リゾット少年は、輝く星空を見上げて一人佇んでいた。
木に背を預けるように座っていると、木の枝を揺らす風の音が耳に心地良い。


『教えてくれよ、お姉ちゃん』


―数日前。
ブチャラティが来た日。
リゾット少年が聞き出そうとする色々なことを、名前は黙秘した。
何かに迷うように視線を彷徨わせ、悲しげに目を伏せていた。
原因が自分にあることは明らかなのに、名前が何も教えてくれない理由が、少年には理解できずにいた。
少年と距離をとろうとしているわけではない。
食事のときは必ず隣に座ってくれるし、寝るときだって、他の誰も寝室には入れてもらえないのに、少年は毎日隣で眠る。
ただし、それは姉のような優しさにも見えるし、多分名前はそのつもりなのだろうと少年も思っていた。



「オレは…お姉ちゃんの恋人じゃないのか?」

ポツリと呟いた少年は、ふとどこかからタバコの臭いがすることに気が付いた。
立てた膝に乗せていた頭を上げると、プロシュートが立ってこっちを見ていた。


「プロシュート」

「なんだ?」


だるそうに返事をよこしたプロシュートは、フーッと煙を吐き出して少年を見下ろした。
そう言えば、彼が室内でタバコを吸っている所は最初の時しか見ていない。
名前に気を使っているのか、もしかするとそうするように言われたのかも知れない。


「どうして、お姉…名前はオレに何も教えてくれないんだ?」


プロシュートはタバコを咥えたまま、何も言わずにジッと少年を見下ろしていた。
値踏みするように視線を向け、加えていたタバコの煙を吸い込む。
プロシュートが咥えたタバコの火が明るく光るのを見ながら、少年はプロシュートも何も言わないのかも知れないと感じていた。
しかし、ゆっくりと息を吐き出したプロシュートは面倒くさそうに長い足をまげてしゃがみこみ、タバコを地面に押し付けて火を消すと、少年の隣に腰を降ろした。


「意地悪でそうしているように見えるのか?」


迷った。
そうではないと頭で分かっているが、名前が何も言わないことは結果として少年を仲間はずれにしているような、そんな心地にさせていた。


「リゾットは…アンタは、十年とちょっとしか生きてない何も知らない子どもに、その人生を気軽に語って聞かせる事が出来るほど、清い人生を送っていない」

「清い人生??」

「記憶と時間をなくしたアンタは子どもに戻されてしまった。
言ってみれば、罪をおかした日々の、その入り口に強制的に戻された状態。帰路に立ったばかりの清い人間。
名前は、子どもの状態のアンタに、アンタがなくした“業”を再び背負わせる事を躊躇っている。
わざわざその事を思い出させる事を躊躇している。オレならぶん殴って思い出させるけどな」


難しい。
頭は悪くないと自負しているが、少年にはうまく飲み込めなかった。
つまり、本来ここにいるべき年齢の自分は、人に話すことを憚られるほどの罪を犯してきていて、名前はそれを知らせないままにしようとしているのか?


「待って、待ってくれ!!!でもそれって…つまり……」

「気付いたか。
名前は、お前が元に戻らなくても良いと思い始めている」

「どうして・・・」


あっさりと敵の手に落ちたから?
情けなくなって、見ていられなくなった?
頭に浮かぶのは、自分の失敗を捜す言葉。
本当は、名前がそんな人ではないことは分かっているのに。


「分かってるだろ?」

「もしかして……オレに、ギャングじゃない人生を与えようとしている?」

「当たり…だな」


「よっ」と立ち上がったプロシュートは、家の方へ数歩進んで少年を振り返った。
危ないから一人で此処に放置できないらしい。
少年は立ち上がって尻の土を払い、プロシュートの後を追うように家の中に入った。



「あーっ居た!!もう、心配したじゃない!!」

「ご、ごめんなさい」


飛びついてきた名前の腕の中で少年は複雑な笑みを浮かべた。
照れくさいのと、馴れない現象で、どう対応していいのかが分からない。
ギュウと抱きしめられ、体が冷えているからと風呂に直行させられた。


「ネエロ、オニーチャンが背中流してあげようか?」


着替えを抱きかかえて脱衣所の前で出くわしたメローネが、少年の顔を覗きこんでニヤニヤと笑みを浮かべる。
この顔だけは良いのに喋ると変態以外の何でもない男が、少年はとても苦手だった。


「引っ込め、変態!!!!」

「おぉ、子どものリゾットの反応の方がディ・モールトベネ!!!」


どうやら喜ばせてしまったらしい。


「ギアッチョ!助けて!!!」

戸を開けて叫ぶと、非常に冷たい空気を纏ったギアッチョがすぐに駆けつけてくれた。
かなり怒っている。
少年はこのグリグリ頭のギアッチョも少々苦手だった。


「どうして毎回毎回オレなんだ!?オレはこの変態撃退要員じゃねぇんだよ!!納得出来るか!?できねーよなぁ!!!!!」

「だって、お姉ちゃんがそうしろって言ったから」


その通り。
メローネのことで困った事があったらギアッチョを呼ぶように教えたのは、他でもない名前である。
「チッ、しかたねぇ」とため息をついたギアッチョはメローネの首根っこを掴むと、引き摺るようにリビングへと戻っていった。
簡単にあのメローネをおとなしくさせてしまうから、彼がメローネ担当になるのではないだろうか。そう思いながら少年は彼らを見送った。
安心して服を脱ぎ、洗濯かごに脱いだ服を投げ込むと、ガチャリと無遠慮にドアが開けられた。


「よう、一緒に入って良いか?」


一難去ってまた一難。
既に服を脱ぎながら歩いてきたらしい、上半身裸の剃り込み坊主は、あくびをしながら少年の返事も待たずに浴室へと入ってしまった。


「なんだよ!」

「ケチケチすんなよ、しょーがねーなぁ。ガキが大人と入るのはフツーだろ」


もちろん適当な言い訳である。
疲れたので早く寝たかった。それだけ。
この家を建てた人間の好みなのか、ユニットバスではないのが疲れた体にはありがたい。
ホルマジオはシャワーで体を流して洗うと、さっさと湯船に浸かってしまった。


「ネエロ、さっさと入って来いよ」


全く。プライベートはどこにあるのだ。
このチームはいつもこうなのか疑いたくなるが、「ガキならそう狭くないだろう」と呟くホルマジオの言葉から察するに、ただ単に彼が早く入りたかっただけのようだ。


「ちぇ、なんでお前と入らないといけないんだ」

「なんだ、“お姉ちゃん”とが良かったか?」

「お前ムカつく」

「ははは、結構けっこう!!」


シャワーのコックを捻って体を流し、少年は頭から温かなお湯を浴びた。
手際よく髪と体を洗い、石鹸とシャンプーのいい香りをさせながら湯船に浸かろうとすると、ホルマジオがぼんやりと少年を眺めていた。


「なんだよ」

「お前、本当に子どもなんだな」

「…どうせチビだよ」


物の配置や、名前が手の届かない物を取るときに台を取りに行くよりも先に人に頼るその習慣を見ていれば、リゾットが名前よりもずっと背が高かったことは想像に容易い。
それに、どいつもこいつもでかすぎるのだ。このチームは。


「お前は、幸せか?」

「なにその質問」


訝しむ少年にホルマジオは肩を竦め、ふわぁっと大きな欠伸をすると、そのままウトウトし始めた。
質問を投げかけておきながら、信じられない自由人だ。
眠いからって、意味のない質問をするのはどうかと思う。
起こそうかと声をかけたが起きる様子はないので、少年は風呂を出て寝巻きに着替え、適当につかまえたペッシに後を任せた。
眠った彼を運ぶなら、背の高いペッシが最適だ。



「ネエロ、何か飲む?」

リゾット少年は名前の声に振り返った。
少年お気に入りのマグカップを片手に、既に牛乳を鍋に注ごうとしている。


「じゃあ、ホットミルク」


名前が作るホットミルクを飲んで眠るのが、ここにきてからの少年の日課になっていた。
リビングではメローネやギアッチョの声と、酔っ払ってきたプロシュートの声が賑々しく響いている。
近所に家が建っていないのがせめてもの救いだが、十代の健全な子どもがいる事を忘れないでもらいたい。
リビングはそんな様子で喧しいので、少年はいつも名前がキッチンに立っているのを隣で眺める。
蜂蜜を少し入れて甘みをつけ、今日はキャラメルを入れてくれるらしい。
鍋に入れられたキャラメルの甘い香りがキッチンに広がる。


「名前、オレも欲しい」


いつものことだが、イルーゾォがリビングからひょっこりと顔を出した。
それにも慣れている名前は「作ってるよ」と笑う。
お姉ちゃんというより、時々みんなのマードレのように見えて仕方がない。


「はい、ネエロ」

「グラッツェ」


白い湯気が立ち上るカップを受け取って、少年はフーッと吹いた。
甘くて優しい香りが、とても落ち着いた気持ちにさせてくれる。
不安ですごす毎日の中で、この時だけは、少年も心の底から落ち着いた気持ちになれた。
イルーゾォと並んでそれを飲み、名前が「兄弟みたい」と笑うのを聞こえない振りでやり過ごした。
歯を磨いて、「ヴォナノッテ」と挨拶をして二階に上がり、ベットにもぐりこんだ少年はカーテンの隙間から星を見る。
トンと腹の上に重みがかかるのは、ホルマジオのらしい猫がいつものように乗ってきたからだと分かっているので気に留めない。


『ギャングじゃない人生を与えようとしている?』


プロシュートと話した事が、暗闇の中で蘇る。
ギャングがどんなものなのか、少年にははっきりとは分からなかった。
ただ、人には言えない事をしていたらしい。
薬か…殺しか。それとも強盗か、武器の売買。…人身の売買?
考えれば考えるほど、恐ろしく重く業の深い世界。
このまま何も思い出さず、この家で名前と家族のように暮らせたらどんなに幸せだろうか。
トントンと階段を上る音がして、名前が上がってきたのだと分かった。


「お姉ちゃん?」

「あれ?まだ起きてたの?」


カーテンの隙間から差し込む月明かりが、ぼんやりと名前を映し出す。
端に寄ってよけた少年の隣に横になった名前は、そっと少年の頬にキスをした。
石鹸とシャンプーの良い香りがふわりと鼻を掠め、少年はドキリと心臓が鳴るのを聞いた。


「ヴォナノッテ、ネエロ」

「うん」

このまま穏やかに過ごせたら。
きっとここにいれば、自分の世界は輝き出す。
興味のない、押し付けられただけの世界は、優しく甘く変わってしまう。
あんなに変わりたくなかったのに、名前はそんな自分の根底から変えてしまった。
少年はその変化に気付いた。
理屈ではなく、いつの間にかそうなっていた。


「眠れない?」

名前の優しい声が、少年の胸を締め付けた。
恋と呼ぶにはあまりにも幼い。
少年は自分が今までずっと寂しかったのだと気付いた。
“興味がない”の防護壁が崩れ去り、“寂しい”を拗れさせた自分が見えた。
名前の温かな手が額にかかる髪に触れ、それを左右に流すだけで、世界に背中を向けて孤独を演じていた自分が悲しくなった。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「手、繋いでいい?」

「もちろん」

手を繋いでと言ったのに、名前は嬉しそうに答えて少年を抱きしめた。
腕の中でベストな位置を探して、少年は明日も明後日も、ずっとこうしていられたらいいのにと星に願って目を閉じた。


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