世界よ、逆流しろ


15-3



(ホル・ホースの言い残した忠告の意味って……?)

 気絶したエンヤ婆を連れて、一行はパキスタンのカラチに向かっていた。その道中でなんとか馬車を借りる事が出来、エンヤ婆の隣で幸子はじっと彼女を見つめていた。
 ホル・ホースの言い残した忠告。それは、エンヤ直ぐに殺した方がいいとのことだった。でなければ、彼女を通してDIOの恐ろしさを改めて思い知る事になるという。

(DIOは、残酷な人だ。誰も信じていないし、誰にも心を許さない……)

 勘違いしそうになるくらい、優しい言葉をかけてくるし、その言葉や声に安らぎを覚えるのだが、それは、『猛毒』だ。精神を蝕み、正常な判断を下せなくなる、所謂、カリスマってやつだ。

(こんな所でまた、DIOの凄さをまざまざと見せつけられてしまうんだね……)

 ふう、と幸子はこっそりため息をついた。

(……おっ)

 少し馬車の揺れが緩やかになったと思えば、とうとうカラチに到着したようだ。ガラガラと馬車をゆっくり進めながら街を進む。道中、ジョセフがふとケバブを売っている店を見つけた。

(ケバブって結構食べるとくせになるんだよね。お腹にもいっぱい溜まるし)

 ジョセフが店の男に値切りの交渉を始めた。それを残された四人は見守る。エンヤ婆を含めた6人分のケバブを買うために交渉し終え、漸く購入したジョセフは、馬車に戻ろうとした。しかし、彼はある一点を見つめて足を止めた。

「おいッ! みんな! その婆さん目を覚ましておるぞ!」

 幸子が隣に、他の三人が一斉に後ろのシートを振り返る。そこには、表情をこわばらせ、わなわなと震えるエンヤ婆の姿があった。

「わ、わしは! わしは何もしゃべっておらぬぞッ! な、なぜお前がわしの前にくる。このエンヤがDIO様のスタンドの秘密を喋るとでも思っていたのかッ!」
「えっ!?」

 ジョースター一行は、一斉に、エンヤ婆が凝視する方へと振り返った。するとそこには、先ほどのケバブ売りの男が腕組してたっている。男は、被っている帽子、そしてつけていたサングラスを取ると素顔を露わにした。瞬間、エンヤ婆の目や口、鼻からでろでろと触手のようなものが飛び出すではないか。

「DIO様は決して何者にも心を許していないということだ。口を封じさせて……いただきます。そして、幸子様を除くそこの四人、お命頂戴いたします」
「あ、あなたは……」
「館の外で会うのは初めてですね。お久しぶりです幸子様」

 男は、幸子が館で出会った事のある《スタンド使い》の一人だった。しかし、顔を見かけただけで、彼女は彼のスタンド能力をちっとも知らなかった。
 エンヤ婆は吐血する。あちこちから触手が飛び出してきて、ついに彼女は顔を己の血で真っ赤に染め上げてしまった。
 男は自己紹介を始めた。彼の名前はダン――『鋼入りのダン』という。スタンドは「恋人」のカードの暗示をもつ。

「『これ』スタンドじゃあない! 実体だっ、本物の動いている触手が出ているんだッ」

 幸子は顔を真っ青にして言う。彼女を助けようと時間を戻したが、触手の成長は一時的にしか留まらず、どんどんエンヤ婆の肉体を突き破って成長を続けて行った。

「あの方が、このわしにこのような事をするはずが……『肉の芽』をうえるはずが……DIO様はわしの生きがい、信頼し合っているっ……!」

 エンヤ婆の言葉に、ズキリと胸をえぐられるような感覚を覚える。彼女も、DIOを信頼していた。それなのに、今、肉の芽を植えられて死にかけているのだ。
 ポルナレフが触手を切断し、助けようとしたが、切られた触手は太陽光で溶けたものの、残りの部分はエンヤ婆の中で成長を続けていた。

「それはDIO様の『肉の芽』が成長したものだ。今このわたしがエンヤ婆の体内で成長させたのだ」

 ジョースター一行は言葉を失った。
 ついに、エンヤ婆は暴れる体力もつき、地に倒れる。彼女は、体をぶるぶると震わせた。心なしか、ぎょろりと大きな瞳は、泣いているように見える。
 ジョセフは、最後にエンヤ婆に「DIOのスタンド」を教えるよう諭す。期待し信頼を寄せていたがDIOという男がそんなものに値する奴ではないと分かっただろうと言い、自分はその彼を倒す使命があると述べ、彼はもう一度DIOのスタンド能力を教えるよう言った。

「DIO様は……」

 エンヤ婆は静かに言った。その場の全員が口を閉ざし、彼女の言葉を待つ。

「このわしを信頼してくれている……言えるか」

 そう言って、息を引き取った。エンヤ婆は、DIOからの信用を失う事こそが絶望だというように、彼に関する情報には硬く口を閉ざして死んでいったのだ。

(おそらくDIOは分かっていた。ジョースターさんのスタンド能力と、それをもつ彼の頭の回転の速さを……だから、頭の中を探られる前に、消したんだ。自分が不利になるのならば、部下の命までも簡単に切り捨てるなんて……)

 幸子はぶるりと体を震わせる。もし、自分が彼のスタンド能力を知っていたのならば、同じ目にあっていたかもしれない、と想像してしまったのだ。
 しん、と静まり返るその場に、ダンの笑い声が聞こえて来た。彼は呑気に茶なんてしばいてやがる。そんな彼を、一行は一斉に取り囲んだ。
 幸子とジョセフは黙っているが、その眼には怒りが現れている。

「俺はエンヤ婆に対しては妹ちの因縁もあって複雑な気分だが、てめーは殺す」

 ポルナレフは拳を構えて言った。

「5対1だが躊躇はしない、覚悟して貰おう」

 花京院は鋭い目で睨みながら静かに言う。

「立ちな」

 承太郎がドスのきいた声で言った。しかし、この一見不利な状況に立たされているにもかかわらず、ダンは平然とした顔でカップを置く。

「おいタコ! カッコつけて余裕こいたフリすんじゃねえ。てめーがかかってこなくてもやるぜ」
「どうぞ。だが君たちはこの『鋼入りのダン』に指一本触ることは出来ない」

 余裕綽々と言ってのけたダン。すると承太郎は次の瞬間、《星の白金》で彼の腹を思いっきりぶん殴った。勢いよくぶっ飛ぶダン。しかし同時に、何故かジョセフまでもが腹にダメージを受けてぶっ飛んだ。

「この馬鹿がっ……まだ説明は途中だ。もう少しで貴様は自分の祖父を殺すところだった。いいか……このわたしがエンヤ婆を殺すだけのために君らの前にこの私の顔を出すと思ったのか」

ダンは血反吐をペッと吐き出しながら言う。幸子はダンのことは構わずに、反射的にジョセフに《クリア・エンプティ》の能力をかけた。

「全く同じだ……《鋼入りのダン》と同じダメージを負っているっ、どうして……これが《恋人》の力なの!?」

 傷を治した幸子だから直ぐに分かった。ジョセフは、「鋼入りのダン」と同じ個所同じ程度のダメージを負っていた。

「もうすでに戦いは始まっているのですよ。ミスター・ジョースター」

 一行は、辺りを見渡し、彼の《スタンド》を探した。しかし、該当しうるものは見当たらなかった。

「愚か者どもが……探しても私の《スタンド》はすぐには見えはしないよ」

 ダンは立ち上がると、道を清掃していた少年を呼んだ。そしてなんと、彼に「金をやるからその箒で俺の脚を殴れ」と命令するではないか。少年は、一瞬戸惑ったものの、男の強い口調におされて箒の柄で強く男の脚を殴った。瞬間、ダンが殴られた足と同じようにジョセフの足に激痛が走った。

「気が付かなかったのか!? ジョセフ・ジョースター。私のスタンドは体内に入り込むスタンド! さっきエンヤ婆が死ぬ瞬間、耳から貴方の脳の奥に潜り込んでいったわ!」

 そもそも《スタンド》と「本体」は一心同体である。なので《スタンド》を傷つければ本体も傷つく。その逆も然り、「鋼入りのダン」を少しでも傷つければ、同時に脳内で彼のスタンドが彼の痛みや苦しみに反応して暴れるのだ。しかもたちの悪いことに、同じ場所を数倍の痛みにしてしまうのだそうだ。

「もう一度言う、貴様らはこの私に指一本触れる事は出来ぬ! しかも《恋人》はDIO様の肉の芽を持って入った。脳内で育てているぞ。エンヤ婆のように内面から食い破られて死ぬのだ!」

 ダンは、自分のスタンドのことをいやに語った。彼のスタンドはとても力が弱い。髪の毛一本動かす力さえもない。史上最弱のスタンドである、と。しかし、彼の持論はこうだった。人間を殺すのに力なんぞいらない、と。
 実際現在の状況がそうだった。力のないスタンドの所為で、ジョースター一行は今、彼に手も足も出ない。しかもたちの悪いことは、「鋼入りのダン」がもし、仮に、交通事故や偶然にも野球ボールが飛んで来たり、躓いて転んだりしても、ジョセフ自身の身には何倍もダメージとなって降りかかって来るのだ。そして、あと数10分すれば肉の芽がジョセフの身を食い破って殺す。

 承太郎は、肉親を人質に取られた怒りからか、「鋼入りのダン」に掴みかかる。彼の右腕はもうすでに固く拳が握られていた。慌てて花京院が割って入る。

「承太郎おちつけ! 馬鹿はよせッ!」
「いいや、こいつに痛みを感じる間を与えず、瞬間に殺して見せるぜ」

 幸子は、承太郎のセリフを聞いた途端、いつもの冷静な彼らしくないと思った。いくら最強クラスのスピードとパワー、そして機械以上の精密な動作が可能な《星の白金》でも、痛みを感じる前に相手の命を奪う事が可能かは保証できない。幸子の《クリア・エンプティ》が時間を戻すことのできるスタンドだとしても、死んだ人間の時間は、戻ってこないのだ。彼女だって、死ぬ直前に能力をかけられるかなんて、分からない。飛行機でのファインプレーは、あれは奇跡としか言いようがないのだ。
 焦っている。承太郎は、身内の命の危機に、焦っているのだ。

(聖子さんの時もそうだった……彼は、家族の命が危険にさらされる事を、嫌い、恐れているんだ……)

 優しいから、大切だから――承太郎の気持ちは、家族を皆殺しにされた幸子には、痛いほどよくわかる。
 今にも噴火しそうな承太郎を煽るように、「鋼入りのダン」は承太郎に絡む。なんてやつだ、と幸子は眉間に皺を寄せながら「鋼入りのダン」を凝視した。

「余りなめた態度とるんじゃあねーぜ。俺はやると言ったらやる男だぜ」

 承太郎は「鋼入りのダン」に掴みかかる。そのせいで、ジョセフの喉が圧迫された。
 花京院が、《法皇の緑》で《星の白金》の腕を精一杯押さえつける。彼自身も、承太郎の肩を掴んで懸命に、思いとどまるよう諭しながら押さえていた。

「此奴の能力は既に見ただろう! 自分の祖父を殺す気かッ!」
「ほ、本当にやりかねねー奴だからな」
「お願い空条くんッ、それだけはやめて!」

 遂にポルナレフと幸子まで加わり、承太郎を抑え込む。漸く思いとどまってくれた承太郎は、腕の力を緩める。そのことに、一気に気を大きくした「鋼入りのダン」は、持っていた岩を承太郎のみぞおちに叩き込んだ。

「承太郎ッ!」
「なんてことしてるの!?」
「おやおや、幸子様、そんなに怖い顔しないで下さいよ。折角の可憐な顔が台無しじゃあないですか」
「ふざけないでッ」

 女だからと甘く見られている幸子は怒りに肩を震わせる。彼女まで怒って「鋼入りのダン」に手を出しそうだと思ったポルナレフが慌てて彼女と彼の間に割って入った。

「俺をなめるな、貴様、ジョースターのじじいが死んだらその次は……貴様の脳に《恋人》を滑り込ませて殺す!」

 ダンは再び岩を振り上げ、蹲る承太郎の頭を狙ってソレを振り下ろした。承太郎は腕で咄嗟にガードをするも、ダメージは大きく、遂に手をついてしまった。皆が承太郎に慌てて駆け寄る。
 高笑いする「鋼入りのダン」、手も足も出ず悔しさに歯ぎしりする承太郎、孫が傷つけられ自分が助かっている状況に焦るジョセフ、傷を"戻す"事しかできず、状況は未だに変化しない事に地団太を踏みたくなる幸子。

「あ〜、そうか」

 幸子が傷を《スタンド》で治した所を見ていた「鋼入りのダン」は、ニヤリと笑う。そして、幸子に近づくと彼女の華奢な腕を掴み、引っ張り上げる。

「おい貴様! その手をはなせ!」
「……何か用ですか」

 ポルナレフが「鋼入りのダン」にかみつく。しかし、ジョセフが人質にされている今は、下手にダンを殴れなかった。一方で、幸子は静かな声で彼に問いかける。

「俺は《恋人》の能力のせいで、自分を傷つけなくちゃあいけない。しかし、貴方様の能力で"戻して"もらえればその弱点も克服できるってわけだ」

 ダンは更に彼女の腕を引いて自分に近づける。幸子は明らかに嫌そうな表情を浮かべて顔をのけぞらせた。物凄い拒絶の仕方である。

「わたしと貴方が組めば、最強ですよ」
「相棒をお探しなら他を当たってください」

 冷め切った、氷のように冷たい目で「鋼入りのダン」を見上げる幸子。そんな彼女の態度がしゃくだったのか、彼のこめかみが引くつく。いやに強気に出る幸子を見て、彼女の背後にいる男4人はごくりと生唾をのんだ。

「……ムッ」

 幸子とやり取りをやっている隙に、ジョセフとポルナレフ、花京院が、ダンに背を向けて走り出した。

「承太郎、ラッキー、ソイツをジョースターさんに近づけるなッ! そいつから出来るだけ遠く離れる!」

 どんな《スタンド》にも射程距離がある。それを超えれば自然と能力は影響を及ぼさなくなり、スタンドも消えてしまう。それを狙っての事だろう。

「しかし、物事というのは時に短所がすなわち長所になる。わたしのスタンド《恋人》は力が弱い分、一度体内に入ればどの《スタンド》より遠隔まで操作可能なのだ!」

 自信満々に言う「鋼入りのダン」。しかし、それを聞かされている二人はジョセフ達が去った方向を見つめたままで、聞いているのかいないのか分からない態度だった。それが気に食わなかったのか、ダンは承太郎に掴みかかる。お前らに話しているんだよ、と。そんな彼を幸子は一度見るも再び視線をそらした。

「こういう生意気な女を泣かせるのはさぞかし楽しいでしょうね」
「……貴方、だんだん品がなくなってますけど。キャラ崩壊?」
「おい承太郎! てめー何すました顔して視線さけてるんだよ、こっちを見ろ!」

 幸子に相手にされなかったからか、今度は承太郎に絡む。承太郎は、制服のエリを掴む「鋼入りのダン」の手を見下ろしつつため息交じりに言う。

「てめー、だんだん品が悪くなってきたな」
「貴様、ジョセフが死ぬまでわたしに付きまとうつもりか?」
「ダンとか言ったか、このツケは必ず払ってもらうぜ」
「ククク、そういうつもりで付きまとうならもっと借りとくとするか」

 ダンはそういって、承太郎のポケットから財布、そして腕から時計を奪った。


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