世界よ、逆流しろ
9-4
わたしは、ハッとして気づいた。わたしの腕と、わたしの腕を掴む《星の白金》の手にはびっしりとフジツボがくっ付いていた。見下ろせば、奴が掴んでいたわたしの足首にもびっしりとフジツボに覆われている。ぷつ、ぷつ、と空条くんの手が切れて鮮血が飛ぶ。その一粒が、わたしの頬に堕ちた。
流されていたはずの偽船長もいつの間にか消え、あるのは静かな海の波の音だけ。
「う、うう……引っ張られる……」
わたしと空条くん、二人分の引力を支えている彼の額からはたらたらと汗が流れている。フジツボに力を吸い取られて、だんだんと抗う力を失っていくのが、直に感じられた。
ついに、抵抗しきれなくなった空条くんは、船から乗り出す。当然、わたしも水面へと真っ逆さまだ。花京院くんが《法皇の緑》の触手を伸ばして来たが、もともとわたしに働く重力と奴がわたしを引く力の相乗効果によって上がった速度には間に合わなかった。わたしと空条くんは二人そろって海に飛び込んだ。
背中からわたしは水面に叩きつけられ、肺にためていたはずの酸素が全て体外へと逃げて行ってしまう。残ったのはほんの数ミリcc程度。すぐにでも水面から顔を出して呼吸を整えなければわたしは窒息死してしまう。けれども、フジツボが殆どわたしの体を覆い尽くしてわたしの力を吸い取るので、指一本動かすだけでも相当の疲労を味わう。
「よお〜こそ、よお〜こそ、ククックク……よお〜やく来てくれたなあ《暗青の月》の独壇場・海中へ……ククク」
ニヤリと笑う偽船長。そんな彼に鋭い眼差しを投げる空条くん。因みにわたしは捲れそうなスカートと残り少ない酸素を吐きださないように口を押えるのに忙しい。
「海中とはいえ、スタンド同士のの会話が可能だから、よって、もういっぺんさっきのようなセリフを叩いてみィ! おにいちゃんよォ、ああ〜〜!?」
「てめー、なにになりてぇんだ?」
「……?」
「なりてえ『魚料理』を言いな。刺身になりてえのか? カマボコか? すり身とかよ。てめーのスタンドを料理してやるからよ」
相手が圧倒的有利な状況であるにもかかわらず、空条くんは尚も強気な態度を取る。わたしだったらきっと出来ない。負けず嫌いな性格なのだろうか。
偽船長の肺活量は通常の人間の約3倍はあり、更に訓練を積んでいるので6分以上は潜水可能ならしい。それを聞いたわたしは一瞬、気が遠くなった。さらに《暗青の月》の水かきはスクリューの回転よりも素早く動く、いわば水中カッター。
そして、さらに絶望的なのは、空条くんの《スタープラチナ》の体はびっしりとフジツボにおおわれているということ。わたしの体もだ。
空条くんが、わたしの襟を引っ掴んで、《星の白金》の豪快なバタ足をもってして水面へ向かう。けれども、それをみすみす見逃すような相手ではなかった。
ごうごうと耳鳴りがすると思えば、なんとわたし達を取り巻く海に大きな渦が出来ていたのだ。発信源はやはり《暗青の月》だ。奴が水中で高速に水かきのある腕を回転させることで大きな水の流れが出来る。これが発展していって大きな渦になったのだ。わたし達は渦に巻き込まれ、海面へと泳ぐところではなくなってしまった。
体中があらゆる方向へと引っ張られるような感じだった。スカートがどうのこうのとかそんな事考える余裕なんて一切ない。ただ必死に残り少ない酸素を体外へと吐きださないようにするので精一杯だ。
「っ!」
シュッとわたしの横を何かが過ぎて行った。同時に、頬に鋭い痛みを感じる。スタンドを使ってよくよく見てみれば、なんとそれは鱗。一枚だけじゃない。何千、何万といった無数の鱗が渦の中でわたし達と共に流れている。それが、刃となってわたし達を襲っているのだ。
「御嬢さん、あんたはあのお方が大層欲しがっている人だそうだな……生きて連れて来いって言われている……ただ、無傷じゃあなくてもいいらしいぜ」
なるほど、つまり、どんな手を使ってでも生きてさえいればどんなに大怪我してても構わないというわけか。……でも、わたしは貴方の好きなようにはならないよ、DIO。わたしは、わたしの意思で貴方に会いに行って、話したいの。連れ去られたんじゃあ意味がない。
「誰が貴方みたいな魚類に連れ攫われてやるもんですかっ! べ〜っだ!」
スタンドで、「あっかんべー」のポーズをとると、偽船長のこめかみに青筋が出来る。ピグピグと動くそこは《暗青の月》の影響か、魚がエラ呼吸しているようにしか見えなかった。
(一か八か……試してみるっ)
わたしは密かに思いついた作戦を実際にやってみることに決めた。それが吉と出るか凶と出るか、戦いの経験が少なすぎるわたしには判断できないけれど、それでも、なにもしないよりはいいのだと、心の中で何かが叫んでいた。
空条くんとわたしは、渦の中、ぐったりと動かなかった。なるほど、空条くんも気づいたみたいだ。
わたし達の体は、確実に中心へと向かって行った。奴に攻撃を浴びせるには、奴のいる中心――渦の中心は渦の流れの影響を受けない――に行く必要がある。
偽船長は、海上でくらわせてきた強烈なラッシュを出せるもんなら出してみろ、と煽ってくる。そんな煽りにも空条くんは乗らずにただただ、闘志の光が消えない強気な眼差しを奴に投げていた。
「刺身にするとかぬかしてくれたなあ〜〜〜〜」
偽船長はいい気になっている。勝利を確信して、完全にわたし達をなめくさっている。わたしは《クリア・エンプティ》の能力を、静かに発動させた。勿論、対象物は――
「スライスして刺身になるのは!」
一瞬、いやほんの数秒、それだけだが、偽船長とそのスタンドの動きが鈍る。彼らは今、現状がほんのちょっぴり分からなくなって混乱しているだろう。……わたしが、彼の積んだ《時間》をほんのちょっぴり巻き戻したから。
けれど、そのちょっぴりだけで良かった。少しの間だけ混乱してもらえれば良かったのだ。そうすれば、空条くんが行動しやすい……。
「《流星指刺(スターフィンガー)》!!」
指先だけの一点集中。強靭な《スター・プラチナ》の人差し指と中指がフジツボを砕き、攻撃しかけた水かきを貫き、そのまま《暗青の月》の目玉の一つに突き刺さる。そのまま横へ一閃すれば、スパッとまるで包丁で切ったように綺麗に削ぎ落とされる顔。そのダメージは勿論、本体にもフィードバックし、ぱっくりと偽船長の顔も半分に割かれた。これで宣言通り、彼の方が刺身になった。
「力を指の一点にためるためにワザとぐったりしていたな。そう考えていたな」
「ちがうね。おれが考えてたのは、てめーがやられた時、小便ちびられたら水中だからキタネーなってことだけさ、おっさん!」
海の底へと沈んでゆく偽船長をしっかと目に焼き付けたのち、空条くんとわたしは水面へと目指して泳ぎ始めたが――
(うっ……も、息、がっ……もた、な、い……)
限界なんて、とっくに迎えて行た。空条くんと共闘――わたしなりに戦ってましたッ!――できただけでも奇跡だ。
(あ、と、もうちょっとだって、いうのにッ……)
喉の底から込み上げてくる。ついに耐えきれなくなり、ガボッ、と一気に残り少なかった酸素を体外へと放出してしまった。すると、不思議なことに浮力が働かなくなって段々と水面から体が遠ざかってゆく。
死にたくない。死にたくないのに、身体は思うように動いてくれなくて、まるで鉛のように重くて、どうしようも出来なくて、泣きたくなった。
「う、あ……」
悪あがきに腕を伸ばすと、なにかにそれが掴まれて、逆らえない力で引っ張られる。
なにかが、わたしの後頭部に回されて、ぐい、と押す。そして、鼻が摘ままれ、朦朧とするわたしの唇に何か温かなものが当てられた。それは、薄く開いたわたしの口をこじ開けて来て深く強く密着する。すると、なにかがわたしのナカにタバコのニオイ混じりなものが吹き込まれる。これは、さん、そ……?
「〜〜〜っ!?」
朦朧としてきた意識など彼方へと吹っ飛び、霞んでいた視界は一気にクリアとなった。驚愕するわたしの眼前には、わたしの目を覗き込む緑が混じる蒼く鋭い瞳。視界の端っこで、学生帽ほ鍔が見えた。だんだんと、唇に当てられているモノの感触がハッキリしてきて、心臓の鼓動が爆発的に上がった。
「く、」
すっと唇を離した空条くんは、わたしが言葉を発する前に大きくて無骨な手でわたしの口を覆ってしまう。しゃべるなって事らしい。
そのまま、二人そろって、水面から顔をだした。
海中にいたのはほんの数十秒程。一分もなかったと思う。そんな短い時間であったにもかかわらず、何十年も空気を吸っていなかったような気分だ。
船を見上げると、ジョースターさんやアヴドゥルさん、花京院くんやポルナレフが安心したような顔で見下ろしていた。
(……あれ)
ふと、蘇えるのは意識を失いかけたときの空条くんとのやりとり。
(も、もしかして、わたし……わたし……ふぁ、ふぁふぁふぁファーストキスを、空条くんに盗られたって、こ……)
わたしは真っ青になった。次に真っ赤になった。
(うわああああ――――ッ!)
叫んだ。
心の中で絶叫した。
わたしの悲しき叫びに呼応したかのように、ジョースターさんが乗る船が大爆発した。
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