世界よ、逆流しろ


12-2



「ポルナレフ貴様ッなんてことを!」

 怒鳴られたせいなのかはたまた放たれた言葉のせいなのか、透き通るように青い瞳を真ん丸にさせて幸子はただただ石のように硬直したままポルナレフを見上げていた。
 アヴドゥルの怒声が彼を正気にさせたのか、自身が何をしでかしたのかを今になって自覚する。けれども、ポルナレフはもう止まれないと分かっているのか、見つめてくる青から目を逸らして背を向ける。彼はことのき気づかなかったが、どこまでも澄んだ瞳はまるで鏡のように自分の姿を見せてきそうで、向き合うことができなかったのだ。
 ポルナレフを呼び止めながら拳を半分上げかけているアヴドゥルを止めたのは、ジョセフだった。ジョセフは、ただ首を振り「こうなった彼はもう誰にも止められん」と呟く。そんな彼に、アヴドゥルは歯痒そうに顔を歪めて「幻滅しただけです」と締めくくった。
 一行は、去ってゆくポルナレフの背中をただただ見つめた。

「……」

 幸子は口をほんの少し開けたままポルナレフを見つめていた。その表情は泣き出しそうでも悔しそうでもなく、不安げであった。
 彼女は、自然と怖くも悔しくもなかった。もともと、戦闘に不向きな《スタンド》と性格であると自覚していたのもあるし、「事実だ」とどこか冷めた思考があった。怒鳴られたことは驚き、少々悲しい・寂しいという感情があったが、それよりもまず、ポルナレフ自身が心配であったのだ。
 正常な判断が下せない程まで激高して、果たして単体で、しかも《スタンド能力》を把握されている悪条件下で目的を達成できるのだろうか。いや、出来まい。

(助けなきゃ)

 幸子は、自然とそう思考回路が組まれていた。

「あの、ジョースターさんアヴドゥルさん」
「? ラッキー?」

 意外にも落ち着いた声音であったことに驚いたのか、ジョセフとアヴドゥルは首を傾いだ。幸子はクルリと二人を振り返ると、自分の思ったことを口にした。

「ポルナレフを、追いかけて行ってもいいですか」
「は……」

 予想外であったのだろう。二人だけでなく、花京院や承太郎までもが茫然と幸子を見ていた。彼らの視線を集める幸子は、それでも、いつもの弱気な顔を奥へと潜めて真っ直ぐに真摯に強い光を宿す瞳で彼らを見つめ返した。

「アヴドゥルさんがおっしゃった通り、敵はポルナレフに単体行動をさせて彼を始末するつもりでしょう。このまま、彼を一人にさせられません」
「それは分かっている、分かっているが奴はもう我々では止められん。下手をすれば内部崩壊をするところじゃったのだぞ?」
「それは、重々、承知してます……でも、わたし、ここでポルナレフを追いかけないと後悔すると思います」

 幸子の青は、力強かった。ただただ、力強かった。拳を握り、拙い言葉で自分の想いを精一杯に伝えようとする姿はなんと儚きことか。
 なぜ、ホリィのように温厚な性格の幸子が、自身の《スタンド》に喰われずに今に至っているのか、彼らは今、分かった気がした。
 彼女は、強い。普段は人を気遣って遠慮や謙遜したり憶病な一面をみせるも、ここぞという時に、自身の想いや信念を貫ける、力がある。

「ポルナレフはああ言って突っぱねましたけど、わたしは彼を仲間だと思ってます。仲間を放っておける程、わたし、賢くないんで……」

 恥ずかしそうにヘラリとはにかむ幸子。彼女の笑顔で、いくらか殺伐とした空気が緩和されたように感じる。

「はぁ、仕方ない……」

 最初に折れたのは、ジョセフだった。彼を皮切りに、一人また一人と肩の緊張を解いていく。
 一行は、ポルナレフを追いかけることにした。二組に分かれて三人と二人になる。幸子はアヴドゥルと花京院の二人とポルナレフを追うことになった。

「あの、銀髪を電信柱のように逆立てた厳ついフランス人を見ませんでしたか?」

 乞食や行き交う人々に地道に聞いて回る。すると、運良く「見た」という者と多数出会い、幸子達は少しずつポルナレフへと近づいていった。
 ――何か、嫌な予感がします――
 胸に手を当てて、そう不安げに言う幸子に、アヴドゥルと花京院も同じか険しい表情で頷く。彼らは一刻も早くポルナレフを見つけて合流しようと進む足を速める。
 アヴドゥルの足が、自然と段々速度を増して走り出す。

「あ、アヴッ……」

 幸子と花京院が呼び止める前に、アヴドゥルは何かを見たのか、角を曲がろうとした直前に、緊張した強面になると一気にスピードを上げてダッシュする。その後、町に大きな銃声が轟いた。乞食に、ポルナレフはどちらへ向かったのか尋ねたときに指された方角と同じだった。
 もう、戦いは既に始まっているのやもしれん。花京院と幸子はそう感じた。互いに目配せし、頷き合うと二人は走る速度を上げて角を曲がった。

「あッ……!」

 二人が目撃したのは、アヴドゥルの背中にブスリ、と深々と何か鋭利なモノが刺さったような跡。彼が背後の水溜りに視線を投げるので幸子と花京院もそちらを見る。水溜りには、アヴドゥルと、もう一人、映りこんでいるモノ――おそらく敵の《スタンド》だ――。そいつの右手に装着されている刃物が、丁度アブドゥルの背に、傷跡と同じ場所に突き刺さっていた。

「アヴドゥルさん!」

 幸子は《クリア・エンプティ》を出す。急いで傷を塞がなければ、そう思ったのだろう。しかし、彼女が駆け寄ろうとしたその時――アブドゥルに迫っていた弾丸が、彼の脳天にぶち当たった。
 いつも彼が額に巻いていた白地の布は弾丸が当たったことによって額の真ん中から丁度焼き切れ、彼の額から噴出される鮮血とともに宙を舞う。風に煽られながら、布はゆっくりと地に落ち、アヴドゥルを刺した《スタンド》のいる水溜りに浸る。
 地にあおむけで倒れたアヴドゥルの額からは、止めどなく血が流れていた。

「う、そ……」

 幸子は、目を大きく見開いたまま、硬直する。そして、だんだんと目の前の現実を理解していったのか、顔を真っ青にして再び走り出す。

「ほう〜〜こいつぁはついてるぜ! おれの《銃》とJ・ガイルの《鏡》はアヴドゥルの《炎》が苦手でよぉ。一番の強敵はアヴドゥルと思ってたから……ラッキー! この『軍人将棋』にもう怖いコマはねえぜッ!」

 クルクルと慣れた手つきで男が銃を回す。彼の名はホル・ホース。J・ガイルとタッグを組みジョースター一行を襲撃しに来た。
 幸子はホル・ホースには目もくれず、花京院と共にアヴドゥルのもとへと駆け寄ると、彼を抱き上げる。

「そ、んな……脈が、ない、息も……」

 震える声で幸子はこぼす。未だ現実を受け止めきれていないのか、彼女の青い瞳は動揺に揺れていた。

(ほぉー、なかなかにベッピンさんじゃあねーか。あれがDIO様の『お気に入り』って訳かい……でも分からねえなあ。あれぐらいの女、DIO様の部下に何人かいたぜ?)

 ホル・ホールは、値踏みするように幸子を見つめる。彼とJ・ガイルの任務は、ジョースター一行の速やかな殲滅と、戸軽幸子の奪還。優先すべきは幸子の身柄の確保だとDIO直々に命令されている。ジョースター一行を、見逃してまでも、取り戻せという。
 しかしホル・ホースは分からなかった。幸子を『そう』までして取り戻す理由が。能力は、対象となった『時間』を『戻す』こと。戻せる時間は約10秒から15秒程と聞く。なかなかに面白い能力であるが、それ以上の力は彼女の《スタンド》にはない。DIOが喉から手が出てしまう程に欲するには決定打に欠ける、と彼は思っていた。

(さ、て……どうするか、だが)

 アヴドゥルが殺されたことに怒りと悲しみを爆発させたポルナレフは涙を流しながらそれを振り切るようにしてホル・ホースを振り返る。彼の目が語っているのは、「確実に殺してやる」ただそれだけ。鋭利なポルナレフの視線を揚々とした態度でホル・ホースは受ける。
 人生の終わりという物は案外あっけない。さよならの一言もなく死んでいくのが普通なのだろう。そんなふうに、ホル・ホースはポルナレフを煽る。煽れば煽るほど、ポルナレフは怒り狂い正常な判断などできなくなる。そうなれば、戦いに慣れているホル・ホースは簡単に彼を仕留めてしまえるだろう。

「ポルナレフ!」

 水面下でいがみ合う二人の間に落ち、ポルナレフの猛猪のような歩みを止めたのは、凛とした声。静かであるにも関わらず、空気を震わせ、逆らうことのできない圧力を持っていた。その声の持ち主は、なんとアヴドゥルの亡骸を抱きかかえる幸子であった。
 顔を上げた彼女の瞳に涙はない。澄んだ青空のような瞳は、静かだが確かな光を宿し、儚くも強かな、そんな不思議な印象を与える。

「まだ分からないの。アヴドゥルさんは『一人で闘うのは危険だ』と言ったのよ。けれども貴方はそれを無視した」
「相討ちしてでも仇を討つと考えているならやめろ、ポルナレフ」

 幸子と花京院の言葉に、ポルナレフは怒りで震える声で尋ねる。俺にどうしろというのだ、と。そんな彼に、花京院は自分たちのところまで下がるように指示する。敵の《スタンド》の能力も把握できないまま、戦うのは危険だ。だから、彼らの後方に置いてある車で逃げよう、ということなのだ。
 しかし、ポルナレフは違った。アヴドゥルは卑劣にも背後から刺され、彼の妹は無抵抗で殺された。その無念を、彼は抑えて逃げることなどできなかった。
 仲間二人の説得もあり、激情に身を震わせながらもポルナレフは逃げることを選ぶ。良かった、と思ったそのとき、彼らは見た。ガラス窓に映る、アヴドゥルを刺したJ・ガイルの《スタンド》を。

「……」

 幸子は、チラリと花京院を見る。その後、J・ガイルに煽られて激高寸前のポルナレフ、その彼をニヤニヤと見つめるホル・ホースと順に見た。彼女は、誰に対してでもなく一人で頷くとそっと後退していった。ある程度離れたのち、彼女は花京院が指さしていた車(軽トラック)に駆け寄り、乗り込む。キーはさされたままだった。
 キーを回してエンジンをかけることなく、彼女はジッと成り行きを見守っていた。
 ポルナレフはついに激高し、《銀の戦車》で窓ガラスを割る。破片が飛び散るものの、J・ガイルの《スタンド》である《吊られた男》は、鏡の中に居るために《銀の戦車》の攻撃は届かない。逆に、《吊られた男》の行動範囲を広げてしまった。
 ホル・ホースが銃《皇帝》を構える。同時に、幸子は車のエンジンをかけた。《皇帝》の銃口から弾丸が放たれる。『鏡の中』では《吊られた男》が刃をポルナレフに突き立てる――その時だった。

「エメラルドスプラッシュ!」

 水が弾けたと思えば、エメラルドの塊が光を乱反射させながら放たれる。エメラルドは、ポルナレフの体に叩きつけられ、さらにはホル・ホースの放った弾丸までもを弾く。軌道を変えられた弾丸はそのまま壁にぶち当たり、消える。
 花京院の放った《エメラルドスプラッシュ》によって吹っ飛ばされたポルナレフを回収したのは、どこで運転を知ったのか、花京院を車に乗せてやってきた幸子。彼女は、珍しく剣呑な瞳で一度ホル・ホースを見た後に花京院がポルナレフを引き上げるのを見計らってアクセルを踏んだ。

「ポルナレフの命を助けるためかッ!! 花京院とやらやりおるぜッ!」

 虚を突かれたホル・ホースは慌てて《皇帝》を構えるが、すでに車は射程距離外。当たっても威力はないので撃つだけ無駄だ。しかし、彼の相棒は既に幸子達の乗った車を追っていた。
 一方、逃走に成功し一時戦闘を離脱した三人は、無言であった。だれも言葉を発しなかった。幸子に代わり花京院が軽トラックを運転し、隣の座席には三人の中で重傷なポルナレフ、二人に挟まれ小さくなっている幸子。三人は、ただただ無言で前だけを見ていた。

「す、すまねえ花京院、ラッキー」

 重い沈黙を破ったのは、ポルナレフだった。他の二人がチラリと彼を一瞥する。彼は前を向いていた。

「生きるために闘う」

 妹の仇がとれるならば死んでも構わないとさえ思っていたが、アヴドゥルの気持ちを、彼が死んでから漸く理解したポルナレフは、生きるために闘うことを決意した。それを、二人の前で言いきった。

「ほんとに分かったのですか?」
「ああ」

 花京院が問いかけ、ポルナレフがそれに頷く。瞬間、花京院の右肘がポルナレフの顔面に叩きつけられた。彼の行動に、幸子は思わずビクッと肩を震わせて花京院を凝視する。

「それは仲直りの握手の代わりだ、ポルナレフ」

 花京院は静かに言った。彼の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。彼のこの一発で、彼が言わんとすることを、ポルナレフは理解した。だから怒ったり文句を言ったりしない。鼻血を噴き出しながら、彼はただ「サンキュー」と一言述べたのだ。
 ――今度ホル・ホースとJ・ガイルが襲ってきたら、自分たち三人が倒す!
 激情を胸に秘めながら、三人は心に決めていた。


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