世界よ、逆流しろ


13-3



 ぺちぺち、という頬を叩く感覚とわたしの名前を呼ぶ声が聞こえてゆっくりと目を開けた。辺りは暗く肌寒い空気が漂う。おぼろげな視界が段々とクリアになっていくと、緑色が混じった青い瞳と目が合った。空条くんだ。

「魘されてたみたいだが……大丈夫か?」
「……」

 ――優しい子なの――
 不意に、聖子さんの言葉が脳内をよぎる。聖子さんが倒れる前日、彼女の顔色が優れないが大丈夫かと問いかけた空条くん。その声音と全く同じものが私にもかけられた。その事に少し驚きつつも、嬉しく思った。

「ちょっと夢見が悪かっただけ。寝心地が微妙だったからかな……心配してくれてありがとう」
「……おう」

 前に向き直った空条くんは帽子の鍔を下げる。すると、横で運転しているジョースターさんが「プクク、ニシシ」とかみ殺すような笑声を漏らした。そんなジョースターさんを空条君は鋭い目で睨みつける。ジョースターさんは慌ててエッフンエッフンとワザとらしい咳払いをして笑みを引っ込めた。

「まあ、車な上に道も険しいからのォ〜。いやぁスマンなあ。何せ《女帝(エンプレス)》の所為でワシはインド警察に追われとるからのォ」
「いえ、ジョースターさんが無事ならそれで十分です」

 言うと、ジョースターさんは「いい子じゃぁ〜」と言いながら感動している。……照れる。
 ジョースターさんの腕にあったデキモノは、実はホル・ホースを逃がした女性「ネーナ」の放った《スタンド》だったらしく、いろいろと大変な目にあったらしい。彼女のスタンドは寄生型、とも言うべきか。虫とか肉とか魚とかキャベツとか、さまざまなものを食べて成長していくスタンドだったらしい。
 美人なネーナにすっかり騙されたポルナレフは危うく彼女にキスしそうになって、それがショックで暫く落ち込んでいた。気が早いから過ちをおかしそうになるんだよーだ。
 学生組であるわたしと空条くんと花京院くんは三人でトランプをしながらくつろいでいた。そして、イキナリ「出るぞ!」なんてジョースターさんとポルナレフが部屋にやって来て言うから慌てて荷物をまとめてチェックアウトしたのは言うまでもない。

 現在は、調達した車に乗ってインドの国境を越えるべく移動中である。交代で運転しており、ポルナレフは今寝て、ジョースターさんが運転している。その際、助手席には空条くんが乗っている。
 わたしは丁度空条くんの真後ろに座っている。隣では花京院くんがすーすーと寝息を立てていた。なんでも、ポルナレフの隣に座ったら危険だからボクが間に入る、らしい。わたしとしても、まだポルナレフが怖いから花京院くんが間に入ってくれることは好都合であった。

(にしても、あの夢……)

 つう、と指で自分の唇をなぞる。感触がとてもリアルだったから、妙に意識してしまう。ただの夢であり、現実ではないのに――


 * * *


 時計を使って能力の練習をしているとき、気が付いたことがあった。わたしの《クリア・エンプティ》は、同じ対象の時間を元に戻す時、どうしてもこなさなければならない条件があった。そんなにキツイ条件じゃあないんだけれど、必ず、やらなければならないことがあった。
 もし、《クリア・エンプティ》の能力で同じ対象物の時間を巻戻すとき、5秒間またなければならなかった。ただ、同じ人や動物、モノでも、部位は別々らしい。
 たとえば、ジョースターさんが胸を怪我したとする。その怪我を負う前の状態に戻す。すると、同じ場所には5秒待たなければ能力を発動させることができないが、別の場所――腕とか足とか、まだ能力に影響を受けていない場所ならば能力の効果はある。この発見はとても大きな事である。なぜって、戦闘中の五秒と普段感じている五秒は明らかに体感時間がことなるからだ。普段だったら凄く短く感じる五秒も、戦闘中ならば長く感じてしまうだろう。これは重要なことだ。もしこの条件のことを戦闘中に気付くこととなったならば、わたしは混乱していただろう。

 休憩として、わたし達は今出店の前にいる。そこには机だけが置かれており、立ちながらお茶をするスタイルを取っていた。わたし達はそこでトイレや水分補給なんだり済ます。ポルナレフとジョースターさんはトイレに入っていて、花京院くんと空条くんは二人で会話を楽しんでいる。わたしはちょっと二人と離れたところで夜に夢で出会ったDIOのことを考えていた。どうやったら殺さずに済むのかとか、どうやったらDIOが人を殺さなくなるのだろう、だとか――口づけのことは極力考えないことにしている。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 差し出されたのは小さなカップ。中身はチャーイだ。ほのかな甘い香りに頬が緩む。甘いモノは大好きだ。

「あの」
「? はい」

 ふとカップを持ってきてくれたボーイの方に声をかけられる。なにか不作法でもしてしまったのだろうか。不安な気持ちで彼を見上げると、彼は接客するにしてはもじもじとシマラナイ態度で言葉を投げてくる。なんだか空条くんや花京院くんと比べると人畜無害そうな人だ。決して、二人が害になるとか言ってるんじゃあないよ? 気が弱そうってこと。
 でもやっぱり、頭で分かってても身体が強張るのは止められなかった。

「ご旅行ですか?」
「えっ、と……そうですね」

 ジョースターさん相手だったら、もっと気の利いた言葉が続けられたけれど、やっぱり、その、今は頭が真っ白気味ですごめんなさい。

「おひとり、ですか?」
「いえ、仲間と一緒です」
「旅は急ぎなんですか?」
「はい。時間が限られてますから」

 もじもじしていたボーイさんは、余計にもじもじし出した。

「えっと……あの、不躾なんですけど……よっよろしければ貴方の連ら――ひっ!?」
「?」

 突如、ボーイさんはわたしの顔を見て顔を青くすると体を震わせて小さく悲鳴を上げた。その姿はまるで、天敵と遭遇してしまった哀れな小鹿のようだ。そんなにわたしの顔は怖いのだろうか。そう疑問に思いつつボーイさんを見つめていると、彼は「すいませんでしたァ――!」と泣きべそをかきながら一目散に店の奥へとすっ飛んで行った。

「どうしたんだろう?」
「おい、ラッキー」
「え? なに――った!?」

 不意に背後から空条くんに名前を呼ばれ、振り返る。意外にも近くに立っていてちょっと驚いた。茫然と見上げていると、彼はわたしの額をビシッと人差し指で弾いた。所謂デコピンというやつだ。結構な威力だったために額がジンジンする。赤くなっているだろう患部を手で押さえ下から睨むように不服の視線を送る。けれども彼には効かないみたいで、いつもの無愛想な顔でわたしを見下ろしてきた。

「周りには気を付けろ」
「っ?」

 ぽそりと呟かれた言葉の意味がイマイチ理解できずに首を傾ぐことになった。クスクスという含み笑いが聞こえてきたのでそちらを見ると、花京院くんが意味深な笑みを浮かべて空条くんを見ている。えっえっ、なに? わたしだけ状況把握が出来てないってコト?

「JOJOは心配だったんだよ、キミの事」
「え、そうだったの?」
「はぐれてまた泣かれたらメンドーなだけだ」
「ラッキー、キミ泣いたのかい?」
「なっ泣いてなんかないよッ。変な事言うのやめてよ空条くんっ」

 その後、ジョースターさんとポルナレフが戻ってくるまで二人にからかわれる事となった。何この理不尽。


 * * *


(威圧感が半端ないんですけど……)

 現在デリーを越えて国境付近に差し掛かっている。そう、わたし達はインドを出るのだ。
 ポルナレフが運転をして、その助手席に花京院くんが乗っている。わたしは相変わらず後部座席に座っており、両隣りには空条くんとジョースターさんが……。この190センチ越えの二人に両脇を取られると、物凄い圧迫感を感じる。空条くんは、最近では慣れてきたから隣に立たれても問題ないけど、けどね……外の景色が見えないったら。
 でも、湯たんぽみたいに温かい二人が両脇にいるお蔭で、肌寒い空気を凌げている。北の方は流石にヒマラヤ付近な為に少々肌寒いのである。まあ、パキスタンへの国境も近い証拠なんだけどね。

 景色を見ようにも、両脇に壁があるため、必然的に真正面を眺めることとなる。わたしは、とくに何も考えずにボーっと余り変化が見られない景色を眺めた。
 だんだんと前方に車のおしりが見えてきた。ゆっくりめで走行しており、ポルナレフの運転する車はあっという間に追いついてしまった。

「わっ……」

 空けていた窓から砂埃が舞い込んできていたようで、目に入ってしまった。ジンワリ滲む涙とゴロゴロする目の奥のモノを取ろうとゴシゴシ拭う。なかなか取れないのでちょっと力をこめようとした、その時、車体が右に大きく傾き、わたしは受け身も取れずに右へと倒れた。

「おっと……」
「……ご、ごめん」
「いや」

 く、空条くんの方に倒れてしまった。よりにもよって空条くんに。ジョースターさんが良かった。心臓に安心だもの。
 短く謝罪すると彼は短く何でもないことを伝えてきた。不快そうな顔をしていないから、た、たぶん大丈夫だったんだよね。うん。

「おいポルナレフッ! 運転が荒っぽいぞッ!」

 どうやらポルナレフのせいらしい。花京院くんが声を荒げて注意している。それでもポルナレフは素知らぬ顔。なんかムカついたので拳骨の一つでもおみまいしてやりたかったが、生憎こんな狭い所で暴れるなんてことは出来なかった。命拾いしたな、ポルナレフよ。

「事故やトラブルは今……困るぞ。ひょっとすると、わしは聖地ベナレスでの医師殺しの容疑で警察に指名手配されとるかもしれんのだからのォ〜〜っ。国境を無事越えたいわい」

 青い顔でおっしゃるジョセフさん。私も、無事に国境を越えたいので、思わず強く拳を握る。

「しかし……インドとももうお別れですね」

 花京院くんが感慨深そうに景色を眺めながら呟いた。その時、ふと脳裏を過るインドであった出来事の数々。
 チャーイの味、勧誘やお恵み攻撃の激しいカルカッタの雑踏、カンガーの水の流れ――全てが懐かしく感じる。

「おれはもう一度インドへ戻ってくるぜ……アヴドゥルの墓をきちっと作りにな」

 ツキン。胸の辺りに刃が刺さったような痛みを感じた。

(そうだ、アヴドゥルさんはもう、いないんだ……)

 目頭が熱くなりそうだ。それでも、涙を振り払うように顔を振って自分を叱咤する。危険な旅だと分かって着いて来たんじゃあないか。こんな所で泣いてたらアヴドゥルさんに笑われてしまう。そう「ラッキー、また泣いているのか?」なんて。

「うわ!?」

 感傷に浸っていると、車が急停止する。慣性の法則に従って、わたしの身体は前の方に放り出される。ギリギリのところでポルナレフと花京院くんの座る座席の肩を持って踏ん張れたから良かったものの、下手をすればミラーに突っ込んでいたかもしれない。
 肝をひんやりさせた原因を作ったのは、勿論運転手のポルナレフである。わたしは恨めしい視線を送り、花京院くんは疑問を投げかけ、ジョースターさんは小言を言う。空条くんは呆れ顔だった。

「み、見ろよあそこに立ってやがるッ! し、信じらんねえッ!」

 みんなの批難を一斉に浴びていたポルナレフは慌てて前方に指をさす。その先を見たわたし達は絶句してしまった。

「……やれやれだぜ」

 ため息まじりに空条くんは呟いた。わたしも、シートに座りなおしながら「やれやれって感じだよ」と思わずもらした。


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