世界よ、逆流しろ


10-1



〜第10話〜
喧嘩のあとは
仲直りしましょうか



 香港を出て一夜が明けた。ジョースター一行は、チャーターした船ではなく、乗組員10名と密航者の少女と共にそこそこ大きいボートに乗っていた。偽船長が船に爆弾を積んでいたようで、乗っていた船は木端微塵に吹っ飛び、今は海の藻屑となっている。
 幸子は、隣で身体を預ける自分よりも一回り二回り小さい少女を抱き寄せて、小さな頭に頬を置いた。

(結局一睡もできなかった……それもこれも、空条くんの所為だ……)

 幸子の脳裏に蘇えるのは、窒息して溺れそうになったときに空条くんが口移しで酸素をくれたところ。唇の感触とタバコの香りが鮮明に今でも思い出せてしまう。

(あ〜も〜ぉおおお考えない考えない考えないッ)

 一度、恥ずかしい場面やむかっ腹立つ場面を思い出すと、芋づる式に似たような感情を抱いた様々な場面が思い出されてしまう。けれど、いいのだ。それは。命を助けてくれるために、やってくれたことなのだから、むしろ彼女は感謝すべきだと考えていた。

(なんでわたしばかり、こんなに気になっているんだろう……)

 助けてくれた空条承太郎の方を見れば、何食わぬ顔で、煙草――日光と風が湿気たタバコを乾かしてくれたのだ――をふかしていた。ゆったりと紫煙を吐き、白んだ空を仰いでいる。その様子からは、全く幸子に(甘くもない)口づけをしたことを気にしているようには感じられない。幸子ばかりが一方的に恥ずかしがって気にしている。それによって段々と彼女の気分は急降下してゆき、最終的には――

(このぉおお『女の敵』めぇ……ぜっっっっったい許さないんだからっ!)

 ――と、この様に一周して、再び空条承太郎と出会った時の様な心境に戻ってしまったのであった。
 暫くすると、じきに太陽が高く高く昇ってくる。眩しさのせいか、少女が目を覚ます。おはよう、と幸子が声をかけると、寝ぼけ眼であるが少女はへにゃりと笑って幸子と同じ言葉を返した。

「水を飲むといい。救助信号は打ってあるから、もうじき助けが来るだろう」

 少女を気遣って、ジョセフは水筒を手渡す。一番小さな彼女は最初に脱水症状になりやすいと思ったからだろう。水筒を受け取りながら、少女はあたりを警戒心たっぷりに見渡す。それもそうだろう、体格のいい男たち(そのうちの二人は190センチ超え)が揃って旅をしているのだ。約一名、穏やかそうな女(幸子)がいるが、彼女が威圧感たっぷりな男たちに溶け込んでいると、異様さが際立つ。どちらにしろ、密航少女にとっては訝しむ存在なのだ。

「何が何だか分からないけれど、あんた達、何者なの?」

 水筒に未だ手を付けない少女が言った。そんな彼女に、ジョセフは真剣な表情で「君と同じ旅を急ぐ者だ」と語った。少女は、どうやらシンガポールにいる父親に会いに行くために密航したことを、幸子はこの時初めて知った。
 少女は、ひとまずは安心したのか、水筒のふたを開けて水を口に含んだ。しかし、すぐにそれは体外へと勢いよく噴出される。貴重な水を大切に飲め、とジョセフが厳格に注意するも、少女はそれどころではなかった。幸子も、丁度少女と同じ方を見ていたからか、口をパクパクとさせてわなわなと手を震わせながら人差し指を向ける。
 ジョースター一行の前に現れたのは、一隻の大型船。貨物船だ。
 彼らが気づかぬうちに、もう近くまで来ていたらしい。船はタラップがおりており、水夫たちは救助信号を受けてやってきてくれたのだと喜んだ。しかし、たった一人だけ、貨物船に疑問を抱いている人物がいた。

「承太郎、なにを案じておる? まさか、この貨物船にもスタンド使いが乗っているかもしれんと考えているのか?」
「いいや……タラップがおりているのに、なぜ誰も顔をのぞかせないのかと考えていたのさ」

 すでに二隻のボートを船に近づけてあり、ポルナレフとアヴドゥルが様子を見ている。ポルナレフは、たとえ乗組員が全員スタンド使いであっても俺は乗る、と言ってタラップを上り始める。怖いもの知らずなのか、はたまた、ただの馬鹿なのか。
 水夫たちもポルナレフに続く。
 一抹の不安があるものの、ボートで漂流していても仕方ない。一行は船に乗り込むことにした。

「掴まりな」

 先にボートから上がった承太郎が、密航少女を抱き上げて花京院に渡し終えて自分も乗り込もうとした幸子へと手を伸ばす。

(わ、意外と紳士……)

 承太郎に意外性を感じながら、手を伸ばす幸子だが、ふとその手が止めた。
 手を引っ込めた彼女は眉間に皺を寄せてムッとした表情になると、彼と自分の手を交互に見る。彼女のその行為で察したのか、承太郎も彼女同様に眉間に皺を寄せた。

「おい、オメーまさか、あのことを気にしてんじゃあねーだろーな」
「……」
「ん? 承太郎、あのこととは?」

 無言を貫いた幸子とそんな彼女を睨みつけるようにして見る承太郎を、ジョセフは不思議そうに見つめた。承太郎は、面倒くさそうに、幸子からジョセフへと視線を投げ、説明する。こいつが溺れそうになったときに人工呼吸した、それを気にしている、と。
 ジョセフは、承太郎に対して、女の子なんだから仕方ない、と宥める。しかし、それに対し「ケッ」と唾を吐くと彼は、

「初めてじゃあるまいし、いちいち気にしてんじゃあねーよメンドクセー」

と吐き捨てた。
 それを見た幸子の中で、何かがぷっつん、と切れる。彼女は、すぅ、と目を据わらせると、ボートを蹴る。驚いて承太郎とジョセフが飛びのいたそこに、着地をすると、彼女は足元に落としていた視線を上げて承太郎を見上げた。

「初めてで悪かったですね!」

 挑む勢いで言葉を放つと、クルリと踵を返して彼女は階段を上りだした。慌ててその後を密航少女が追いかける。
 ぽかん、とした表情でジョセフは幸子を見送ったのち、ハッと気づいて承太郎を振り返った。

「承太郎……」
「……初めてだったとは思わなかった」
「……しかたない、わしも思いもしなかったしな」
「……」
「……」

 暫くジョセフと承太郎の間には重い空気が漂っていた。
 一方、少女に手を握られながら階段をのぼる幸子はというと、苦虫を噛んだような顔でいた。

(なんか、わたし嫌な人だったな……いつまでも気にしてた私が悪いんだし、あの状況では空条くんはああするしかなかったし、助けて貰って文句しか言えないって、ほんと最低な人間だよわたし……)

 自己嫌悪していた。ため息も知らず知らずのうちに何度もしていた。

「お姉ちゃん」

 それを見かねたのか、少女が幸子に声をかけた。

「お姉ちゃん、初めてだったの? その……」

 ――キス。
 少女は小声でつぶやいた。幸子は頷く。

「恋人とか、いたことないし」
「うっそぉ!? お姉ちゃん可愛くて綺麗なのに」
「き、綺麗だなんて……君の方がわたしは可愛いと思うし、ほんとに可愛くて綺麗なのは松田聖子さんみたいな人のことを言うんだよ」
「ふ〜ん?」

 きょとん、とした表情で少女は首を傾ぐ。それからは特にこれと言った会話はなく二人は階段をのぼりきった。
 水夫たちが辺りを見回している。ポルナレフと花京院、アヴドゥルもだ。彼らにならって二人もあたりの様子を見る。しかし、見渡す限り辺りには人の影はおらず、あるのはただ静寂のみ。時々、波の音と機械音が聞こえ、それがどことなく不気味さを醸し出していた。
 ジョセフ、承太郎、花京院、ポルナレフは人がいないか船内を歩き回り始めた。アヴドゥルは水夫たちの傍で待機している。アヴドゥルが行かないからか、幸子も彼の隣で待機することにしたらしい。少女は少し寂しそうにしていたが、じっとしていられない性質なのか、ジョセフらについて行った。
 奇妙なことに、操舵室に船長がいなくても無線室に技師がいなくても、計器や機械類は正常に動作し続けているのだ。ポルナレフは、全員下痢でトイレにこもっているんだというが、それこそありえない。また、少女が船室のある一角に、檻を見つけた。しかもその檻の中には、大きなオラウータンが入っている。少女は直ぐにオラウータンの存在をジョセフらに伝えるが、それは彼らにとってはどうでもよいこと。今はオラウータンを飼育する人の存在が気がかりだった。

 一方、アヴドゥルと共に水夫たちと甲板で船を調査している幸子は、ふと疑問に思った。

(これほど、人の気配を感じない船ってあるのかな……?)

 幸子の父は元アメリカ軍の海兵を勤めていた。見せて貰ったのは貨物船ではなく軍艦であったが、それでも、共通点はある。
 船は、泳ぐ精密機器の塊だ。常に船長と技師が目を光らせていなければ思わぬトラブルに遭遇してしまう。貨物船ならば、ジョースター一行がチャーターした船のように水夫が大勢いて、また忙しなく働いていてもおかしくない。
 なにか、この船はオカシイ。幸子は思った。

「ラッキー」

 口をへの字にして考え込もうとしていたところ、アヴドゥルに声をかけられた。振り返り見上げると、彼は心配そうな表情で彼女を見下ろしていた。

「JOJOとなにかあったのか?」
「え……」
「いや、なんとなくだが、意図的にお前が彼を視界に入れないようにしている、と見えたからな」

 見当違いなら、謝る。アヴドゥルは真摯な表情で言う。
 幸子は苦笑するしかなかった。

「……アヴドゥルさんには、何もかもお見通しなんですね」

 頬を掻きながら、幸子は言う。辺りを見回し、誰も彼らの会話を聞いていないことを確認すると小声で彼女は、承太郎とのやりとりを話した。
 《暗青の月》との戦いが終わって海上へ出ようとしたとき、息が続かなく溺れかけたところを承太郎に口移しで酸素を分けて貰ったこと。それをいつまでも気にしていたら、承太郎に「初めてじゃあるまいし」と呆れられてしまったこと。自分はあのときが初めてだったのでショックであったこと。助けてもらったのにも関わらずお礼ではなく文句を言ってしまったこと。

「わたし、自分が嫌になってしまって……そう思ったら、なにに対しても真っ直ぐな眩しい空条くんと、目を合わせるのも自分が彼の姿を見るのも、辛くなって……ほんと、我が儘ですよね」
「……ラッキー、わたしは別にそれでもかまわないと思うぞ」
「え?」

 アヴドゥルは、怒るでも呆れるでも同情するでもなく、ただただ、微笑ましいと言いたげな表情で幸子を見ていた。

「JOJOも少し無神経であったし、それに傷ついてしまったのはラッキーだ。でも君も少し熱くなり過ぎた。だったら、謝ればいいじゃあないか。きっと、あいつも許してくれるさ」
「……ほんと、ですか?」
「ああ。わたしが保障しよう、この占い師という役職に賭けて」
「……へへ、分かりました。信じます!」
「よし」

 幸子は、ニパァ、とまるでヒマワリが太陽の光を受けて嬉々と咲き誇るように顔を輝かせた。その彼女の表情に、一安心したアヴドゥルは、大きな手を彼女の頭の上にポン、と置いて微笑んだ。
 ふわふわと、まるで小花が彼らの周りにぽん、ぽん、ぽん、と咲いているような、和やかな雰囲気を放つ。しかし、その束の間の平和はジョセフの剣呑な大音声と共に掻き消えた。

「アヴドゥル! その水兵が危ないッ!」


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