どもにそうするように豪快に拭われる。


「風邪をひくぞ」


のぼせて揺れる頭に、リゾットがタオルを動かす振動が心地よく響く。
それに何より、昔…本当の親にそうされるのが好きだったのを名前は思い出した。


「気持ち良い」


名前がそう呟いてニコニコと口元を緩めるのを、リゾットは目を細めて眺めた。


「もう寝ろ」

名前は名残惜し気にタオルを見て、リゾットに「おやすみ」と告げてハグをしようと一歩足を前に出した。


「お?…うぶっ」

思ったよりのぼせてしまっていたのだろう。名前は足をもつれさせ、リゾットへ顔からぶつかってしまった。
リゾットの少し冷たい肌が、湯中りした名前からじんわりと体温を奪って心地好い。
体を動かすのが億劫で、もたれかったまま顔だけリゾットに向けて「ごめん」と謝る。



「リゾット、冷たくて気持ち良い。湯冷めした?」


あろうことかそのまま甘える様に腕を回す名前に、リゾットは自分の感情が揺らぐのを感じた。それと同時に、その事実に心底驚いた。


「……前にもそう言われたな」

リゾットは咄嗟に思いつくまま言葉を繋ぐ。


「あの時は酔っ払いだったがな…」


名前から香るシャンプーの匂いに、目眩すら感じる。

(…もぅ……ダメだ)



リゾットは自分より小さい名前の体を、抱き込むように抱き締めた。
突然いつものハグより強い力で抱き締められ、耳元にリゾットの微かな息遣いが聞こえた事に驚き、名前は思わず息を止めた。





どれくらいそうしていたんだろうか。

名前には一時間くらいにも感じられたし、数秒だったようにも感じた。
しかし、息を潜めていて平気だったのだから、本当は数秒だったのだろう。


「リゾット?」


名前が恐る恐るリゾットを呼ぶと、リゾットの腕からゆっくりと力が抜ける。




「……もう寝ろ」


真っ赤な顔でリゾットを見上げる名前に、リゾットは温度のない視線と声でただそれだけを告げて背中を向けた。


















(何をしているんだ。)


リゾットはベッドに腰かけて頭を抱えていた。

名前はリゾットの部屋を通って自室に戻ったまま、音も立てない。
眠ったのだろうか。

出来れば眠って、起きた時には名前が何も覚えていなければいいと思った。
何も覚えていなければ…いや、何も気にしていなければそれでいいのだろう。

そうすればいつも通り…。


リゾットはそこで一度頭を上げて、メタリカで作った壁に視線を移した。


(名前が覚えていなければ…か。

否。
オレが忘れなければ微塵も意味がない)


リゾットは名前と顔を合わす度に、自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れるのを感じていた。

それは多分、リゾットが暗殺者となるべく作り上げた、感情を囲む壁。
封印したはずの感情が、名前によって解放されていく。
見ないようにしていた自分が、隠せなくなる。
『恋』だとか『愛』等と名前をつけて良いのか、それが一体どんなものだったか思い出せないのだから判断のしようもない。
リゾットは大きなため息をついた。


と、その時だった。
リゾットは夜の静寂の中に小さな声を聞いた。
何を言っているのかまでは聞き取れない。

息を殺して耳を澄ますと、リゾットはその声を聞いたことがあることに直ぐに気づいた。



(歌…)


それは、リゾットと名前が出逢った夜に名前が歌っていた歌。

無機質な視線を既に事切れた男に投げ掛け、名前が小さく歌っていた歌。


その時は「こんな状況で歌を歌うなんて」と思っていたが、今のリゾットはその歌に胸を引き裂かれる心地だった。




ーこれは…まるで悲鳴だな。



名前は嫌な事や悲しいことがあっても、泣くことを許されなかったのかもしれない。
リゾットのように感情を壁で囲い、悲しみを遠ざけていたのかもしれない。


名前の歌はきっと、涙の代わり。
歌を涙のように流す。


悲しみに耐性があっても、喜びにはいとも容易く涙を流すその不器用さがリゾットには悲しかった。



「名前…」


声をかけると歌が止んだ。

名前を泣かせたのは、紛れもなく自分。


「名前、こっちに来い」



しばらくの静寂の後に、名前は壁の横から顔を出した。
涙を流した様子がないのに、泣いた後の様に弱っているのが痛々しい。


「こっちに来い」



おずおずとリゾットに近づく名前は、もう一歩の所で立ち止まると「ごめんなさい」と呟いた。


「何がだ?」

「歌…煩かったでしょ?無意識だったから…」


リゾットはもう一度謝罪する名前の手を引いて、隣に座らせた。


「いや、謝るのはオレだ。驚かせた」

意識的に優しい声で話かけると、名前は落としたままの視線をようやくリゾットに移した。


「私、邪魔?」


名前は所在なさげに視線をゆらゆらと揺らす。
変な話、今の名前にはこの軟禁場所こそが心休まる家だった。
この場所を失うのは恐ろしい。


「皆お前が居るのを喜んでいる。仕事もよくやっているしな」

「リゾットは?」


グッと唇を噛む名前は、やっぱり泣きそうな顔に…しかし涙を浮かべずにリゾットを真っ直ぐ見つめる。


「オレは、お前といると……いとこの子どもを思い出す」


思いがけない言葉に、名前は目を丸くした。
名前の手を取ったままのリゾットの手に、力がこもる。


「オレが14の時に…死んだ」


殺されたと言いかけて、オブラートに包んだ。
リゾットに握られていた名前の手にも、キュッと力がこめられる。


「大丈夫?」


心配そうに覗き込む名前に、リゾットは視線だけ向けて薄く笑みを浮かべた。


「珍しく夜更かしだな。……今日は昼寝をしたから眠くないのか?」


名前の歌が悲鳴に聞こえた事には触れず、覗き込む視線に真っ直ぐ向き直る。

「ソルベとジェラートと手を繋いでたら、眠くなっちゃって」


照れて笑う名前に、リゾットはその光景を思い出した。


「二人が仲良くて羨ましいって言ったら、『もう名前も仲良しだろ』って手を繋いでくれたんだよ」



あの二人がどうゆう意味でそう言ったのか悩むが、名前が嬉しそうに笑うので特に追及するのは止めた。
確実に『名前を軟禁している』という事実を忘れているメンバーと自分に、リゾットは心で苦笑した。




「そうか」

「私、あんな風に言われたの初めて!!
誰かと手を繋いで寝たのも久しぶり。
皆とずっと一緒に居れたらなぁ……リゾットとも」


伺う様にリゾットを見上げる名前の手を「そうだな」と握って、「考えておく」と答えた。


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