世界よ、逆流しろ


11-1



〜第11話〜
結構、心配性なようです



 ゆらりゆらりと揺れる体。不思議だ。どうして揺れているのだろう。暗くて何も見えない。
 なにか、声が聞こえる。懐かしい声だ。低く、聞いているだけで落ち着く声だ。
 光だ。小さい光が見える。まわりが暗くてどのくらい離れているのか分からないけれど、黄金色の光に向かって行けばきっとこの暗闇から出られる。声も、そこから聞こえてくる。
 自分の姿も見えない空間に、『走る』という概念があるのか分からないけれど、わたしは全力で『走っ』た。足音は聞こえない。
 だんだんと光は大きく眩しくなっていく。
 呼んでいる。わたしを、声が呼んでいる気がする。
 わたしは『手』を伸ばした。光に届くように。光を掴むように。
 光の中へ突っ込んだ。

 ――幸子――

 愛おしそうにわたしを呼んだのは、誰だろう。


 * * *


 青々とした海と空。天高く聳え立つ美しい高層ビル。西洋と東洋が上手く溶け込んだ多民族国家ならではの景色はいつみても良い。両親と旅行で訪れたことがあったこの場所は、相も変わらず綺麗だった。マーライオンが、思いの外小さかったのはいい思い出だ。
 船から降りたわたし達ジョースター一行は、一先ずこのシンガポールの宿で荷を下ろし、インドのカルカッタへ向かう為の足を捕まえる。また、旅の必需品もちゃんと揃え直さなくてはならない。

(なんか、変な夢みたなぁ)

 ちゃんと、ジョースターさんの話を聞かなければならないというのは分かっているのに、どうにも頭がぼぅっとしていていけない。あの夢を見た後、なんだかとても悲しい気分になったのを覚えている。

「ラッキー? どうかしたのか? 顔色が優れないようだけれど」
「へっ?……あ、だ、大丈夫。ちょっと夢見が悪かっただけだよ」

 花京院くんってやっぱり人の事良く見ていると思う。それに率直で優しい。今だって、ぼうっとしている私のことを気にかけてくれる。将来いい夫になるよきっと。
 わたしは、彼の気遣いが嬉しくて心がほっこりした。穏やかな気持ちで彼に笑顔を向けると、彼も爽やかな笑みを返してくれた。いま、雰囲気的には可愛い小花がそこらかしこに咲き乱れている感じだ。勿論、花京院くんの物腰の柔らかく爽快なナイススマイルなおかげだ。純日本人なのに童顔じゃないのも凄いけれど、彼のこの爽やかさのなかに秘める可愛さもなかなかに凶悪だと思う。うんうん。
 人知れず物思いに耽って自己完結していると、皆が後ろを見ながら会話をしていることに気づく。皆にならってわたしも後ろを振り返ると、そこには船に密航してきた度胸と冒険心のあるあの少女がいらっしゃった。彼女は、父親に会いにシンガポールに来たんじゃないかと言うポルナレフに、5日後に落ち合うんだと剣のある瞳で言う。ストン、と花壇に腰を下ろして物憂げな表情を浮かべると、彼女はちらりと何かに視線を投げた。

(あら?)

 わたしは、経験はないものの、同じ女の子だからか直ぐに気づいた。わたしは、チラリと斜め前に立つ長身の男・空条くんを見上げた。

(そういうことぉ〜……)

 きっかけとかは知らないけれど、空条くんもとい『女の敵』はどうやら本人も知らぬ間に女の子のハートを射止めてしまったようだ。なんて罪作りな男なんだろうか。まあ、確かに、戦いのときとか、凄くカッコイイし眩しいくらいに真っ直ぐだし、わたしも空条くんみたいになりたいなぁなんて思ったりするけどね。
 女の子は着の身着のままな感じがするし、きっとお金を持っていない。流石に彼女を放って置けないのか、ジョースターさんはホテル代だけでも面倒を見てあげよう、と言う。わたしの時もだが本当にジョースターさんは困っている人を放って置かないなあ。ジョースターさんって、道端にいる捨て犬とか捨て猫を見つけた途端お持ち帰りしてお世話してそうだよね。

「ポルナレフ、彼女のプライドを傷つけんように連れてくるんじゃ」

 ……え、それポルナレフに頼んじゃいますか。
 他のみんなも何も言わないけれどわたし、かなり不安なんですけど。そう思いながら、女の子に歩み寄っていくポルナレフの背中を見つめた。彼は、親指を立てて後方を指しながら言う。

「おい、貧乏なんだろ? 恵んでやるから着いて来な」

 予想通り過ぎて笑いと共に咳こんだよ。
 わたし達は、女の子を連れてホテルへと向かった。部屋割りはジョースターさんとアヴドゥルさん、空条くんと花京院くん、わたしと女の子、ポルナレフは一人となった。もしも何かあった時の為に、わたしと女の子の部屋はジョースタさんと空条くんのいる部屋に挟まれた位置にあった。
 ふかふかのベッドに腰を落ち着け、荷物を解き始めると、女の子がわたしの隣にストン、と座った。やはり彼女は着の身着のままだったようで、荷物らしいものはどこにもなかった。

「疲れた? 大丈夫?」
「うん。大丈夫……ねえお姉ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃんは、どうしてあの人たちと一緒に旅をしているの? お姉ちゃんだけ、その、なんというか」
「不釣り合い?」
「あ、いや…………うん」
「う〜ん」

 天井を仰ぐ。シミ一つない綺麗な白いピカピカの天井だ。
 わたしが彼らと共に旅をする理由。それは――

「自分を乗り越えるため、かな」
「自分を?」
「うん……わたしね、ある人が悪いことをしているって気づいてたのに、それを止めようとしなかったの。見放されるかもしれない、捨てられるかもしれない、そう思って、怖くて、何も言えなかった」

 現実を突き付けられたとき、わたしは怒ることも出来ずに、ただ諦めた。普通ならば、悲しみと怒りが湧きあがり、DIOに対して何かアクションを起こすべきだったのだろう。けれど、しなかった。出来なかった。
 心が弱かったから。家族を殺されているのに、自分は自分の命可愛さになにもしなかった。そして、いざ現実を目の当たりにしたとき、自分は生きることを諦めて抵抗もせずにただただ震えた。
 こんな姿、父さんや母さんが見たらきっと悲しむだろう。情けない、と嘆くだろう。

「両親のために、なによりも自分のために……弱い自分を変えたい。彼らについて行けば、きっとそれが出来る。そう直感したの」

 それが理由。そう言い切ると、女の子は目を丸くした。ちょっとカッコつけすぎたかなぁ、なんて顔が赤くなっていくのを感じ、わたしは気恥ずかしさからベッドを立って「ちょっとトイレに」と適当に理由をつけ部屋を出る。
 廊下は、静かだった。
 適当に散歩をして顔の熱を冷ましてから戻ろう、と決め特にゆく当てもなく歩く。
 掃除の行き届いた廊下を感心しながら歩いて角を曲がると、突然人が現れた。咄嗟のことで対応しきれず、肩をぶつけてしまった。相手は、擦り切れたよういかにも古いマントでフードを目深に被っているため顔は分からない。身体を覆ってはいるが、辛うじて女の人だと分かる。古臭いマントのせいか、頭からますで煤を被ってしまったよう。
 直ぐに謝ったが、相手は何も返してくれない。ここは「こちらこそ」と言って返事をするとこではないだろうか。少々無礼な女の人の態度に、自然と皺が眉間に寄る。わたしの表情に分かりやすく感情が現れていたのか、女の人はクスリと笑みをこぼすと、なんとマントの胸元をはだけさせたではないか。
 古かびたマントから現れたのは、豊満で柔らかそうな二つの房。まるで下着のような服にわたしは「ふしだらな」と零しそうだったが、どうにも女の人の立派な谷間に目が行ってしまい、人の事を言えない状態だ。
 仕方ないよ。人類は皆おっぱいが好きだもの。それにほら、人間って自分に欠けているものを欲しがるっていうじゃない。わたし胸小さいしさ。あと、学校の友達(女の子)が「おっぱいは正義(ジャスティス)だぜ」って親指を立ててドヤ顔で言ってたもの。……こう、おっぱいおっぱい言ってるとわたしがおっぱい星人みたいに聞こえるからやめようかな、うん、そうしよう。
 わたしの胸がぺったんこ一歩手前――か、辛うじてあるよッ、ないわけじゃないよっ――でコンプレックスに思っているのを見越して、目の前の女の人は彼女自身の豊満な胸を見せびらかしたのだろう。なんて非道な人なの。人の心の傷を更に抉るだなんて! 空条くんが指摘してきただけでも傷だらけなのにっ。やめてよ! 幸子の体力はもうゼロよ!

「フフフ……ほぉんとーに貴方って小さいのねぇ」

 唐突に綺麗なソプラノ声が聞こえてきたと思えばなんとも失礼なことを言われた。いやまあ、事実なんですけど。小さいのは事実で本人自覚済みなんですけど、自覚してるからこれ以上傷を抉らないでほしいです。

(……あれ? ちょっとま――)

 感じた違和感。それは彼女の言動から。
 わたしは彼女を知らない。声も聞き覚えがない。だから初対面の筈だ。それなのに、彼女はわたしを知っているような口ぶりだった。だから、わたしはある一つの考えに至った。いや、至ろうとしたと言った方が良いかも知れない。
 脇腹に感じる燃えるような感覚、じわじわと鋭い痛みが襲ってきた。見下ろすと、女のひとの腕がわたしの方へ伸びており、そのほっそりとした華奢な手が握っているのはナイフの柄。刃は深々とわたしの脇腹に刺さっていた。

「げほっ」

 口から溢れ出したぬるりとした感触の液体。それは真っ赤な色で、足もとにべちゃりという音を立てて落ちた。

「DIO様には殺さず連れて来いだなんて言われていたけれど……わたしには無理難題だわ」
「あ、なた、はっ……でぃ、おの……」
「タロットの暗示はない……けれど、なんだっていいわ。あの方の役に立てるのならば、あの方のお傍にお仕えできるのならば!」
「あぐっ」

 ぐりっ、と突き刺さるナイフを抉るように回す。激痛が脇腹から全身に広がるような感覚だった。

「なのに、あの方は……貴方を選んだ。ちんちくりんで弱い小娘を。あの方は変わられた。貴方が……お前が館から消えてから!」
「ぐあぁっ……!」

 DIOが変わった? どういうこと?
 まるで譫言のように言う女の人の言葉を理解できない。
 わたしは女の人を押しのけ、距離を取った。ぜいぜいと喘ぎながら足を縺れさせて廊下でもんどりうつ。

「《クリア・エンプティ》ッ……」

 能力を発動して刺された腹を元に戻す。しかし、対応が遅れたせいか、傷が戻りきらず、激痛に悶える。

(傷が、深すぎるっ……)

 呼吸をするたびに傷がズキズキと痛みを訴える。涙も止まらない。

「弱い、弱い、弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い! ぶっ殺してやるわこの泥棒猫!」
「げほっ」

 一瞬見えたのは女の人の鬼のような形相。目を血走らせ、大きく開けたその顔からありありと殺気が伝わってくる。

「《クリア・エンプティ》!」

 わたしは無我夢中だった。生きねばと、生きたいと、心が叫んだ。一瞬、痛みを忘れて立ち上がると、覚束ない足取りで走り出した。
 早く、早く、もっと早く。そう自分を急かして走る。けれど、傷を抱えているために思うように足が動かない。足運びがわるければ直ぐに追いつかれてしまう。のに――

「どういうこと!?」

 女の人は、以外にも離れたところで聞こえてきた。振り返ると、随分と距離がある。彼女は、信じられない、と言いたげな顔でわたしと、わたしが転がっていた場所を交互に見ていた。

「だって、お前はさっきまでここにいて……どうしていつの間に数メートル先にも移動しているのよォ!?」

 不可解な単語を受信した。『さっき』『どうして』『いつの間に』これだけ聞けばとくに問題もない語だ。けれど、状況に不適切だった。だって、わたしは明らかに走って逃げていて、高速で移動したわけでも、ましてや瞬間移動したわけでもない。それなのに、彼女はまるでその場から私の姿が消えて数メートル先で現れたような口ぶりだ。
 わたしは彼女に何かをしただろうか。首を傾ぎながら、出しっぱなしにしていた《クリア・エンプティ》を見上げた。

(あ、そうだ、わたし、確か無意識に《クリア・エンプティ》の能力を発動してた……でも、能力はただ《物体の時間を巻戻す》というだけだし……)

 訳が分からない。ただただ困惑した。

「どうやって移動したのかは知らない! どうせスタンド能力なんでしょ。移動するだけで実際には何もできないわ!」

 先に立ち直ったのは、女の人の方だった。彼女はナイフを握り直すとわたしに向かってくる。彼女のスタンドがどんなもので殺傷能力のあるものかは分からないけれど、どっちにしろ私は闘えるスタンドではない。逃げなければならないのは変わらない。

「逃がすわけねーだろこのビチグソがぁ!」
「きゃあ!?」

 いきなり足を取られてわたしはその場に転倒した。女の人は数メートル先に居るのに、どうして、と足をみると、なんと黒いものが巻き付いているではないか。それは廊下を照らすランプの影から伸びていた。それだけではない、近くに置いてある鉢植えの影からも伸びていた。

「あ、貴方のスタンド能力は、影を伸ばすの!?」
「そうよ。わたしのスタンドは《シャドー・レイ》……影があるところならばどこにでも潜ませることができるし、影を取り込んで変幻自在に形を変えることができる。あんたにはわたしは倒せないわ」

 自分から能力バラしちゃっていいんですか。
 ……ああ、わたしが彼女より圧倒的に弱いと思われてるからですね。

「わたしのスタンドに弱点はないわ。そして死ね! 戸軽幸子!」

 スタンドでとどめを刺せばいいものを、彼女はとことんわたしを痛めつけたいようで、ナイフを振りかざす。滅多刺しする気らしい。
 いくら、スタンドを使えるからってわたし自身の体はただの一般高校生の女だ。滅多刺しにされればひとたまりもない。
 全身から血の気が引いて行くのが分かる。わたしの表情がお気に召したのか、女の人は口角を上げてニヤリと口を歪めて満足げな表情を浮かべる。

 ――死ぬわけにはいかない――

 ぎり、と歯を食いしばる。
 わたしはここで死ぬわけにはいかない。DIOに話したいことがある。彼を止めたい。聖子さんを助けたい。だから――

「死にたくない!」

 脇腹が痛むとか傷が開くとかそんなこと頭の奥の奥に押しやって、わたしは感情を爆発させた。


.

戻る 進む
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -