世界よ、逆流しろ
7-4
花京院とアブドゥルと共に外に出た幸子は空条邸の庭先で空を仰いだ。空は雲一つ見当たらず、蒼い海が広がっている。この瞬間、いつも思い出すのは彼女が幼い頃の夏に自分の家で眺めていた空だった。
父の仕事が休みで、一緒にベランダのへ続く窓を全開にしてその場に寝転び、日がな一日青空を眺めているのだ。ときどき、母が麦茶を持ってやってくる。その後、彼女は洗濯籠を持って庭にある竿につるし始める。真っ白なタオルやシャツはお日様の光を一身に浴びて輝いていた。幸子は、青空を背景に清潔感溢れる洗濯物を干す母の後ろ姿をうたた寝しながら見つめるのが大好きだった。
(もし、DIOを倒せずにホリィさんが死んでしまったら……空条君やジョースターさんは悲しむのだろう。親にいつも口では反抗している空条君だって、私のようになくしたくない思い出があるはずだ)
自分と同じ気持ちに合わせたくない。こんな虚しい気持ちを、こんな悲しい気持ちを、味わうのは自分一人で十分だ。
空を仰ぐのを止めた彼女は頭を振ると今度は空条邸の立派な門の前に並ぶ黒光りした車を見やる。それらの傍には黒服の男たちが何人もたっている。一見ヤバい組織に見える彼らはSPW財団。彼らはこれから24時間体制でホリィの看病に当たるだろう。しかし、スタンド使い出ない彼らには、ホリィが原因不明の病で着実に死に近づいているのを、ただ指を咥えて見守ることしかできない。
「今はまだ背中だけだが……そのうち、シダ植物のようなスタンドはゆくりとホリィさんの全身をビッシリと覆い包むだろう」
徐に、アブドゥルは幸子と花京院に語った。
高熱やさまざまな病気を誘発してもだえ苦しみ、昏睡状態に入り、二度と目覚めることなく死に至る。
アブドゥルは、過去に生まれつきスタンド使いだった人間が、自身のスタンドを制御できずに死んでいったのを目撃している。
「だが、ホリィさんの場合希望がある。その症状になるまで50日はかかる。その前に、エジプトにいるDIOを倒せば済むことだ! DIOの体から発する《スタンド》の繋がりを消せば助かるのだ!」
幸子はアブドゥルの話を聞きながら、ホリィが寝かせられた部屋を振り返る。遠目からだが、彼女が上体を起こして微笑んでいるように見える。一見元気そうだが、幸子には分かった。女の彼女だからか、それともホリィが彼女の母に似ていたからか、すぐに分かった。ホリィは無理をしている。
「……助けたいです」
幸子は呟く。
「聖子さんは、私のことをまるで自分の娘のように接してくれました、友人のようにも接してくれました。温かくて心の休まる素敵な彼女を、私は助けたいです」
「ラッキー……」
ぽん、とアブドゥルは幸子の肩に手を置く。
「確かに、JOJOのお母さん……ホリィさんという女性は人の心を和ませる女の人ですね。傍に居るとホッとする気持ちになる」
先程まで気丈に振舞っていたが再び気を失ったホリィを見つめながら、花京院は言う。
「こんなことを言うのもなんだが、恋をするとしたらあんな気持ちの女性が良いと思います。守ってあげたいと思う、元気な温かな笑顔が見たいと思う……」
「うん。女の私が思うんだもの、聖子さんは素敵な女性だよ」
「うむ……いよいよ、出発のようだな」
立ち上がったジョセフを見て、そろそろ出立の時だと悟った三人は、旅立ちの準備をした。
(待っていて下さい、聖子さん……必ず、助けますから)
嫋やかなホリィの眩い笑顔を思いながら、幸子は身に着ける真っ赤なリボンに触れる。それは、初めて空条邸に訪れた日の夜に貰ったものだ。これを、形見などには絶対にしない。
(もう、二度と手離したりはしない……今度は、私自身の手で、私の大切な物を守る……そのためにはDIO、貴方に合わなくてはならない。あって、話がしたい……)
闇の中で優雅にくつろぐDIOの姿が、自然と思い浮かぶ。しかし、彼女の中ではもう彼の顔はおぼろげになっていた。
* * *
「な、なんだかドキドキするなぁ」
「? 君は飛行機は初めてなのかい?」
飛行機を見上げながら、幸子は言った。そんな彼女の隣を歩いていた花京院は首を傾いで意外そうな表情で訪ねる。
「ううん。そういう訳じゃあないけど……なんというか、妙な胸騒ぎがするっていうか……私、結構昔からこういう予感めいたことってあたるんだ」
「それは……怖いね」
「私のカードも不吉なことの前触れなのかも……」
「ウジウジうるせぇ奴だな。まだ何も起こっちゃいねーんだ。くよくよ考えるそのくせを止めろ」
「……はい」
「JOJO、女性にそんな乱暴な口のきき方はないだろう」
「フン」
マイナス思考に走ろうとすると、もう方の隣にいた承太郎に喝を入れられる。二人とも身長の高く、もう片方は異様な威圧感を感じる男だ。圧迫感が幸子を苦しめる。こんな事ならジョセフとアブドゥルに挟まれたかった。しかし、前を歩くその二人はなにやら重要な会話をしている最中で、間にはいる勇気はない。
幸子はDIOに身を狙われているので、常に誰かと行動を共にするというのが同行する条件の一つだった。なので、承太郎と花京院に挟まれるのは仕方のないことな訳だが――
(どどどどどうしよう、すっすごく怖い……じょーすたーさん、ああああヴあヴ、あヴどぅるさん、たす、たす、助けて下さいぃいいっ……)
幸子の心の叫びは、誰に届くことなく、聞き届けたのは唯一彼女の分身である《スタンド》の《不完全な無(クリア・エンプティ)》だけであった。
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