リゾット少年がこの家で暮らすようになって、早くも一ヶ月が経過しようとしていた。
少年と名前を守るためだけにメンバーの全員を裂けなくなったのか、はたまた状況が良くなったのか。泊まり込みのメンバーも、毎日三人程度ずつ。
そのお陰で比較的名前と一対一で話す時間も増え、少年は名前にどんどん心を許していった。
「お姉ちゃん」
この呼び方もずいぶん馴れた。
名前も馴れてきたのか、少年をうっかりと「リゾット」と呼ぶこともなくなった。
ギャングの一員であることを忘れそうなほど、恐ろしく穏やかで幸福に満ちた時間。
そんな中で、いつからか少年は淡い恋心を抱くようになっていた。
いつかの自分が付き合っていた女性なのだ。自然と言えば自然な成り行きである。
「ネエロ、今日はパエリアに挑戦してみようと思ってるの、手伝ってくれる?」
「分かった」
ここに来る前よりも、少年は柔らかな笑みを浮かべるようになった。
子供らしいとは言い難いが、大人しく繊細な少年なりに、名前に甘えることも出来るようになってきた。
「こんなもんかな?」
「美味しそう…」
「えー?まだ火通ってないのに??」
「お姉ちゃんが作る物がマズいわけないよ」
真っ直ぐ見つめ、表情を変えることなくサラリとそんな事を言うところは、名前のよく知るリゾットそっくりだ。
名前は頬を染めて、曖昧な笑みを返した。
それが、精一杯だった。
「後は火にかけるだけだからね」
「分かった」
「それまで…そうだ、オレンジジュースでも飲む?」
「うん」
買い物は禁止されて、外出らしい外出はしばらくしていない。
ジョルノの命令だから仕方ないけれど、せいぜい家の周りに出るくらい。
まるで外界から隔離されたような生活だったが、名前は馴れているし、正直少年もそれを苦には思わなかった。
むしろ…。
「これを幸せって言うんだろうか?」
「へ?」
少年の唐突な呟きに、名前は目を見開いて固まった。
手元では注がれるオレンジジュースがグラスからあふれ出し、慌てる名前の手を少年が掴んで瓶を奪い取った。
「お姉ちゃん、本当に大人らしくないよね」
「う…ごめんなさい」
てきぱきと片付ける少年に、名前は最早返す言葉も無い。
真っ赤になって俯く名前を横目に、少年はクスリと笑った。
名前といる時にリゾットがよくそうしていたように、ほんの僅かに口の端を持ち上げてクスリと笑った。
「そのままでもいいよ、別に」
「ん?」
「オレが、お姉ちゃんの代わりにしっかりした大人になって助けてあげるから」
オレンジジュースを手に、少年はプイとそっぽ向いてそう呟く。
驚きで言葉を返すのを忘れ、少年の耳が赤いのを見つけた。
なんとも甘酸っぱい青春の一ページ。
そんなものに耐性のない名前は、つられて自分も赤くなるのを感じた。
もるで告白のような言葉に、部屋の空気もぎこちない。
沈黙が重苦しく圧し掛かり、名前がその空気に耐えかねて口を開こうとしたその瞬間。その部屋に、ガチャリという音と共に外の空気が流れ込んだ。
「なにこの空気」
「メ、メローネ!…あ、えーっと、何か…飲む?」
「それより、この空気の理由教えてよ!」
ニヤニヤと笑うメローネに、名前はたじたじである。
距離が近い。
迫り来るメローネと、後ずさる名前。
トンと背中に壁が当たるのを感じた名前は、いよいよ逃げ場を失って近づくるメローネを見た。
真っ赤な顔で、若干涙目ですらある。
何も知らない人間がこの場面に出くわしたら、メローネに名前が襲われそうになっているようにも見える。
「おい、名前に触るなよ、メローネ」
すっくと立ち上がった少年は、キッとメローネを睨みつけて部屋を出て行った。
「“お姉ちゃん”じゃないんだね」
「もう、あんまりからかわないでよ。難しい年頃なんだから」
「お姉ちゃんって言うよりは、お母さんって感じだね」
「メローネ!」
暖簾に腕推しとはまさにこのことだ。
からからと笑うメローネは、名前をギュウと抱きしめて笑い転げている。
これ以上は言うだけ無駄だ。
ため息をついて、名前は目を細めた。
複雑な…。それはとても複雑な気持ちだった。
少年を大切に想う気持ちと、リゾットに逢いたい気持ちが、名前の中でグラグラとせめぎあっていた。