リゾット少年は自分の家から見える景色を気に入っていた。
木に登り、高台の更に高い位置から町を見下ろす。
赤いレンガが基調の町並みは太陽の光を受けて光り輝き、青い海には白い船が時折光を反射させて眩しい。
頬を撫でる風は微かに潮の香りを運び、木の葉達がさわさわと揺れて優しい木漏れ日をリゾットに落とす。
眠気を誘うような心地よさに目を細め、少年は視線を下に落とした。


「いいなー、気持ちよさそう」

下から見上げて笑う名前は、真っ白なシーツを竿にかけ、風にはためくそれに翻弄されて「わわっ」と声を上げた。
全く、本当に子どものような大人である。
リゾットはそれを眺め、かごから飛び出した靴下を追いかける様子に小さく噴き出した。


「名前、小腹がへったんだけど、何か食べるものある?」


あのパイナップル頭は、確かペッシ。
リゾットは名前が洗濯を終えてペッシと家の中に入っていく様子を見て、もう一度海のほうへ視線を戻した。
しかし、少年の思考は名前に向けたままだった。
名前は、とても好ましい人だ。
大人の癖に時々子どものようで、純粋で無垢でとても優しい。甘やかしと優しさを穿き違えない芯の強さもある。
正直に言えば、名前と一緒に居るときは楽しい。
だが、リゾット少年は子どもだった。
変化に柔軟ではなく、自分が正しいと思うものが、たとえ世間一般から見て正しくなくても修正できない。
一つの思考に囚われ、逸れに固執する。
たとえそれが、自分の成長を止めようと、対応できなかった。


(オレは、何かに囚われたくない)


その思考こそが少年を捉えているとは気付かずに、リゾット少年はそう考えていた。
何かに翻弄され、自分の根底を揺るがされ、何かに多大な労力を費やす事を拒んだ。
世界に対して、無関心であろうとしていた。
それは、失うことへの恐怖か、はたまた得たものを守り抜くことからの逃げか。
どちらにせよ、彼は恐れていた。



「やっぱり、オレは一人が良い」

口に出した瞬間、リゾット少年は体の中から冷えるような錯覚に囚われた。
底のない沼に沈んでいくような、そんな感覚で体が重い。
はたして、何を支えにこの体で動いていけばいいのか。



「動かなかったら、死ぬだろうか」


それでも良い。
景色の良い此処で、それを眺めて死ねるなら、それも一興かもしれない。
そう思って体を木の幹に預けたリゾットは、誰かが此処に近づいて来るのを視界の端で捕らえた。



「そこに居るのはリゾット少年か」


黒髪を顎より少し上のラインで切りそろえた男が少年を見上げて笑い、丁度家から出てきた名前がその男に手を振った。


「ブチャラティ!急にどうしたの?」

「やあ名前。ちょっと顔を見に来たんだ」


どうやら名前は人気者らしい。
プロシュートたちもそうだが、名前を尋ねてきたり守ろうとする男はたくさん居るらしい。
そうなると、ますます名前がどうして自分(と言っても本来の、大人の自分)を選んで一緒に居たのか謎は深まるばかりである。


「ちょうどお茶を淹れたのよ。ズコットもあるんだけど、食べていくでしょう?」

「あぁ、もらうよ」


ハグで挨拶を交わしたブチャラティは、名前に促されて家の中へと消えていく。
その様子を眺めていると、名前は振り返って手を振った。


「ネエロ、早く来て!!おやつにしよう!!!!」


仕方なく立ち上がって木から飛び降り、少年は名前の方へと走った。










「それで“お姉ちゃん”なんだな」


ブチャラティがまじまじと覗き込むので、リゾットはバツが悪そうにそっぽ向いてしまった。
例えばこれがアバッキオやミスタやナランチャだったら彼を笑い飛ばして「お姉ちゃん!?」と抱腹絶倒しただろうし、フーゴやジョルノだったらこれがリゾットをからかうためにプロシュートたちが計画した悪ふざけだと気付いただろう。
だがしかし、


「なかなか面白い案だな!」


肯定してしまうのが幹部が天然と囁かれる謂れである。
彼の予想通りの発言に、ホルマジオは顔を真っ赤にして笑いを堪えている。
大真面目なブチャラティはそんな事には気づく様子もなく、一口コーヒーを飲んで息をついた。


「名前、今日はキミに話があって来たんだ」


ブチャラティがそう切り出し、名前は顔色を変えた。
ニコニコと人の良い笑みを消して、心配そうに彼の話の続きを待っている。



「女が吐いたんだが、どうやら本当の狙いはキミだった可能性が高い」


これにはリゾットも含めた全員が目の色を変えた。
完全に自分達の世界に浸っていたソルベとジェラートさえも、今はブチャラティの言葉に耳を傾けている。


「オレ達がキミに助けられたあの一連の抗争。あそこから謎を追っているものがいたんじゃないかというのが、ジョルノの推測だ。タクシーの運転手が、妙な男達に当時の事を聞かれたと言っていた」

「待ってくれ、女が吐いたと言う割に、どうもはっきりしねー情報だな」

ギアッチョの言葉に、全員が頷く。
確かに、確信を持って喋っているようでいて、さっきから「可能性が高い」とか「推測」だとか、どうも決定打にかける内容だ。


「それが、彼女自身は知らないみたいでな。はっきりと確信できる情報は何も持たされていないんだ。あの女が言うには、リゾットを戦闘不能にしろと言われたが、その後の生死は興味がないようだったと言っていた」


そのブチャラティの言葉に、一同は眉を寄せて黙り込んだ。
確かに推測の域を出ないが、リゾットを殺す事が目的でないのであれば、本当の標的は他にあると考えるのが妥当。
そして、リゾットが戦闘不能になって一番憔悴するのは…。


「名前…だな」


イルーゾォの言葉に、名前は視線を逸らした。
それは単純に肯定を示す。

「キミと生きた時間を消すだけだったのに、ギャングとして生きた時間まで消えたことには、女自信も驚いたようだった」

「…そう」

「まぁ、キミ達がそれだけ深く想いあっていたってことだろう」

「確かに、オレ達は名前が居なかったら死んでいた人間だ。名前の記憶を奪って、一緒にオレ達の記憶まで消えてもおかしくはない。
オレ達と関わった数年分と、名前と関わった数年分。そんだけの時間と記憶を消されちまえば、確かにガキに戻っちまうわな」


フゥ、と重いため息をついたプロシュートは、テーブルに肘をついてため息をついた。
対象者から特定の人間の記憶を奪うことで、その記憶量と同じだけの人生時間を消してしまうスタンド。
チートだと言いたいところだが、ジョルノと名前が揃ったときの能力も大概チートなので文句は言えない。
とは言え、例えばリゾットからジョルノの記憶が消されたって一年分くらい若くなるくらいのもんだろうが、名前の記憶と暗殺チームの面々の記憶。その全てを失って子どもに戻られたんじゃあ話は別だ。
ましてや、運が悪いことに、リゾットはまだスタンドを身につけていない年齢まで巻き戻されている。
名前が狙われている状態で、更に護らなければならない対象が増えたことになるのだ。これには頭を抱えずにはいられない。




「名前、キミをオレ達のチームで保護しようか?」


そんな提案がされるとは、誰も思っていなかった。
驚いて目を丸くするメンバーを他所に、名前は静かに口を開く。


「ブチャラティ、私は覚悟が出来ているから」

「だろうな。この提案は“するだけ無駄”だと言われてはいたから、一応そんな案もある事を伝えただけだ。ナランチャは落胆するだろうが、うまく伝えておくよ。
護衛は引き続きキミ達に頼む」


コーヒーを一気に煽ったブチャラティはぐるりと見渡して全員にそう告げると、名前に「グラッツェ、うまかったよ」と礼を告げて席を立った。
ホルマジオやプロシュートと何か言葉を交わして出て行く彼を見送り、リゾットは名前を見上げた。



「お姉ちゃん」

ぼんやりしている名前に突然話しかけても気付いてもらえない気がして、仕方なくその呼びかけをする。
ハッと我に返った名前が「なに?」と子どもに語りかけるように言うのを聞きながら、やっぱりこの呼び方は気に入らないと思った。


「覚悟って?」


知らない事だらけだ。
一緒に住む事を許可した相手のはずなのに、今は守られる側に回り、相手のこともその仲間のことも何一つ分からない。
信用できるような気がして数日を共にして、ますます何も知らないという事を思い知らされた。
ブチャラティの言う“抗争”も、名前の言う“覚悟”も、さらには“自分のみに起こった事”も、何一つ分からない。
八人もの大男達が、いったいどうやってリビングで眠っているのかすらも、少年には分からないで居た。


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