世界よ、逆流しろ


15-4



 幸子の気分は最悪だった。なにせ、尊敬し、慕っているジョセフ・ジョースターが人質になっただけでなく、この「鋼入りのダン」という男が異様に体をべたべたと触ろうとしてくるからだ。馴れ馴れしく、なにか自分の自慢話をしながら肩を抱こうとするし、顔を近づけてくる。
 幸子は、仲間以外の男は――仲間にだって下手に近づかれるとビクビクするのに――基本無理だ。彼女のパーソナルスペースは、DIOの所為で普通の人よりも若干広くなってしまっている。そこに無断で入られれば気分は最悪になるわけだ。
 逃げるように承太郎の陰に隠れる。すると、「照れ隠しですか」とニヤリと笑いながらダンは声をかけてくるのだ。

「い、いい加減にしてください。余り酷いと、おっ怒って平手打ちしますよッ」
「へえ、やってみたらいいんじゃないですか? ジョセフ・ジョースターも同じようにダメージを受けますけど?」
「……私の平手打ちなんかで、ジョースターさんがやられるわけないじゃない。あ、貴方、私が女だからって調子乗ってると、痛い目みますよ」
「へえ、ふうん?」
「っ……わ、私だって、やるときはちょっとはやるんですからッ」

 怯えているのを隠すように、震える手を承太郎の背の制服につかまることで隠し、精一杯の威嚇をする。本当は、とてもダンが怖かったのだ。
 いつもなら、びくつく幸子をからかったり呆れたりする承太郎だったが、今だけは鋭い瞳でダンを睨みつけるだけである。
 その後の「鋼入りのダン」は承太郎が手が出せない事をいいことに、むちゃくちゃな難題を擦り付けて来た。態々堀を渡ろうとして、そして橋まで行くのが面倒だからと承太郎自身に橋になるように命令する。それだけでなく、嫌々橋になった承太郎の上で無駄に片足立ちになったり踏みつけたり、やりたい放題であった。

「わざわざそんな事する必要ないじゃない」
「ハッ、女は黙ってみてな」

 だんだんと本性が露わになってきている。
 移動するダンは、今度は承太郎に道中、背中がかゆくなったから掻けと命令してきた。本当に何様なのだろう、と幸子は顔を顰める。
 ダンは、途中、何かに反応するように目元を引くつかせた。花京院たちが、何かやっているのだろうか。

(きっと、大丈夫、花京院くんなら、きっとジョースターさんを助けられるっ……)

 ぎゅっと幸子は手を握り、仲間を信じて待つ。
 しかし、ダンの命令はだんだんとエスカレートしてきた。調子に乗って承太郎に自分の靴磨きをさせる。あの、承太郎に、である。幸子は「君がそんな事する必要ない!」と叫びそうになったが、慌てて口を噤み、耐える。
 ふと、顎を蹴られた承太郎が、手元にある手帳に何かを書いている事に気づくダン。彼がその手帳を見ると、そこには、ダンが承太郎にしてきた事がメモされていた。

「お前にかしてるツケさ。必ず払ってもらうぜ……忘れっぽいんでな、メモってたんだ」

 不敵な微笑を浮かべて言う承太郎に、ダンは一瞬たじろぐも、そんな自分を誤魔化すためか、承太郎の頬を打つ。

「空条君っ」
「……安心しな、これくらいなんてことねえ。お前の能力を使うまでもないな」

 居ても立っても居られなくなった幸子が承太郎に声をかける。しかし、女に弱いところは見せられないのか、承太郎は強気に言った。

「そんな事より、唇を噛み過ぎて血を出すなよ」
「えっ」

 無意識だったのか、下唇を強くかんでいた幸子。何も出来なくて、相当悔しかったのだろう。その彼女の悔しさを表すかのように、下唇に見事な歯型が出来ていた。
 幸子はごしごしと口を拭った。

 ダンは、今度は宝石店に入る。そして、承太郎に、「盗みをやれ」と命じた。ジョセフのため、逆らう事の出来ない承太郎は、仕方なく《スタンド》で指定された腕輪を盗る。すると、ダンは大声を張り上げて承太郎が盗みをしたことを暴露した。

「てめえ」
「クックックックッ」

 承太郎は、店主や店員にバッドまで使われて叩かれ始めた。

「空条くっ」
「おーっと、させねえよぉ。アンタに治療されちゃあ困るぜ」
「は、はなして!」
「あんまり暴れるなよー、下手に暴れて俺が怪我でもしてみろ、じじいがどーなってもいいのか? あー?」
「っ……!」

 腕を掴まれ、承太郎から引き離される。一般人相手にスタンドを使う事も制限され、承太郎は無抵抗に殴られ続けた。
 見ている方が辛いと、幸子はまた下唇を強く噛む。
 ダンは、店の者が承太郎に気をとられている隙に、自分は別の商品をかっぱらう。

「指はきらねーでそれぐらいで勘弁してやるぜ!」

 大人しく殴られていたからか、店の者はさんざん承太郎を殴ったのちに、店から追い出した。殴り飛ばされた承太郎は、血だらけだった。額からの出血がひどい。そんな彼に、ダンは得意げに盗んだものを自慢した。しかし、そんな彼の事などどうでもいいのか、承太郎はくつくつと笑声をもらした。

「何がおかしいッ!」
「フッフッフッフッ……いや、楽しみの笑いさ。これですごーく楽しみが倍増したってワクワクした笑いさ。テメーへの仕置きターイムがやってくる楽しみがな」
「やろォ!」

 ダンは地に伏す承太郎を踏みつけた。

「貴様は俺たちの事をよく知らねえ、花京院のやつの事を知らねえ」
「なあにィ〜〜!」

 ぴくぴくと再びダンはこめかみを引くつかせる。しかし、フッと彼は顔のこわばりを解く。そして、今度は彼の方がくつくつと笑いを浮かべ始める。

「なあ、幸子様」
「……なんですか」

 ぎり、とダンは幸子の腕を強く握る。幸子は恐怖心があるものの、彼にそれを悟られぬように懸命に平静をつとめて言葉を返した。すると、ダンは彼女を、見下しながら、こういった。

「今ここで、ストリップショーをしろ」

 承太郎の表情が強張る。

「やるときゃやるんだろう? だったら今やってみせろや」

 幸子はぽかんとダンを見上げた。彼女は、すとりっぷしょーというものを、知らなかった。相当大事に育てられてきたらしい。そんな彼女の頭の中を、表情で把握したのか、くつくつとダンは楽しそうに笑った。

「どうやらしらねーみてーだな」
「おい、こいつに何をやらせる気だ」
「ストリップショーっていうのはなぁ……」

 がしっとダンは幸子の胸倉を両手でつかむ、彼女の表情が一瞬で真っ青になった。

「こうするんだよォ――――ッ!」

 ビリビリビリッ!
 盛大な音を立てて破ける制服。下着まで露わになった眩しい白い柔肌が太陽の光に照らされる。幸子は何をされたのか、何が起こったのか、思考がまったく追いつけなかった。ハッと気が付いたときには、腹まで制服が破かれて、己の裸をさらけ出されそうになっていた。

「っ―――――!」

 きらきらといつも輝いているはずの青い瞳は、深海のように暗く濁る。彼女は羞恥で顔を赤くし、胸を隠すように腕を抱えた。そんな彼女を見て、ダンは愉快に笑う。高笑いする。

「てめえ!」

 承太郎が怒りで声を震わせる。

(こ、わい……)

 男が怖い。力のある男が怖い。何をするか分からない男が怖い。性的悪戯をする男が怖い。目の前の、男が、何よりも、恐ろしいッ!

「……」

 幸子はガタガタと震える。漸くマシになって来たと思ったのに、よけいに男が怖くなった。

(泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか、泣くもんかッ!)

 下唇を強く噛み、涙をこらえる。泣いてはいけない、目の前の男を喜ばせてはいけない、と必死になる。
 幸子は下唇を噛み、涙がにじむ目で、ダンを下から睨む。

「俺だけじゃあ飽き足らず、無抵抗な女にまで手を出しやがったな」
「ほう、怒るかい? だったら殴ってみな。その瞬間、何倍にもなってジョセフ・ジョースターにダメージが降りかかるぜ!」
「く、じょうく……」

 幸子は弱弱しくも、声を絞って言葉を紡ぐ。

「私は、平気、これくらい、なんともない」
「ほー?」

 ダンは意味ありげに片眉をあげる。

(まだ折れないか……それなら……)

 にやりとダンは下卑た笑みを浮かべる。そして、去勢を張る幸子に向き直ると、距離を詰めた。幸子は、怖くて怖くて今にでも承太郎の背後に隠れたかったが、それでは自分が負けだと認めたことになるので、絶対にしたくなかった。
 怖がっていることを既に分かっているダンは、彼女の顎を強引に掴む。

「あんた、ストリップショーも分からないなら、キスだってまだなんだろう」
「……えっ、なに――んむっ!?」

 幸子は、口の中にぬるりとしたものが入り込んでくるのを感じた。それはとても気持ち悪くて、吐き気がするくらいだった。彼女はダンの服を乱暴に掴み、抵抗する。すると、ダンは彼女を思い切り突き飛ばしたのだった。地面に押し倒された幸子。彼女は、恐怖と悔しさで頭がおかしくなりそうだった。
 泣かないと決めていたのに、ついに涙腺が決壊し、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれる。突いた手のひらで、地面の砂を思い切りえぐりながら拳を握る。
 そんな彼女を嘲笑うかのように、ダンは盛大に尊大に高笑いした。それがもっと悔しくて、幸子は手で握った何かを、なんと、口に含んだではないか!

「なっ、なにして……!」
「っ、っ、っ……!」

 ぺ、ぺ、ぺ、と彼女が吐き出したのは、砂だった。そして、彼女は口元をぬぐいながら挑戦的な目でダンを睨み上げる。彼女は、行動で示したのだ。己の意思を、砂で口を"洗う"ことで、示したのであるッ!

「こ、こいつ!」

 そんな彼女に、ダンは手をあげる。しかし、奴の腕を掴む者がいた。承太郎だ。彼はダンの腕を払うと、幸子に近づき、自分の着ていた学ランをかけた。彼の制服は幸子の体をすっぽりと覆う。一瞬、男性が近づいてきたことによりびくっと彼女は震えたが、承太郎が「なにもしねーよ」というぶっきら棒な言葉で、ふっと緊張が少しだけほぐす。

「おい、テメー、覚悟はできてんだろうなァ?」
「承太郎、忘れたのか、てめーの祖父には俺の《恋人》が――」

 ダンの言葉の途中で、突如、彼は額から出血する。ずばっと鋭利に切れた皮膚を見て、承太郎は帽子のつばをおさえながら鋭くダンを見据える。

「おやおやおやおや、そのダメージは花京院にやられているな……残るかな、俺のお仕置きの分がよ」

 じり、と承太郎はダンににじりよる。

「どうした? 何を後ずさりしている? 俺の爺さんの方では何が起こっているのか話してくれないのか」

 ダンはクルリと背を向けて逃げようとする。彼は実に滑稽だった。形勢が不利だと分かると、途端に態度を変えて承太郎にこびへつらう。幸子は「この男、権力と金に絶対弱い奴だ」と軽蔑のまなざしを向けた。
 頭を下げて大人しくしていたダンだったが、それは己のスタンドが戻って来るまでのことだった。《恋人》を今度は承太郎に忍び込ませようとしたのである。しかし、それは呆気なく《星の白金》により阻止される。彼のスタンドの正確さと目の良さを知らないのだろうか、実に浅知恵である。
 軽く指ですりつぶされただけで、ダンは腕と足の骨を折る。本当に力のないスタンドらしい。
 ダンは、必死に許しを請う。彼はもう再起不能だから何もできない、もう何もしないから許してくれという。
 承太郎は、今まで受けたツケを、折れた手足で支払った事にして、「もう二度と俺たちの前に現れない」ことを条件に許すことにした。もし現れたりしたら、千発、顔に拳を叩き込むと宣言した。

「ラッキー、おまえもそれでいいか」
「……う、うん」

 急に話を振られて驚いたが、幸子は慌てて頷く。すると承太郎は《恋人》を解放し、ダンに背を向け「消えな」と吐き捨てる。そんな承太郎に、ダンはきらりと目を光らせてナイフを取り出すと立ち上がった。奴は、まだ懲りていなかった。今度は丁度道を歩いていた女の子に《恋人》を忍ばせたのである。動くなと命令し、己は承太郎の背後から彼をナイフで刺すという。そんな彼に、呆れた承太郎は―

「やれやれだ……」

 ――と、口癖を呟き深くため息をつく。いいだろう突いてみろッ、そう挑発した。それにのってダンは承太郎を刺そうとするも、体が動かなかった。
 ダンは気づいていなかったのだ。逃げる事に必死で、花京院の《法皇の緑》が巻き付けた触手に、気づかなかったのである。
 承太郎は、ダンの顔面に、"宣言通り"千発の拳を叩き込み、ぶっ飛ばしたのだった。

「ツケの領収証だぜ」

 承太郎は、メモ帳からびりっとサインの入った紙を切ると、それを残してその場を後にした。

「大丈夫、じゃあねえな」
「は、ははは……」

 幸子は引き攣った笑みを浮かべた。そんな彼女に、承太郎は眉間に皺を寄せる。

「……とにかく、口をゆすぎに行くぜ。そこの店の洗面所を借りる」
「うん」

 適当な店を指差す承太郎。彼はその店に向けて歩き出した。そんな彼に幸子はついて行く。目の前にある広い背中を見た幸子は、ダンと戦闘を繰り広げたつい先ほどの彼の姿を思い出す。強くて、大きくて、それでいて、不器用なやさしさに満ちていた。彼は不思議である。DIOとは違って、彼はまったく甘くないし、甘えさせることもしない。それなのに、苦しい時には引っ張って行ってくれて、いつの間にか、自分の脚で立つようにしてくれるのだ。
 彼の背中を、追いかけたい。彼のように、なりたい――虚ろだった幸子の瞳に、再び光が灯る。

「――ね、空条君」

 ふと、幸子は承太郎を呼び止めた。彼女の声に承太郎は振り向き、そして目を、見はった。

「ありがとね」

 海のように青い瞳は、涙のせいか、日の光に照らされてキラキラと輝く。ゆるく弧を描く口元、ほんのりと朱に染まる頬、そして何よりも嬉しそうな表情――そんな彼女の顔に、承太郎は一瞬目を奪われた。彼は、ざわざわと落ち着かない胸中を悟らせぬようにするためか、帽子のつばを掴み、下にさげる。

「おう」

 たった一言返した。それだけなのに、どんな粋な口説き文句よりも嬉しいと言わんばかりに破顔一笑した。


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