ー出張から帰ると、随分面白いことになっていた。
昨晩アジトに電話をかけた時、ホルマジオから「名前はメローネと出掛けてるみてーだ」と聞いた時には深夜の二人きりでの外出にムッとしたが、名前の姿を見て、どうでも良くなった。


ーメローネに一言言ってやるつもりだったが………命拾いしたな。


一体名前が何をしたいのかはまだ分からないが、様子を見ても良いかと思える程度には面白い。
リゾットは神妙な面持ちで隣を歩く名前を横目で伺い、慌てて顔を逸らす事で湧き上がる笑いを堪えた。
タイトなワンピースの丈が気になるのか、名前の手は必死にコートを握り締めている。無心でコートの前を握り合わせた名前は、何かを考え込むように視線をさまよわせている。
現状に一番テンパってるのは名前のようだ。



「何が食べたい?」

「えっと…じゃなくて、…その、ラザニアが食べたいわ」


キャラが定まっていない。
名前が現在進行形で、必死にどんなキャラを演じるべきか考えているであろう事は明白だった。
あたふたと答え、その様子をジッと見ているリゾットに気づくなり「な、何よ!!!」と唇を尖らせる。


ーツンデレか??


いや、それにしては服装がちょっとおかしい。
ファーのついたコートと、黒で纏められた大人っぽさから、ツンデレ要素は認められない。
メローネが名前にツンデレを演じさせるなら、いっそ学生服を着せるだろう。


「リゾット、喉が渇いたわ」

街の端に家がある難点は、外食しようと思った時の不便さだ。
リゾットが行こうと思った店までは、もう少し距離がある。


「コーヒーでも良いか?」

そう言えば買ったまま飲み損ねたコーヒーがあったのを思い出し、仕分ける暇が与えられなかった為に仕方なく持って出た書類入りバッグから缶コーヒーを取り出した。


「グラッ……準備が良いじゃない。褒めてあげるわ」


目を細めて笑う名前は、引かれた真っ赤なルージュを弓形に歪める。
リゾットはそれを眺めて、一つの結論にたどり着いた。



ーなるほど。姫だな??



本当は女王なのだが、名前の初々しい感じや照れている様子が、リゾットにはどうしてもおてんば姫程度にしか見えない。
さしずめ、好きな相手に高飛車な態度を取ってしまうわがままツンデレお嬢様といったところだ。
(間違っているのだが)結論に達したリゾットは、名前から缶コーヒーを取り返して、開栓して再び手渡した。


「手をケガなどされませんよう」

フッと笑みを浮かべたリゾットに、名前は瞠目して頬を染めた。
リゾットとしては姫に仕える執事か、或いは姫を守る王子か騎手あたりのつもりだった。
しかし、名前はあくまで女王のつもりなのだ。
現状を飲み込むべく頭をフル回転させ、リゾットがこの状況を察したのだと仮定した上で、彼が何を演じているのかを必死に考える。


「名前、ぼんやりして…どうかなさいましたか?」


さすが元暗殺チームのリーダーである。
潜入の経験も豊富なのだろう。
いつもの無骨さや不器用さは形を潜め、まるで感じの良い、物腰柔らかな好青年である。
慣れ親しんだ相手なだけに、敬語に違和感は感じるが、演技に不自然さは感じられない。


「な…、なんでもない!!」

覗き込むリゾットの手を振り払い、考えるのを止めてプルタブの開けられたコーヒーを煽った。


「お嬢様、お手を」

かしずくように手を差し出すリゾットに、名前は心臓が早鐘を打つのを感じながらおずおずと手を乗せた。
結局店についてもリゾットは演技モードのままで、名前にちやほやと世話を焼く。
そら「おとり分けいたしましょう」だとか、「食べさせて差し上げましょうか?」だとか(これは断った)、にこにこと愛想良く名前を相手取る。


なるほど、女王扱いも良い気分である。
最初こそどぎまぎして一々うろたえたが、馴れてくれば大好きな人にちやほやされて嫌な気分になるはずがない。
会計を済ませたリゾットと店を出て、美味しい料理と、リゾットとの(いつもと異なる)デートを楽しんだ名前はホクホクした気持ちで店を出た。


ー私が女王様でリゾットが…??


ふと食事前に抱いた疑問を思い出し、名前はハタと歩みを止めた。
女王様に従う人間を、何と呼ぶのだったか。
思考を手繰って、メローネが教えてくれた知識を遡る。
メローネが繰り返し使っていた言葉は………。





ー犬???


いくら考えてもそれしか出てこない。
まさか、自分が女王様を演じた事で、リゾットが未開の領域的なものに目覚めてしまったのか?
そんな考えに至った名前は、眉を寄せてリゾットを振り返った。


「どうかされましたか?姫」


どこかの執事のようにフッと笑うリゾットに見とれ、名前は足元を確認しないまま一歩踏み出した。
グラッと身体が傾き、そこが一段下がっている場所だったと認識するより早く足に鋭い痛みが走る。
慌てたリゾットに支えれて転倒こそは免れたが…


「いったーい……」

馴れないヒールで、軽く足を捻ってしまったらしい。
歩けないことはないが、地面に足をつく度に鈍い痛みに襲われそうだ。


「名前おぶってやる」


背中を向けたリゾットに「早くしろ」と急かされ、恥ずかしさで赤面しながらリゾットの背中に体を預けた。
あんまりにも情けない醜態に、名前はリゾットにしがみつく腕に力を込めて顔を埋めた。今にも泣きそうだ。


ーきっと罰が当たったんだ…。
こんな茶番にリゾットを巻き込んだりしたから。


ぐるぐると後悔が渦巻き、名前はリゾットにだけやっと聞き取れる小さな声で「ごめんなさい」と謝った。


「いいさ、気にするな。ちょっと楽しかったしな」


リゾットの寛大な言葉に、名前は少し顔を上げた。
リゾットが歩く度に銀色の髪が頬をくすぐり、ちらりと向けられた視線に心臓が飛び跳ねる。
色々な点で勝てる気がしなくなって、名前はリゾットの肩に頭を乗せた。


「名前の姫も、なかなか良かった」

ん?

「おてんば姫がお嬢様だと思ったんだが、どっちなんだ??」

んんんん!?
どっちも違うし、二択なのか?


「じ…女王様だよー!」

「え?」

本気で驚くリゾットに、名前は事の顛末を説明する。
家につく頃にやっと説明し終え、リゾットは名前をソファーに下ろしてニヤリと笑う。悪い顔だ。


「それで、もう女王様は終わりなのか?」

「え?」

目を丸くした名前の両サイドに手をつき、意地の悪い笑みを浮かべたリゾットがゆったりと名前に顔を寄せる。
焦れるほどゆっくりと近づく綺麗な顔に、名前は真っ赤になって息を飲んだ。


「む…」

「む?」

「無理無理無理!!!!じ、女王様なんて無理っ!!!」


緊張感に耐えきれなくなって両手で顔を覆った名前が叫び、リゾットがまた口の端を釣り上げて一言。


「実に面白かった」



もうメローネの口車には乗らない。軽々しく言葉を発さない。そう心に誓った。


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