世界よ、逆流しろ


8-2



 花京院君がアブドゥルさんを止めたその時だった。一人のお爺さんが寝ぼけ眼をこすりながら席を立つ。彼は暗い機内で何が起こっているのか分からないだろう。彼は壁に張り付く血に手を付けた。異様な感触に彼は訝しみながら手を鼻に寄せてニオイを確かめる。そして――

「ひっ……血、血、ちぃ〜〜っ!?」
「あて身」

 驚愕に顔を歪めたお爺さんの首後ろに手刀を素早く落とす花京院くん。その迅速な対応には目を見張る。
 おじいさんは気を失って床に倒れた。老体には辛い状況だろうが、今、私達は迂闊には動けない。なので、戦いが終わるまではこのまま寝てもらうしかなかった。ごめんねお爺さん、必ず柔らかい座席に戻すから。それまで辛抱ね。
 花京院くんは、お爺さんが気絶したことを確認すると、《灰色の塔》に向き直った。

「他の乗客が気づいてパニックを起こす前に奴を倒さねばなりません。アヴドゥルさん、貴方の炎のスタンドはこの飛行機までも爆発させかねないし、JOJO……君のパワーも機体壁に穴でもあけたら大惨事だ!」

 花京院君の言葉に、思わず私は《大惨事》を想像してしまった。
 パニック状態の機内、揺れる機体、燃え盛る炎、何もかもが揉みくちゃになって、それで外へと飛び出すような人も出てきて――最終的に飛行機は爆発。モーターは火を噴き、飛行機の部品が爆風で吹っ飛ぶ。そして、落下中にもかかわらず、頭の後ろで腕を組んで足もくんじゃったりしながら煙草をふかす承太郎君(何故か帽子は吹っ飛ばない)と、頬に両手を当てて慌てるジョースターさん、どうしようか考えている花京院君に、私へ手を伸ばすアヴドゥルさん――

「そ、そんなことあっていいはずがない!」

 私は言った。すると、隣のジョースターさんがギョッとする。

「飛行機爆発は避けなければっ」
「ラッキー、一体なにをどう逡巡させてそうなったんじゃ」
「えっ……それは――」

 私は想像したことをジョースターさんに話した。すると、突然ジョースターさんはなんだかホッコリしたような表情で微笑むと私の頭を撫でる。……な、何故ッ。
 気が付けば、アヴドゥルさんや花京院君もなんだか微笑ましそうな顔で私を見ていた。だからなぜッ!
 思わず空条君を振りかえて視線だけで意見を仰ぐ。空条君は帽子の鍔を下げて目を逸らしただけだった。けれど、何故か肩が小刻みに震えていた。なぜェッ!?
 何が何だか分からなくなった私は、《灰色の塔》を仰いだ。表情からは全く彼の考えを読み取ることは不可能だった。ただ、この状況に茫然としているのは分かった。

(い、いったいどうしたっていうの皆ッ……私、何か変な発言したのか? いや、でも、う〜〜ん?)

 いろいろ私の思考が突っ込みどころ満載だという事についてはこの際目をつぶってもらおう。
 私がクダラナイことに思考をめぐらせている間に、状況は進展しており、《灰色の塔》は承太郎君ではなく花京院くんが相手をすることとなった。

「ここはわたしの静なるスタンド《法皇の緑》こそ奴を始末するのに相応しい」

 構えを取る花京院君。そんな彼を見て《灰色の塔》はクックッと喉を鳴らして笑った。

「自分のスタンドが《静》と知っているならおれには挑むまい……貴様のスピードではおれを捕えることはできん!!」
「そうかな」

 鋭利な瞳に確かな光を宿した花京院君は《灰色の塔》に向かって《エメラルド・スプラッシュ》を発射した。しとどに濡れているように一瞬見えた《法皇の緑》の両手から一気に発射されるエメラルドは小さいながらも近距離で受ければ空条君でさえ吹っ飛ぶ威力がある。
 しかし、《灰色の塔》はランダムに発射された石をいとも容易く避けてしまった。そればかりか、《灰色の塔》は《法皇の緑》の口をカバーしているマスクを口針で砕く。
 《法皇の緑》の小さな口があらわになった。花京院君の口から鮮血が吐き出される。

「かっ、花京院!」
「そんな、花京院くんっ……!」

 私は心臓がいやな音を立てながら加速してゆくのが分かった。
 大丈夫なのか、花京院君は、あの乗客のように舌を引きちぎられないのだろうか。もし、もしもそんなことになる様ならば――

(私が、全力で花京院くんを助けるッ……)

 きっと、《灰色の塔》は花京院君を倒したのち、真っ直ぐに私を狙ってくるのだろう。それでも、私は花京院君を優先する。なんとしてでも、大切な友人を失いたくないから。
 一方、《灰色の塔》は悠々と宙を旋回すると、倒れた花京院君を嘲笑う。数撃ちゃ当たるなんて考えが甘い、と。スピードが違う、と。

「次の攻撃で貴様のスタンドの舌にこの《塔針(タワー・ニードル)》を突き刺して引きちぎる」

 じゅるじゅる、と滴る涎と共に現れる口針もとい《塔針》。はくはくとまるで餌を欲しているように動くその様はさながらエイリアンのよう。
 光景を想像しただけで、背筋が悪寒でぶるっと震える。そんな私を見かねてか、ジョースターさんは私の肩を安心させるように数回、叩いた。それだけで気持ちが落ち着いたのが不思議だ。
 ジョースターさんは、さすが聖子さんのお父さんだけあって、とても人を落ち着かせてくれるような雰囲気があると思う。昔はどんな人なのかは分からないけれど、今のおじいちゃんジョースターさんの傍はとても落ち着く。
 落ち着いた私は、視線を花京院君に戻す。彼は、再び《灰色の塔》へ向かって《エメラルド・スプラッシュ》を放っていた。

「おれに舌を引き千切られると狂い悶えるンだぞッ! 苦しみでなァ!」

 しかし、やはりと言うべきか、奴は悠々と高笑いしながらそれを全てかわし、花京院君へと迫る。
 私とアヴドゥルさんは顔を青くした。

「なに? 引きちぎられると狂い悶える?」

 それなのに、当の花京院君は不敵な笑みを浮かべていた。

「わたしの《法皇の緑》は……」

 なぜ、と口にしよとしたその時、座席のあらゆる死角から、緑色の触手が突如伸びてきて、あらゆる方向から《灰色の塔》を串刺しにするではないか。
 グェッ、とカエルがつぶれた時にあげるような声で鳴いた。

「引き千切ると、狂い悶えるのだ……喜びでな!」

 言葉と同時に、花京院君はなんの躊躇いもなく《法皇の緑》の触手を絡めた《灰色の塔》の身を引き千切った。手も足も胴体も顎も何もかもが全てバラバラになってしまった。それを見て、眉間に皺をよせずにはいられないけれども、私は吐くことはしなかった。これが人間だったら、完璧に床が大変なことになってい――

「ギャアアア――――ッ」

 床に倒れていたお爺さんが悲鳴を上げるので思わずそちらを見ると、彼の舌がありえない長さでベロリと出されていた。その舌には、大きなクワガタムシのような窪みがあって、それが彼が《灰色の塔》の本体だと言うことを如実に物語っていた。
 ということは、当然、ダメージがフィードバックする。
 バックリと頭が割れ、舌も先から縦に裂ける。そこだけでなく体中から血が噴き出して床を真っ赤に染め上げた。

「さっきのじじいが本体だったのか。フン……悍ましいスタンドには悍ましい本体がついているものよ」

 私に投げかける笑顔や他の人を気遣うような姿勢をする花京院君からは、到底連想できないようなほど冷徹な視線と痛烈な言葉。ごくん、と私は思わず息をのんでしまう。
 それでも、花京院君が無事であることが嬉しく思うのは、私が現金である証拠なのだろう。


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