光が弾けて、窓ガラスが音をたてて砕け散った。
驚きに振り返る暇もなく、少年は前のめりに倒れこむ。
全てがスローモーションに見えた。
砕けて光るガラスが、倒れた少年の上に雨のように降り注ぎ、名前はとっさにベットから飛び降りた。



「ネエロ!!!!!!!」



悲鳴に近い声をあげて少年に駆け寄ろうとする名前は、窓から飛び込んできた人間に突きつけられたものを見て立ち止まった。
逆光の上に、外からの光は月明かりのみ。
シルエットが浮かぶように見えるその人間は、鈍く光るものをこちらに向けていた。



「暗いけど見えるよな?」


口元まで覆う目出し帽のせいでくぐもった声の男は、床に倒れて小さな呻き声をあげる少年に手を伸ばした。
銃を名前に向かって構えたまま少年の髪をわし掴み、おもむろに引っ張って無理やりに少年を立たせる。


「うぅっ…」


息はある。
意識もある。
だが、痛みに呻く少年は、完全に男の手の内だった。



「動けばどうなるか分かるだろ?」

「なんのつもり?」


怒りを堪えて震える声で問いかける名前に男は「うふふ」と、ねっとりと気持ち悪い笑みを返した。
挑発するような、試すようなその笑みが名前を更に苛立たせる。
気持ち悪い。


「お前がパッショーネの“金の卵を産む鶏”だろう?」

「!!!!」


実に不愉快な言い回しだった。
パッショーネに金儲けをさせるためにスタンドを使っているわけではない。
結果的にそうなっているのだとしても、名前はジョルノの行いを信じていた。
その全てを嘲る様なその言葉に、一瞬で湧き上がった怒りに細胞が沸騰する。
カッと頭に血が上り、名前は唇を噛んだ。
少年を盾に取られていなければ、すぐにでも掴みかかっていただろう。


―ガンッ!!!!

「名前!!!開けろ!!!!」

「大丈夫か、名前!!!!」


階下から駆け上がってきたギアッチョとホルマジオがドアを叩く音が部屋に響く。
その声で名前は冷静さを取り戻した。そして瞬時に判断した。
彼らならば、鍵やドアなどひとたまりもなく開けられる。


(でも…)


ビシリと音を立ててドアが凍りついた瞬間、男は名前の答えを待たずに引き金を引いた。
耳を劈くような銃声。
暗闇に光る火薬の閃光。
絶望に顔を歪めた、少年の姿。


(間に合わない!!)



「「名前!!!!!!」」



ドアを開くよりも一瞬先に銃声が家の中に響く。
ホルマジオとギアッチョが凍りついたドアをぶち割った瞬間、温かな物がビシャリと顔や体を濡らした。
それが何なのか、考えなくたって分かる。
温かく、ぬるりとした、これは、よく知っている物。


「おいおい、嘘だろう…」


「名前!!!!!!!」


深紅の、鼻をつくような鉄臭いそれは、まごう事なき血液。
膝をついて崩れ落ちる、名前の血液。
少年を含む三人が、その絶望的な光景に目を見開いた。
開けられたドアから漏れる光に照らし出されたその部屋の中に出来た真っ赤な血溜まりと、その中に倒れ込む名前の姿。
三人は瞬時に理解した。
この世で最も護りたいと願った人間を傷つけてしまった…、と。


「貴様ぁぁぁぁああああっ!!!!!」


男を責め立てる声は、ギアッチョでもホルマジオでもなかった。
男が掴み、人質にしていた少年が、鬼のような形相で男を睨みつけていた。
ただの子どもだと思っていた少年の凄みに、男は僅かに怯んだ。
少年を掴んだ手の力が弱まり、その隙を突いた少年がまるで訓練されたような身のこなしで男を振り返る。
先に撃たれた傷のことなどまるで構わず自分を拘束していた腕を振り払い、少年は銃を持った男に丸腰で飛び掛った。


「ひっ!」

少年に足元を蹴り上げられてバランスを崩した男の手から、名前を撃った銃が滑り落ちて窓の外へと飛び出した。
ドシンと音を立てて倒れた男に飛び掛り、少年は落ちてく拳銃を見て「チッ」と小さく舌打つ。
あれさえ手に入っていたら、少年はきっと躊躇なく男を撃ち殺していただろう。


「野郎っ!!!」

怒ったリゾット少年が吐く息が白い。


(白い?)


もう春にもなろうかというこの時分に、室内の温度はまるで氷点下だ。
男に掴みかかろうとした少年がその異変に気づくと同時に、少年はぐいと後ろに強く引き寄せられた。


「逃げるぞ!!」

「離せホルマジオ!」

「逃げるんだ!!この家は囲まれている!!!!」


有無を言わさず、ホルマジオは少年を力任せに引き寄せた。
少年だって、肩口を銃で撃ち抜かれている。
興奮状態でなければ、精神的に未成熟なこの少年はとっくに気を失っていただろう。
ホルマジオがギアッチョを振り返ると、既にホワイトアルバムで名前の傷口を凍らせて止血していた。
とはいえ、それはほんのその場しのぎ。
外に感じるいくつもの気配が押し寄せてきて戦いが長引けば、名前の体力も少年の体力も持たない。



「プロシュートの案で、家の中に人数が揃っているように見せかけれたはずじゃなかったのかよ」


わざわざマンインザミラーでここを離れた彼らの策も、大した効果を得る事が出来なかったようだ。
力ではスタンドがある分こちらが有利だが、敵の方が作戦勝ちということか。


「ごちゃごちゃ言ってねーで、早くリトルフィートで準備しろ!!」

「もうやってる。もうちょっと位待てって」


リトルフィートは既に少年と名前と、ついでに自分にも能力を使っている。
傷付けるのは可哀想で気が引けていたが、既に傷だらけだからなんの遠慮もない。
ただ、対象物を小さくするまでに時間がかかるのが難点だった。
ホルマジオは少年を。ギアッチョは名前を抱えて部屋を飛び出した。
階段を駆け下り、窓から見えないように身をかがめて勝手口を目指す。


「ギアッチョ…」

「喋るな。傷にさわっちまう」

「だめ、そっちの、ドア…には、気配、が…たくさ…ある」


相当傷が痛むのか息切れしながら訴える名前に、ギアッチョは「分かっている」と返した。
彼もれっきとした暗殺チームの、リゾットチームの一員だ。
一つの建物を襲撃する際、表立った出入り口もさることながら、目立たない逃走経路を確実に塞ぐのは基本中の基本として認識していた。
だが、彼はあえて裏をかく。


「此処でちぃとでも多く倒しておく」


自分に対する絶対的な自信があるからこそ言える言葉だった。
リトルフィートの力で小さくなった三人を準備しておいたポーチに押し込んで腰につけると、ギアッチョは再び氷の装甲を纏って扉を思い切り蹴破った。
そこから飛び出すことを主張するように破壊音が暗闇に響く。


―バババババババッ!!!!!!


夜の帳が下りた世界に、無数の火薬が燃える光が破裂音と共に瞬く。
数え切れないほどの鉛玉がギアッチョを襲い、次の瞬間には世界が静寂に包まれていた。


「ホワイトアルバム、超低温は静止の世界だ。そこでおとなしく凍ってな」


一瞬にして凍りついた世界に、ギアッチョの声だけが静かに響く。
ジェントリーウィプスによる兆弾の傷すら凍りついた襲撃者は、悲鳴をあげる間もなく氷像と化していた。
圧倒的にして隔絶された能力を発揮し、ギアッチョは凍りついた世界を猛然と滑り出した。
他の場所に待機していた人間が駆けつけるよりも早くそこを飛び出し、なだらかな丘を猛スピードで滑り降りる。
ジョルノとプロシュートたちが会っているはずの店に向かって道なき道を下るギアッチョは、ふと、一つの明かりがこっちに向かっていることに気付いた。
耳障りなモーター音を響かせ、その光は真っ直ぐにギアッチョに向かってくる。
最早道なき道を爆走するそれは、ギアッチョの目の前で滑るように停止し、止められたバイクを見たギアッチョは大きく息をついた。


「ギアッチョ!!!!」

「おせーぞ、メローネ!!!」

「そう言うなよ!!ちゃんとボス連れてきたし!!!」


ヘルメットを脱いで「やれやれ」と息をつくジョルノを確認して、ギアッチョは珍しく「でかした!!」と素直にメローネを褒めた。
ポーチを開けると、掌に乗りそうなほど小さなホルマジオ達が顔を覗かす。
名前と少年は傷の痛みで青い顔をしていたが、まだ二人とも意識がある。


「ここでやるのか?」

「心配ありません。あちらにはブチャラティ達が向かっています」


それならば確かに問題ない。
ギアッチョの攻撃に対する対応から察するに、敵方にいるスタンド使いは万が一いたとしてもほんの数人。
窓から侵入してきた男がスタンド使いではなかったことからも、これはほぼ間違いないだろう。
ジョルノの言葉に、ホルマジオは一つ頷いて能力を解除した。


「名前さんのほうが状態が良くないですね」


パッと見ただけでも、かなりの弾数を打ち込まれている。
肺や心臓などの致命傷になる箇所に当たっていないことが奇跡的ですらあった。



「ボス…ですよね?お姉ちゃん…を、助けてくれ」

「分かっています」


自分の傷だって痛いだろうに、少年はジョルノにすがるように名前の手当てを乞う。
「もう大丈夫です」と繰り返すジョルノの言葉に、少年はようやく落ち着きを取り戻して横たわる名前を見た。

(良かった…)



「名前さん、痛みは消えませんが、我慢してください」


ジョルノの言葉に、名前は微かに頷く。
意識レベルは高いようだが、触れてみれば発熱しているのが分かった。
ジョルノはすぐにゴールドエクスペリエンスを発現させ、傷の手当てに取りかかった。


(本当に…大丈夫なんだ…)


名前の傷がふさがっていくのを眺めながら、少年はその場に倒れ込んだ。
彼女の色の淡い服は鮮血で真っ赤に染まり、まだ顔面も蒼白だが、ジョルノは大丈夫だと言い切った。
少年には理解できなかったが、ジョルノが手をかざした傷が塞がるのも見た。
理解できない力なのだろうが、これで彼女は助かるのだろう。
安心すると同時に、体から急に力が抜けた。
肩の傷が燃えるように熱い。
失血のせいかグラグラと揺れる世界の中で、少年は名前の声を聞いた。
さっきの会話の、名前の声を。


『もちろん、愛してるよ』


(お姉ちゃん…。助かって良かった…)


ギアッチョ達が慌てて自分を呼ぶ声を聞きながら、少年はゆっくりと意識を手放した。
襲撃による緊張感や痛みと恐怖は、滲んでいく夢現の世界で見た名前の笑う姿で消え去っていた。


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