世界よ、逆流しろ


10-2



 キーコキーコと金属が擦れる音を聞いた気がした。
 ジョセフが発した怒号にも似たソレを聞いた直後、幸子とアヴドゥルの背後に立っていた水兵の後頭部にクレーンのフックが突き刺さる。それを見た幸子は、反射的に《クリア・エンプティ》を出現させていた。彼女が、能力を発動させると、突き刺さったフックは巻き戻るように水兵の後頭部から抜け、水兵の頭の傷も元通りに戻った。

「危ないからこっちへ!」

 再びフックが襲ってきては堪らない、と幸子は死にかけた水兵の腕を引いてアヴドゥルの傍に立たせた。その後、さっと彼女はアヴドゥルやジョセフたちに目配せする。承太郎は、女の子に惨たらしい場面を見せないようにしていたのか、大きな手で彼女の顔を隠していた。そんなところで、「意外と紳士……」と幸子は不謹慎にも感動する。
 水兵たちは騒いだ。誰も、クレーンには触れていないのに、ひとりでにクレーンが動いたと。そして、死んだと思ったのになぜか生きている、なにもなかったことになっている、自分たちは白昼夢でも見ていたのか、と騒ぐ。けれども、今の現象を説明できる人間などいやしない。ジョースター一行はごくり、と息をのんだ。


 * * *


 わたし達は気づいた。
 この貨物船は、わたし達を救出しにきたのではなく、水兵もろとも皆殺しするためにきたのだと。
 仲間うちで目配せするが、誰一人として、スタンドもスタンド使いの姿も影も見ていない。クレーンの近くに立っていたアヴドゥルさんや私ですら見ていなかった。わたしなんて、水兵さんが死なないように目を凝らして《クリア・エンプティ》の能力を発動させるので精一杯で周りなんて見えちゃいなかった。
 花京院くんが、《法皇の緑》を船内に這わせてスタンドを追ってみる。
 わたしは、恐怖に震える少女が心配で、彼女のそばに寄った。すると、縋るように彼女もわたしに引っ付く。いくら船に密航する度胸があったとしても、彼女はまだまだ小さな子供だ。怖がるのも無理はない。わたし達が、疫病神に見えてきて仕方ないのだろう。けれど、わたし達は彼女や水兵たちの味方だ。DIOが送り込む刺客たちの巻き添えにならないようにしたいし、守りたいと思う。

「ん?」

 がた、がた、と音が聞こえ、振り返るとそこには大きな檻の中に入っているオラウータンの姿があった。そういえば、なんだか妙にあのオラウータンから視線を感じている、とわたしは思う。
 ふと、唐突にわたしの脳裏にある一匹の鳥が思い浮かんだ。DIOの館の門番をしているペットショップの事である。彼はたしか、動物であるのにスタンド使いであった。スタンドは精神が像となったものだ。動物にだって自分の意思などがあるはず。

「あ……」

 無人の船、正常に稼働する機器類、乗っていた唯一の生き物オラウータン、奇妙な攻撃――わたしの中で、なにかパズルのピースのような物がカチリ、と音を立ててはまった気がした。

「もしかして、あのオラウータンが《スタンド使い》って言うことはない……?」

 出来るだけ、みんなに聞こえるようにわたしは言った。すると、仲間のみんなが一斉にわたしを振り返る。

「わたし、オラウータンじゃあないけど、動物のスタンド使いを一匹……いえ、一羽知ってるの……も、もしかすると……」
「そんなわけねーだろ。じゃあなんで、わざわざ自分で檻の中に入ってんだよ。スタンドだって出した様子はねーぞ?」

 ポルナレフは、ありえない、と言うように首を振ってわたしの意見を真っ向から否定した。確かに、わたしもどうして隠れもせずわざわざ檻の中に入って自らの存在を晒すのか分からないし、あのオラウータンがスタンドを出したところを見ていない。自分で言っておいてなんだが、段々と自信がなくなってきた。ポルナレフのいう通りかもしれない。
 アヴドゥルさんの提案で、二組に分かれて船内を捜索することになった。暗くなる前に敵を見つけなければ、不利になるのはわたし達の方だ。敵は、ゆっくりと、闇に紛れてわたし達を一人ずつ始末していくことだろう。
 わたしは、水兵さんと女の子を守ることにした。スタンドを使えない・見えない彼らは、真っ先に狙われるとわたしは思ったからだ。わたしなら、死ななければいくらでも彼らの傷を治すことができる。

 ――がた、がた。

 ふと、檻の方から音が聞こえてきた。あのオラウータンだ。女の子とわたしは興味本位で近づく。わたし達が近づくと、オラウータンはトントン、と鍵穴を指す。開けてくれ、ということなのだろうか。女の子とわたしは一度顔を見合わせたのち、再びオラウータンを見る。そして揃って首を振った。

「だめよ……キーがどこにあるか分からないし、あんた大きいもの」

 女の子が言った。すると、お猿さんは今度は何かをわたし達の前に差し出した。
 林檎だった。しかも、切り口がまだ変色していない。ついさっきナイフで切ったばかりのようなみずみずしい色をした林檎だった。わたしは一歩、檻からさがる。女の子は、ナイフで切ったような林檎を見てやはり人間がいるのだろう、と思ったのか更にお猿さんに近寄った。

「どこかに人間がいるんでしょ?」

 そう少女は問う。そのとき、わたしは見た。マッチを使ってタバコに火をつけるオラウータンの姿を。わたしは戦慄した。同時に、目があったような気がして更にわたしの体は震えを覚える。そんな、わたしの反応がお気に召したのか、オラウータンはにやりと笑いながらごろん、と楽な姿勢を取った。そして、ガサゴソと藁をかき分けると一冊の雑誌を取り出した。それは、父さんが生前、母さんに隠して持っていたイカガワシイ本であった。そういえば、これを見つけた母さんのあの鬼のような形相といったらトラウマもんだった。
 わたしの思い出はさておき、重要なのは今のオラウータンだ。

「サルのあんたが、にっ人間の女の子のピンナップ見て……面白いの?」

 女の子の問いに、にやり、とオラウータンが笑った気がした。わたしはゾッと寒気を覚える。その後、わたし達を心配した水兵さん達がやってきてオラウータンから離れるように注意する。なんでも、オラウータンは人間の五倍の腕力を持っており、子供の腕なんて簡単に引き千切れるのだそうだ。
 わたしは、あのオラウータンがわたしの腕を嬉々とした顔でわたしの胴から引っこ抜くのを想像してしまい、気分が悪くなった。青くなったわたしの顔を見た女の子は心配そうにわたしに「大丈夫?」と声をかける。……何ていい子なんだ。わたしは心配をかけまいと笑顔を取り繕って頷いた。

 オラウータンの檻がある部屋を出て、わたしと女の子がやってきたのは無線機のある部屋だった。どうやら、水兵さんたちは、近くの船に救助信号を打っているみたいだ。わたしはなんとなく落ち着かなくて、女の子の傍で辺りを忙しなく見渡していた。
 時は刻々と過ぎてゆく。なんとなく外をみると、あたりは夕焼け色に染まっていた。沈みかける太陽の光を受けて、真っ赤に染まる海はまるで血のようで、不気味に感じる。なんだか怖くなって、わたしは外から視線を逸らした。

「あの、お姉ちゃん、ちょっと来て」
「え?」

 少女に腕を引かれてやってきたのは、シャワー室だった。

「シャワー使えるみたいだから入りたいんだけど、お姉ちゃんも使う?」
「ああうん……でも、君が入ってからでいいよ。わたしは後から入るから」
「分かった。ありがとう……あ、あの、入ってる間、ここに居てくれないかな。その、不安、だからさ……」
「いいよ。待ってる。ぞんぶんに体を洗ってきて」
「うん! 早めに出るよ!」
「ははは。ゆっくりでいいよ。わたしは適当に本とか読んで待ってるから」

 不安げな表情であったが、会話をするうちに安心したのか、彼女は笑顔でシャワー室へと入って行った。

(一応、水兵さんたちの様子も見て来なきゃ……)

 ちらり、と女の子の入って行ったシャワー室を一瞥したのち、わたしはそう遠くはない彼らのいる部屋へと向かった。

「……えっ」

 部屋に入ったわたしは愕然となった。
 あたりに飛び散ったような跡のある血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血。絡まったコードに吊るされる首、バラバラになった手足、恐怖に歪んだ顔、顔半分が失われた人、脇腹があばら骨が見えるまでに剥ぎ取られた人、机に突っ伏して夥しい量の鮮血を流して動かない人――みんな、死んでいた。

「うそ、だって、悲鳴すら、聞いてな……」

 わたしは言葉の途中で息をのんだ。部屋の陰から、ぬっと大きな影が現れたからだ。一歩一歩と地獄絵図のような部屋から後ずさる。ぬぬぬ、と血のこびりついた大きな手がドア枠を掴む。
 現れたのは、檻に入っていたはずのオラウータンであった。

「やっぱり、貴方が……この船にいるスタンド使いっ……」

 いかにも、と言いたげにニタリと下卑た笑みを浮かべるサル。わたしは、震える情けない脚に拳を叩きつけて走った。

(わたしじゃ戦えないっ……知らせなくちゃ、みんなに、知らせなくちゃ!)

 女の子のいるシャワー室に向かいながら《クリア・エンプティ》を出すとみんながいるだろう甲板へと向かわせようとした。けれど――

「わッ!?」

 突如、わたしめがけて飛んできたガラスの破片。どこのもののガラスかはさっぱりだが、わたしは咄嗟に頭を守った。ガラスはわたしの膝や脇腹、肩などを掠ってゆく。切られた肌は燃えるような熱さを感じる。急いで傷を治すと、目の前にいきなりオラウータンが現れた。
 何を言っているのか自分でも分からないけれど、さっきまで部屋に居てわたしの後ろを走っている筈のオラウータンがいつの間にかわたしを待ち構えていた。
 急ブレーキをかけてUターンしようとしたが、突如伸びてきたパイプに手足を拘束され、壁に貼り付けられてしまった。パイプが伸びて来るっていったいなんの超常現象だよ! ミステリーだよ! メルヘン……ではないよ!

「は、ちょっと……な、なに」

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらオラウータンは私に近づいてくる。わたしは腕や足を動かそうとしてみたが、ガッチリとホールドされていて一ミリも動かすことができない。出していた《クリア・エンプティ》を使おうにも、スタンド自体もガッチリと壁にめり込んでおり、身動きが取れなかった。
 ――近づいてこないで!
 そう怒鳴りつけるも、完全に自分が優位だと分かっているのだろう。余裕綽々な顔でわたしの直ぐそばまでくると、毛むくじゃらの腕を伸ばして大きな手でわたしの胸倉を掴む。何をするつもりだ、と顔を青くしてみていると、なんとオラウータンはわたしの制服を襟から腹にかけて縦に引き千切ったではないか!
 コンプレックスである小さな胸が晒され、わたしは顔が熱くなるのが分かった。

「な、なにしてっ、や、やめて! やめなさい!」

 そういえば、このサルは人間の女の子のイカガワシイ本を読んでいた。まさか、このサル……!

「スケベ! どスケベだコイツ!」

 わたしの貧相な胸で満足するのかお前、というところはわたしが虚しくなるだけだからとりあえず置いといて、問題はこの状況をどう打破するのかである。下手したらこのままわたしは自分の貞操を目の前のサルに脅かされてしまう。いや、もう既に脅かされているかもだけどさッ。
 ……なんだろう、この目の前にいるサルを全力で蹴っ飛ばしてやりたい。殴るのは自分の拳が痛くなりそうだから余りやりたくないけど、蹴りならいける気がする。この、わたしのなけなしの谷間に顔を埋めて満足そうにウヘウヘしているその締まりのない顔面に足をめり込ませてやりたい。

「このっ、どスケベ猿! どこに顔すり寄せてんの! その涎つけないで! 汚いィ〜〜っ!」

 嫌悪感が最高潮に達したからなのか、はたまた怒りが爆発したのか。自分でもよく分からないまま暴れたら、火事場の馬鹿時からというやつか、偶然右腕の拘束が外れ、わたしはその暴れた勢いのままジョブをサルの横っ面に叩きつけた――つもりだった。
 あろうことか、サルは悠々とわたしの右ジョブをかわしてしまった。サルにとっては小娘一人のパンチなんてすっトロいの何でもないのだろう。でも、距離は取ってくれただけでいい。
 ああもう、涎拭きたい。なけなしの谷間に付着したベトベトの涎を今すぐにでも拭いたい!


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