「お姉ちゃん」

肩の怪我も良くなったらしい。
少年は青々と茂った葉を風に気持ちよさそうになびかせる木の枝から、洗濯物を干す名前に大きく手を振っていた。
真っ青な空と、新緑が眩しい。
白い雲がゆっくりと流れ、頬を撫でる風は今日もほんの僅かに潮の香りを運んでいた。


「お姉ちゃん!」

少年は、ここに来た最初の頃からは想像も出来ないほど屈託のない笑みを浮かべて名前へと駆け寄ってきた。
「なぁに?」と笑って答える名前に飛びつき、ギュウと顔を埋めたかと思うと、パッと離れてまたはじけるように笑う。


「お姉ちゃん、大好き!!」


驚いた。
そんな風に屈託のない純粋な笑顔で、そんな風に言ってもらえるなんて…。
涙が出そうになって、名前は「私も大好きよ」と笑って答えた。
間違いなく、これを幸せだと呼ぶのだ。
例えばリゾットが。自分と人生を共にすると誓った人が戻って来れなくなったとしても、十数年前の彼を支えていく。
名前はそれでも良いと思った。
彼女の中で、少年はリゾットと同じく大切な存在だった。
形は違っても、家族で居られると思った。


「ご飯にしようか」


襲撃の件で傷ついた体を癒すためにジョルノがくれた休みを、今日は二人でたっぷり満喫するつもりだった。
いつものように洗濯を済ませて、その日の食事を作る。
特別にケーキを焼きながら、名前はフッと窓の外を見た。
何かがキラッと光り、その眩しさに目を閉じた。











「…うん?」


名前が目を開くと、見慣れた天井が見えた。
カーテンが風に揺れ、時折日差しがきらりと差し込む。
キラッキラッと風に踊るカーテンの動きにあわせて差し込む日差しを見ながら、名前は自分がベッドに寝ていることに気付いた。


「夢…?」


幸福な夢だった。
ぼんやりしたままゆっくりと瞬きを繰り返す名前に、フッと影が落ちた。
外の眩しさを見ていたせいで室内の暗さに目が眩む。
覚醒しない頭と眩んだままの目で、名前は精一杯目を細めて影の主を見た。



「起きたか」


聞きなれた耳に心地よいバリトンボイスに、名前は目を真ん丸にした。
微睡みの中から一気に引き上げられるように覚醒し、今度は混乱して状況を飲み込めない。
どうしてこんなに会いたかったのに、まるで今こそ夢を見ているようで言葉も出ない。


「どこか痛むか?」


労わるような声も、そのくせどこか一本調子で温度が低い。
そっと触れるその掌は大きく優しく名前の頬を包む。
節立った長い指もぎこちなさも、全てが探していたもの。
確かな感触と体温が、紛れもなく現実だと伝えてくれる。
いつもと代わらず低めの体温と大きな体。
差し込む太陽の光をキラキラと反射させる銀色の髪の毛。
ずいぶん久しぶりに見る、愛しくて仕方ないその人の姿に、名前は目を瞬かせた。





「リ、ゾット…?」


あんまりにも驚いて張り付いた喉から声を絞り出すと、リゾットは困ったように眉を寄せて、恥ずかしげに顔を強張らせて「ただいま」と答えた。
久しぶりだった。
どれほど恋焦がれていたことか。
あっという間に視界は洪水に飲み込まれ、声も出せなかった。
堰を切ったように泣き出した名前を、リゾットは強く抱きしめた。
頬を寄せ、泣き喘ぐ名前の唇に自分のそれを重ねる。
感極まって視界が滲むことも厭わず、何度も何度も名前にキスを落とした。



「ぅっ、…ふぇえ」


逢いたかった。
寂しかった。
不安だった。
恐かった。
言いたい言葉の全ては言葉にならず、名前は子どものように声を上げて泣いた。
ベッドの上で座り込んで泣きじゃくる名前を抱きしめ、リゾットは「すまなかった」と繰り返す。
何度も謝るその声も、触れる手も、体温も。
この1ヶ月、その全てを捜し求めていた。
愛しかった。
奪われた時には、発狂するかと思った。


「リゾットぉ…っ、」

「うん?」

もう二度と聞けないと思った声で、呼ぶ度にきちんと返事が返ってくる。
これだけで幸せだなんて。
力の限りにしがみついて、久しぶりの体温を感じながら、名前は疲れるまで声を上げて泣いていた。









「名前、ありがとう」


涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔をタオルで拭きながら、名前は腫れて重くなった目でリゾットを見上げた。
再会の度に顔を泣きはらし、例に漏れない今回も恥ずかしくては顔を合わせられない。


「何が?」

何かお礼を言われるような事をしただろうか。
不思議そうな顔をする名前に、リゾットはほんの少しだけ頬を染めた。
珍しいことである。


「あぁ…。その…結局助けてもらったことになるし…その、…」

「なるし…?」


妙に歯切れが悪い。
こんなリゾットは見た事がない、と、名前は泣いて狭くなった視界を瞬かせる。
何度か口をもごもごさせたリゾットは、意を決した様子で「昔のオレが世話になった」と早口で告げた。


「へ?」

「だから…その…昔の…子どもの時分のオレが…」


穴があったら入りたい。とはこんな時に使うんじゃあないだろうか。
過去の自分なんて写真を見せたりエピソードを掘り起こすだけで恥ずかしいのに、寄りにも寄って実際に対面するようなことになるなんて。
言いにくそうに目を泳がせるリゾットに、名前は何かに気付いたように「あっ!!」と声を上げて口を開いた。


「記憶に、残ってるの!?」

「この記憶すらスタンドによる偽造でない限り、まるっきり全部覚えている」

「そ…そんな!!ひどい!!!!!」


名前はボッと火がついたように赤面するが、恥ずかしいのはこっちも同じだ。
いたたまれなくなって目を逸らし、リゾットは一人心内で悶えていた。
記憶をなくしていたとは言え、自分の妻を「お姉ちゃん」なんて想像しただけで恥ずかしくて死にたくなる。
もちろん姿も子どもに戻っていたのだから、ハタから見て問題はないだろうが、これは精神的にかなりクる。
口を横に引き結んだまま、かつてないほど赤面するリゾットの前で(それでも人と比べれば大したことないのだが)、名前もベッドに顔を突っ伏して恥ずかしさに悶えていた。
お互いになんと声をかけるべきか分からない。
ただひたすら記憶を消したくなった二人を知ってか知らずか、気まずい空気に満ちた部屋に乾いたノックの音が響く。
これ幸いと飛び起きた名前がドアを開くと、ヒョコッと顔を出したのはプロシュートだった。


「起きたか?」

二人とも起きていることは見たら分かるだろう。
リゾットの姿に驚かないところを見ると、眠っていた名前よりも先にその事を知っていたのかもしれない。
プロシュートは久しぶりに再開したのに目も合わそうとしない二人を交互に見つめ、何かを察してニッコリと微笑んだ。
世の中の女性の多くを魅了するような綺麗な笑みを作ったプロシュートの口から出た言葉は…。


「今日はオレ達が飯を作ったから、早く下に下りて来い」


有無を言わさぬ命令だった。


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