風と星の歌(カーズ)


ある時カーズは、丘の上に唯一立つ樹の下に佇む一人の女の存在に気がついた。
カーズにとってそれは、まるで道端の雑草が花を咲かせたくらいの印象でしかなかった。
しかし、その女はカーズが見る限りいつもいつもそこにいた。
夜毎にそれを遠くから眺め、一体何のためにそこに居るのか探ろうとしたが、カーズは彼女を理解する事が出来ずにいた。
夜風に髪をなびかせ、女は真っ暗な海を眺める。
寄せては返す波が岩壁にぶつかってザブンと騒々しい音を立てるくらいで、灯りもないそこから見えるものはない。
にも関わらず、女はいつも崖の側から海を見ていた。


「何をしているのだ」

興味本位で、カーズその得体の知れない女に声をかけた。
その口調はまるで怒りを孕んでいるようで、実際彼は女の理解できない行動に苛ついていた。
少し離れた場所にある村から歩いてきているのだとして、女が何のためにそこに来るのか、まるで理解できない事が苛立たしかった。


「星の、歌を聴いています」

なるほど、おちょくっているのか。
カーズはおおより理解からは程遠い解答に眉を寄せた。


「貴方はとても眩しいお人のようですね」

ふんわり笑う女は、カーズの方を振り返った。
見た、とは少し違う。
振り返っただけだ。


「お前、目が見えないのか」

「目が見えずとも、大切なことは見えます」

反吐が出る。
人間はすぐにそんな戯れ言を言う。
それが嫌いだった。


「綺麗事を言うな」

「人は…そうせねば生きていけない事もあります」

「素直にもなれるんじゃあないか」

「貴方は、私の知らない人のようですから。建前を使う理由もないでしょう」

「素性を隠す必要もないと言うことか」


なるほどこちらの姿が見えないという事は都合が良い。
カーズは心内でほくそ笑み、自分が居る辺りの空間を見つめる女を見た。
ちょうど、人間を研究したいと思っていた。


「毎晩ここに居るのだな」

「そう言う貴方様も、毎晩ここにいらっしゃいますね」


潮風がざわりと頬を撫でる。
崖上に設置された申し訳程度の柵をすり抜け、風は一面の草花を揺らして過ぎる。夜の潮風はまだ僅かに肌寒く、女は長い髪を風に弄ばれて小さく震えた。


「まぁ良い」

質問に答えるつもりのない女に押し問答も退屈だ。
世界は知る限り退屈に満ちあふれていて、向上心と野心だけが無限に続くように思える緩慢な時間を潰せる。

「貴様は、太陽を見たことがあるか」

女がいつから視力を持たずに過ごしているかは知らないが、自分を見る事が出来ないのをいい事にわざと酷な質問だと思うものを投げかける。
思った通り面喰らった様子の女は、何度か唇を動かしかけては止め、間を開けてゆったり笑みを浮かべた。

「空に浮かぶ太陽を、私は知りません」

ザァッと強い風が吹き、髪が風になびくと爽やかな甘い香りが流れる。
芯の強さを感じさせる笑みと強い眼差しが、見えていないはずのカーズを射抜いた。


「見えずとも暖かい日差しを肌で感じ、その恩恵を受けていると感じながら過ごす事が出来ます。それに…」

女は一度そこで口をつぐみ、伏し目がちに双眸を瞬かせてふとカーズの方へ視線を移す。

「太陽より眩しいものを、私は知っていますから」


戯言だと思った。
見たことのない、知らない物への執着をひた隠し、まるで誤魔化し慰めるような言葉だ。
思った以上に面白くない。
カーズは鼻白んだ事を隠しもせずフンと嘲って地面へ腰を下ろした。

「貴方にも、いつか見えるといいですね」

「くだらん」


今度こそハッキリ言い捨て、地面の草を引き抜いた。
指を緩めれば、風が草をさらって行く。
流れていく草が風に踊りながら海の闇へ帰るのを見ていた。
女が見ることのない景色。
風が頬を撫でて通り過ぎ、隣を見れば女は真っ直ぐ海を向いていた。
そっと双眸を閉じたその横顔はどこか凛とした空気を纏い、唇はきゅっと結ばれている。
何を考え、想っているのか読めぬ横顔は、それでもどこか儚さと強さを感じさせた。




それが、女を見た最後になった。







あんなにも毎晩そこを占領していた女は、いつになっても姿を現さない。
そこから少し離れた村へ降りると、夜だと言うのに石碑へ拝む老婆がいた。


「何をしている」

夜中であるにも関わらず、突然背後から声をかけられたことに狼狽えた老婆は瞠目し、何度か口を震わせて深呼吸をした。
ゆっくりと息を吐き出し、「失礼、少々驚きました」と笑う老婆に、カーズは片手を小さく挙げて応える。


「ここは孫の墓なのです」

と石碑へ目を移す。
墓というには、しめ縄もされていて石碑のようにしか見えない。


「孫…名前と言うのですが…生まれつき目が見えませんで…」


ゆっくりと話す老婆の言葉に、カーズは思わず眉を寄せた。
墓…と言うことは、つまりそう言うことなのだ。


「どこへ行っているのか知りませんでしたが、あの子は私の制止も聞かずに毎晩毎晩村を抜け出して出かけておりました。

本当ならば止めるか、ついて行くべきだったのでしょうが…」


自嘲気味に笑う老婆の話を聞いて、カーズは足早に丘を登った。
月夜に照らされ、風にそよぐ草の音が耳をくすぐる。

そびえ立つ一本の樹は潮風に枝を揺らしながら、いつも女が座っていた場所へ優しく影を落としていた。


『眩しいものを見つけたのと笑う孫を見て、私はあの子が恋をしていると気づきました。
目が見えないと言うことでうつむきがちだったあの子が前を向いて歩く姿が嬉しくて、私は見送ることにしたのです』


ある日風邪を拗らせて床に伏した女は、大した治療も受けられず息を引き取ったのだと老婆は語った。


『おばあちゃん…私は風に攫われる草のように、自由に舞って世界を旅をするの。
この村の土地神様の導きで旅をして…飽きたらまたみんなに出逢いたい。またあの人と出逢いたい』


熱にうなされていた女は、息をひきとる直前に意識を取り戻してそう笑ったのだと老婆は言った。
足元の草を千切って指を開けば、あの日のように風に舞って飛び去って行く。


「早く飽きて戻ってこい…退屈しのぎがなくなったではないか…」


そう呟いて、カーズは樹の下に腰を下ろす。
目を閉じれば打ち寄せる波の音と、風の音が世界を彩る。
目を閉じているにも関わらず、チカリと光が浮かび、戸惑うように揺れながらゆっくりと近づいてきた。


「名前」

小さく呼べばフワリと光が跳ねてクルクル踊る。
最初に受けた印象よりも、活発で危なっかしさを感じさせたそれの動きに、カーズは無意識に口元を緩めていた。


「私はしばらくここにいる。早く飽きて帰って来ねば、私はまた旅に出てしまうぞ。
私の暇つぶし相手を、最後まで全うせぬか」


目を閉じたまま、手をゆっくり伸ばす。
ふと指に細い指が絡むような感触。
咄嗟に目を開くと、「待ってて下さい」と聞こえたように感じた。








あれはただの夢だったのだ。

そう感じるほどの年月が流れ、名前の村は医者を何人も排出して立派な町へと姿を変えた。
人々は活発で明るく、間違っても若者が風邪で命を落とす事はなくなっていた。

カーズは丘からそれを眺めながら、今日も潮風に髪を靡かせる。
人間の町へしばしば降りるカーズを、エシディシは最初、ない眉を寄せて見ていたが、長い時間を生きるカーズの時間つぶしだと諦めて構うこともしない。


「そろそろ旅に出るか…」

ポツリと呟き、自分が存外女々しい事に自嘲の笑みを浮かべた。


「貴方は眩しい人ですね」


後ろから聞こえた声にカーズは在りし日の老婆と同じように慌てて振り返り、瞠目した。

まだどこか幼さを感じされる少女は、今度ははっきりと双眸でカーズを見つめていた。


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