少年は窓から名前が洗濯物を干すのを眺めていた。
いや、正確には、そちらを向いていただけ。


「まぁ、いずれは聞かれると思ってたけどな」


メローネが頭をかきながらそう溢すと、だんまりを決めていたジェラートが口を開いた。


「でも、未来のお前と名前の関係なんて知ってどうするんだ?」

「嫉妬の対象にはならねーと思うけど?未来のつったって、自分なわけだし」


ジェラートに続くソルベに、イルーゾォも続いて「そうそう」と頷く。試すようなからかうような、何とも居心地の悪い空気だ。
その中で唯一、ペッシだけは眉を寄せて混乱している様子で唸っていた。


「ネエロは、リゾットなんだよな?記憶と時間を奪われて子どもになっちまったなら、名前のこと思い出したら…元の姿に戻るって事か???ウーン…ややこしいスタンドだなぁ…」


今日は珍しくペッシに対するプロシュートの返事がない。
混乱する弟分には見向きもせず、顎に手を当てて少年をジッと見つめるプロシュートに、少年は臆することなく真っ直ぐに視線を返した。


「未来の自分の立ち位置を確認して、それに乗っかろうってか?
名前を手に入れるには一番楽な方法だからなぁ」

「そんなことの為に知りたいわけじゃあない」

「じゃあ、どうしてそんな事を今更オレ達に聞くんだ?」


威圧的なプロシュートの物言いにも、リゾット少年は動じる様子はない。
その隣でピリピリした空気を放つギアッチョにすら、今日の少年は動じなかった。
この場所に連れられてきた時の少年は心を閉ざしたように暗く攻撃的な表情をしていたが、今の少年は強く心に何かを秘めたような顔をしていた。
その強い眼差しの意味を試すように、ギアッチョはジッと少年を睨みつける。


「プロシュートの言うとおりだ。今更なんだよ。名前が喋らないって分かった時点で、さっさとオレ達に聞けばよかっただろ?それをテメーは…「ギアッチョ、ちょっと落ち着け。しょーがねーなぁ」


言葉を遮られたギアッチョがキッとホルマジオを睨みつけるが、当の本人は気にもしていない様子だった。
値踏みするように少年をしばらく見つめ、ホルマジオは一つ頷く。
もう試すのはこれくらいでいい。
少年の覚悟を確認したホルマジオは、赤毛の短髪をガリガリと掻き混ぜてため息をついた。



「助かったよ。お前が聞いてこなかったら、正直オレ達はお手上げになるところだった」

「どういう意味だ?」

「お前が覚悟を決めて、その質問をオレ達にする時を、オレ達はずっと待っていたってことだ」


ぐるりと見渡してみれば、メンバー全員の目が全て少年に向いている。
真っ直ぐに向けられる視線は決して敵意ではなく、まるでいくつもの修羅場を共に掻い潜った戦友を見るように信頼が籠められた眼差しだった。



「じゃあ、オレとソルベは予定通りこっから名前の護衛に行くから。後は頼んだ」

「ちぇ、くじ引きなんて止めとけば良かったぜ」


ジェラートがソルベを宥めながら外に出て行くのを見送って、少年は全て最初から計画されていたのだと知った。
自分が名前との関係を尋ねてきた時のプランが、彼らには既に用意されていた。


「こうなることは、分かっていたって事か」


少年の言葉に、ホルマジオはわざとらしく肩を竦めた。肯定にも見えるが、こうなった時の為のプランが用意してあった…くらいの対処にも見える。
真意は少年には分からないのだが…。


「キミが聞いてこなかったら、オレ達には打つ手がなかった」


ソファーで膝を抱えていたイルーゾォが立ち上がり、少年の顔を覗きこむ。
表情を陰らせた、何とも力ない瞳に自分が映し出される。


「それで、どんな覚悟ができた?」


イルーゾォの質問に、少年の目が僅かに揺れた。
だが、覚悟が揺らいだわけではない。一晩悩んで決めたこと。




「オレがなくした時間と記憶を取り戻したい」

「なぜ?」

「お姉…名前を、助けたい。もうこれ以上悲しませたくないんだ」


少年の答えに、イルーゾオはゆったりと笑みを作って、「グラッツェ、その答えを期待していた」とのんびりした調子で告げた。


実際、彼等はこの時を待っていた。
強制ではなく、本人の気持ちが決まるのを待っていた。
それが名前の願いだったから。
十数年まえの過去からタイムスリップでもしたように感じているだろう少年の、本人の気持ちを尊重したいと名前が言ったから。
そう言った名前に口止めされていたからこそ、メンバーは少年が自ら動くまで何も出来なかったのだ。




「リゾットは…。お前は、名前の夫だった」



プロシュートの言葉に、少年は時間が止まったような錯覚を覚えた。
恋人かもしれないとは思っていたが、夫婦だったとは…。
予想を上回る回答に、少年は頭を殴られたような気持ちだった。
名前が自分の気持ちを尊重するために未亡人になる覚悟だったのかと思うと、いっそ悲しみすら感じる。
べつに、少年が死ぬわけではない。もとの形に戻るだけだと言うのに…。


「さて…」

一度話を句切ったプロシュートは、手をぱちんと打つと少年が自分の目を見るのを待った。
ここから先の話をする覚悟を、もう一度少年にしてもらわなくてはいけないと思っていた。
それだけのことなのだ。
自分が暗殺者だと思い出してもらうと言うことは、それだけ何度も確認すべきことなのだ。
少年がゆっくりと顔を上げて、まだ強い視線を向ける事を確認しながら、プロシュートは言葉を選んだ。







「これから先は、お前の罪の話。

名前が自分の幸せを諦めてまでお前から隠そうとした、お前自身の闇。

それをお前は、受け止める覚悟があるか?」






時が重苦しく流れる。
ホルマジオの言葉と共に、全員の視線が少年に集まっていた。
ゴクリと生唾を飲み込み、少年はホルマジオの言葉を咀嚼していく。


自分が犯した、自分の知らない罪と闇を、少年はこれから聞かされる。


この話が自分にとって辛い話になる事は分かりきっていた。
分かっていたからこそ今まで避けていた。
分かっているからこそ、今日は聞かなければいけなかった。
少年の脳裏に、昨日の名前の言葉が蘇る。



『リゾット…』



名前はぽろぽろと涙を溢しながら、その名前を呼んでいた。
たったそれだけだった。
ただし少年は、それが自分を呼ぶものではないことにすぐに気付いた。
そして、その瞬間初めて気づいた。


(名前は…本当はずっと、寂しかったんだ…)


考えてみれば当たり前だ。
一緒に暮らすような仲だったのだ。
“返してくれ”と懇願するほど大切な存在だったのだ。
悲しくないはずなんかない。
それでも名前はいつだって笑っていた。
少年を、少年として大切に扱って、愛してくれていた。
ただ一人、自分だけが満たされていることに気付いていなかった。



(あんなに大切にしてくれていたのに、オレは気付かなかった。見ようとしていなかった…)



どうしようもない悲しさに襲われて、少年はそっと名前の唇に自分のそれを重ねた。
そうしたかったと言うよりも、細胞に刻まれた反射行動のようだった。
名前を慰めたいと思う気持ちが、自然と少年にそうさせていた。


好きだった。大好きだった。
いや、愛してた。


重ねた唇をそっと離して、少年はベッドの脇で膝を抱えた。


(お姉ちゃんを助けたい。悲しんで欲しくない)



少年は伏せていた目をゆっくりと持ち上げた。
ジッと自分の返事を待ってくれているこの男達も、本当は仲間を失っているのだ。
そう思えば、今の自分は既に十分罪深い気さえする。
無表情に自分を見つめるプロシュートと目が合い、少年は眉を下げた。



「もしも、記憶と時間が戻ったなら、オレは…消えてしまうだろうか…」


覚悟は出来ている。
ただ、失ってしまうかもしれない事が、悲しかった。
名前や仲間達と、確かにここで過ごした時間を失うことだけが、少年の唯一の気がかりだった。



「忘れたくねーなら、しっかり自分のことを掴んでろ。
お前がなくしたくないなら、消えないかも知れない」

「そうか」

「…それに、どうせお前は、もうどうするか決めちまってるんだろ?」


プロシュートの質問に、少年ははっきりと頷いて答えた。


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