リゾットがそこを通った時とは変わって、山の裾であるそこには晴れた空から日が差し込み、木々の葉から零れ落ちながらそこを照らす。
滅多にないほど人がそこに居るにも関わらず、風が木々を揺らす音しか聞こえない。
それもそのはず。ムーディブルースが変化したその姿を見て、一同は瞠目していた。絶句し、動くことを忘れたように誰一人身じろぎ一つしていなかった。
「…これ、は」
カシャンカシャンと音を立てて時を遡っていたムーディブルースは最初、見知らぬ女の姿をしていた。
それがグニャリと揺らいだかと思うと、見る見る間に“よく見知った”姿へと変化した。よく知った、今も隣に居る…ー
「名前…」
過去の中で名前の姿を取ったソレが、まるでその呼びかけに反応するようにニヤリと笑って走り出した。
「傷、ずいぶん良くなったのね…」
背後からの声に、少年はため息をついた。
逃げ出そうと思って隙を探しているのに、どうもすぐに見つかってしまう。
女が出かけてくれれば逃げられるのだが、女は買い物に行く様子すらない。
これではここに軟禁されているようなもんだ。
「一人でも帰れる」
「ダメよ。許さないわ」
お互いにこの一点張りで、まともに交渉が進むとも思えない。
長い髪をかきあげた女は、真っ赤なルージュを塗った唇を弓形に引き上げた。
「お礼はちゃんとする。だから帰らせてくれ」
「そんな事はどうでも良いのよ。だから帰らせられない…」
と、次の瞬間。
まだ何かを言い返そうとする少年の口を、唐突に女の細い手が塞いだ。
何事かと驚く少年は、女がジッとどこかを見ていることに気がついた。自分ではない何かに集中…あるいは何かから逃れようと息を潜めているのか。
(何を…見ているんだ?)
視線を追いかけようとするが、突然頭が強く揺れる。
“見えない何か”に思い切り殴られたように脳みそが揺さぶられ、少年の意識はそこで途絶えた。
名前に扮したソレを、ナランチャのレーダーで辺りを探りながら追いかけていた。
ソレが全力で走り続けるがために、名前も全力で走らねばならなかった。
息が切れ、胸が苦しい。
雨の渇く途中の独特な湿度がまとわりつき、気持ち悪さと重苦しさで身体も呼吸も辛く名前を苦しめる。
それでも名前は走った。リゾットの手がかりを、見失うワケには行かなかった。
「っ!?止まって!!!」
突然のナランチャの声に、名前達はぶつかり合いながら止まった。
「おぶッ…痛たた…ごめんイルーゾォ」
イルーゾォのぶつかった鼻を押さえて謝り、名前は前を見た。
ナランチャは手を横にのばして一同を制止させたまま、目の前の光景を見て固まっている。
アバッキオのムーディブルースも、再生を止めて立ち止まる。
視線を追った名前は、目の前の人物を見て、短く息を詰めて目を剥いた。
それこそ、走り続けて息切れしていたのも忘れる想いだった。
「お前達、どうしたんだ全員揃って…」
目の前に、リゾットが立っていた。
突然彼を感知出来なくなって、死んだのではないかと思ったリゾットが。
喪ってしまったと思い込み、パニックを引き起こすほど大切だったリゾットが。
何でもない様子で、名前を含むチームメイトがそこに揃っていることに驚いた様子で立っていた。
驚いたのはこっちだ。
「リゾット…お前」
「どういう事だリゾット!」
「おいおい、リゾット。お前無事だったのか!?」
瞠目したまま固まった名前に代わるように、メローネやプロシュートが口々にリゾットへ詰め寄る。矢継ぎ早問いかけ、リゾットが答える隙もない。
そこに感じられるのは、安心と、喜び。そして、拍子抜けと…。
「あれは…誰??」
ー疑惑。
名前の声に、ソルベとジェラートは驚いて振り返った。
聞き漏らしてしまいそうな小さな声ではあったが、比較的名前に近い場所に居た二人にははっきり聞こえた。
「名前??」
名前はソルベの声など聞こえていないようだった。
わき目も振らず、名前はリゾットへと歩みを進る。
すると、彼女に気がついたリゾットが「名前」と呼びかけた。その動きも声もいつもと同じ。無表情な彼は名前が関わる時はいつも破顔し、甘ったるく優しい声で名前の名を呼ぶ。
今回だって、いつもと同じ、目を逸らしたくなるような優しい顔と声で名前を呼ぶ。
誰もが、名前が泣いて駆け寄る姿を思い描いた。
「名前…?」
そう、ジェラートだって、名前が喜ぶ姿しか思い描いて居なかった。
にも関わらず、名前とすれ違う瞬間、ジェラートはゾクリと背筋が凍るような感覚に陥った。
(怒っている…)
名前の、誰も…ジェラートやソルベでさえも見たこと無いほどの彼女の怒りで、大気がピリピリと揺れていた。
「貴方、誰??」
今度は全員が聞き取れる声で、名前は目の前のリゾットへ問いかける。
「誰って…オレだ、リゾット・ネエ「スワロー!!!」
リゾットが名乗る声を遮って、名前の背後からスワローが姿を表す。
プロシュートもペッシも、そこに居る誰もがそんな想像をしていなかった。
ホルマジオのリトルフィートも間に合わないスピードでスワローは腕を振り抜き、リゾットを勢い良く後方へ殴り飛ばした。
ードグォオオン…!!!
スワローによって吹き飛ばされた勢いで背中を強く打ちつけ、リゾットはずるずるとその場に倒れ込む。
それと同時に、彼がぶつかった木がミシリと音を立てて倒れた。
信じられないパワーだ。
リゾットと同じくらいか、それ以上の太さの幹がバリバリと音を立てて倒れたのだ。
リゾットの生死が、今度こそ危ぶまれる。
よりにもよって、大切な彼女の手で。
「お…おい。…………名前、正気かよ?」
何をやっているんだ?
何が起きたのか、どうなっているのか。名前が何を考えているのか。何一つ理解できない。
混乱しながら彼女に声をかけようとしたアバッキオは、ふと目の前で倒れ込んだリゾットに違和感を感じた。
名前がスタンドでリゾットを殴り飛ばす前も、まさに殴り飛ばす瞬間も感じなかったその違和感を、アバッキオを始め、他のメンバーも、リゾットが倒れてやっと感じ始めていた。
「…嘘だろ?」
リゾットの姿が、テレビのノイズのようにザザッと揺らぐ。
数度揺らいだソレは、ムーディブルースのリプレイで見たビジョンと同じ様に、グニャリと歪んで霧散した。
(スタンドっ!?!?!?)
理解した瞬間、全員が即座にスタンドを構える。
それぞれが背中を合わせるように別々の方向へ視線を走らせ、全方位への警戒態勢をとった。
「ナランチャ!敵はどこだ!?」
「うるせー、ちょっと待て!!」
走り続けた事と驚きで、全員の呼吸が上がっている。二酸化炭素を感知するレーダーから、自分達の物ではない呼吸を探すべく、ナランチャは視線を走らせた。
そして見つけた。
自分達の場所と少し距離を取って、ナランチャは二つの反応を見つけ出した。
「アッチとそこに誰か居るぞ!!」
ナランチャの声を聞いて、ギアッチョが山を駆け上がった。 もう片方にはプロシュートが走った。
距離も方角も伝わりにくいその指示に、ギアッチョとプロシュートは殆ど脊髄反射で走り出す。
「……ビンゴ」
プロシュートは倒れた女を見つけてそう呟いた。
意識はない。
多分スタンド攻撃のフィードバックだ。
降り積もった枯れ葉に突っ伏すように倒れた女を、プロシュートは懐から取り出した紐で素早く縛り上げた。
その辺の準備が周到なのは、流石は暗殺チームの一員と言ったところである。
「名前、リゾットは居なかった。このガキだけだ」
上から顔を出したギアッチョがまるで猫を持ち上げるように首根っこを掴んで、その子どもを掲げて見せた。
気を失っているのか、少年は手足をだらんとぶら下げ、その目は閉じられている。
俯いていた名前はギアッチョの声で頭をもたげて視線をあげ、驚きに目を見開いた。
「……リゾット」
少年が、ゆっくりと目を開いた。