世界よ、逆流しろ


14-3



 岩の上に上り、高い場所を目指すジョースター一行。地上で大きな車に追いかけられれば上を目指すのは当然の逃走経路である。しかし、ソレが故に、敵に予測されやすいということを、逃げるのに必死だった彼らは気づかなかった。彼らの向かう場所を予想して、罠を張っている可能性が高い、ということを――
 岩を登り切ったジョースター一行。下を見下ろせば《運命の車輪》がいた。一先ず逃げ切れた、と思いきや車体は再びみるみる変形してゆき、車にスパイクが生えた。鋭利なスパイクを岩肌に食い込ませて、信じられない馬力により強引に上ってくる。バカみたいだが、恐怖を与えるには効果抜群なメチャクチャな戦法に一行は息をのんだ。

(なにか、なにか考えなければっ……)

 殺し合いはおろか殴り合いの喧嘩だった未経験な幸子は、上手く回転しない思考で精いっぱい考える。だからこそ、彼女は気が付かなかった。いや、《運命の車輪》に気を取られて足元をおろそかにしていたジョースターたちも、ゆっくり忍び寄る陰に気が付かなかった。

「っ!」

 突如、一行の足元が消えた。実際には、固い地面が突如、スライムのようにどろどろでタコの足の吸盤のように吸い付いてくる《沼》に変わったことによる錯覚であった。

「な、なんだこれは!?」
「固い地面が底なし沼に変わった、だと!?」
「これも《運命の車輪》の能力だってーのか!?」

 ジョセフ、花京院、ポルナレフが口ぐちに叫ぶ。幸子は沼に溺れてあっぷあっぷしている家出少女の腰を掴み上げて懸命に沼になっていない所へ上げようとしていた。関係のない少女を巻き込んで死なせるわけにはいかない、という責任からだろう。
 承太郎は、一人当たりを鋭い目で見渡すと、静かに言う。

「《運命の車輪》の他に、《スタンド使い》がもう一人いる可能性が高い」
「その通り!」

 承太郎の言葉に、嬉々とした声音で答えた者の姿はない。しかし《運命の車輪》の本体とは別の声が肯定したことから、承太郎の仮説が正しかったことが分かる。

「俺様の《スタンド》は《ブラウン・マッド》。タロットによる暗示はないが《運命の車輪》の相棒として、幸子様の身柄とお前らジョースターの命を頂戴しにきてやったぜぇ」
「わっ!?」

 幸子は、突如として襲ってきた浮遊感に目を白黒させた。足元を見れば泥まみれだがしっかりと己の足がつま先まで見えた。手には家出少女の手が握られており、彼女は自力で沼を抜け出していた。実に逞しい女の子だ。
 一方、幸子は己の腹に妙な圧迫感を覚える。みてみると、ひょろひょろな腕が見えた。え、こんな腕に支えられているの、と驚くと次にはムキムキな足が見えた。なんだこのアンバランス。
 男は、カウボーイな恰好をしていた。ホル・ホースのようだと一瞬脳裏を過る。しかし、彼と少し違うのは腰にロープを吊るしている所だろう。馬に乗って男が縄をぶん回しているのを想像する。……シュールだ。特にひょろい腕が。
 いつの間にか《運命の車輪》が崖を上りきっており、屈強な腕を窓から出して待機していた。恐らく、あの車に乗せられて幸子はDIOのもとへと届けられるのだろう。あの、闇一色の空間に、再び閉じ込められるために。
 ――冗談じゃあない!
 幸子はDIOを目指して旅をしているが、彼の腕の中に再び捕まろうなど微塵も思っていない。

「テメーは《ブラウン・マッド》の本体か」
「ご名答。沼に嵌った貴様らはもう助からない。だからこうして冥土の土産にでも俺様の顔を拝んでおくんだな。テメーらを一網打尽にして無事DIO様に幸子様を届けた男の顔だ」

 男は、幸子の頬を撫でながら承太郎の問いに答えた。幸子は煩わしそうに男の手を振り払ったがそれで気を悪くする様子もなく、彼は続けた。

「ジョースター一行は間もなく沼に飲み込まれて窒息死だ。おっと、俺様が去って射程距離の関係で能力が解かれるまで耐えようだなんて思わない方がいいぜぇ? 射程距離は短いから直ぐに解かれる事になるだろうが、沼が消えてもお前らが地面に埋められたことには変わらねえ。そのうち、圧迫死さ!」

 男は饒舌に語った。

「幸子様にどうにかしてもらおうなんて無理な状況で、この戦況をひっくり返すなんたぁ俺達が任務に失敗するくらい、ありえねえ話だ」
「おいカイム! 早くしろ!」
「へいへい」

 カイム、と男は呼ばれた。男の名前だろう。カイムは、幸子の頬を再びスルリと撫で、彼女の耳元で囁く。無力な自分と運命を恨むんだなお嬢様、と。
 ぷっつん……。幸子の中で何かが切れた。彼女は海の様な青い瞳を据わらせると、カイムを見上げた。彼女の纏う雰囲気が変化したことに気付いた一行とカイムはギョッとする。

「そういう事は……」

 幸子は華奢な白い手で男の武骨な小指を握った。

「わたしを、DIOの前に差し出してから言いなさい!」
「ギニャァアアア――――ッ!?」

 言うや否や、彼女はカイムの小指を普通ならば曲がらない方向へと根元から思いっきり捻った。ぼき、という音と共に男の小指が不自然な方向へ曲がる。激痛に悶絶するカイムの腕からスルリと抜け出して、彼女は足を引っ掛けると彼を転倒させた。鮮やかな足払いである。

「《クリア・エンプティ》!」

 自身の《スタンド》を出すと走り出す。迷いなく、確かな足取りで、青い瞳に闘志を灯し、全力で走った。

「このアマァ!」
「追いかけるぞ! 乗れ!」

 後を慌てて《運命の車輪》の本体とカイムが追う。
 幸子は、恐怖で躊躇う素振りもなく、岩を勢いよく飛び降りる。それを見た家出少女が悲鳴を上げ、花京院が「無茶な!」と叫ぶ。

「ぐっ」

 落ちた彼女は骨折したが、《クリア・エンプティ》の能力により直ぐに元通りに戻す。再び走り出した彼女を、《運命の車輪》が追う。

「バカめ、人間と車じゃスピードが違うんだよスピードが!」

 カイムが高らかに笑う。しかし、直ぐに終わると思われていた鬼ごっこは数分にして違和感に気付いた彼らによって戦況が怪しくなってゆく。そう、いくら走っても何故だか幸子に追いつけないのである。普通ならばもうとっくに追い越していてもいいくらいだ。だのに追いつくどころか遠ざかっているように感じる。

「どうやっているのかは知らんが、ジョースター一行は全滅だ。今度はあのアマに俺様の《ブラウン・マッド》を仕掛けてやる!」

 カイムは《ブラウン・マッド》を出して、幸子を沼にはめる準備を始める。《運命の車輪》の上に出た《ブラウン・マッド》は泥団子のような見た目であった。
 びゅうびゅう、と強い風が吹きつける。

「とうとう追い詰めたぞ」

 気づけば、幸子は一行が乗っていた4輪駆動の車まで戻って来ていた。崖のとこまで追い詰められている。それでも、彼女の瞳は恐怖で濡れることも身体を震わせることなく、毅然とした態度で仁王立ちしていた。そのことが気にくわなかったカイムは舌打ちする。そして《ブラウン・マッド》を《運命の車輪》から下ろすと、彼女に向けて放つ。

「底なし沼の恐怖に慄け!」

 しかし、幸子は悲鳴を上げることはせずにニヤリ、と不敵に微笑んだ。瞬間、大きな岩が《運命の車輪》目がけて落ちてきたではないか! 幸い後部座席であったため、後ろの方がぺしゃんこになるくらいで乗り手に被害はない。
 更に、駆けだした彼女は二人の乗る車に向かってなにか黒い大きな物を投げた。それは大きく広がって車体に張り付いた。真っ暗になった視界の端で、シュボッ、とその手の人間ならば馴染みのある音が聞こえる。

「《運命の車輪》によって放たれた空条くんたちの体を抉ったものって、ガソリンでしょう?」

 傷を治したときに、変なにおいが取れなくて吃驚したんです。そう穏やかな声音で言う幸子。

「どうやら、私の認識していないものは能力適応外ようなので、服に染みついたガソリンまでは戻せなかったようなんです……ですが、こうやって使えば問題ないですよね」

 幸子が持っていたのは、なんとライターだった。しかも承太郎が愛用しているものだ。いつの間にくすねてきたのだろうか。彼女はライターを服の端に近づける。すると、たっぷりガソリンを吸った服はみるみる燃え上がる。その下の車のボディと共に。

「《ブラウン・マッド》! 俺様を守れ!」

 慌てたカイムは相棒を残して己の《スタンド》で脱出した。何と白状な男だろう。仲間を見殺しにする気なのか。

(まずい、運転手が死んじゃう!)

 てっきりカイムが自分の身だけでなく相棒も助けると思っていたために、幸子は慌てて燃え盛る炎の渦へと駆け出す。しかし、そこへ《ブラウン・マッド》が立ちはだかった。退くように叫んでも、怒りで我を忘れた彼はただただ、幸子をイタぶることしか考えられなかった。

「そこを退いて! 早くしないと貴方の相棒がッ」
「うるせぇーっこのアマが! テメー、覚悟しろよ。これからとっちめて、DIO様のもとへ連れていく前に泣かせてやるッ」

 カイムはニタリ、と下卑た笑みを浮かべた。

「足腰たたねーくらいにな! 胸はないが足と腰のラインは好みだからよォ〜〜……」

 呼吸を荒くして、口からだらしなくダラダラと唾液をしたたらせ、スカートから伸びる幸子の白い脚を視線で舐めるように見る。明らかに情欲の熱がこもった目をしていたので、汚らわしい、と幸子は眉間に皺を寄せる。
 相棒を助けもせず、自身の欲望に忠実なカイムの姿に嫌悪を露わにした彼女は、なにがなんでも目の前の男に捕まるわけにはいかない、と後ずさる。しかし、いくら《クリア・エンプティ》を出していようとも、男の《ブラウン・マッド》の方がパワーも能力も上で勝てるわけがなかったのだ。
 油断していた背後から《クリア・エンプティ》共々圧し掛かられ、幸子は地面に叩きつけられる。

「おもいっきり可愛がってやるから、覚悟しろよぉ……」
「貴方ッ、仲間も助けずに、最低よッ!」
「何とでも言えメス豚がァ――ッ!」
「ぐっ」

 頬を思いきり蹴とばされる。《スタンド》を押さえつけられているので、能力は使えず、ジンジンと痛む頬を彼女はそのままにする他なかった。
 抵抗できない幸子に、カイムは気をよくしたのか、鼻息荒くしながら屈むと彼女の髪の毛を乱暴に鷲掴み顔を上げさせる。男の力で蹴られた彼女の頬は青痣になっていた。男は、無様だな、とせせら笑う。しかし、幸子は悔しさで顔を歪めることなく、不敵に微笑んだ。
 彼女には、確信があった。
 彼女には、胸に込み上げる黄金色の気高い感情が芽生えるのが分かった。

「貴方に、わたしを、DIOの所へ連れていくことは、出来ない」
「あ〜ん?」

 哀願でもなければ、挑発でもない。
 不敵な笑みをたたえたまま断言した幸子に腹を立てたカイムは、掴んでいた頭を下げてそのまま地面に叩きつける。鼻を強打したのか、ソコから真っ赤な血が滴る。もっともっと痛みで彼女の顔を歪めたいのか、彼は立ち上がると彼女の頭を踏みつけた。


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