世界よ、逆流しろ


12-4



 花京院とポルナレフ、幸子の三人はJ・ガイルを討った後、ある場所へと向かっていた。そう、アヴドゥルのところだ。戦うことに夢中であったために、彼らはやむを得ずアヴドゥルの死体をあの場に置いてきてしまっていた。だから彼らは戻る。
 きっと泣いてしまうだろう。幸子は、頭の片隅で思った。耐えきれずに、その場で泣き崩れるかもしれない。大声を上げて、赤子のように泣いてしまうかもしれない。

(いや、きっと多分、ない……)

 熱き思いの中で、氷のように冷めた彼女自身が否定した。
 泣き顔は見せられない。迷惑をかけてしまう。弱い所は見せられない。辛いなら日本に帰れと言われるかもしれない――それだけは、駄目だった。DIOと会うその日まで、幸子は歩みを止めてはならないからだ。

(でも、これだけは……)

 幸子は、斜め前を歩くポルナレフと花京院の服の裾を控えめに掴んだ。すると、すぐに振り返る二人。不思議そうにしている彼らに、幸子は薄く笑みを浮かべた。

「二人とも、さっきはありがとう」
「?」
「なんのことだ?」

 分かっていない花京院とポルナレフは首を傾げた。心当たりがない所をみると、どうやら無意識であったようだ。そうならば、なおのこと……嬉しい。

「J・ガイルのときだよ……二人とも、アヴドゥルさんやポルナレフの妹さんのことだけじゃなくて、わたしの分まで怒ってくれたから……」
「はあ?」

 ポルナレフは、幸子の言葉に対し、訳が分からないと声を荒げる。そんな彼の態度に戸惑っていると、彼は彼女の正面に向き直り、真摯な瞳で見下ろしてきた。

「んなの当たり前だろーが! 仲間なんだからよ」
「……ッ!」
「まあ、なんつーか……ホラ、おれお前にヒデーこと言っちまったから《仲間》とか今更言われてもなんだとか思われるかもしれねーけど、まあ……うん、そういうことだ」
「フフ。ぼくも、大切な親友があんなクズ野郎に汚されて腹が立った、ただそれだけさ」
「二人とも……」

 きゅう、と締め付けられるような胸。飛び出してしまいそうな心臓。ああ、こんな気持ち、初めてかもしれない。
 幸子は、きゅうきゅうと締め付けられる胸を両手で抱きしめるように押さえて、抑制できない喜びを表情に惜しげもなく晒すと大柄な二人を見上げて、笑いかけた。

「ありがとうっ……すごく、嬉しい!」

 半分泣き出しそうな笑顔を浮かべる。そんな彼女の顔を見た二人というと――

「か、花京院」
「なんだポルナレフ」
「おれ、今猛烈にラッキーの頭を撫でまわしたい」
「へ?」

 幸子は首を傾いだ。大して、ポルナレフはブルブルと肩を震わせたまま俯いていて表情が分からない。花京院は大きな手を口に当てているのでこちらもまた表情が上手く読み取れない。
 様子のおかしい二人をアタフタしながら見守っていると、唐突にポルナレフは、ガバリと顔を上げて花京院に迫った。

「いいよな、いいよな花京院ッ、だって物凄く可愛いんだからなッ! 止めるなよ花京院ッ」
「ええっ!? どどどどうしたのポルナレフ!?」
「待て。ぼくだって今なんとか抑えているんだからお前も抑えるべきだ」
「かっ、花京院くん?」
「いーや、これはもう自分の心に正直になった方が良い。もったいねーぜ……なあいいだろラッキー」
「え、あ……」
「おい、ぼくの親友を困らせるなよ」

 現在の状況に大変困っている、とは言えず幸子は苦笑を浮かべたままほんの少し首を傾いだ。

「待ちな」

 やいのやいのとクダラナイことで騒いでいると、三人の背に声がかかる。振り返れば不敵な笑みを浮かべて立つホル・ホースがいた。どうやらここまで追って来たらしい。彼は愉快そうに笑うと自身の《スタンド》である《皇帝》を出現させる。普通の拳銃に見えるそれを構えたと思えば、手慣れたようにクルクルと回し余裕を見せつける。
 そんな彼が馬鹿馬鹿しかったのか、花京院とポルナレフは先ほどの騒がしい態度をピタリとやめて、クルリと背を向けた。花京院に至っては、ポカンとしている幸子の背を押して前へと歩かせ始めた。ホル・ホースを放って置いてもいいのだろうかと思っている幸子としては、後ろの彼が気になるのかチラチラと視線をよこす。

(あ、そうだ。この人はJ・ガイルが倒されたことを知らない……)

 手にある《皇帝》から放たれる弾丸によってガラス瓶や窓ガラスなどを割って、J・ガイルの『反射範囲』を広げている。しかし、彼が何度呼びかけたとしても、その声にJ・ガイルが答えることなどできやしなかった。今は、ポルナレフの言う『閻魔様』の前にて裁きを受けている最中なのだから。
 漸く、現状を理解したホル・ホースの行動は早かった。2〜300メートル先に死体があると教えた途端、彼は「よし、見てこよう」と言いつつ逃げの走りにでた。ソレに気づいたポルナレフと花京院、そして幸子は彼の背中を追うとするも、その必要はなかった。

「あ……」

 幸子が素っ頓狂な声を上げると同時に、ホル・ホースが壁から伸びてきた拳によって殴り飛ばされる。

「空条くんっ、ジョースターさん!」

 ぬっと壁陰から姿を現したのは、空条承太郎とジョセフ・ジョースター。ついさっき別れただけだというのに、なぜか久しぶりに会ったような気がするのは、きっと、彼女自身が慣れない激しい戦闘の渦中にいたからだろう。195センチの二人が肩を並べているのを見て、幸子はよく分からない安心感を抱いた。

「アヴドゥルの事は知っている」

 ジョセフは静かに言った。彼は、続けにアヴドゥルの遺体は簡素ではあるが埋葬しておいたと言う。承太郎は何も語らなかった。アヴドゥルのことを思い出し、幸子は滲みそうになる涙をおさえるため、きゅっと下唇を噛んだ。
 卑怯にも背後からアヴドゥルを刺したのはJ・ガイルの《吊られた男》であるが、直接の死因はホル・ホースが放った《皇帝》の、眉間にブチ中たった弾丸である。もっとも、ホル・ホースの弾丸だけならばアヴドゥルの《魔術師の赤》の炎で焼き溶かして無力化も容易だっただろう。《吊られた男》の、あの攻撃がなければ。
 幸子は、きゅっと、下唇を噛んだままホル・ホースを見やる。彼も戸惑いがちに彼女を見ていた。どうやら彼は、これからどうなるのか分かっていたらしい。それでそれを止めるために女の幸子ならば止めてくれると思ったのだろう。けれど、幸子は止めなかった。いや、止められなかったのだ。己の激情を。顔や態度には出ていないものの、彼女の中では大切な仲間と恩人であったアヴドゥルを無残にも殺された悲しみと怒り、そして己の無力さと悔しさが綯い交ぜになって暴れていた。それを、今、表に出さないように抑えているので、精一杯だった。
 ポルナレフが、ホル・ホースに死刑判決を下す。彼の《銀の戦車》がレイピアを構えた。そして、腰を抜かしているホル・ホースに鋭い剣さばきによって繰り出される怒涛の攻撃を味あわせようとした、そのときだった。

「っ!」

 突如、横を過ぎ去った存在にびくりと幸子が身を震わせたと思えば、ソレはポルナレフの足にしがみ付いていた。

「お逃げ下さいホル・ホース様!」

 地元民のお嬢様なのか小麦色の肌に映える手入れの行き届いた上物の服、鼻筋のとおった美しい容姿。女は、現状が分からなくてもホル・ホースの危機だと察したのだろう。彼女は身を挺して彼を助けようとしていた。彼が無事どこかで生きていることが己の幸せで生きがいだなど、健気に叫ぶ。
 ポルナレフは女を引き離そうともがく。承太郎に逃げようとしているホル・ホースを追うように大声でいうが、その時すでにホル・ホースは馬に乗っていた。承太郎は、追うだけ無駄だと判断し、その場に佇んでいた。一方、ポルナレフは諦めの悪い性格なのか、女を足に絡ませたままでも追おうとしていた。彼が足を引きずったために、女も一緒に引きずられて怪我をする。流石に見ていられなくなった幸子は慌ててポルナレフを止める。
 女は、ホル・ホースに利用されたに過ぎない一般人である。これ以上女を傷つけてはいけない。ジョセフも幸子のあとに女に歩み寄ると、引きずられて負った傷に応急処置ではあるが手当を施す。その際に、女の腕から流れる血が、ピチョリと彼の腕に着いた。

 日本を出て、すでに15日が過ぎようとしていた。アヴドゥルを失っても、彼らは歩みを止めてはならない。
 妹の仇を取ったポルナレフだが、すでに目的は変わりDIOを倒すことを目指している。一人でもかけたらどうとかそこに付け込まれるのだとか、アヴドゥルが口にしていたことをポルナレフは雄々しく語る。そんな彼に苦笑して幸子は立ち上がると、先を歩き出すポルナレフやジョセフ、承太郎に花京院の後へ続いた。その時、

「チュミミ〜〜〜〜ン」

 幸子は『ん?』と首を傾いで後ろを振り返る。そこには、壮大に広がる砂の大地の上に強く生きる生物たちと、先程のホル・ホースを一途に想う女のみ。なにも変哲もない風景。奇妙な鳴き声も、どこかの動物なのかもしれないと思ったが、彼女には一つ気になった事があった。
 先程振り返ったとき、女は口からペロリと舌を出していた。お世辞にもエレガントとは言い難くかと言って色香も纏っていなかったその光景はほんの少しの衝撃を幸子に与えた。目があったと同時に女は生々しいものを直ぐに引っ込めてぶすっと仏頂面になって何事もなかったかのようにふるまうが、どうにも幸子は彼女の行動の意味を考えてしまう。

(もしかしてあの女の人の声? 近くも遠からずな感じだったし……で、でもあんな変な声、普通なら出さないだろうし。何より彼女は一般人だし……で、でも、あの……)

 ――舌の上にあったイボはなに?

 どくり、と幸子の心臓が嫌な音を立てて一拍大きくうねった。


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