世界よ、逆流しろ


1-1



〜第1話〜
人生を逆転させた少女



 小さな田舎の村の大きな家に、少女は生まれた。父はアメリカ人、母は日本人のハーフで、アメリカにて誕生したのだが、母が帰国しなければならなかった為、父は母と共に日本で暮らすことにした。
 二人の少女は、それはそれは人形のように愛らしく、二人はとても可愛がって育てていた。
 しかし、少女は、幼い頃から「普通」とは違っていた。しかしそれは超能力とか、特別天才だとかと言うわけではない。ハーフで黒い髪に青い瞳だからという訳でもない。

「ねえおじさん、おじさんの隣に小さい男の子がいて笑ってるよ」
「お母さん、あのお兄さんの傍に怖い顔をしたお姉さんがいる」

 少女の言葉は父を困らせ、母を泣かせた。
 自分にははっきりとそれが見えているのに、誰にもそれが見えない所為で、幼い彼女は見えるものをそのまま口にしてしまっていたからか「嘘つき」呼ばわりされてしまった。そうして彼女ははたと気づいたのである。これは、自分にしか見えないのだから、誰にも口にしてはいけないのだ、と。

 ――暫く過ごすうちに、自分にも妙なものがついて回るようになったことを、少女は気づく。
 自分の傍に静かに佇む寡黙な存在。同じ霊感があるという人間にこれが見えるか、と問うても見えない存在。家族にも、友人にも、誰ひとりとして見える事のない存在。彼女だけが見る事が出来る存在。それは、少女の意思で動かす事が出来た。右に動かそうと思えば右に動き左なら左に動いた。
 貴方は誰?――いつか少女は聞いた事があった。しかし、その傍にたたずむ存在は何も答えなかった。そんな存在を見た少女は「まるでからっぽだ」、そう思った。
 君、貴方、それ――と呼びにくくなった少女は、「存在」に名前を付ける事にした。まるで、子を温める毛布のように薄く、そして何も入っていないからっぽな存在に因んで、彼女は《クリア・エンプティ》と名付けた。
 《クリア・エンプティ》には能力があった。きっかけはなんだったか、母親の大切にしていた花瓶を割ってしまった時だった。見つかれば叱られるのは当然だった。小さな少女にとって、親に叱られるというのはとても大きな恐怖だった。
 戻ればいいのに、直ればいいのに。そう彼女が強く願った時だった。粉々に砕けていた花瓶は、一つも欠けた部分なく元に戻ってしまった。はじめ、少女は目の前で起こった不可思議な現象に混乱した。しかし、5分ほどして彼女は落ち着きを取り戻した。傍に、《クリア・エンプティ》が立っていたからだ。
 貴方がやったの?――少女は尋ねた。すると、《クリア・エンプティ》は小さな頭をゆっくりと縦に振ったのだ。
 物を直す能力――少女は幼いながらに《クリア・エンプティ》の能力をそう理解した。けれど、その能力には『賞味期限』のようなものが存在した。ある一定の時間が経つと、完全には直らなくなるのだ。怪我も傷も壊れたモノ、どんなものでも全て「治す」事が出来たが、限界があったのだ。その時点で、彼女は世の中そうそう都合がいいものばかりではないのだな、と悟った。

「私の能力は何のためにあるのだろう?」

 成長するにつれ、少女は勉強や運動、趣味をしている時以外は特によく考える様になっていった。自分の能力に、意味が欲しくなったのだ。少女は何年、自分の傍に立つ《クリア・エンプティ》の事を考えていただろうか。しかし、誰もその存在を知らず、誰にも理解できないそれは自分ひとりで考えてみてもさっぱり分からなかった。


 時は流れ、幼い少女は体格も何もかもが大人のそれに近づいていった17歳――。幼いころは短かった黒髪はだいぶ伸び、今では結わなければ肩をも越す長さになっていた。海色の瞳は、クリクリとまあるく優しげな印象を与えるような形となっていた。
 そんな少女のある日――彼女を含めた三人親子は、アメリカの別荘地に訪れていた。学校のない長期休暇などはこうしてアメリカにいる父の両親に会いに行くのである。

「幸子ちゃ〜ん、早く起きて食べないと遅刻するわよー」
「はぁい」

 髪の毛を梳いていた少女は、返事をすると櫛を置き、鞄を持って自室を出た。
 とたとた、と幸子と呼ばれた少女は廊下を静かに歩く。彼女は無意味に騒々しいのは苦手なのだ。特に、朝は静かな方がいい。

「Good morning, ダッド」
「Good morning, お姫様。お目覚めはどうかな?」
「上々」

 幸子は頬に父親のフランクなキッスを受けてから、静かに自分の席に座った。本日は、母がアメリカから来たこともあり、朝食は爽やかな日本食仕上がりになっている。
 父親はアメリカ人であが、日本の文化が大変気に入って、結婚後、態々日本に移住して苗字は日本人である母の「戸軽」をとっている。

「幸子、今日はどっちのネクタイを締めていけばいいだろうか?」
「うーん……右の赤とかどうかな。今日はそれの方がいいよ」
「OK, 幸子が選べば一日ラッキー続きだからね」
「幸運を呼ぶのよ、うちの幸子ちゃんは」
「ママ!」

 幸子の前に佃煮を置きながら、彼女の母は微笑む。その後彼女は、義母と義父にそっと飲み物を置いていた。
 幸子にはあるジンクスがあった。彼女が選んだモノを身に着けたりまたは彼女自身が傍にいると、その人間に幸運がおりてくる。それは、彼女の名前故なのか、それとももともとの運勢か、はたまたただの偶然なのか。それは定かではないが、彼女の家族や彼女と親しい友人たちはジンクスを信じていた。

「それじゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい、気を付けてね」

 食事もろもろを済ませた幸子は、母親に見送られて家を出た。今日は、アメリカ人の友達とドライブにいくのだ。
 天気予報では本日一日、晴れ晴れとした晴天だそうだ。彼女は空を見上げて、確かに、と漏らす。彼女の仰いだ先には一面、雲一つない爽やかな海が広がっていた。

「ん?」

 玄関を出た時、幸子は風にあおられる。その風に妙な気配を感じたので彼女は首を傾いだ。

(変なの……何も心配するような事ないのに、なんだか妙な胸騒ぎがする)

 幸子は一度顔を顰めてから、ぼそっとある名前を呟いた。

「《クリア・エンプティ》」

 幸子は、幼いころからずっとそばにいる存在、《クリア・エンプティ》を呼ぶ。すると、ゆっくりと現れるソレ。その存在を確かに感じるとき、不思議と不安が薄れるのだ。

「今日は……何かよからぬ事が起こりそうな気がするけれど、貴方が居れば大丈夫だよね」

 答えが返ってこないのは承知である。けれど、彼女の言葉に反応することはできる様で、コクリ、と頷いた。それが嬉しかったのか、整った顔をニッコリと綻ばせる。
 彼女は鞄を握り直すと、走り出した。まるで、その姿は迫りくる「運命」から逃れるかのようだ。

「あれが、戸軽幸子か……」

 長く黒い髪を靡かせて走る彼女の背を、木陰で見つめる存在が一つ。それは、鋭い瞳で彼女を射抜くように見ていたと思えば、すう、とそれを引き、ゆっくりと闇の中へと消えて行った。
 何も知らない少女は気づかない。「宿命」がヒタリヒタリと背後から迫ってきているという事に――。


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