世界よ、逆流しろ


15-2



 一方、男衆の四人とはいうと――ジョセフがジープと間違えて柵に飛び込んだのを見て承太郎が呆れながら「アホか」と言っていた。ついに此奴も歳かと思いながら辺りを見渡す。霧が、だいぶ濃くなってきている。

(……?)

 そういえば、ジョセフが危ない目にあったりドジをしたときに、真っ先に駆け寄る奴がいない。承太郎は、真っ赤なリボンをした幸子の姿を探す。しかし、そこにはむさ苦しい男たちしかいなかった。
 アイツ、あれほど言ったのに遂に迷子になりやがった。迷子になりかけると直ぐにぐずる癖に、何故彼女は毎度毎度ぼけっとしておいて行かれそうになるのだろうか。そこんところ、よくわからない。

「やれやれだぜ」

 今頃半べそをかいているんじゃあないかと思われる幸子。この濃い霧で下手に動いても仲間とはぐれるだけなのは分かる。適当に大声を張り上げりゃ気づくだろうか。何せ、彼女は大きな音に敏感だ。臆病だから。
 仕方ない、ここはひとつ、一肌脱いでやろうじゃあないか――そう思って承太郎が息を大きく吸おうとした、その時だった。ふと、霧の向こうからトコトコと歩いてくる影が見えた。幸子だろうか、と承太郎は視線を投げる。しかし、現れたのは、小さな小さなおばあさんであった。
 彼女は、穏やかな笑みを浮かべてペコッと頭を下げる。男四人衆も頭を下げた。
 どうやら、彼女は宿を経営しているようだった。霧が濃くて事故も多いので、今夜はうちに止まって行かないかと提案してきた。漸くまともな会話のできる人間に会えた事を喜ぶポルナレフ。

「おい婆さん、俺たちの他にもう一人旅行客が居たはずなんだが、見なかったかい? 黒髪の長髪に赤くてでけーリボンを付けた女なんだがよ」
「ああ、その方でしたら、つい先ほど、霧の中で迷っている所をわたしの宿で保護しましたぞ。随分お疲れのようじゃったので、個室で暫く休ませておりますじゃ」

 承太郎の問いに、老婆はそう答えた。どうやら、老婆の宿に幸子は今部屋を与えられて休んでいるらしい。老婆は、彼女から他の四人の仲間が濃い霧の所為で困っているかもしれないから、宿に呼んできてくれないかと頼まれたようだった。
 暫くして、警察が現れ、男の遺体を運んでいく。その警察官たちの顔色や表情も、どことなく生気を感じないし、住民たちの様子もおかしい、と考える一行。
 濃い霧は敵にとって奇襲をかけるチャンスになる。今夜は油断禁物である。気が休まらないだろう。
 ふと承太郎は町に入る前に幸子が言っていた事を思い出した。

 ――両手が右手の人はもう一人いる――
 ――おばあさんだ――
 ――顔はよく覚えているよ――

「……まさか、な……」

 丁度老婆の左手には、すっぽりと覆い隠すように包帯が巻かれていた。それで、彼女の発言を思い出したのだろう。

「ささ! ジョースター様あれが私のホテルですじゃ」

 老婆に連れられて移動を始めるジョースター一行。しかし、承太郎は目ざとく老婆の発言を指摘した。

「待ちな婆さん、あんた……今ジョースターという名を呼んだが」
「っ!」
「何故その名が分かった?」

 びくっと小さな彼女の肩が震える。彼女は妙な間をおいてから、にこっとした顔で振り返り、ポルナレフを指して、そちらのお方がジョースターと呼んだのだと言った。しかし、承太郎の鋭い目はじっと老婆を観察するように光る。

(……ラッキーに聞いた、とかじゃあねーんだな)

 承太郎は、ふんと鼻を鳴らしてから両手をポケットに入れる。
 一行は、止まる場所が宿しかないので、老婆について行くことになったのだった。


 * * *


 ――幸子――

 暗闇の中、声が聞こえた。私の名を呼ぶ声だ。その声に、どうしてか胸を切なく締め付けられる。

 ――待ち草臥れたぞ――

 嗚呼、" 彼 "の声だ。

 ――早く会いたいぞ幸子――

 私も、会いたいよ。

 ――もうじき会える――

 ううん、まだまだ遥か遠くに貴方はいるよ。私は、決して貴方の部下に連れていかれて会う訳にはいかないの。

 ――それは何故だい、幸子――

 だって私はまだあなたの事を許していないもの。貴方がやった取り返しのつかない事は、私にとってとてもとても悲しかった事だもの。だから、貴方の思う通りにはならないって、決めたの。

 ――ならば私を殺しにくるか――

 どうしてそうなるの。

 ――承太郎達の目的がそうだからだ――

 確かに、聖子さんを助けるための旅に出ているけれど。

 ――奴らと共に来るという事は君もそうなんだろう?――

 違う、私は、私は、貴方を殺そうなんて……。

 ――甘い、甘いぞ幸子――

 違うって否定していると、" 彼 "は苦笑交じりに行った。

 ――所詮ジョースター家と私は相容れぬ存在――
 ――奴らが正義というのなら、私は悪そのものだ――
 ――白黒はっきり決着をつけねばならん――
 ――それが運命よ――

 私は何も言えなくなった。そして、ふと、館を出る前にした彼との会話の中の、あるフレーズを思い出した。『初めから持っていない人間』……今、貴方がどんな人間からも何もかもを奪おうとするのは、貴方が生まれた時に『何も持っていなかった』からなの?
 貴方は変わることは、出来ないの?
 こんなことを考える私は――ただの甘ったれなのかな。

《ねえ" DIO "――私、私ね》

 蘇るのは、初めて会った時に"助けられた"場面、月を背にした貴方に抱えられていた場面、館に入る直前に私を受け入れると諭した場面、たくさんお喋りした、意見も交換しあった、からかわれたり、反発したりした場面――

《貴方の事、好きだったみたい》

 "好き"――この気持ちが一番しっくりくる。そう、私、憎むべき貴方を、好きになってしまっていたの。馬鹿だよね。
 でも……もう終わりにする。この気持ちは、捨てる。そして、貴方がやろうとしている野望を、止めたい。

 ――そうか、ならば来るがいい――
 ――私の前に君が立った時、その時が君が人間として生きる最後の瞬間になるだろう――

 その言葉を最後に、何も聞こえなくなった。真っ暗で、寂しい空間に、一人ぼっちだった。
 怖い、けど、何故か前に進まなくてはという使命感に駆られる。
 自分の体がどうなっているのかも分からずに、私はひたすら"歩いて"いた。前に進んでいるのか下がっているのか前後不覚になりつつも、"こっちだ"とよくわからない確信をもって、私は突き進む。
 そうしていると、ふと前方に小さくても眩い光を放つ星が見えた。それに向かっていけば、光はだんだんと強くなっていく。いつの間にか、私を飲み込む程のものになっていて、思わず瞑目する。

 ――ありがとう――

 光に飲み込まれる直前、彼とは違った優しい声が聞こえた気がした。


 * * *


「……うっ」

 幸子は、見知らぬ部屋で目を覚ました。手足を縛られて、ベッドに寝かされていた。
 確か自分はジョセフ達と霧の中ではぐれてしまい、ジョセフの声を頼りに駆け寄ろうとしたところを、誰かに薬で眠らされたのだと思い出す。

「ま、さか……新手のすあんどすかい……」

 はた、と幸子は自分の異常事態に気づく。舌がうまく回らないのだ。舌だけじゃない、体もうまく動かせない。

(もしかして、身体を麻痺させる毒を盛られたのかも……っ)

 かろうじて動く手足を何とか使い、ベッドの上を転がるようにして移動する。どすん、と音を立てて彼女はベッドから床に落ちた。余り痛みを感じなかったのは、神経まで麻痺しているからだろう。

(クリア・エンプティ……!)

 自分の《スタンド》をだし、そして引っ張ってもらう。彼女の《スタンド》はパワーはないものの、ギリギリ、女性の体を引っ張るくらいの力はあるのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 なんとか部屋の扉まで近づけた幸子。しかし、ここからもまた難関が待ち構えていた。ドアノブを回せないのだ。

(ああもうっ、手足はきつく縛られてるし、縄を切る物も見当たらないし……どうしよう)

 承太郎の《星の白金》のように、ドアをぶち破る――寧ろ本体が蹴破る――事だって出来ないし、早速行き詰まってしまった。《クリア・エンプティ》では、縄を解くことすらできないのである。


「あきらめる、もんかっ……」

 ガチャガチャと、《スタンド》でとにかくドアノブをいじる。鍵がかかっているが、物が古いので、適当にやって開かないかなぁ、なんて思っての行動だ。

「だめかー……」

 開かなかった。
 今度は、扉の外を《スタンド》ですり抜けて様子を見る事にした。暗い廊下が続いている。

(誰かいないのかな……誰かっ……)

 仲間の誰か一人でいい。連れてくる事さえできれば――そう思っていると、ふと、《スタンド》の背後になにか立たれた気配がした。いるだけで、相当な存在感を放っている。

(どうしよう、敵!?)

 敵ならばまず間違いなく《クリア・エンプティ》単体では敵わない。時を止めて一時退散するかと思いつつゆっくりと恐る恐る振り返る。すると、そこには――

「お前……」

 凄まじい威圧感を放つ空条承太郎が仁王立ちでそこにいた。

「本体はどこに……」
「ひっ、ひえええええっ!?」
「おい、落ち着け!」
「わわわ、くっ空条くっ……おおお驚かさないでよ!」
「……――やれやれだぜ」

 承太郎が怖かったのか、仲間と認識する前にびっくりして震え上がる幸子。その後、我に返った彼女は、今度は承太郎に文句をたれる始末。通常運転な彼女に、彼は半ばあきれるように、いつもの口癖を呟いた。

「で、本体はどこにいるんだ」
「あっ、いま縛られて動けないんだ――こっち!」

 幸子は《クリア・エンプティ》で承太郎を自分が閉じ込められている所まで案内した。

「ここか」

 承太郎は扉の前に立つ。ドアをすり抜けて入っていった《クリア・エンプティ》の後を追うには、目の前にある扉を突破しなければならない。
 彼は一度ドアノブを回す。鍵がかかっていた。

「おい、扉から離れとけよ」
「う、ん」

 扉越しにくぐもった弱弱しい声が聞こえて来た。本体の方は相当キているらしい。
 承太郎は、幸子の「いいよ」という声を確かに聞いてから、長い脚で思い切り扉を蹴飛ばした。
 バンッ、と勢いよく開く扉。ビィインと余波で振動する。

「くうじょうくん……」

 扉のすぐ横の壁に寄り掛かるようにして座り込む幸子が、承太郎を眩しそうに見上げながら彼の名を呼んだ。承太郎は彼女の後ろに屈み、手足を縛る縄を解き始めた。

「何とか無事みてーだな」
「は、ははは……なんとか……痺れ薬か何か飲まされたみたいで、全然動けなかったんだよね」
「動けたとしてもおめーにこの扉は破れなかっただろ」
「……おっしゃる通りです」

 解き終わると、幸子は承太郎が怪我をしていないかサッと視線を走らせる。そして、彼の脚に行き着いた。

「君、足怪我して……」
「これくらい何ともねーよ。それにもう、だいぶ時間が経ってるオメーの力の域はとっくにこえてらー」
「……面目ないです」
「……」

 ずーんと落ち込む幸子。頭を垂れる彼女に、承太郎は一度ため息をついたのち、童子をあやすかのようにぐりぐりと彼女の頭を乱暴に撫でた。

「わ、ちょ、ちょっと……!」

 彼は何も言わないが、気にするな、と言う事なのだろう。幸子も、旅をしてきて何となく彼が言わんとしている事を察することが出来るようになってきた。

「私、一体誰に捕まってた? みんなとはぐれた所に背後から飛びつかれて眠らされたのは覚えてるんだけど」
「おめーの言ってた《エンヤ》っていう婆さんだ」
「ワオ、タイムリーな人だね」
「厄介な《スタンド》を持つ婆さんだったぜ」

 疲れたように承太郎はため息をついた。彼の話からするに、もうすでに《エンヤ婆》は倒されてしまったようだ。今は、仲間全員で幸子を探していたらしい。彼女は彼から《ホル・ホース》もいると聞く。瞬間、殺されたアヴドゥルの顔が浮かんだ。
 ホル・ホースは、彼女たちが乗ってきたジープを奪って逃走したらしい。なんというやつである。

(やっぱり空条君は凄いや……私も見習わないと……)

 どんなピンチも己の《スタンド能力》と自身の知恵で切り抜ける承太郎に、憧れを抱く幸子。

「――っと、詳しい話はまた後にするぜ。今はここを出なくちゃあなぁ」
「うん」

 承太郎はすっくと立ち上がる。幸子も痺れはだいぶ弱まって来ただろうと思い、壁に手をついて立ち上がろうとした――が、やっぱり足に力が入らない。

「……空条君」
「……やれやれだぜ」

 ヘルプを呼んだ。彼に引っ張ってもらおうと、幸子は彼の名を呼ぶ。彼女の言わんとしていることが分かったのか、承太郎はため息交じりに口癖を呟くと幸子の近くに屈んだ。彼の手を借りようとした、が、何故か彼女の上げた手はスルーされる。
 あれ、と思ったときには既に、彼女の視界はだいぶ見晴らしがよいものになっていた。

「……ほっ?」
「これでいいか?」
「......What is happening?(何が起こってるの?)」

 幸子がちょっと視線をあげれば、いつもならだいぶ距離がある承太郎の顔が、すぐ目の前にあった。ふわりと煙草のにおいが鼻孔をくすぐり、彼のイイ声が直ぐ近くで聞こえてくる。
 自分の足裏が地面についていないし、肩は逞しい腕に包まれて、ひざ裏もきちんと支えられていた。ふむ、これは、そう、俗にいう――

「な、な、な……」
「ジジイにもされてたのに今更赤くなることかよ」
「経験の問題じゃあない! される方は凄く恥ずかしいんだってっ……と、いうか手を引いてくれればそれで」
「ちんたらしてたら日が暮れる」
「はいゴメンナサイ」

 つまり面倒になったという事である。力のある承太郎ならば、幸子に合わせて引いて歩くよりもちゃっちゃと運んでいった方が早いという事なのだろう。

「あー、うー」
「鬱陶しいぜ、静かに運ばれてろ」
「……じゃ、じゃあみんなのところに着く前に下ろしてね」
「それまでに自分で歩けるようになったらな」
「……オー、ノー……」

 幸子は耳まで真っ赤にした顔を両手で覆った。承太郎はいつものような愛想のない顔で、彼女を所謂《お姫様抱っこ》というやつで運んでいたが、彼女を運んできた彼を見たジョセフは、やけに機嫌が良いなと思ったんだそうだ。


.

戻る 進む
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -