気が付いたら自分の未来にいて、その時代に本来いたはずの自分は、実は暗殺者でした。

(冗談…にしては性質が悪すぎる…か……)

少年はぼんやりと外を眺めていた。
風が頬を撫でる感覚が、少年が夢を見ているわけではないと嫌でも実感させる。
一気に聞かされた事が頭をグルグルと回り、少年にはそれがまるで酷く他人事に思えた。
そりゃそうだ。
暗殺どころか、少年はまだ殺人の一つも犯してはいない。まだ…。
まだ、ただの計画段階だった。


「オレが…」


しかも名前だって、夫婦だとか恋人だとかになる前は、自分の殺人現場を目撃した一般人。
暗殺を見られたからには仕方ないと攫った挙句に、軟禁していた人質だったなんて。
護るどころか、加害者だったなんて…。


「信じられない…」


自分のことも信じられないが、名前がそんな集団の中でリゾットを好きになったなんてことも信じられない。
色んな感情が渦巻く中で、少年は視線を自分の掌へと落とした。
なんの変哲もない、毎日見ている普通の手。
それが十数年後には血に汚れ、人の命を奪い続けているなんて…。
血に汚れた手で名前を護るなんて、勘違いも甚だしい。


(オレは、闇の中から脱出することも出来ていないなんて…)

少年はため息をついて膝を抱えた。










「聞いただけじゃ、変化なかったね」

頬杖をつくメローネが呟き、沈黙の中に染み込んでいく。
少年が危なっかしい足取りで二階に上がった後、メローネが呟くまで誰一人として口を開かなかった。
まさに、万策尽きた状態だった。
まぁ、策は一つしかなかったのだけれども…。
唯一の策は、効果がなかった。


「とりあえず、ボスに相談してみる」


ジッと黙り込んでいたプロシュートがそう呟くと、ジョルノに相談に行く人間とここに残る人間に分かれることになった。
単純に戦力を分断することになるので、名前とリゾット側に残すメンバーは慎重に選ぶ必要がある。



「相談には頭数が揃ったほうがいいだろう。案を出せる奴は少しでも多く欲しい。
万が一の防御を考えて、ホルマジオとギアッチョがこっちに残ってくれ。
いざとなったらお前達の能力なら二人を連れて逃げ出せる。多すぎないほうがかえって良い」

「ホワイトアルバムで逃げるなら、防寒着がいるなぁ」


ククッと笑うホルマジオに、ギアッチョは軽く舌打ちをした。
反論しないのは、彼が自分の性格を熟知しているからと言える。


「メローネはバイクで外から。一人だと怪しいから…ジェラートを連れて行ってくれ。それ以外の奴らはイルーゾオと中からだ」


プロシュートは指示を出しながらスーツの内ポケットからケータイを取り出した。
今日は外での仕事はないと聞いていたが、一応連絡を入れて行かなければならない。
短縮ダイアルからジョルノの名前を見つけ、コールする。
数コール後に応答したジョルノに事情を説明すると、ここからそう遠くないカフェで待ち合わせになった。
近くなる分にはありがたい。
プロシュートが電話を切るのを合図に、それぞれが立ち上がって行動を開始した。
入れ違いに家に入ってきた名前にハグをして、イルーゾォは「大丈夫だよ」と呟いた。









「ネエロ」

小さく呼ばれるのを聞いて、少年はようやく我に返った。
名前が予想した通りだった。
きっと傷つくだろうと分かっていた。
だから言いたくなかった。
少年の傷ついた顔を見たくなかった。
だから守りたかった。
弱々しい表情で振り返った少年の隣に腰かけると、名前は小さく切り出した。


「理解できない?」


穏やかな調子で訪ねる声に、少年は胸が詰まった。
どうして?そんな疑問が次から次に湧き上がっては、言葉にならずに消えていく。
少年が今にも泣き出しそうな顔をしているように見えて、名前は黙ってその小さな頭を抱き寄せた。


「ごめんね」


悲しませてごめんなさい。
苦しませてごめんなさい。
記憶と時間を奪われてこの時間に現れてしまったネエロだって、此処に存在する確かな一つの命なのに。
少年の存在を認めれば認めるほどに、どうすればいいのか分からなくなった。
大好きな人と再び巡り合うために、この少年の命が消えてもいいなんて思えなかった。



「ごめんね」


何が正しいのか分からない。
少年が悪いわけなんかじゃないのに。


「お姉ちゃん」


少年の手が、そっと名前の服の裾を握り締めた。
小さな手が震えているのを感じて顔を上げると、頬にそっと手が触れた。
小さいけれど、名前が良く知る大きな手と同じ体温。


「教えてほしいんだ」

「うん」



「どうして、好きになったんだ?
危険人物なのに。
殺しの現場まで見ているのに。
人の命を奪うことで生きている男を、どうして愛せるんだ?
自分だって攫われた被害者なのに」




畳み掛ける少年は攻め立てるようにまくし立てた。
名前を攻めるように吐き出した言葉は、重ねれば重ねるほどに自分に深く突き刺さる。
名前が悪いわけではないことは分かっている。
自分が選択した未来の中で、少年には名前がその被害者に見えてしょうがなかった。
彼女は暗い社会の裏側で生きる以外の選択肢があったはず。
それをいつかの自分が奪ったのだ。
名前を悲しませたくないと言った自分が、酷く悲しかった。



「リゾットは…」


名前の小さな声に、少年は顔を上げた。
沈みかけた太陽の橙に染められて、名前は窓の外を眺めていた。
窓の外にその時の自分を探すように目を僅かに細め、愛しい人を思い出すように優しい顔をしていた。


「リゾットはいつだって自分の罪を理解していた。そして、仲間をとても大切にしていた」


そうだった。
いつだって彼は自分の事を後回しにして、いつだって仲間の事を考えていた。
傷ついて、ぼろぼろになって、自分の心や感情を押し殺して、握りつぶして、息を潜めるように生きていた。


「彼らの罪の許しを請うわけではないんだけど。
暗闇に囚われていた私にとって、彼らの優しさは救いだった」

「名前…お姉ちゃんが暗闇に、囚われていた?」


わざわざ言い直す少年の律儀さに、名前は小さく笑みを溢した。
「どっちで呼んでも良いのに」と笑って、少年と同じようにベッドに足を上げて膝を抱える。
リゾットに出逢ったときも、こうして名前は膝を抱えていた。



「一人ぼっちで死にそうになっていた私を、リゾットは連れ去ってくれた。
孤独だった私を、みんなが家族のように迎え入れてくれたの」


なんだか食い違う。
プロシュート達の話では、名前が彼らの救いだったと言っていた。
主観が違うと、こんなにも話は食い違うものだろうか。
互いにとって、互いがこんなにも救いになり得るのだろうか。



「どこが好きだったの?」

「全部!!」


先ほどまでの調子とは打って変わって、名前は前のめりになるような勢いできっぱりと言い切った。
正直これには面食らった。
なるほど、これがノロケ話という奴か。


「手も声も、目もキラキラ細い髪の毛も匂いも全部好き」

「あぁ、そう」


胸焼けでも起こしそうな気分だ。
いつかの自分のことのはずなのに、友人の恋バナでも聞かされているような気分になってくる。
「適当な返事だなー!」と笑う名前に曖昧な返事をした少年は、名前が「あと…」と呟いて膝に頭を乗せるのを横目に見ていた。



「優しいところ」

「人殺しなのに?」


少年の言葉に、名前は小さく笑った。
悲しげにも見える笑みを浮かべて、名前は「そう、人殺しなのに」と少年の言葉を繰り返す。


「とても冷たい目で、人が死んでいくのを見つめていた」

「残酷っていうんじゃないの?」

「そう…なのかな?私には、自分を軽蔑する目に見えた」


名前は夕日に染められて真っ赤になった外の景色を見つめてそう呟いた。
とても冷たく、残虐な視線。
消えていく命を見つめるようでいて、彼の視線は自分の罪を忌み嫌っているように見えた。それでもそうするしかない、自分を嫌っているように見えた。


「リゾットは、自分の事を知っていた。いつ殺されてもおかしくないと思っていながら、苦しんでた」

「それでも殺しを止めなかった」

「やめるなんて出来なかったのよ。組織を裏切って仲間を捨てて逃げ出すことも、彼の選択肢には存在しなかった。
仲間をとても大切にしていたから」


少年は返す言葉を失った。
何を天秤にかけて、何を捨てるべきなのか分からなかった。
間違った事をしているようでいて、護るもののために仕方なくも見える。
彼がそんな境遇に生まれなければ。もっと違う環境の中で生まれ育てばそんな事にはならなかったのにと思えさえてくる。


「自分の罪を知って、受け止めて、苦しみながら生きて。
それでも何かがよくなる日がくる事を信じて、彼は戦っていたんだと思う。
先の見えない世界の中で、自分を切りつけるように…」


名前は口を引き結んだ少年の頬にそっと触れた。
まだ幼さを残した少年は、後一年後には人を殺めた。
闇の中へと身を投じて、自分という人格を崩壊させながら生きていた。


「リゾットは、人の痛みを知っている、優しい人よ」


日の沈みかけた、薄暗くなった部屋の中で、少年は名前が幸せそうに微笑むのを見た。
いつかの自分は、どれだけの葛藤を抱えて生きていたのだろう。
その苦しんだ人生の中で、こんな風に愛されて、どれだけ幸せだったのだろう。
どんなに考えても想像つかないことばかりだった。
それでも、きっと。


「オレは、きっと幸せだったんだろう」



ぴょんと跳ねるようにベッドから降りた少年は、窓際に立って名前を振り返った。
すっかり暗くなった室内でも、外から入る僅かな光で名前の表情は見て取れる。


「なんかさ。話を聞いた時、自分が闇の中に生き続けてる未来なんかいらないと思ったんだけど…」

「……」

「でも、なんかお姉ちゃんがいてくれるなら、まあいいか」

「ネエロ…」

「オレ、お姉ちゃんを護りたいって、昨日の夜決めたんだ。そりゃあ話の内容はショックだったけど、やっぱりお姉ちゃんは護りたい」


二カッと子どもらしい表情で笑った少年は、「ねえ」ともう一度名前に呼びかける。
少し戸惑うように、気恥ずかしさを誤魔化すように顔をそらして横目に名前を伺いながら、首を傾げる名前に、少年は短く問いかけた。



「オレのことも、ちょっとは好きだった?」


名前は目を瞬かせ、その言葉の意味を数秒かけて飲み込んだ。
あぁ、本当になんて不器用な人。
込み上げてくる感情が大きな波のように唸りをあげて、涙がこぼれそうだった。


「もちろん、愛してるよ」


そう言って笑った名前は、窓の外でパンとはじけるように何かが光るのを見た。


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