十数年前の話だ。
とある田舎を走っていた列車がカーブで脱線し、その乗客のほとんどが死亡する凄惨な事故があった。
山あいの何もない場所で、僅かに生き延びた人々はケガに苦しみながら救助を待つことしか出来なかった。
(痛…お腹すいた……)
体重の軽さが幸いした。
横転する列車から大きく放り出され、草木がクッションになったおかげで少女は死なずに済んだのだ。
それどころか、大きなケガを免れたその少女は、傷だらけの体で起き上がろうとした。
「もう少し倒れてな」
男の声で、少女は動きを止めた。
「息を潜めて、あいつらがどこかに行くのを待て」
目だけを動かして横を見ると、自分よりいくらか大きい少年が倒れていた。
さらに少年の向こうで、微かに影が動くのが見えた。
それが何なのか。その時は訳もわからず指示通りにしていたが、今なら分かる。あれは物取りだった。
迂闊なことをして気づかれていたら、殺されていた可能性もある。
「しばらく助けは来ない。これでも食ってな」
散乱していた荷物の中から見つけたのか、まだ封の開いてないパンを投げた少年はドカッと腰を下ろした。
焚き火に照らされて浮かび上がった少年の事は、今でもハッキリ思い出せる。
端正な顔立ちは整い過ぎていると言っても過言ではなく、見た目に反して雑な言葉使いはとても異色だった。
家族を見失い、一人ぼっちだった少女は、夜の闇の心細さを、少年と手をつなぐ事で逃れ、飢えと渇きは、少年が歩き回って見つけ出した食料などで凌いだ。
つまるところ、少女は少年によって生かされていた。
「ねぇお兄ちゃん、まだお迎え来ないの?」
少女の呼びかけに、少年は膝に乗せていた頭を弱々しく持ち上げて振り返る。
綺麗だった髪は傷み、肌もガサガサに乾いて荒れていた。
「そろそろ来るだろう…。もう少しだ、頑張れ」
いつの間にか懐き、心を許した少女の髪を撫でて、少年はかさかさの唇に笑みを乗せる。
少女は弱った体を横たえたまま、少年に小さく笑い返した。
そしてその瞬間、二人の耳に人間の声が響く。
「誰か居ないか!?救助に来たぞーー!!!」
「お、お兄ちゃん…!!!」
興奮気味に体を起こす少女を、少年はキツく抱きしめた。
「良かった、これで助かる…」
弱々しかった少年の声は、ほんの僅かに喜びと安堵で強さを取り戻していた。
それが嬉しくて、少女も出せる限りの力で少年を抱きしめ返す。
「きっと生き延びて、こんな事件のことなんか忘れて幸せになるんだぞ?」
少年は少女の頬にキスをして立ち上がると、救助の声に背を向けて走り出した。
急な事に理解が追いつかなかった少女は瞠目し、ただ力を振り絞って「お兄ちゃん!」と繰り返し呼ぶことしか出来なかった。
『置いて行かないで!お兄ちゃん!!!』
「お兄ちゃん…」
バールの片隅に座って、名前は涙を零した。
抱きかかえたケースには、先ほど盗んできたたくさんのパッショーネの情報が詰まっている。
その中から一枚の紙を取り出し、そこにクリップで留められたら写真をそっとなぞった。
もう時が流れ、すっかり大人になったあの時のお兄ちゃん…プロシュートがそこに居た。
「ずっと逢いたくて、探してたの…」
少年が走って行った方角、言葉の訛り。“事故”を“事件”と呼んだ不可解さ。その全てを徹底的に洗い、調べ、情報を得るためにパッショーネに入った。
会いに行く勇気を出せない名前の前に、プロシュートから現れてくれたのは驚いた。
名前の事に気づいたわけではなかったが、運命だと浮かれるには十分だった。
「やっと会えたのに…」
視界が滲んでプロシュートの情報が見えない。
力を込めた手のひらで、書類がくしゃりと音を立てた。
くしゃくしゃになった書類にでかでかと書き込まれた、“死亡”の文字。
彼のために力になりたかったのに、何も出来なかった。
「また置いて行くの?…お兄ちゃん…「まさかあの時のガキが、すっかり女らしく育ったなんて考えつかねーだろ?」
名前はビクッと肩を震わせて、自分の耳を疑った。
確かに死亡と記されてたのだ。
他でもない、ディアボロの文字で。
「どうして……」
「………叩き起こしてくれた奴らがいたもんでな」
姿を確認したいのに、涙が溢れて視界が滲む。
駆け寄って触れたいのに、体が震えて立つことも出来なかった。
「元気そうで良かった」
「それは私のセリフだよ」
ポロポロと、次から次へとこぼれ落ちる涙をプロシュートの指がそっとなぞる。
足が震えて立ち上がれない名前を、プロシュートが力強く抱き締めた。
「会いたかった、ずっと……」
「あぁ…馬鹿な奴。忘れて幸せになれって言ったのに。オレを喜ばせてどうするんだ」
「もう置いていかないで」
泣きじゃくる名前の涙を拭って、プロシュートは答える代わりに強く抱き締めたままそっとキスをした。
ようやく再会を果たして、死ぬ前よりずっと彼女を愛しく感じてた。