ージェラート視点
今日はソルベが仕事で居なくて一人で部屋に居る気にもなれず、共同スペースのソファーで暇つぶしに開いた雑誌を捲りながらあくびをしていると、リゾットがふらりとやってきた。
「あれ、リゾットまだ居たの?」
「あぁ」
ぐったりした様子のリゾットを見ながら、ちらりと時計に目をやる。すでに夜の12時を回っていた。
よくよく考えてみると、昨日もこのくらいの時間にリゾットを見た気がする。
しかし、名前の生活習慣が変わっていないならば、そろそろ寝落ちしているはずだ。
「…名前は元気か?」
試しにそう質問してみると、凄い剣幕で睨まれた。
やはりしばらく名前に会えていないらしい。
「そんなに忙しいなら、こっちにも回せばいいのに」
「ありがたい申し出だが、生憎最終チェックばっかりが溜まってるんだ」
「ふーん…。じゃあせめてコーヒーくらい淹れてやるよ」
雑誌をサイドテーブルに投げてソファーから立ち上がると、キッチンでコーヒーを淹れてリゾットの前に置いた。
カップをテーブルに置くと「グラッツェ」と反応を示したが、視線はずっと書類に向けられていた。
よほど溜まっているのだろうか。
「名前がな…」
唐突に始まる話すら名前の話題。
おい、オレに会う事がすんげー久しぶりだって事忘れてんじゃないだろうな。
普通は久々に会う人間には近況報告だろ?ましてや、オレはアンタの部下だぞ。
どんだけ名前不足なんだ。
その文句を全て飲み込んだオレを、誰か労ってくれないか。
「どうもオレに会えない事を気にしてるみたいなんだ」
「あぁ…、名前も寂しがりだからな」
しかし、以前はちょっとリゾットが居ないだけでソワソワ不安そうにしていたのに対して今は一人で留守番しているんだから、名前もそれだけ過去から解き放たれて元気になったのだろう。そう思うと少し嬉しい。
「帰ったら…」
「泣いてるのか?」
「いや」
なんだ、紛らわしいタイミングで間を開けやがって。
「多分オレを待っておこうとしたんだと思うんだが、昨日はソファーで寝ていた」
うわ、面倒なものに首を突っ込んでしまった。
どうしてオレがこいつのノロケ話なんぞを聞かないといけないんだ。
「分かった、ソファーで寝てる名前をベッドに運んで、起きないのをいいことにベッタベタして一方的に満足して寝るんだろ?額、左頬、右頬の順にキスして、ハグするのがセオリーだもんな」
「……………………は?」
珍しく目を丸くしたリゾットがまじまじとオレを見上げ、そこでようやく自分の発言のまずさに気付いた。
オレの馬鹿…。
「なんだジェラート、まるで見ていたかのような発言だな」
「おい、そこは否定して誤魔化せよ」
本当、こうゆう話題に馴れてないんだな。
はぐらかすとか知らないのか??
「はぐらかすなよ?」
むしろアンタははぐらかしてくれ。
「……まぁ、良いか。リゾット、よく考えてみろよ、オレとソルベは、あんたたちより二年も前に死んでんだからな?」
妙な会話だ。
だが、リゾットはその意味に気付いたらしい。
飲もうとしていたコーヒーを片手に持ったまま、固まって動かなくなってしまった。
「さっさと名前にいろいろ伝えて二人で逃げ出してしまえば良かったのによ。こっそり見守るオレ達の身にもなってくれよな」
「プライバシーの侵害じゃないか!!」
おっと、もっともらしい反論だな。
「ま、そんなわけで、アンタが名前の事をどんだけ大切に想ってるかは、オレとソルベが一番知ってる。多分、名前よりもな」
そう、どんだけ我慢して自分の気持ちを殺し続けたかも、全部知ってる。なんつったって、見てたからな。
チームのリーダーとして、名前の安全とチームの安全を秤に掛け、断腸の想いで名前との別れを決断したことも。
全部知っている。
複雑な表情をしたリゾットは、一つため息をついて頭をかき混ぜると顔を両手で覆ってうなだれた。
よっぽど恥ずかしいのか、リゾットの耳が真っ赤になっていた。
そんなリゾットが珍しい。
オレは吹き出すのを堪えてソファーで腕を組んだ。
オレとソルベは、ずっと名前と同じモノを見ていた。
それにプラスして、名前を見るリゾットをずっと見ていた。
「…遠回りしたよな」
センチメンタルに浸るオレに、リゾットは顔を上げて視線を投げる。
既に平静を装ったリゾットを見て、オレはコーヒーを一口飲んだ。じんわりと広がる苦味さえも、オレ達が一度は失った大切なものだ。
振り返れば、リゾットは名前を二年黙って見守ってきたのだ。そりゃあ色々ある。
「よく手ぇ出さなかったよな」
「なんだ、褒めてるのか?」
訝しむリゾットに、オレは口の端を釣り上げて答えた。
肯定とも否定とも捉えられるその反応に、リゾットは微妙な表情で黙り込む。
「あんなに細い腕で、男の死体を運び続けたんだぜ?」
「あぁ」
「オレとソルベに見つからないよう、こっそりオレ達の情報を集めちまうし……」
「そうだな」
こみ上げてくる感情にため息をついて、オレはそっと目を閉じた。
考えていない時は良い。でも、思い出そうとすると、それはまるで今体感していることのように思い出せる。
名前の涙も、悲しい歌も。仲間が死んでいくのをただ見ていることしか出来ないもどかしさも。
「そう言えば…一度だけ危なかったことあったよな」
リゾットがこっちを向くのに気づいていたが、視線を自分の手に落としたまま、記憶をゆっくり遡る。
あれは、オレとソルベが殺されて、ほんの少したった頃。
多分、重苦しい空気が辛くなったのだろう。
その日の夕食は簡単な飯と大量の酒で、宴会状態になっていた。
浴びるように酒を飲み、さして強くない順から潰れていく。
もちろん、名前も明らかに馴れてきてはいたが強いとは言えない。
どうしてもリゾットやホルマジオ、プロシュートよりも先に潰れる。
その日も例に漏れず、ゆっくり飲んではいたはずの名前は、リゾットの隣で酔いつぶれていた。
『おい、リゾット。名前が寝てる』
既にかなり酔っぱらったホルマジオに言われ、リゾットは重たい頭をもたげた。
珍しく酔った様子のリゾットは『あぁ』と吐き出して立ち上がると、ソファで眠ってしまった名前を抱きかかえて部屋を出る。
珍しい事ではない。
だから、誰も気にしなかった。
ただ、リゾットがいつもとは比較できないほど深酒していることに、誰も気づいていなかった。
『んー…』
ベッドに下ろすと、名前は小さく唸った。
苦しげに眉を寄せてもぞもぞと動き、リゾットの方へすり寄る。
オレやソルベには、『離さないで』と縋っているように見えた。多分、リゾットにも。
『名前?』
リゾットは、聞いたことがないような穏やかな調子で名前を呼んだ。
がっちりと掴まれた袖を見つけてため息をつき、リゾットはベッドの縁に腰掛ける。
『名前、動けない』
声をかけてはみるが、酒も入っている名前は規則正しい寝息を立てるだけで、起きる様子も、握り込んだリゾットの服を離す様子もない。
黙って名前の寝顔を見つめたリゾットは、自由な方の手で名前の髪を撫でる。
サラサラと髪を梳き、ゆっくり名前へ近づくリゾットに、オレとソルベは慌てて目を逸らした。
いつものように、額と頬にキスするんだと分かったが、正直こっちだってこっ恥ずかしいし見たくもない。
『……名前』
リゾットの声が、いつもと調子が違うことに気づいて、オレ達はそろそろと振り向いた。
そうして見た光景に声をあげかけて、オレ達はお互いの口を塞いだ。
そりゃあもう、声を上げなかった事をほめて欲しいくらいだ。
いつの間にかベッドへ上がり、リゾットは名前をキツく抱きしめていたのだ。
『寝たふりなんじゃないかと思うくらい起きないな…』
酒で意識が朦朧としているのか、リゾットは名前の両サイドに手を着いたまま体を支えきれずにグラグラと揺らぐ。
頭巾を脱ぎ捨て、リゾットは名前の頬をそぉっと指でなぞった。
『なぁ…名前……お前に、好きだって言ったら……オレ達はどうなるんだろうか』
これがドラマだったら、きっと泣けるシーンだ。
切なく掠れるリゾットの声に、名前は目を覚まさない。
チュッとリゾットの唇が名前の頬に触れ、互いの口を塞いだまま固まっていたオレ達の前で、リゾットはバタンと倒れ込んだ。
そう、倒れ込んだのだ。
『何…やってんだ…オレ』
寝言のように呟いて、リゾットはそのまま酔いつぶれて寝た。
いっそ既成事実でも作ってしまえば良かったんだ。
オレとソルベは顔を見合わせて、『ホント』『バカめ』と呟いた。ここは起こさないように配慮したってわけだ。
「いやー、あん時はちょっと焦ったね」
「今オレは、消えれば良いのか、お前を消せば良いのか、判断しかねている」
「おっかねぇこと言うなよ」
顔を両手で覆ったリゾットが震えるのを笑い飛ばして、少し温くなったコーヒーを一気に煽った。
あの朝。
リゾットが酔いつぶれて眠った、次の朝。
もちろん、半分名前に覆いかぶさるような状態で目覚めたリゾットは驚いて飛び起き、名前が目を開くよりも早く自室へ逃げた。
「あの時…」
「なんだ?これ以上何かあるのか!?」
「次の日、名前が普通に振舞っているのを見て、意外と演技派だったんだと知った」
今度こそ首まで赤くなったリゾットが、若干引きつった顔で口をパクパクさせる。
ほんと、この人はどこでポーカーフェイスを忘れてきたんだろうか。
今でも、名前が絡まない事には感情がないけど、うっかりすると暗殺者もギャングも失格なんじゃあないだろうか。
「アンタが起きる何時間か前に、一回起きてたよ、名前。寝顔見られちゃったな?」
「黙れ。動くな。殺してくれ」
「おぉ、そっちを選択したのか」
名前がジッとリゾットを見つめて(リゾットにのしかかられている)状況を飲み込んだ後、オレ達が居ることも忘れて彼の髪に触れていたことは、教えるつもりはない。
起きなかったアンタが悪い。
最も、起きていたら理性なんか欠片も残さずぶっ飛んでいただろう。
その後、キスされたなんて知ったら…。
「なぁ…」
「なんだ、絞殺にすることにしたか?」
とんだネガティブモードが発動したもんだ。
面倒くさい男だなぁ。
「いや、殺さない。頼むよ、名前を幸せにしてやってくれよ」
笑うオレに、リゾットはようやく顔を上げた。
訝しむようにオレを伺って、リゾットはさっきまでの動揺なんてどこ吹く風と言わんばかりに「なんだ、急に」と答える。
「オレと、ソルベの願いだよ」
しばらくオレを観察したリゾットは、口をもごもごさせた後「言われなくてもそうする」と呟いた。
名前にはずぅっと前に言ったけど、お前は本当に良い男だよ。面倒臭いけど。