くだらないと一刀両断にするつもりはない。
いつまでも初々しくて、オレの言葉に翻弄されている様は何にも代え難い。
天使の様に笑い、照れ隠しで小悪魔演じてるお前を、もっと見ていたいとも思う。
だが……。


「ねぇお兄ちゃん、コーヒーの豆切れてるよ?」

「頼むから、マジで名前で呼んでくれよ」

「だ…だって!」


わかってるんだ。
恥ずかしいってのが嘘じゃないことは分かってる。
「お兄ちゃん」呼びが、それを誤魔化す為なのは重々承知している。


「だけどな、それじゃあ手ぇ出しにくいんだよ!」

「手って?」


キョトンとするなよ。
押し倒すぞ?

いつまでも名前と付き合っていけないだろうと感じていたのは、名前が一般人だと思っていたからだ。
さすがに一般人と死ぬまで一緒に居るつもりはなかった。巻き込む覚悟もなかった。
名前は堅気の世界で生きるべきだと、どこか踏み留まっていた。
ところがどっこい、そもそもとっくにこっち側の人間だったって言うんだから、そんな遠慮はドブに捨てた。
とは言え、名前は男に関してはマジに純粋だから、そこのところは優しくする。
それは決めてんだ。
けど、それとこれとは別だ。


「お兄ちゃん?」

「だからな、その呼び方じゃあ、キスもそれ以上もしたくねぇって言ってんだよ」

「キス…」

「したくねぇなら仕方ねぇけどな」

「…したい」


真っ赤な顔でそっと服を摘んで小さな声で呟く名前に、理性がぶっ壊れそうになる。
「シたい」なんて言われたら、堪らない。優しく出来るかどうか………………だから、変態かオレは。




「キスしたかったら、なんて呼ぶんだ?」

「…っ、プロシュート」

「良くできました」


そもそもオレの一目惚れだったんだ。
ふっくらしたフワフワの頬も、プクッと柔らかそうな唇も。
ふわふわした髪も、くりっとした少し色素の薄い瞳も。
天使みたいな名前の、真っ直ぐな笑顔も。
少し笑ってゆっくり顔を近づければ、名前は頬を染めて小さく震える。
頼りなく細い肩を抱いて口づけると、柔らかな唇は懸命にキスに応える。
そのたどたどしさが堪らない。


「ふ…ぅ、ん…」


鼻にかかった色っぽい声が息と共にこぼれ落ち、ザラッと上顎をなぞると、名前のオレの服を掴む手に力がこもる。
クラクラしそうなほど頭に血が上る瞬間。
このまま押し倒したい衝動に駆られながら、無意識に名前を抱き締める腕に力がこもった。
細い腰を抱き寄せ、欲望のままに唇を愛撫する。


「ーっ、んぅっ!」


突然名前に胸を強く押し返され、キスは強制終了された。
上気した名前は真っ赤な顔に涙目で、何かに驚いた様に目を見開いていた。
パクパクと口を開けたり閉じたりしながら肩で息をし、名前は震える唇で小さくオレの名前を呼んだ。


「……プロシュート…」

「名前、オレ「あっ!コ、コーヒー買ってくる!!!」


大慌てで話題を逸らして逃げ出した名前が、一体何に驚いたかくらい分かる。自分の身体だからな。
だから、逃げ出した名前を追いかけなかった。
追いかけた所で、なんて弁解するんだよ。
キスだけで興奮しましたって言えば良いのか?
諦めてソファーに座って、タバコに火を付けた。
その日から、名前が戻って来ることはなかった。












「名前、オレを避けんてんのか?」


ブチャラティのアジトによって偶然見つけた名前を、あまり使われていそうにない部屋に引っ張り込んだ。
会うのは三日ぶりだった。
今にも逃げ出しそうな名前を壁に押し付けて問い詰めると、名前は赤い顔で微かに震える。
何だよ。取って食ったりしないのに。


………多分。


おろおろと視線を彷徨わす名前の頬にそっと触れる。
真っ赤に火照った頬はしっとりと温かい。


「……昨日よぉ、ギアッチョが食事当番だったんだ」

「え?」

「シチューを作ったらしいんだが…どうも料理中にメローネがちょっかい出したらしくてな。テーブルに並んでたのは凍ったシチューだぜ?
砕いて皿に盛ってあってよ…せめて温め直せってんだよな」

「……プロシュート…?」


関係ない話をするオレを、名前は真ん丸な目で見つめる。
大方、怒られると思っていたんだろう。
三日ぶりにオレを呼ぶ声がたったそれだけで愛しいなんて、そんなこと言ったらお前はどんな顔をする?
怒るはずなんかない。
純粋無垢な少女のまま育った名前に、オレは少し焦りすぎたんだ。
怒れるはずなんかない。


「もう気にすんな。お前の気持ちがついてくるまで、キス以上はしねーから」


そっと触れて、強張る肩を抱きしめた。
彼女に対して下心のない男なんて居るはずもない。
そんなら、そっからはいかに彼女を想って我慢するか…だろ?
優しくすると決めていた。
ならば耐え続ける覚悟も出来てる。


「……プロシュート」

「どうした?」


肩に顔を埋めた名前は、おずおずと背中に手を回してその力を込める。
三日ぶりの名前の包容に、胸が熱くなった。
これだけで幸せになれるなんて、まるでマンモーニだな。


「もうオニイチャンって呼ばねーのか?」

「…呼べないよ」


なんだそれ。
意味を理解しかねて黙っていると、名前は背中に回した手に更に力を込めた。


「だって………男の人だったんだもん」

「は?」

「お兄ちゃんなんて、…子どもみたいには、もう呼べないよ。だって…もう大人の男の人だもん。子どもじゃあ…ないよ」


意味がようやく分かって、きつくしがみつく名前を無理やり離した。
力一杯俯いて顔を上げようとしない名前は耳まで赤い。


「名前、こっち見ろ」

「嫌」

「名前…」

「嫌!」


そんなに嫌がるなら仕方ない。
かと言ってここで引き下がるわけもない。
スッと指を輪郭にそって滑らせて上を向かせた名前は、さっきよりも赤い顔をしていた。
不安げに眉を寄せ、うっすらと涙を浮かべている姿に、無性に悪いことをしている気分になる。
それと同時に、湧き上がる劣情に生唾を飲み込んだ。


「…やっとオレを男としてみたか?」

「ごめんなさい」

「謝らなくて良い」


キスをして笑って見せれば、名前はギュと目を閉じた。
すがりつく腕も抱きしめた体も、微かにだが震えている。



「恐くなったか?」

「うん……」


怯える女をどうこうする趣味はない。
抱き締めていた手を離そうとすると、名前が相変わらずの赤い顔でオレを真っ直ぐ見て言った。


「どんどん好きになって……どうすれば良いの!?」


その言葉に心臓が跳ね上がり、オレの顔まで赤くなったのが分かった。
名前に掴まれた腕から、鼓動の速さが伝染する。
願ってもない事だ。
だが、馴れないことだった。
そんな風にストレートに直球勝負でくる女は、オレの周りには居なかった。
皆駆け引き上手で男慣れしていた。
後腐れのない関係を選び続けていたからだという自覚はある。


「好き。プロシュート…。どうやって伝えたら良いの?」

(もう伝わってるっつーの…)

「名前…来い」


一歩踏み出して胸に飛び込んできた名前を抱え込むように抱き締めて、閉じ込めるようにキスをした。


「好きだ、名前」


こんな言葉じゃ足りないくらいに。
いつかの事件現場で見た少女の面影を残した名前は、ポタリと涙を零して「私も」と笑った。


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