世界よ、逆流しろ


10-4



 救助された船に乗って、わたし達はシンガポールを目指していた。明日頃には到着するらしい。足止めをくってしまって焦るものの、今はどうすることも出来ない。聖子さんの容体を気にしつつも、今は今度襲われたときどう対処するのか考えるのが大事だろう。
 わたしは、一人、夜風に当たる為に、甲板に出た。ヒンヤリとした潮風に当たって、一人で考えたかったのだ。
 今回、フォーエバーと対峙してわかった。わたしは、仲間が身動き取れなくなった場合、どうすることもなくなってしまう。サポートが基本の能力だと思っていたが、そのサポートすらできていなかった。せいぜい傷や敗れた服などを治した程度だ。なんと情けない成績だろう。これではただのお荷物だ。

(わたしなりの戦い方を考えなくては……でなければ、今後、強力なスタンド使いに遭遇した時、わたしは皆のお荷物になってしまう。それだけは嫌だ)

 手すりに肘を突いて、波打つ黒い海を眺めた。空条くんのように殴り合いの喧嘩とかの経験がないわたしには、どうやって戦えばいいのかさっぱり分からなかった。だって、わたし、つい最近まで自分のスタンド能力すら勘違いしていたんだもの。
 この問題は、先が長そうである。自然とため息が出た。

「ラッキー」

 波打つ海を特に訳もなく眺めていると、不意に名を呼ばれる。振り返ると、そこにはどこかうかない表情で立つ花京院くんがいた。彼と話すのは、なんだか久しぶりな気がした。彼は、つかつかと歩み寄ると、わたしの横に並び、黒い海の向こうを眺める。わたしも、彼にならって黒くうねる海を眺めた。

「……君は、男性恐怖症のけらいがあったんだね」
「……うん」

 花京院くんは静かに語り始めた。

「ぼく、知らなかったよ……どうして言ってくれなかったんだい。そうしたら、もっと……」

 そこで、彼は口をつぐむ。今度は、わたしが彼に伝える番だった。

「わたし、男性不審だからと知って花京院くんが遠慮することが嫌だった」
「え?」
「だって、花京院くんは大事な友達……そんな貴方に、距離を置かれたくなかった」

 花京院くんは、友達だから伝えて欲しかった。
 わたしは、友達だから知られたときに遠慮されるのが怖かった。
 お互いがちょっとずつすれ違って、ちょっとずつ上手くいかなかった。ただ、それだけのこと。お互いに思いやり過ぎたということに気づいたわたし達は、おかしいね、なんて言いながら笑いあった。

「わたし、花京院くんだったら何されても平気だから」

 自分でも驚くぐらいニッコリと笑いながら、わたしは言った。すると、なぜかピキリ、と花京院くんが石のように硬直した。……あれ? え、わたし、なにか変なことを言っただろうか。
 彼の顔色がうかがえず、横から何度か覗き込もうとするが、やっぱり見えなくて、どうしようかと戸惑う。手が無意味に上下左右に揺れ、肩を叩こうか叩くまいか彷徨う。

「花京院くん?」
「……ラッキー」
「は、はい」
「……」

 名前を呼んだきり、再び口を閉ざしてしまう花京院くん。なんと言えばいいのか考えあぐねいているように見える。
 わたしは、自分の発言に不備がなかったかを思い返してみる。そして気づいた。自分が先走ってトンデモナイことを言っていることに。顔が、段々と熱を持って行く。

「あ、あああさっきのはね、友達としてのスキンシップの範囲で何されても気にならないっていう意味でっていうか、君を信頼しているから男性不審でも大丈夫っていうか、ああああ……」

 頭を抱えた。なんと言って説明すればいいのか分からなくなって項垂れた。
 嫌われたかもしれない、軽い奴だと思われたかもしれない。そんなマイナス思考がわたしの脳内を埋め尽くす。そんな涙ちょちょぎれそうになったとき、ふと隣から失笑が漏れてきて、思わず驚いて顔を上げた。

「君のことだから、そんなことだろうとは思っていたんだ……ただ、余りにも衝撃的なセリフだったものだから、なんと返せばいいのか分からなくてね。女の子友達なんて今までいなかったから、どう対応すればいいのか分からなかったんだ」
「そ、そうだったんだ」

 わたしは嫌われたのではないと分かり、ホッとした。

「それにしても……あの『何されてもいい』はないよ」
「え?」

 確かに、勘違いされかねない言葉だったとは思うけれど、そんなに駄目だろうか。わたしは首を傾いだ。すると、花京院くんは長い溜息をする。ど、どうしたというんだい。

「君ね! ぼくは確かに君の友人だが仮にも男なんだよ! そんな無防備でいて良いと思っているのかい!? 男は狼だとか教わらなかったのかい!?」
「お、おお……」
「『おお』、じゃないよ! もっとしっかりして! もっと警戒心というものを持ってくれ!」

 珍しい花京院くんの剣幕に、目を見張ることしかできなかった。息切れをする彼を茫然と見つめていると、またもやため息をつかれてしまった。こ、ここは名誉挽回というやつをしなければならないのかも!……そ、そこっ、もう名誉なんてないだろとか言わないでッ。

「花京院くん!」
「な、なんだい?」

 花京院くんと向き合う。彼は、呼吸を整えると体を暗い海からわたしへと向けた。わたしは、深呼吸をすると、口を開く。

「仲間で友達の貴方に、警戒する必要ってなくないですか」
「……」
「……」
「……はぁ」

 なぜか花京院くんはため息をつくと共に肩を落とし、こう垂れた。……おかしいなあ?

「あ、あの、花京院くん?」

 名を呼ぶと、彼は、ブツブツと暫くなにか呟いたのち、ガバリッ、と顔を勢いよく上げる。驚いて数歩下がると、彼は数歩詰めてきた。

「君が一度気を許した相手に警戒心ゼロだということはよぉーく分かった」

 がっしり、と私の両肩を掴んで花京院くんは言った。

「それが君の美点であり欠点であることもよぉーく理解した。だからと言って、ポルナレフみたいな野獣がいるわけだから、そんな君を野放しにはできない」
「う、うん?」
「ここは、ぼくが警戒しなくてはいけないようだ。ぼくが君をちゃんと護衛しよう」
「え、あ……ありが、とう?」
「ああ、お安い御用さ」

 わたしは、この時は半分冗談だと思っていた。まさか花京院くんが本気でわたしの身を案じているだなんて、このときは思いもしなかった。
 二言三言、言葉を交わしたのち、花京院くんは用事を思い出して船内へと戻って行った。わたしは、場所を変えようと適当に甲板を歩き始めた。

「あ……」

 適当に歩き、そろそろ甲板を一周するというところで、元いた場所に誰かが立っているのを見つけた。
 闇に溶け込んでしまいそうな色を纏うその人物は、じっと黒い海を眺めていた。コートと思わしき裾が潮風に乗って揺蕩う。足が長く、雑誌のモデルのようだ。頭には独特の帽子を被っており、どこからが頭でどこからが帽子なのか分からな――ん、待てよこの条件にぴったりな人物をわたしは一人知っているぞ。

「空条くん」
「……おう」

 空条承太郎。彼だと分かった瞬間に思い出したアヴドゥルさんの言葉。そういえば、わたしまだ彼に謝っていなかった。というか、コートじゃなくて長学ランだった。紛らわしいなあ、もう。
 タバコは、湿っていて吸えないらしい。体に良くないから、吸っていなくてちょこっと喜んでしまったのは内緒にしておこう。
 改めて、空条くんを見上げる。今気づいたけれど、耳にシンプルなピアスをしていた。ちょっとそれがさり気ない色気を醸し出している。……なんかムカついた。

(違う違う、今は空条くんのピアスじゃなくて……彼に謝らなくては)

 気持ちを切り替えて、もう一度空条くんを見上げた。

「あのさ、今日はごめんね。助けてもらったのに、いつまでもウジウジ気にしててさ。お礼もまだだったよね」

 ぺこり、とわたしは頭を下げた。

「溺れているところを助けてくれて、ありがとうございました」

 言うまではどこか不安と恐怖を抱いていたのだが、言ってしまった途端、胸にあったしこりがスッとなくなってしまったように二つの負の感情が消える。
 顔を上げて彼の表情を伺うと、とくに怒った様子も不機嫌になった感じもなく、ただ、いつもの愛想を感じない仏頂面でわたしを見下ろしていた。

「大したことじゃあねえ…………おれも、少し言い過ぎた」

 わたしは少し驚いた。空条くんがまさかわたしに対して謝罪するなど思わなかったからだ。聖子さんが、根は優しくていい子だと言っていたが、本当に彼は根は良い人なのかも。不器用な優しさがあるのは、もう分かっている。
 なんだか、胸がスッとする。
 笑みが、自然と漏れた。

「やっぱり、空条くんって素敵な人だ」

 誰に言うでもなく、独り言のつもりで呟いた。あとあと思い返せば、このときわたしは酷くニヤついていたのかもしれない。何故か、空条くんがわたしを見たのちに学帽の鍔を下げてそっぽを向いていた。きっと、見るに堪えないほど情けない顔をしていたのだろう。

「あんた、意外と無いんだな」
「?」

 唐突に放たれた空条君の言葉に、わたしは初め、なんのことかさっぱりであった。空条くんがちょいちょい、と武骨で長い指でわたしの胸元を指すので、漸く胸が小さいということを言われているのに気付いた。途端に、顔に熱が集中し、全身の毛が逆立つのが分かった。

「言わないでよ! 気にしてるんだからッ! っていうかセクハラ!」
「そーかよ」
「このっ……!」

 自分から話題を振っておいて、この男、まさかの放棄をしやがりましたよ奥さんッ。わたしのコンプレックスを指摘しておいて我関せず――いや、まあわたしの胸が小さい事実は彼にとってはなんの関係もないけれどッ!――な態度を取るなんて無礼極まりない不届き者ッ。いっぺん成敗したろかッ。

「デリバリーのない人っ」
「それを言うならデリカシーだぜ」
「うっ……ううぅ噛んだのっ」
「そーいうことにして置いてやる」
「くっ、き……結構ですッ」
「いいのか?」
「いやよくないけどっ!……って、ああもうよく分からんことになっているぅうう……」

 頭を抱えて手すりに肘をつく。それを空条くんは笑う。
 見直したと思ったらすぐこれだッ。これは、褒めると調子にのると見たぞわたしっ。
 下から睨みつけるようにして見ると、鼻で笑われた。……わたし如きが睨んだって怖くないのは百も承知だからお願いです嘲笑しないで下さい心が折れそうです。


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