暗く、汚れた場所で生きてきた。
これからも先もずっとそうだと信じて、疑ったことも嘆いたこともなかった。
その中に自分を見出し、己の生き様を描いた。
後悔などなかったのだ。
人に語れる人生でなくとも、それでよかった。
キミに会うまでは。




「デートか?」

鏡越しにギアッチョがドアにもたれかかるのを見ながら、髪をくくってため息をついた。


「暇なのか?毎回聞きに来やがって…」

「オレは、アンタやリーダーの考えが理解できねー」

悪態をつくギアッチョが、リゾットとそのリゾットが気にかけている女の事を言っていることはすぐにわかった。
ギアッチョは、口ほど何もかもを悪く思ってない。
態度さえ直せば、本当に優しくて良い奴だと思う。
要するに、つまり…ギアッチョはギャングである自分達と付き合う赤の他人の女達を気にかけているのだ。
軟禁されておきながら、リゾットに惹かれる女(ただしリゾットは気づいてない。鈍すぎる。)と、オレと付き合う女を気づかって心配しているのだ。
確かに、無関係な女が、自分達と付き合う事で命すら危険に晒すのだから、まともな思考していれば気になるだろう。
その上、オレ達はギャングはギャングでも、暗殺チームなんだから。
本当、キレてるクセにギャングに不向きな優しさを持ち合わせた奴。


「いつも通りだ。危なくなったら、その時考える」

そう、交通事故にでもあったと思えばいいのだ。
世界では毎日人が大量に死んでいて、例えば自分と付き合う事で女が死んでも、世界規模で考えれば、いつでも起こり得る自然な事。
そう…いつだってそう思って女と付き合っていた。
タクシーを拾って、またそれを乗り捨てるように軽い気持ちで。


「そう言う割に、アンタ今回の女には随分入れ込んでるよな?」

「…ハッ、マジに言ってんのか?」



ギクリと心臓が跳ねるのを抑えて、笑って誤魔化す。
随分入れ込んでる。
それは自分が一番理解している。

名前と会えば会うほど。
声を聞けば声を聞いただけ。
名前を求める自分がいる。
手放したくたくなっていく自分がいる。

その理由は、気づかないようにフタをした。
何かあったとき、本当にオレが選ばなければならなくなるのは、恋とか愛とか言った甘っちょろいもんじゃない。
チームなんだ。
そうする覚悟は、自分がギャングになるとき既に出来てる。


「ギアッチョ、オレが…」

「なんだ?」

「いや…何でもない」


(ギャングを辞めたらどうする?)

茶化そうとして、踏みとどまった。
冗談なのか、判断が難しすぎるほどにハマっている自分に気づいていたから。

分かっていても、自分がチームを抜けるなんて、有り得ない。ギャングとして生きる覚悟は、甘いものではない。

鏡に映った自分が、しっかりギャングの顔になっているのを確認して部屋を出た。








「プロシュート!」

朝のように澄んだ空気を纏って駆け寄る名前を抱き止め、さらさらの頬にキスをした。

「チャオ、名前」

「会いたかった」

「可愛いこと言うじゃねーか。悪かったな、会えなくて」

立て続けに仕事をこなし、名前に会うのは二週間ぶりだった。
リゾットお気に入りの女の監視もあったしな。
何より、ソルベとジェラートが殺されて、それどころではなかった。

「大丈夫」

ふにゃっと笑う名前にキスをして、どちらともなく歩き出した。
人混みに紛れ、いつものリストランテを目指す。

どんよりと暗く閉ざした闇社会の中で、それでもオレの世界は明るかった。後悔も、罪悪感もない。
それどころか、暗殺者である事に誇りすら持っていた。
にも関わらず、近頃は名前の紡ぐ言葉一つ一つがオレをゆっくりと沈めるような気もした。
明るい世界で、明るい表情をして生きる名前と自分。
光と闇。
光に照らされた闇は、その濃さを増す。


「…プロシュート?」

「あ?…あぁ、悪い。ぼーっとしてた」

「…のど乾かない?」

「あぁ、何か飲むか」

辺りを見渡すと、ちょうど道向かいに名前が働くバールが見えた。
ちょうどランチの忙しい時間を過ぎて、常連客がのんびり過ごすくらいの時間だ。



「嫌だったら良いけど、あそこでも良いか?」

せっかくの休暇に職場に行くのは嫌がるもんかと思ってそう聞くと、名前は軽い調子で「良いよ」と答えた。
違う店に入っても良いが、ここからだと地味に距離がある。
名前の言葉に甘えて、客足がまばらになったそこに入った。


「あら、名前ちゃん。久しぶりね」

「マスター、元気そうで何より」


ほどほどに大きな店には、太陽の光を取り入れるための大きな窓が取り付けられている。
いつもはそのおかげで明るく華やかな店内も、今日はあいにくの曇り空で薄暗い。
テラス席がオレのお気に入りではあったが、今日は諦めて窓際の席に向かい合って腰掛けた。
椅子を引いてやると、名前は照れくさそうにはにかむ。
カプチーノを二つ頼むと、引っかかってた疑問を切り出した。


「久しぶりなのか?」

「あぁ、実は私の本職はここじゃないの。そっちの仕事が忙しくなったから、最近はここを休ませてもらってて」

「初耳だ」

「ごめんね、まだ大した仕事させてもらえないから、恥ずかしくて言えなくて」

「いや…」

運ばれてきたカプチーノを飲みながら、胸の奥にどんよりと嫌な予感が広がるような気がした。
それが具体的に何なのか、説明しろと言われても出来はしない。
だが、ギアッチョの質問が。名前の秘密が。何よりソルベとジェラートの死が。全てが今のままではいられないと訴えているような気がする。
何よりも…。
チラリと背後の席を見ると、雑誌を読んでいた少年と目が合った。
別によくある、気にとめることでもない些細な事なのだ。
本来ならば…。



「まぁ、それは置いといて、だ。名前…悪いがしばらく会えない」

「………忙しいの?」

「…そうだな。次いつ会えるかの約束も出来ねぇ…」


こんな事を言うつもりで家を出たわけではなかったのに。
悲しげな名前を想像することはあまりにも容易く、オレは視線を落としたまま、顔をあげることが出来なかった。


「つまり……別れるってこと?」

「そう捉えてくれた方が良い。お前を巻き込みたくない」

空になったカップを置いて、立ち上がるオレを見上げた名前の瞳は不安に揺れていた。
嫌な予感が予感である内に。
危険に晒したくないならば、覚悟をしなければならないのだ。


(こんなオレと居てくれて、いつも幸せそうに笑う名前は心の救いだった…)

心の中で感謝するのは、未練を感じさせぬ為。
いっそ、酷く勝手な男だったと怨めばいい。



「お前は真っ当な幸せを手にするべきだ」


ポンと頭を撫で、何も言わない名前を置いて店の出口へと向かう。
不穏な空気を察したオーナーに金とチップを渡して、励ましてやって欲しいと頼んで店を出た。


畜生。


中途半端な男だ。オレは…。


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