世界よ、逆流しろ


9-3



 シンガポールに着くには3日ほどかかる。それまでは焦ろうともなにもできないので、わたし達は船がシンガポールに着くまでえい気を養うこととなった。
 わたしの新たな発見だが、どうやらわたしは乗り物に強いらしく、船酔いはしないみたいだ。父さんの暴れ馬――荒っぽい運転のことを指す――に慣れているからだろうか。
 いま、私のいる甲板には、縞柄のタンクトップを着て老体にもかかわらず若者以上の鍛え抜かれた筋肉をこれでもかと見せつけるジョースターさん、新しく仲間に入ったポルナレフと会話を展開するアヴドゥルさんがいる。また、ビーチベッドの上に空条くんと花京院くんが寝そべって寛いでいる。制服で寛いでいると、とてもシュールだ。

(花京院くん、けっこー気にしてたなあ)

 私に迫ったポルナレフ――何故か彼に敬称を付ける気になれない――をジョースターさんが止めたときにいった《男性恐怖症の気がある》というワードが花京院くんの何かに引っかかっているのか、船に乗ってから彼の様子がおかしい。気を使っているのだろうか。そうだとしたら申し訳ない。私としては、漸く彼に慣れてきたところだし、なにより大事な友人だ。できれば気兼ねなく接して欲しいところだけれど、難しいかなあ。

「……はあ」

 がっくり、と肩を落とす。昔は、こんなふうに男の人との関係で悩んだことなんて一度だってなかったというのに……今の私を昔の私が見たら吃驚するだろうな。

「なあ、ラッキー」
「……な、なに?」

 アヴドゥルさんと会話を楽しんでいたはずのポルナレフが、神妙な表情で私に話しかけてきた。彼には、既に私の新たなナマエを教えて、そちらで呼ぶように言っている。
 彼のことは仲間として信用しているつもりだけれど、なかなか男の人として受け入れきれていない自分がいる。できるだけ、笑顔を取り繕って返事をした。

「水着はないのか」
「……はい?」

 私は思わぬ彼の問いかけに目を点にしてしまった。
 どう反応していいのか分からない。そしてポルナレフ、君、私の気遣いを返してよ。真剣な顔をしているから何か重要なことをいうのかと思ったじゃあないか。

「いやー、こんな日差しの強い日に海の上だろ? 制服着てて熱くねーのかなあ、水着を着りゃあ涼しくなるよなあ、なーんて思ったりして」
「……べつに、旅行に来ているわけじゃあないんだから水着なんて持ってないよ」
「なぬっ!? 勿体ねーなあ、スタイル抜群なのになあ、いやー勿体ねー」
「……え、えーっと……」
「そこまでにしろ、ポルナレフ」

 返事に戸惑っていると、私達を見かねたのかアヴドゥルさんが止めに入って来てくれた。彼は、まだわたしがポルナレフに慣れていないのだから余りそうがっつくな、と注意してくれた。ああ、素敵ですアヴドゥルさん。しかし、そんなアヴドゥルさんにポルナレフは食って掛かる。慣れるにはまず、おれを知ってもらうに限る、だとか。確かにその通りだけれど、もうちょっと心の準備をさせてほしい。
 アヴドゥルさんは、ポルナレフを説得・説教しつつ私にアイコンタクトで「今のうちに行け」という。わたしは手を合わせて「ありがとう」という気持ちを伝え、ポルナレフに気づかれないうちにその場をあとにした。
 空条くんと花京院くんとジョースターさんがいる甲板とは逆方向へと向かう。ちょっとした船内探検だ。船に乗るだんて初めてだから、凄くワクワクする。

「おや、あなたは」
「あ、船長さん……こっこんにちは」
「どうも。いやーあんな男集団に囲まれているあなたはまさに紅一点ですなあ。それでお美しいのだから、男衆も眼福で羨ましいもんだ」
「え、あ、そんな、美しいだなんて……わたしなんてまだまだ、ちんちくりんです」
「ハッハッハッ、なにをおっしゃいますか」

 わたし、実を言うとこの船長さんのことが苦手である。男性不信な点を抜きにして苦手だ。自意識過剰かもしれないけれど、まるで舐めまわすように纏わりつく視線が苦手なのである。遭遇したのは私に運がないからか。
 何をなされていたんです? と問われ、素直に探検です、と答える。すると、案内して差し上げましょう、と彼は言った。正直断りたいけれど、良心の呵責がそれを許さない。引きつっているであろう笑顔で「お願いします」と頷き、彼が案内する船内へと向かった。
 まずは、外回りから案内され、ついに船内部へと向かおうとした、その時だった。

「?」

 何かが飛び込んで、水面が勢いよく跳ねる音と、いくつかの怒声――甲板の方からだった。
 船長さんに断って私はその場をあとにし、甲板に戻ることにした。

「どうかしたんですか?」

 甲板に戻ってまず目に入ったのは、ぐっしょりと濡れた空条くん。海に落ちたのだろうか。
 彼ともう一人、全身ぐっしょりと濡れた人がいた。その人は小さな小さな少女だった。しかも、手にはサバイバルナイフ。……ナイフはさておき、この船には、船乗り以外わたし達以外いない筈だ。
 少女は、私に気づくと持っていたナイフを仕舞い、私へと突進してきた。すると、花京院くんがすかさず《法皇の緑》を出して触手を伸ばすが、それよりも先に少女が私の胸に飛び込んできた。

「お姉ちゃん! この人達がわたしをいじめるんだ!」
「え……」

 うるうると、目を潤ませてまるで捨てられた子犬のように、わたしを見上げてくる。……くっ、母性をくすぐられる。なんというか、小さい子はちょっと可愛い仕草をするだけで破壊力があるから狡い。
 ポルナレフは、スタンド使いかもしれないから離れろ、DIOの手下かもしれない、と叫ぶが、対して少女は「スタンドってなんだ!」「DIOはバイクの名前か!?」なんて言う。さすがに、DIOに忠誠を誓った部下が、DIOのことを「バイクの名前」だなんて言わない。……この子、ただの一般人だ。

「分かった。お話しを聞こう。けれど、その前にそのぐっしょりな服と髪を何とかしなくちゃ、風邪ひくよ」
「う、うん。分かった」

 少女をクルリと一応背を向けさせて、《スタンド》で「この子は大丈夫だよ」と伝えてから彼女の背中を押す。

「この女の子かね、密航者というのは……」

 少女とわたしの目の前に現れたのは、わたしが船内を案内してもらっていた船長さん。彼は、女の子の肩を強く握ると抵抗する彼女の腕を捻り上げて、ポケットからナイフを取り上げた。痛みに苦悶の表情を浮かべる少女。そんな彼女の姿を見て居た堪れなくなったんだと思う。とっさに、船長さんが掴む彼女の腕とは逆の方の腕を掴んでいた。
 わたしの行動が意外だったのか、船長さんは目を見張る。ジョースターさん達も、空気でざわめいていることが分かった。
 眉間に皺を寄せる船長さんに、わたしは気負いせずに向き合った。

「この子とわたし、姉妹なんです」

 はっきりと、わたしは言い切った。するとやはり、想像通り、船長さんは目をこれでもかとカッぴらいて私を見た。

「彼女とわたしは、生き別れた姉妹なんです」

 なにかを言いかけた船長にすかさず言葉をかぶせた。そして、出来るだけ言葉が途切れないように早口に捲し立てる。目の色は違うけれど黒髪が同じ、分け目がどことなく似てる、見た目が日系人寄り、エトセトラ、エトセトラ――
 言っていることはただの屁理屈だ。けれども、それをさも当然のような態度と口調で言うのが大事なのだ。
 不安を孕む眼差しを向ける女の子を放っては置けない。それに、女の子が万が一でもDIOの手下ならば、このままみすみす姿をくらませる絶好の機会を与える訳にもいかない。私は、船長さんに食い下がった。けれど、流石は海の男。いくら説得しようとも自分の立場というものをよくよく理解しているのか、彼は判断を変えなかった。
 わたしの力では、困っている女の子一人すら助けることすらできないのだ。落ち込む。

「船長、お聞きしたいのですが。船員10名の身元は確かなものでしょうな?」
「間違いありませんよ。全員が10年以上この船に乗っているベテランばかりです。どうしてそんなに神経質にこだわるのか分かりませんけれども……ところで!」

 彼はキラリと目を光らせると、空条くんの口に咥えられていたタバコを取り上げる。空条くん、いつのまにタバコ吸っていたのだろう。

「甲板での喫煙はご遠慮ねがおう……君はこの灰や吸い殻をどうする気だったんだね。この美しい海に捨てるつもりだったのかね? 君はお客だが、この船のルールにはしたがって貰うよ、未成年くん」

 船長さんはそう言うと、空条くんの防止についてる飾りにタバコをこすりつけた。確かに、ルール違反をしたのは空条くんの方だから、彼が悪いのだけれど、だからと言って、わざわざタバコを防止の飾りにこすりつけて消すことはないだろう。わたしは、自然と眉間に皺が夜のが分かった。
 くるり、と空条くんから背を向けて、船長さんは女の子を連行する。

「待ちな。口で言うだけで素直に消すんだよ。大物ぶってカッコつけんじゃあねえ、このタコ!」

 あまりにも不遜な承太郎のセリフ。当然、わたし達は騒然となった。彼の祖父であるジョースターさんが彼に注意をするが、それでも空条くんは止まらなかった。何の考えもなしに空条くんが行動を起こすはずがない。なにか理由があるはずだ。

「承知の上での無礼だぜ。こいつは船長じゃあねえ。今分かった! スタンド使いはこいつだ!」

 彼のこのセリフには、流石に黙っていた花京院くんやアヴドゥルさん、ポルナレフも声を荒げる。船長さんは首を傾げた。「スタンド」という聞きなれない言葉を聞いたためだろう。
 わたしたちの目の前にいる、この船の船長(テニール船長)は、SPW財団の紹介を通してあるので身元は確かだ。信頼すべき人物で、スタンド使いの可能性はゼロだ。

「JOJO、いい加減な推測は惑わすだけだぞ!」
「証拠はあるのかJOJO!?」

 あたりが騒然となるなか、空条くんはただただ冷静で落ち着き払っていた。彼は皆が彼の言葉を待つ体勢に入ると、静かに語りだす。

「スタンド使いに共通する見分け方を発見した。それは……スタンド使いは少しでもタバコの煙を吸うとだな――」

 空条くんは太くて大きな指を自分の高い鼻に当ててこう言うのだ。

「鼻の頭に欠陥が浮き出る」

 花京院くんとジョースターさん、アヴドゥルさん、わたし、ポルナレフ、船長さんは空条くんの話を聞いて各々の鼻の頭を押さえる。しかし、たった一人、密航少女だけはわたし達を不思議そうに見ていた。

「えっ」
「うろだろ承太郎!」
「ああ、うそだぜ! だが、マヌケは見つかったようだな」

 アッと素っ頓狂な声を上げて目を見張るのは船長さん。スタンドを知らない少女が茫然とわたし達を見ていたように、スタンド使いでない筈の船長さんも同じような反応でなければならない。けれど、彼は鼻の頭を押さえた。それが、彼もスタンド使いである証拠である。
 もう言い逃れはできないと悟ったのか、船長さん(仮)は帽子を脱ぐとともに表情を変えた。細い目を更に細くして、まるで下から睨みつけるかのような顔になった。

「承太郎、なぜ船長が怪しいとわかった?」
「いや、ぜんぜんわかんなかったぜ」

 空条くんは、乗組員全員に、先程の様なひっかけをするつもりでいたらしい。しょっぱなから当たりくじを引いたので、試しまわる必要はなくなったけれど。

「シブイねぇ……まったく、おたくシブイぜ。確かに俺は船長じゃねー……本物の船長はすでに香港の海底で寝ぼけているぜ」
「それじゃあてめーは地獄の底で寝ぼけな!」

 正体を明かした敵に向かって、空条くんは吐き捨てた。と、その時だった。

「きゃぁああああっ! おっお姉ちゃんがっ、お姉ちゃんがッ!」

 海に近かったのがいけなかった。船長から離れようと手すり近辺に立っていたのがいけなかった。右足が何かに掴まれた感触がして、確認しようとしたのだが、それをする間もなく、足が勢いよく上がる。そのとき視界に飛び込んできたのは、無数の鱗に覆われたボディと手の水かき。わたしの足首を掴んで離さない、魚人のような姿の半透明な存在は、偽船長の《スタンド》だろう。目は二つではなく四つだ。
 ひっくり返ったまま宙に吊られた状態になってしまった。ここで、一大事なのが、わたしが着ているものはセーラー服でズボンじゃなくスカートということ。ひらっひらっしている訳だから、勿論、逆さまになれば見事に捲れ上がってしまう。慌てて前と後ろを両手で押さえつけるが、それでも手から零れてしまう部分も出て来るわけで――

「うっうおおおお! 際どいッ、あざといッ、あともうちょっとだラッキー!」
「こ、こんな状況でなに言ってんのバカナレフゥ!」

 もう泣きたかった。敵の手に堕ちるとか以前に、この体勢をなんとかしたい。この体勢から逃げたい。こんなはしたない姿を知り合いや尊敬している人、友人までも晒してしまうなんて……ラッキー・フランクフルト、一生の不覚ッ。新たな人生歩み始めたんじゃないの? 私ダメじゃないの!
 アヴドゥルさんが、興奮するポルナレフの後頭部をポカッと拳骨で殴ってから咳払いした。わたしの分も差し上げるので、もっと殴って大丈夫ですよ。

 水のトラブル、ウソと裏切り、恐怖を暗示する《月》のカード――その名は《暗青の月(ダーク・ブルー・ムーン)》。
 5対1――わたしは数に含まれていないらしい。酷い――は骨が折れるので、正体を隠して一人ずつ始末していこうとしたが、早々に承太郎の策にはまってバレてしまった。なので、わたしを人質にして、自分が最も有利となる戦闘場所へ誘導する。彼のスタンドは、海中では無敵になるらしい。確かに、海の中で有利になりそうな見た目だ。

「おれのホームグラウンド、水中なら5対1でもおれは相手できるぜククク……やれるかな?」
「人質なんかとってなめんじゃあねーぞ。この空条承太郎がビビり上がると思うなよ」
「なめる? これは予言だよ! 特にあんたのスタンド《星の白金》、素早い動きするんだってなぁ。自慢じゃあないがおれの《暗青の月》も水中じゃあ素早いぜ」

 話はどうでもいいから、わたしの体勢をなんとかして欲しい。頭に血が上ってボーっとしてきた。

「ついてきな、海水たらふく飲んで死ぬ勇気があるならな」

 己のスタンドと共に海へと飛び込んだ偽船長。彼のスタンドに捕まったわたしも共々、青々と波打つ水面へと突っ込んでゆく。女の子の悲鳴が、わたしの耳を劈くように響く。わたしは、水面に叩きつけられる衝撃が怖くて目を瞑った。けれども、海へ引っ張る力は「オラァッ!」という掛け声と骨が軋む音と共に消える。わたしは咄嗟に腕を伸ばした。その腕を取るのは、空条くんの《星の白金》だった。
 海に落ちたのは偽船長と《暗青の月》だけ。落下するよりも早く敵に大ダメージを与えて人質を救出するなんて、きっと《星の白金》をもつ空条くんだけだろう。わたしは、腕を掴む《星の白金》を見上げた。空条くんのスタンドというだけあって、鋭利で強かな光を宿す瞳だった。

「海水をたらふく飲むのは……てめーひとりだ」

 沈んでゆく偽船長に向かって空条くんは吐き捨てた。そして、隣に立つアヴドゥルさんに言う。

「アヴドゥル、なにか言ってやれ」

 すると、アヴドゥルさん、そしてポルナレフが、

「占い師のわたしを差し置いて予言するなど」
「10年早いぜ」

と不敵に笑いながら言うのだ。


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