この世界で。(5部・リゾット)


不穏な噂を耳にした。


―どうやら、組織の中に裏切り者が現れた。


噂なんてものは大概根も葉もないもので、全くもって事実無根のデタラメなものだ。
最初は聞き流し、しかし恋人の様子が(ほとんどの人間が気付かないほどではあるが)僅かに変化して、私は不安を覚えた。


「急に仕事が入った」

渦中の人間、恋人であるリゾット・ネエロから電話がかかってきて、私はため息をついて「分かった」と短く答えた。
通話を終了してケータイをテーブルに置き、既に冷めてしまったコーヒーを一気に煽ると、窓の外に広がる青い海を眺めた。


「ん?名前じゃあねーか」

「ホルマジオ…」

赤毛の剃り込み坊主頭は、名前の様子を見て向かいの席に座った。


「もしかして、リゾットにすっぽかされたのか?」

「当たり」

私の言葉に、ホルマジオは小さく舌打ちをしてため息をついた。
約束をドタキャンしたのはリゾットなのに、何故か申し訳なさそうに「すまなかったな」と謝ると、ガリガリと頭を掻いて眉間に皺を刻んだ。


「ちょっと、今忙しいんだ…オレ達のチームはよぉ」

内容は言えないと分かっている。
言い淀むホルマジオに笑いかけると、「気にしないで」と声をかけた。


「なんか、ちょっとだけ噂を耳にしたし、…しょうがないよ。仕事だもん」


肩を竦めてそう言うと、ホルマジオはジッと私を見て、「そうか」と笑った。
笑う彼がほんの少しだけ申し訳なさそうにしている理由は、分からなかった。



私は物心ついた時からペリーコロさんに育てられていた。
詳しい経緯は教えてもらっていないが、孤児の私を、当時からパッショーネの幹部だった彼が引き取ってくれたらしい。
そうしてパッショーネに深く関わって生きてきた私は、何のためらいもなく組織に入った。当初はずいぶん反対していたペリーコロさんも、今では和解出来ていた。

リゾットと付き合うことになったのも、そもそもの出会いは任務で行ったリスチランテだった。
それから見かけると声をかけるようになり、私から「付き合って欲しい」と頼み込んだ。そう、頼み込んだのだ。
彼は私と出会うより前からずっと組織の人間で、いつも仕事優先の人間だった。
私を危険に晒すまいとしてくれたのか、はたまた私が仕事の上で邪魔になると判断したのか。どちらにせよ、私からアプローチをかけてもなかなかオッケーはくれなかった。



『どうして?』

そう問い詰める私に、リゾットはいつもの感情のない視線を向けていた。

『私のこと、嫌い?』

『そうは言ってないだろう』

怒ったように声を荒げるリゾットは、ため息をついた。
しつこく何度も言い寄られれば、ため息くらいはつきたくなるもんだろう。


『名前の事は…そうだな、オレはお前に惚れている。女として、だ』

『じゃあ…』

『でも駄目だ。オレは止めておけ』

何度もそう言って断られ、たぶん一年近くアタックし続けた。
そうしている内に仲良くなったプロシュートやギアッチョに、『よくそんなに続けられるな』と呆れられたもんだ。
それでも、彼が良かった。
無骨で不器用で、けれど一生懸命で優しく、チームのメンバーを家族のように大切にする。そんなところに惹かれ、知れば知るほど嵌っていった。
数年前のある日、リゾットは諦めない私に言った。


『分かった。負けたよ』

今でもその時のリゾットをはっきりと思い出せる。
困ったように眉を寄せ、いつもの無表情ではなくて、ほんの少しだけ笑っていた。






「ホルマジオ…」

空になったコーヒーカップを見つめながら小さく呼ぶと、ホルマジオは「ん?」と返事が返ってきた。
恐らく私の方を真っ直ぐ見てくれているのだろうが、私は顔を上げる事が出来なかった。


「リゾット、私のことまだ好きかな?」

言葉にした途端、不安が膨れあがってどうしようもなくなる。
泣きそうになる私に、ホルマジオは「そうだな」と呟く。
あぁ。彼の仲間にまで言いにくそうにされるなんて、もう駄目かも…。


「本人に聞くべきなんじゃあないか?」

「…え?」

ホルマジオは弱々しく頭をもたげた私に、「しょうがねーなぁ」と彼の口癖を呟いてニヤリと笑った。


「名前、お前らしくもない。好きならアタックするのがお前だろ?」




背中を押されて、私は走り出した。
「アイツを頼む」と手を振るホルマジオに手を振り返し、会計を済ませて店を飛び出した。
任務が終わるのを待ってでも、私はリゾットに会う。
そうして、この不安を拭うために気持ちを伝えよう。

全力でカッレを駆け抜け、通いなれた道を走った。
息が切れ、胸が苦しい。



「リゾット」

夕日に赤く染まる中、急せかされるようにチャイムを鳴らす。
まだ帰ってないかと思ったのに、彼は少しの間の後にドアを開いた。
酷く動転し、慌てているようだった。


「何をしに来た!!」

半ば引き摺られるように部屋の中に引っ張り込まれ、あげくに見たことないような凄い剣幕で怒鳴られて、私は何も言えなくなった。
こんなに感情を露わにするリゾットは初めてだった。


「仕事だと言っただろう?」

「…ご、ごめんなさい」

リゾットの動揺が移ったように、キュウと胸が締め付けられる。
喉が震え、引き絞るようにそれだけ言うと、頬に熱いものが伝った。



「名前…」

ハッとしたように目を見開いたリゾットは、困ったように視線を彷徨わせ、そっと私の頬に触れた。
酷く冷たい手をしていた。


「怒鳴ったりして、悪かった…」

リゾットの言葉に、私は首を勢い良く横に振った。
私が悪いことは明白だ。


「ごめんなさい!私…すれ違いが多くなったから不安で・・・。そうしたら、ホルマジオが、直接リゾットに聞けって言うから…連絡もせずに来ちゃって「おい、待ってくれ。ホルマジオが…何だって?」


謝る私の言葉を遮って、リゾットは驚いた様子だった。
「いつ会った?」と聞かれ、言っても良いものかと迷いながら「さっき」と答えた。
もしかしたら、任務の終了報告前だったのかも知れない。
以前にも、メローネが任務の終了報告を忘れて、リゾットにこっぴどく叱られていた。
しかし、そんなところにこそ彼の仲間への愛が籠もっているのだ。


「ホルマジオから、任務の終了報告なかったの?」

そう言って覗き込むと、リゾットは眉を寄せて「あぁ」と答えた。


「…なんのもてなしも出来ないが、入ってくれ」

扉を開いた時の態度とは打って変わって、リゾットは優しく私を部屋へ導く。
恐らく、ホルマジオの報告で今日の仕事は終了だったのだろう。そう判断した。
ホルマジオがきちんと報告を入れておいてくれれば、リゾットに怒られることはなかったかもと思ったが、私が彼に弱音を吐いたから忘れてしまったのかも知れないので、一方的に責めることも出来ない。



「名前、何か飲むか?」

「うん、頂きます」

笑って返す私に、リゾットは小さく笑い返してくれる。
リゾットがそんな風に笑うなんて珍しいことだが、さっき私を怒鳴った事を少しくらい申し訳なく思っているのだと判断した。


「コーヒー豆を切らしているんだ」

そう言って、リゾットはオレンジジュースを出してくれた。


「いいよ、オレンジジュース好きだから」

そう言えば、さっき全力疾走したんだった。
一気飲みする勢いでジュースを流し込むと、渇いた喉にオレンジジュースの酸っぱさが気持ちいい。
リゾットはそんな私を横目に手早くパソコンを操作すると、パタンと閉じて脇によけた。


「…腹が減ったな。何か食うか」

リゾットは立ち上がり、「簡単な物しか作れない」と言いながらぺペロンチーノを作ってくれた。
料理姿が、好きなところの項目に加った。ほんと、何をしていても様になっててうらやましい。


「カッコいい」

そう褒めると、リゾットは「そんなことない」と答える。
いつものことだ。


「うまいか?」

あんまりにも心配そうに覗き込むものだから、少し笑えた。
ちょっとからかいたくなんて、わざとしかめっ面を作った。

「微妙」

「そうか…」

「嘘だよ!!美味しい」

笑ってそう言うと、リゾットは目を細める。
彼は時々、私をそうやって細めた目で見る。
どうしてなのかは知らないけれど。


「リゾット、この後は暇?」

こんな時のこの質問の意味を、リゾットは分かっている。
すっかり日も落ちたこの時間。
夕食を食べながらこう問うのは、私が帰りたくない合図。


「…あぁ、空いてる」

だから、リゾットのこの答えは、今夜は一緒にいてくれるって意味。
私は喜んでペペロンチーノを完食し、リゾットととびきり甘い時間を過ごした。
キスをして、のんびりテレビを見て、一緒にシャワーを浴びた。
リゾットはいつもよりずっと優しくて、綿菓子のように甘かった。


「リゾット」

「ん?」

「今日はとびきり優しいのね」

隣で寝転ぶリゾットに擦り寄って、私はそっとキスをした。
最初は緊張した腕枕も、今はどんな枕よりも安心して眠れる快眠枕だ。


「凄く幸せ」

半分まどろんでそう告げた私に、リゾットはただ短く「そうか」と答えた。













けれど、幸せなんてそう続かないもの。

翌日目を覚ますと、リゾットは姿を消していた。
確かに私はリゾットの翌日の予定は聞いていないから、既に仕事に出かけてしまったのかもしれない。
テーブルに置かれていた鍵で部屋をロックして、鍵つきのポストにソレを落とす。
ふと、私は、そのポストにロックがかけられていないことに気が付いた。

「…珍しい……」

リゾットにもそんなうっかりがあるのか。
そう考えると同時に、恐ろしく嫌な予感がした。
ポストを開く手は、情けないほど震えていた。



―名前へ。

見慣れた文字が、私の名前を刻んでいた。
その瞬間、私は全てを悟って走り出した。
昨日のように全力で、しかし昨日のように宛ては無かった。
泣きじゃくりながら三十分ほど走り、さっきよりも震える手で手紙を開いた。
もう、涙は流れていない。


―どう切り出せば良いものか、ずっと悩んでいる。

リゾットらしい書き出しに、思わず笑みが浮かぶ。
私を気遣いながら、ペンを片手に悩むリゾットが見えるようだった。


―もしかすると、何処かで耳に挟んでいるかもしれない。“組織に裏切り者が存在する”と…。黙っていたが、それはオレ達だ。


激震が走った。そう言えば良いのだろうか。
けれど、それと同時に納得も出来た。


―ホルマジオに言われて来たと、お前が言ったとき、オレはそれをすぐに理解できなかった。何故なら、ホルマジオはつい先日、殺されたからだ。


「え?」

手紙を持つ手が震える。
しかしそれはリゾットも同じだったようで、リゾットの文字がどんどん走り書きのようになっていく。


―名前の言葉を聞きなおした時、これはホルマジオの遺言だと感じた。
面倒見の良いアイツの事だ。オレに「来るな」と告げているのだと、そう思った。
チームの全員が殺されたオレに残された心残りは、名前…お前だけだったから。


そこで一枚目が終わり、目の前が真っ暗になるような気持ちで手紙をめくった。
死んだというのか?リゾットの…暗殺チームのみんなが殺されたなんて聞いていない…。


―名前。お前に初めて告白された時、オレがどんなに舞い上がったか、お前は知らないだろう。あんまり浮かれていて、プロシュートに拳骨をお見舞いされたくらい浮かれたんだ。あれは痛かった。


浮かれるリゾットなんてイメージ出来ない。
それでも、そうさせたのが自分なのだとしたら、殴られたリゾットには申し訳ないが、ちょっと嬉しい。


―名前、お前は、オレには勿体無いほど良い女だ。お前が笑うたびに眩しくて、暗殺者として生きて、闇に溶け込むように生きてきたオレには、太陽を直視しているような心地だった。


「だから、目を細めて私を見ていたのね」


―何度も言いかけては、言葉を飲み込んできた。けれど、卑怯と罵られようとも今こそ伝えておきたい。

名前、お前を愛してる。



心臓が一瞬止まった。
何度もその文字を確かめて、震える指で確かめる。
どう見ても、紛れもなくリゾットの言葉だ。


―愛する名前。どうか、どうか幸せになって欲しい。
お前の傍にいることよりも、仲間の敵を選ぶオレを忘れて、どうか幸せになって欲しい。父親代わりだったペリーコロさんを喪ったお前を置いて行くオレになぞ、心を残さないで欲しい。
幸せになって、太陽のように、笑って生きてくれ。






私は手紙を畳んで、それを大切にポケットにしまい込んだ。
立ち上がり、気だるい体を奮い立たせて足を踏み出す。
憎らしいほどに晴れ渡る空は、青い海の境界を消して溶け込んでいる。
パンパンとパンツの砂を払って、私は思い切り伸びをした。
ペリーコロさんの死を告げられて以来切ったままだったケータイの電源を入れて、まるでそれを見ていたかの様にけたたましく鳴り始めた電話に出た。


「大変な事が起きている!!ペリーコロさんを喪ったばかりのお前には酷だろうが、情報管理のトップのお前が居ないと処理が追いつかない!!」


私は「はーい」と間延びした返事を返して通話を終えると、仕方なしに歩き始めた。
リゾット達が裏切り者である情報すら与えられていなかったのだ。そりゃあ大変なことになっているでしょうとも。一人「あーぁ」とごちて、もう一度海を振り返った。
確か一昨年の事だった。
リゾットと二人で海を眺めて、勢い任せに服のまま飛び込んだ事がある。
服は重いし、「あらあら」なんて笑われるし、挙句に「目立つ事をするな」とあちこちから起こられるし、で散々だったけど楽しかった。


「グラッツェ、リゾット」

口のなかで呟いて、今度こそ私は踵を返して歩いた。
キラキラ光る町は、私の心情も組織のことも素知らぬ様子で、今の私には腹立たしいほど眩しい。私はリゾットがよくそうしていたようにギュッと目を細め、町の中へと滑り込んだ。


―名前。
オレは最後の勝負に出る。恐らく無事ではすまないだろう。
だが、そんなオレにも、お前の見せてくれた世界は、今日もこんなに美しい。

辛いことも、悲しいことも、全てがお前の言ったとおり、今ではオレ自身を構築する宝になった。この輝く世界に、ほんの少しの間ではあったが、お前と生きれた事を感謝する。
…以前名前から聞いたように来世なんてものが本当に存在するならば、今度はオレから口説き落とすから、覚悟するように。







――――――――――――

お疲れさまでございました。
リクエストがあったので書きました。リゾットの死ネタ。
救済なしって辛いっす!!!(泣)
しかし、どんよりと終わらないのは私の諦めの悪さwww
辛い事があっても、苦しい事があっても、いつかは出口にたどり着きます。何年かかっても、這いつくばってでも生きていれば、その全部がかけがえのないものになるんだと思います。だから、名前様もそう信じて、リゾットが「美しい」と言った世界を生きると決めたというわけでございます。←説明が必要な文章力の乏しさ。
こんな死ネタで良かったのでしょうかね??
お粗末さまでした。




(9/21)
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