世界よ、逆流しろ


12-3



(どうしよう、震えが止まらない)

 長身な花京院とポルナレフに挟まれる幸子は、二人に悟られぬように、小さく己の拳を握った。彼女の脳裏をよぎるのは、たった一人の人物。モハメド・アヴドゥル。彼は自身の《スタンド》と同じように熱くなりやすくてお節介だ。けれども、時々温かく若輩者の背中を押してくれる、見守ってくれる男だった。

(ただ、茫然自失していた……現実が分かっていて自分のやるべきことが分かっていた筈なのに、そんなことないって、嘘だって……現実逃避する自分がいて……)

 きゅっと唇を結ぶ。
 幸子は、後悔していた。何故、己の《スタンド能力》を使わなかったのか、と。彼女の《クリア・エンプティ》は時の流れと同じように《戻る》力を発動させればまるで《時が静止した》かのように出来る。つまり、時を止められたのだ。ならば、簡単だ。彼女の《時を止める》能力でホル・ホースの撃った弾丸を止め、アヴドゥルを助ければ良かったのだ。間に合わなかったにしろ、死ぬ直前に時を止めて《治療》すればよかった。能力を発動させたまま、再び時の止まった中で《戻す》なんてことができるのかは分からない。けれども、やってみなくては分からないのに、勝手に『ムリだろう』と彼女はどこかで諦めてしまっていた。
 出来なかった。一心不乱に、助けようと、その姿勢を取ることすら、出来なかった。
 大切な人だったのに。大切な仲間で尊敬する人だったのに。

(くそっ……わたしはまだ、弱虫のままかッ!)

 拳を叩きつけたい衝動にかられるも、彼女は寸前のところで激情を抑え込んだ。
 ――今度は、僕たちが奴らを倒す!――
 花京院の言葉だ。彼は、うっすらと目に涙を浮かべてそう静かに、そして力強く言い切った。
 アヴドゥルは、仇を取ってくれと言うだろうか。いや、気にせず、逃げてDIOのところまでたどり着けと言うだろうか。

(どっちでもいい、どっちでもいいんだ)

 小さく頭(かぶり)を振ると、幸子は己の小さな両手の拳を握った。

(アヴドゥルさんは、この状況なら、どっちに転んでも頷いてくれる。見守って、くれるはずだ……)

 もう一度、強く拳を握ってからゆっくりと手を解放する。幸子の青く大きな瞳は決意を秘めていた。

「《吊られた男》どうやって倒す? 彼が鏡とかに映っていても、こちら側からじゃ攻撃を当てることなんて出来ないし……」

 ポルナレフが体験した情報を元に、《吊られた男》の《能力》を探ろうとするも、意見が対立してしまっていた。ポルナレフは《吊られた男》の能力は鏡の中に出入りできるとのこと。対して、花京院は『ファンタジーやメルヘンじゃないのだから』と鏡の世界を否定的にとらえていた。どちらの意見も間違っているようには思えないし、一概にこれだとは言い切れない。

「奴にはまだ我々の知らない謎が……」

 不自然に途切れた花京院の言葉。幸子は疑問を抱いた。花京院を見ると、彼は険しい表情を浮かべハンドルのメッキを見たのち、後方を振り返る。しかし、そこには人も牛すらもいなかった。あるのはタイヤが巻き上げる砂塵ばかり。再びメッキに視線を落とすと、幸子は漸く彼が何を見ているのか気が付いた。

「ラッキー、ポルナレフッ。ハンドルのメッキに奴はいるッ! 奴は追いついているッ!」

 J・ガイルの精神の像である《吊られた男》。ハンドルのメッキに映るガラスを彼は殴って割ると、何もぶつかっていない筈の三人の背後にあるガラスが独りでに割れる。《吊られた男》の持つ剣の矛先はポルナレフだった。切っ先が掠める寸前のところで花京院は車のブレーキを一気に踏み倒す。すると、慣性の法則に従って車体は前に進もうとするも花京院の踏むブレーキに阻まれて失速する。しかし、徐々にスピードを落とさずした為にバランス感覚を失った車は勢いよく横転した。
 衝撃に耐えるべく幸子は身をかためるも、横から腕を引かれてそのまま温かく弾力のあるものに押し付けられた。目の前はカーキ色に染まり、それが花京院の制服の色だと気づいたときは既に、ボディを凸凹にしてしまった車が地面に横たわっている状態であった。

「か、花京院くっ……」
「無事かいラッキー」
「う、うん……あの」
「ちょっと背中を打ったみたいだが、これくらいなら平気だよ」
「そう……」

 心配させまいとしているのか、花京院はふと柔らかく微笑む。しかし、打った背中が痛むのか、どこか引きつった笑みになっている。幸子は急いで花京院、ついでにポルナレフの体の傷を《戻し》た。
 車が横転する事故に見舞われ、怪我をしたけれども、敵はそんな彼らに容赦なく攻撃を仕掛けてくる。ポルナレフは、突如雄叫びを上げると《銀の戦車》で車のバンパーをスパッと切ってしまった。何等分かにされたバンパーには目もくれず、ポルナレフはポカンとしている二人に『なにか映る物』から逃げろと叫ぶ。彼の必死の形相に戸惑いながらも二人は直ぐに車から離れて岩陰に隠れた。
 ポルナレフは、語った。今分かったのだと。《吊られた男》は、鏡から鏡へ、映る物から映る物へ飛び移って移動している、と。反射を繰り返して追って来たのだ、とも推測した。
 反射と言う言葉を聞き、《光》という結論に達したのは、花京院であった。そうつまり、《吊られた男》の能力は、《光》ッ! バンパーからまた何か映る物に移動して回り込んでくるに違いない、と三人は辺りを警戒する。体に映る物を外す為に、花京院は制服のボタンをブチブチの千切っては捨てた。

「お兄ちゃんたち、車の事故は大丈夫?」

 不意に声をかけてきたのは、小さな少年だった。三人が車で事故をおこしたのを、見ていたのだろうか。血だらけなことを心配して、そしてお駄賃を頂くために、やってきたのだろう。
 彼の、キラキラと輝く丸い瞳。その中に――《吊られた男》はいた。
 なんということだろうか。少年に手を出せないことをいいことに、《吊られた男》は下卑た笑声を上げてポルナレフの首を掴む。そして、ゆっくりと刃を突き付けるのだ。

「なんて下劣なのっ、アヴドゥルさんを卑怯にも背後から刺すだけでなく子供を攻撃できないと知ってて利用するなんてッ!」
「おー怖い怖い……」

 にやり、と《吊られた男》は笑うと、一変して冷徹な光を瞳に宿す。

「ほざけ女……てめーがDIO様のお気に入りでなきゃあ今頃死んでるんだぜぇ?」
「っ!」
「まあ、生きてて五体満足ならいいっておっしゃっていたからなァ……男どもを始末したあとでたっぷり可愛がってやるぜククク」
「貴様ァッ、ゆるさん!」

 幸子は悔しさと嫌悪感に顔を歪め、花京院は怒りで吠える。今にも飛び掛からんばかりの二人に、ポツリと一つの言葉が落ちる。

「おい花京院、この場合! そういうセリフを言うんじゃねえ」

 ポルナレフであった。彼は、首を掴まれ、現実ではその痕をくっきりとさせたまま、なんと不敵な笑みを浮かべていた。両手の親指を立てて彼は言った。『こういう』場合、仇を討つときというのは今から言うようなセリフを吐いて闘うのだと。

「我が名はJ・P・ポルナレフ。我が妹の魂の名誉のために! 我が友アヴドゥルの心の安らぎのために、そして我が友幸子の誇りのために! この俺が、絶望の淵へブチ込んでやる J・ガイル……こう言って決めるんだぜ」

 どくん、と幸子の心が震えた。
 一方、己の《銀の戦車》の剣を構え、自身は真っ直ぐに少年の瞳の中に居る《吊られた男》を見据えて構えを取ってセリフを吐くと、敵に何かをされる前に、ポルナレフは長い脚で地面の砂を蹴り上げた。それは少年の目の中に入り、強制的に閉じさせる。そして、次に彼がとった行動は、空気を真っ二つに切るような素早い剣さばき。
 花京院と幸子が茫然とポルナレフを見ると、なんと、彼の瞳の中にあの《吊られた男》がいるではないか。

「原理はよく分からんが、こいつは光並みの速さで動く。普通ならとても剣で見切れねえ。だが、子供の目が閉じたならこいつが次に移動するのはおれの瞳だろうということは分かっていたのさ」

 軌道が読めれば切るのは容易い。そう言ってのけたポルナレフのいう通り、彼の瞳の中に居る《吊られた男》の胸はぱっくりと裂けて夥しい量の鮮血を噴き出していた。

(でも、いくら軌道が読めるからって、光並みに動く《スタンド》を簡単に切れるとかちょっとおかしいよ……ある意味化け物じゃないかなポルナレフ)

 トイレ運がないけれども。
 幸子は、ポルナレフが強いことを認めるものの、彼の欠点も見ているためにちょっと複雑な気持ちになった。思ったことは口にせず、ただただ、胸にしまっておいた。
 切られたのがよほど深く、よほど痛かったのだろう。遠くで悲痛な叫び声が聞こえた。
 タイミング的にJ・ガイルだと思った三人は、声のした方へと向かった。そこには、一人の男が、呼吸を荒くしたまま座っていた。見れば、ポルナレフが切ったのと同じ位置に傷跡がある。ポルナレフは、再び、初めてJ・ガイルのスタンドと会いまみえた時のと同じような憎しみで殺気立った表情を浮かべた。その怒りの中には、彼の妹の死だけでなく、アヴドゥルのものも、含まれていた。

「あれ……?」

 幸子は、花京院とポルナレフの間から見えた男の姿を見て、首を傾いだ。

(こんな顔だったっけ……もっとそう、ゲスみたいな……芋虫のような顔をしてい――)

 幸子はそこではたと気づいた。《左》手が《右》手ではない!

「ポルナレフ!」

 幸子は、まず先にポルナレフが狙われることを予感していた。奴はソレに拘っていたからである。案の定、振り返ればポルナレフに迫る鋭利なナイフ――幸子は、ポルナレフと共に倒れ込んでしまうような勢いでタックルをかました。

「うっ」

 ナイフが幸子の右腕を掠める。しかし、間一髪で刺さることはなかった。
 三人の前に姿を現したのは、幸子のいう通り、顔がまるで芋虫のような顔であった。よく見ると、胸にはポルナレフが付けたのであろう深い切り傷があった。どうやら、三人が初めに見つけた男はただの乞食、そう、J・ガイルにただ利用されただけの、一般人に過ぎなかった。またしても、無関係の人間を問答無用で引き込んで利用する、そのゲスな思考に、三人は怒りを覚えずにはいられなかった。
 花京院はすかさず《法皇の緑》の十八番《エメラルドスプラッシュ》を放とうとした。しかし――

「待って花京院くんっ!」

 幸子は花京院の腕を掴んで止めた。なぜならば、彼らの周りにはいつの間にか乞食たちが集まっていたからである。そう、これもJ・ガイルの作戦。三人が金貨をくれるのだとホラを吹き、人を呼び寄せて《映れるもの》を集めたのである。決して彼らが壊すことのできない《映れるもの》を。
 J・ガイルは、自身の《スタンド》の弱点なぞ最初から知っていた。だからこそ、今のように《映れるもの》を多くして反射できるポイントを増やし、乱反射しているかのように高速で移動する。そうして、相手の背後に隙を見てブスリと思い一撃……そういう戦法を、何度も取って来ていたのだろう。
 勝利を確信したJ・ガイルは調子に乗った。彼は、調子に乗ってしまったのである。それが、自身の生死を分かつ境界線だとも、知らずに。

「青春を犠牲にしておれを追いかけ続けたのに……ああ〜〜〜〜あ、途中で挫折するとはなんとツマラナイ……寂しい人生よ」

 気取ったように、彼は続ける。

「そしてこのJ・ガイル様はおめえの妹のようにカワイイ女の子を侍らせて楽しく暮らしましたとさ……ククク、泣きわめくのが上手かったなお前の妹はよ……幸子様はどうかなぁ〜〜可愛いお顔を恐怖でぐしゃぐしゃにしちゃうかなァ〜〜?……へへへ」
「……汚いわ」
「や、野郎ォ〜〜〜〜!」

 幸子は軽蔑するような冷ややかな目で、ポルナレフはこめかみに青筋を立てて怒りをあらわにする。すると、そこに爽やかな声で待ったがかかった。

「ポルナレフ、そのセリフは違うぞ」

 花京院典明であった。

「あだを討つ時というのは《野郎》なんてセリフを吐くもんじゃあない。こう言うんだ」

 彼は、ポケットに手を突っ込むと不敵な笑みをたたえたまま言った。

「我が名は花京院典明。我が親友幸子の名誉のために、我が友人アヴドゥルの無念のために、左に居る友人ポルナレフの妹の魂の安らぎのために――死をもって償わせてやる」

 ポケットから取り出したのは、一枚の金貨であった。それに、乞食たちの視線が集中するのが明らかに分かる。さらに続けて、花京院は拾ったものに金貨をやる、といって高々と金貨を空へと弾いた。顔が映るほどピカピカに磨かれた金貨。太陽の光を受けて爛々と輝くその光景は、不思議と心が高ぶる。
 J・ガイルの《スタンド》が移動しなければならない軌道はもう分かった。となれば、やることは一つである。
 ポルナレフは『メルシー花京院』と言って、《吊られた男》が映る瞳を持った一人の男に狙いを定め、砂を蹴り上げた。瞬間、目にもとまらぬ速さでポルナレフの《銀の戦車》がレイピアで一閃する。顔を切られた《吊られた男》のダメージは、そのまま本体のJ・ガイルにフィードバックした。
 長年待ち望んだ瞬間だった。ポルナレフは、J・ガイルを《銀の戦車》で針串刺しの刑に処する。すると、運命かそれとも神の気まぐれか、高い門に足が引っ掛かった彼の死体は吊し上げられた状態で、まさに《吊られた男》であった。


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