世界よ、逆流しろ


14-4



 圧迫で体中の骨と臓器が悲鳴を上げる。気力も限界で、意識が遠のいて行く。そんな絶望的な状況で、何故だか彼女の心は恐怖を抱いていなかった。アドレナリン――所謂『交感神経が興奮している状態』――による恐怖心の麻痺か、はたまた別の要因か。彼女の鈍ってゆく意識では原因を探ることはおろか、思考することすらままならない。
 ただただ、負けん気だけで意識を繋いでいるに過ぎない。

「テメーに残されたのは俺様に辱められた後DIO様に差し出される『道』しか残されていねーんだよ」

 彼女を面白がるカイムは、下卑た笑みを浮かべて幸子の服を引き千切ろうと手を伸ばす。幸子はここで初めて悔しさに歯ぎしりした――その時だった。

「オラァッ!!」
「へぶぁ!?」

 カイムの横っ面に強烈な一発を叩き込んだ拳は、武骨で大きな手であった。見上げれば、泥まみれだが見覚えのある学生服のズボン、それを纏うのはすらっとした長い脚、逞しい胸板を持ち、巨人と見紛うような大きさと威圧感を備える、粋な学生帽を被った男――

「くっじょぅ……く、ん」
「……」

 霞む視界でなんとかその男を『空条承太郎』だと認識できた。彼は、うつ伏せで倒れる幸子を抱き起す。

「ご、め、学ラン、燃やし、ちゃ――」

 はくはくと弱弱しく呼吸しながら語る彼女の口を大きな手で覆い塞ぐ。落ち着け、ということなのだろう。

「……なかなかガッツを見せるじゃあねーか、ラッキー」
「……へへっ」

 無理にしゃべる事をしないと判断した承太郎は、労わるように幸子の額を撫でる。鼻と一緒に打ち付けたのか、少々赤く腫れていた。

「て、めぇ……なぜ」
「どうやったのかは知らねえが、ラッキーがてめぇから奪ったロープを車にくくりつけて俺達の方へ伸ばしておいたのさ。俺達はロープにつかまってりゃ自動的にてめえらが勝手に引き上げてくれるって戦法よ」

 鼻から血を垂らしながら、カイムが尋ねると、承太郎は幸子から目を逸らす事も顔を上げる事もなく語った。
 幸子は、ゆっくりと体を起こして、承太郎に手を借りつつ起き上がる。

「大丈夫なのか」
「うん、ちょっと休んだから、平気。身体より顔の方が酷いかも」
「だな」
「そこはオブラートに包みながら遠回しに肯定してよ」
「めんどくせぇ」

 苦笑を浮かべれば、学ランをなくしてシャツ一枚になった承太郎がそっぽを向きながら帽子の鍔を下げる。

「くそ、くそ! てめ〜らぁ〜〜っ、よくもぉ、よくもぉ」
「……ところで、おめえさっき『道』がないとかなんとか言ってたなあ」

 あ、聞いてたんだ。幸子は思った。
 承太郎は、ふらつく幸子の肩を抱いて、鋭い眼光をカイムに向ける。

「違うね……『道』というものは自分で切り開くものだ」

 次に、彼はニヤリと笑った。

「――ということで一つ、この空条承太郎が実際に、手本を見せてやるぜ。道を切り開くところのな」

 承太郎は《星の白金》を出すと仁王立ちで構えた。カイムは《ブラウン・マッド》で防御しようとしたが、なんと、彼の《ブラウン・マッド》は干からびてパサパサになっており、動きが鈍っているだけでなく防御壁としての機能すら失っていたのである。

「ラッキーを追うのに必死で気が付かなかった様だな……コイツがてめーの《スタンド》を干からびさせて使いモンにならねーようにする体を張った作戦をッ!」

 そう、幸子はわざわざ走ってここまで来たのは、乾燥した風の強いこの場所で《ブラウン・マッド》を文字通り干からびさせる為。実体をもつ《スタンド》であるからこその作戦だった。

「オラオラオラオラオラオラオラ――ッ!!」

 《星の白金》が放つ両手での高速ラッシュがカイムと《ブラウン・マッド》をぶっ飛ばす。《スタンド》は勢いを殺す弾性力がないため粉々に打ち砕かれ、カイムは燃え盛る車へと突っ込んで行った。すると、どうだろう。運転席のドアがぶち破られ、勢いが死なぬまま助手席、その扉までも破壊して、見事に車体を貫通させてしまったのだった。目を回すカイムと、少々髪の毛が黒焦げになっているが生きている《運命の車輪》の本体である《スタンド使い》。

「――と、こうやるんだぜ。これで貴様らがすっとんだ後に文字通り『道』が出来たようで、よかったよかった」


 * * *


 それぞれの《スタンド使い》を見れば、なんとまあ奇妙な体躯をしていた。
 《運命の車輪》の本体は、もりもりで立派なのは車の窓から出ていた腕だけであとは随分と貧弱な体格をしている。
 一方、カイムの方は彼とは正反対で、腕以外がもりもりで立派なのである。みごとなハッタリコンビである。
 ジョースター一行は、余りにも哀れな二人に笑いがこみあげてくるしかなかった。それは、ハッタリに引っかかってしまっていた自分たちを笑ってなのか、はたまた今更許してくれと乞うバカな二人の姿の所為か。
 幸子は、ランクルのシートの上に座って頬に氷袋を当てて冷やしながら一行の様子を見守っていた。時折、彼らにつられて笑っては頬の痛みに顔を歪めている。

(ジョースターさん達が駆け付けたときは、本当に大変だったなぁ)

 ボロボロになった幸子――特に顔――を見たジョースターはまず発狂して彼女に詰め寄り、肩をぐわんぐわん揺すりながら「嫁入り前の娘の顔が!」「何故あんな無茶をしたんじゃぁ〜〜っ」「心臓に悪いわい」と叫んだ。花京院とポルナレフによって引っぺがされ、落ち着くように諭されたが暫くは収まることがなかった。
 花京院からは、「確かにあの状況じゃ無茶するなと言う方が無理な話だが、矛盾するようだけれど無茶は止めてくれ、心臓に悪い」と説教された。今後もしばらくはこの話でくどくど怒られそうである。
 ポルナレフからは、「俺の足がっ!」と擦り傷だらけになってしまった足を見て叫ばれた。てめーの足じゃあねえ。
 カイムは承太郎にフルぼっこにされ、戦闘不能。《運命の車輪》の《スタンド使い》は修行僧であるから神聖なる荒行を邪魔しないよう、という旨の書かれた看板を立て、岩に鎖でくくりつけてしまった。念のために二人の旅行パスポートを拝借しておく。
 ランクルは、幸子の《クリア・エンプティ》が《運命の車輪》に車が吹っ飛ばされた後コッソリ直しておいたので問題なく稼働できる。ただ、少々時間がずれてしまっていたのか、微妙に歪な形をしている。次の街にはぎりぎり何とかなりそう、と言ったところだろう。


 無事、再びエジプトへと出発することが出来た一行は、次の街で家出少女のホンコン行き飛行機を手配した。その後、ボロボロになったランクルを捨てて別の車を購入する。
 幸子は、夢で見たDIOの言葉を思い出して、茶色のタイツを4本ほど購入した。さっそく一本履くと花京院は「その方が良いね」と大きく頷く。しかし、ポルナレフは「生脚が良かった!」とおおいに嘆いた。てめーの為に出している訳ではない。

「ところで、ラッキー。あの時どーやって《運命の車輪》達を出しぬいたのじゃ? わしはそこらへんがちっとも分からん」
「ああ……」

 宿泊ホテルの一室で、一つの机を家出少女を除く全員でグルリと囲みながら、ジョースターは幸子に質問を投げかけた。承太郎、花京院、ポルナレフも気になっていた事だ。

「わたしの《クリア・エンプティ》の能力は《対象》の《時間》を元に戻すことです。戻すスピードも自分で調節できることはみなさんご存じですよね?」

 確認するように問うと、皆一斉に頷いた。

「じゃあ、《時間》の《流れ》と同様のスピードで時間を《戻す》と、どうなりますか?」

 直ぐに答えは出さずに、ちょっと悪戯っぽく問いかける。すると、ポルナレフ以外全員がハッと何かに気が付く。

「時が、止まる……!」
「ハァ? なんで?」

 花京院の回答に、ポルナレフは意味不明だ、と肩を竦める。

「ベクトルで考えてみてくれ。ちなみに前と後ろしか方向のない一次元。プラスに進む方が通常の時間の進む方向。対してラッキーが戻す方向をマイナスとして、スピードをベクトルの大きさだとし、僕らの《現在》を始点だとすると丁度プラマイ零になる」
「あ〜〜? お〜〜?」
「ようは、進む力と戻す力が拮抗している時、てめえの身体は動かないだろ。それと同じだ」
「あ〜! なるほど! 流石承太郎! 花京院、お前の説明はちとゴチャゴチャしすぎて分かりにくいぜぇ〜〜」
「……」
「だっ大丈夫、すっごく分かり易かったよっ。ポルナレフが馬鹿だっただけだって! だから落ち込まないで?」
「ああ、そうだね。ポルナレフが想像以上に阿呆だったから」
「おいっ! そこの二人! 好き勝手言いやがって、ふざけんな!」

 ぎゃーぎゃー煩いポルナレフを放って置き、幸子と花京院はルームサービスで取り寄せたジュースで喉を潤す。承太郎は雑誌を読んで寛ぎ始めた。ジョセフは、まだまだ青い若者たちを見て「若いのぉ」と微笑ましげに笑った。

(実は、ポルナレフを助けた時に既に使えるようになってたけど今まで伝え忘れてましたとか、言えない……)

 ジュースを飲みながら、こっそり幸子は思う。うっかり伝え忘れていたことを知られてしまえば、承太郎あたりに再びからかわれるだろうと思っていたからだ。わざわざエサを自ら与えに行くバカではない。

(頬のアザ、目立つから早く治って欲しいなぁ)

 湿布の上から頬を撫でる。鈍い痛みの所為で眉間に皺をよらせると、そこを突く指。びっくりして視線だけを上げると承太郎が居て彼女を上から見下ろしていた。学ランを羽織っていない彼は結構珍しい。

「冴えない顔が更に冴えなくなるぞ」
「それはマズイね」

 承太郎の指摘にキリッとした顔で真面目に答えると、二人以外の一同が一斉に噴き出したのだった。


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