「お姉ちゃん・・・?」

「ん?」

名前が振り返るのを、リゾット少年は不安な気持ちで見ていた。
なんでもない様子で振り返る名前は、少年の不安とは裏腹にいつもと何も変わりない。
プロシュートと話をしていたはずの名前は、彼よりもずっと遅れて戻ってきた。
一人で家の中に入ってきたプロシュートに、少年は驚きを隠せなかった。
先日は少年が一人で外にいる事を良しとしなかったプロシュートが、少年の目から見てもとても大切にしている名前を置いて帰ってくるなんて。
それなのに、慌てて窓に駆け寄ろうとする少年をプロシュートは引き止めた。



『なぁ、名前の事、好きか?』


質問の意図は分からない。
少年が困惑する様子を見たプロシュートは、グシャグシャと少年の髪を掻き混ぜて曖昧に笑っていた。


『ちょっとそっとしておいてやれ。名前を嫌いじゃないなら…な』


珍しい事だらけだ。
はっきりしないプロシュートも、プロシュートと一緒に帰ってこない名前も。
何かがあったんだろうということは、人間関係に疎い少年にもすぐに分かった。




「元気?」

「うん、元気だけど…どうして?」


笑う名前に、少年は答える代わりにギュッとしがみついた。
驚く名前も、戸惑いながら少年に腕を回す。
伝わる体温は温かく、伝わる鼓動も互いの存在を確かに伝える。
黙ったままその体を離して、少年は杞憂である事を願った。


「名前、大丈夫?」

「なに、ジェラートまで…。そんなに変な顔してる?」

「そんなことはないよ、名前はいつだってディ・モールト、ディ・モールト可愛いよ」


メローネがぴょんと名前に飛びつこうとするのを、ホルマジオががしっと首根っこを掴んで対処する。
素早い対応に感心しつつ、少年は心からホルマジオに拍手を送った。グッジョブ、と。



「しょーがねーなぁ。おとなしくしてろよメローネ」

「ちぇ、今ならチャンスだと思ったのに」


チラリと伺われて、少年はメローネが自分のことを言っているのだと気付いた。
なるほど、大人の時分には、この変態メローネの予想斜め上をいく動きを全て自分で対処していたらしい。
大人になってもなかなか苦労していたようである。



「つーか、お前らさっきまでいなくなかったか?」


いつからこんなに人数が揃っていたのだろう。
静かだった室内に、入ってきた気配もなくチームのほとんどが揃っている。


「いや…確認するまでもなく、全員いるからな」

「全員?」


ソルベとイルーゾオ、それとペッシの顔が見当たらない。
キョロキョロする少年に、ギアッチョが欠伸をしながら「お前に見つかるようじゃギャング失格だな」と告げた。
それもそうだと納得するしかない。


「名前、これどこに置く?」


ペッシが重たそうな荷物を抱えて顔を出した。
なるほど、ペッシとソルベとイルーゾオは買出しに行っていたのだろう。
どっから出て来たのか謎ではあるが、抱えている荷物は明らかに買い出しから戻った状態だ。
それにしても、三人が三人とも大きな荷物を抱えていが、一体そんなに何を買い込んだんだ…。


「グラッツェ。今日はご馳走だね!」

「全員が揃うと、いつもご馳走作らされてるじゃねーか」

「文句言うなら、ネエロにはなしだよ?」

「文句があるはずがない」


少年がきっぱりと言い放ち、名前は声を上げて笑った。
こんなに幸せで、こんなに切なくなったことなんかない。
慌しく過ぎていく一瞬一瞬を、こんなに惜しんだこともない。
その気持ちの中心を探してみると、やっぱりいつだってそこには名前が笑っている。
少年は込み上げる気持ちを、「手を洗ってくる」と洗面所へ走ることで誤魔化した。










「おい、誰だよ、名前にこんなに飲ませた奴は!!!」

久々に全員が揃っての食卓だった。
相変わらずどいつもこいつも賑やかで、ギャーギャーと大騒ぎをするメンバーにソルベの怒号が響く。


「らいじょーぶらって!!もー、ジェラートは心配しすぎらんらから」

「呂律回ってないし、オレはソルベだっつーの!!」


やれやれとため息をついて、ソルベが名前を抱えた。
最早抵抗することもまともに出来ないほど酔っ払った名前は、ジェラートから受け取った水を半分こぼしながら飲み干した。
ソルベが服をびしゃびしゃにされて不機嫌になりながら、寝室へと向かおうとして足を止めた。
不機嫌なソルベにも、名前はニコニコと上機嫌で笑いかけている。
すさまじき酒の効力である。


「ネエロ、お前もそろそろ寝ろ。ほんで、ドア開けてくれ」

「ん」

かく言う少年も、半分ぐらい微睡みかかっていた。
目をこすりながら少年が時計を見ると、とっくに日付が変わってさらに二時間が経過しようとしている。
いつもは先に寝るから知らなかったが、毎夜毎夜こんなに遅くまで騒いでいるなんて俄かには信じがたい。
仕事に支障が出たりしないのだろうか。


「シャワーは明日にしな。どうせ全員今から風呂に入りなんかしないし、湯船に湯を張るなら全員が順番に入れるときがいいだろう」


ジェラートの言葉に頷いて、少年は階段を上る。
夜中の冷えた空気の中で少しずつ頭が冴えるのを感じながら、名前を抱えて待っていたソルベの前に回り込んでドアを開く。
そういえば、少年の知る限り名前がこんなに酔っ払っているのは初めてだ。
ベッドに名前を降ろしたソルベが「じゃあな、良い夢見ろよ」と少年の頭を掻き混ぜて出て行くと、月明かりに照らされた部屋には名前と少年だけが残された。
まだカーテンが閉められていないせいで、電気が点いていないのに名前の顔がはっきり見える。


「んー…」


苦しげな名前の声に、少年はそろそろと近づいた。
酒のせいで上気した肌が何とも艶っぽい。


「お姉ちゃん?」

「んー?」

かろうじて意識があるのか、名前は少年の方へと手を伸ばす。
少年が反射的にその手を握ってやれば、名前は「へへ」と熱に解けたような笑みを浮かべた。触れる掌がとても熱い。


「んー…」


しばらくそのままでいると、名前はすぅと寝息を立て始めた。
穏やかな表情で眠る名前の頬に、指でそっと触れてみる。
全く反応がない。



「名前」


今なら誰にも聞かれないだろう。
眠りに落ちかかっていた名前は、少年の声にはピクリと反応を示した。
ほんの少しだけ眉を動かし、けれどすぐにまた寝息を立てる。


「ねぇ」


少年は少し顔を近づけてみた。
それでも起きる気配はない。
酒の臭いに混じって名前の匂いが鼻を掠め、少年は頭がしびれるようなめまいを感じた。
名前と未来の自分との記憶なんて何もない自分の中に、何かが本能的に訴えかけるような。自分でも知らない自分の芯に、何かがそっと触れるような感じ。


「…っ、」


ジンジンと痺れるような体の奥底から湧き上がるそれを、少年は堪えきれなくなって吐き出した。
掠れる様な声は、熱を孕んで震えていた。



「名前、愛してる」



十年とその半分しか生きていない子どもの発言ではない。
言葉を発した少年自信も、そう思っていた。
にも拘らず、「好き」も、「大好き」もスッ飛ばして、少年は本能のままそう口にした。
自分の中に、その選択肢しかなかったし、言葉にしてみてもそれを間違っているとは思えなかった。

(そうだ。
好きとか、大好きなんかじゃ物足りない。)




「オレは…名前を愛してる」



誰に告げるでもなく、自分に確認するようにそう呟いた。
そうして少年は、目の前で酔いつぶれて眠る名前を見て目を剥いた。


起きているわけはない。
規則正しい呼吸も変化はないし、いつもはパッチリとしている相貌も、今はしっかりと閉じられている。
それなのに、月明かりに浮かび上がる名前は、静かに涙を溢していた。
ポロリと零れ落ちては、それを追うようにまた一粒零れ落ちる。
次々に流れる名前の涙に、少年は息をするのも忘れて見入っていた。


「…と」

「ん?」


ふと聞こえた声に、少年は耳を名前へと近づけた。
寝息と一緒に零れ落ちるような声。
名前のそれを聞いた少年は、何かを考えるよりも先に、そっと彼女に口づけていた。


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