世界よ、逆流しろ


7-3



「ごめんね、ラッキーちゃん。洗い物全部任せちゃって」
「いいんですよー聖子さん。今日は何だか顔色悪いですし、ちょっとくらい休んで下さいな。」

 台所の椅子に腰かけて水の入ったコップを片手に休むホリィの傍らでは、幸子が流し台に向かって朝食で出た食器を洗っていた。まだ、学校に登校する時間に余裕がある。
 機能、承太郎が顔色が優れないという指摘を目にしたのち、「確かにそうかも」と思った幸子はそれ以来ホリィの体調を注意深く伺うようになった。そして、今朝、顔色が悪い彼女を見かねて洗い物を全て引き受けたのだった。

「今日はあまり動かない方が良いですよ。本当に具合が悪そうです」
「ふふ、ラッキーちゃんってば誰かさんに似て心配性ねえ……大丈夫、これでも結構丈夫なのよ?」
「もう、聖子さん……本当に悪そうなんですって。鏡とか見てみてくださいよ。真っ青ですよ?」
「……」

 むくれながらホリィに珍しく食い下がる幸子。その青い瞳には心配の色がありありと見て取れた。不安げに揺れる彼女の瞳に、ホリィは言葉を失い閉口する。そして、次に苦笑を浮かべて頷いた。今日は無理はしない、と。その言葉を聞いた幸子の表情は途端に花が咲いたように輝く。そして、満足げに頷くと、最後の食器を片づけてるとハンカチで手を拭う。

「それでは行ってきますね」
「はい、ごくろうさまでした」
「へへ、いえいえ……お大事に、聖子さん」
「ええ。ありがとう」

 幸子は二言三言ホリィと言葉を交わしたのち、台所を後にする。

「さて、と……」

 ホリィは椅子から腰を上げてコップを流し台に出す。今日の昼食と夕飯のメニューを考えながら、準備に取り掛かる。ぐらり、と眩暈を覚えるが意識を保ち彼女は覚束ない足取りで冷蔵庫へ歩み寄る。そして、冷蔵庫を開け、中身を取り出そうとしたその時だった。突然、目の前が真っ暗になったホリィは近くにあった食器やフライパン、その他の道具にぶつかり床にまき散らしながら倒れてしまったのだった。
 彼女が意識を失い倒れたことを、この時点では誰も知る由もなかった。


 幸子が食器を片づけて数十分後――

「今日こそは真面目に学校行くぜ」

 なりや振る舞いは不良なくせして意外とマメだったりする承太郎はそう呟くと、玄関の戸を開けて外に出た。そんな彼を追いかけるように幸子は慌ててローファーに足を入れて鞄を引っ掴む。

「……」

 嫌な予感がするのか、彼女は頻りに家の中を振り返る。そんな彼女が気になるのか、承太郎も振り返った。

「……今日、聖子さんとても顔色が悪かったから、なんだか心配」
「――そういえば妙だな。いつもなら昨日みたいに来るはずなんだが……」

 承太郎の言葉に幸子はハッと何かピンとくるものがあったのか、はたまた嫌な予感だけは的中する女の勘というやつか。鞄を玄関の脇に置くとせっかく履いたローファーを脱ぐ。

「わっ私ちょっと見てくる。先行ってて……」
「まちな」


 世認められて振り返れば、剣呑な表情を浮かべた承太郎がいた。彼のただならぬ雰囲気に、ごくり、と彼女は唾を呑む。

「俺も行く」

 幸子は承太郎にコクン、と頷くと彼と共に台所にいるだろうホリィの様子を見に向かった。途中、パンツ一丁で出てきたジョセフと遭遇したので――幸子は顔を真っ赤にして慌てて背を向けた――驚きのあまりに悲鳴すら出せなかった幸子の首根っこを承太郎が掴んで引っ張り、三人でホリィの様子を見に行った。勿論、ジョセフはちゃんとズボンを穿いて同行した。
 いつも騒がしかった訳ではないが、今日はやけに家の中が静かに感じる。奇妙な焦燥感に駆られた三人の歩調は自然と速くなっていった。
 ついに、台所に着いた彼らは驚愕の現場を目の当たりにする。
 高熱にうなされるホリィの背中から現れるシダ植物、そして、それに手をかざしているにも拘らず触ることが出来ないアブドゥル。
 スタンドとは、本人の精神力の強さで操るものだ。闘いの本能で操るものだ。だが、おっとりとした平和な性格のホリィにはDIOの呪縛はあまりにも大きく、呪縛に対しての《抵抗力》はなかった。つまり、スタンドを行動させる力がないのである。
 だから、スタンドがホリィにとってマイナスに働いて《害》になっているのである。このままいけば、彼女は自身のスタンドによって死んでしまうだろう。暴走したスタンドによって、とり殺されてしまうだろう。
 ジョセフは、感情のままに承太郎に掴みかかる。彼の全身は震えていた。大切な愛娘であるホリィを失ってしまうと言う恐怖に、震えていた。それを見つめていた承太郎は比較的冷静な声で――けれども、いつもよりどこか冷静さを欠いた声で――ジョセフの腕を掴みながら言う。

「言え! 対策を!」

 ジョセフは、ホリィを抱き上げて奥歯を噛みしめた。

「ひとつ……DIOを見つけ出すのだ! DIOを殺してこの呪縛を解くのだ! それしかない」
(DIOを……)

 ずきり、と幸子は自身の胸が軋むのを感じた。彼らにとってはDIOは倒してこの世から消さねばならない存在。一方でDIOもジョースターの血族をこの世から排除しなければならない存在と考えている。
 確かに、DIOがやっていることは決していいものではない。寧ろ、はた迷惑なことばかりだ。それでも、幸子はDIOを殺すことに賛同することができなかった。DIOを倒すことしか、ホリィの命を救う方法がないと分かってはいても。
 幸子が一人、迷っている内に話はどんどんと進んで行った。
 ジョセフは居場所を突き止めようと何度も念写を試みていたが、映るのは闇の中にいるDIOのみ。いつ、どこで、念写を行なっても彼は闇の中に潜み、居場所を特定させてはくれなかった。

「いろいろな機械やコンピュータで分析したが、闇まで分析できなかった」
「おい」

 アブドゥルにいち早く反応したのは、承太郎であった。

「ソレを早く言え。ひょっとしたらその闇とやらがどこか……分かるかもしれねえ!」

 承太郎は己のスタンドを出すとそれに写真を見せた。ギラン、と鋭い瞳がDIOの背後に何かを捕えたようで、承太郎は紙と鉛筆を持たせてスケッチをさせた。すると、精密な動きと分析の出来る彼のスタンドはさらさらと真っ白な紙の上に一つの絵を浮かび上がらせた。一匹の、ハエである。
 そのハエに、アブドゥルは見覚えがあった。図鑑をどこからともなく引っ張り出してあるページを開いた。
 ハエの名前は《ナイル・ウェウェ・バエ》エジプト・ナイル河流域にのみ生息している。とくに足に縞模様のあるものはアスワン・ウェウェ・バエと呼ばれるようだ。
 これで、場所は大きく絞り込むことが出来た。DIOはエジプト、しかもアスワン付近に身を隠していることが判明した。幸子が逃げて居場所が大方知られたとしても、DIOは拠点を変更しなかったらしい。

「やはりエジプトか。いつ出発する? 私も同行する」
「花京院」
「かっ花京院くん」

 花京院も、肉の芽を埋め込まれたのは三か月前。アブドゥルがDIOと出会って一か月後だ。家族とナイル旅行しているときにDIOと出会ったようだ。

「奴はエジプトから動きたくないらしい」
「同行するだと? 何故? お前が?」
「そこんところだが……なぜ、同行したくなったのかは私にもよく分からないんだがね」

 どこかで似たようなやり取りを見たことがある。
 幸子は、《なにか》に気づいた承太郎が「ケッ」と吐き捨て、花京院が包帯に覆われる額を抑えて吐き捨てた彼に対して分かりやすく「お前のお蔭で目が覚めた」と伝える、そのようすを見て微笑ましいといいたげな表情を浮かべた。

「ジョースターさん……私も同行させて下さい」

 幸子のつぶやきに、一斉に視線は彼女に集まった。その中で剣呑な雰囲気を出すのはジョセフとアブドゥルだった。承太郎は無言で彼女を見て、花京院は苦笑を浮かべる。どうやら二人は予想はついていたようだ。

「……確かに、わしらは一人でも多くのスタンド使いが欲しい。しかし、過酷な旅になるのじゃよ? それに、お主はまだDIOが……」
「それでも……いえ、だからこそです。お世話になったホリィさんを助けたいという気持ちも勿論ありますが、これは、私の為の旅でもあるんです」

 頑として譲らないつもりなのだろう。幸子は目を逸らすことなくジョセフを見上げた。つい先ほどまではおどおどしていた癖に、たまに見せつけられる意思の強さにはジョセフもアブドゥルも舌を巻くほかない。

「ジョースターさん、DIOは彼女を狙っている。それならば、我々と同行した方が彼女の為にもなるでしょうし、彼女の能力も我々が傷ついたときに大いに役に立つでしょう」
「う、む……う〜ん」

 ついには花京院の助け舟が入る始末。結局、ジョセフは幸子の同行を許可するしかなかった。
 ちらり、と幸子は花京院を振り返る。目があった花京院は、親指を立てて笑って見せる。幸子もニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべて親指を立てたのだった。そんな二人をみて、「こいつら、いつの間にんな仲良くなりやがったんだ」と不思議に思った承太郎は目を丸くした。傍から見れば、目元が帽子の陰に隠れてしまっているので無表情に見えるので、誰も彼の表情には気づかなかった。

「JOJO、占い師のこの俺がおまえのスタンドの名前をつけてやろう」

 アブドゥルは24枚のタロットカードを懐から取り出す。このカードの示すものは、引いた者の運命を示すカードであり、スタンドの能力を示すカードでもある。
 承太郎が引いたのは、《星》のカード、正位置。指し示す運命は《希望》。彼のスタンドの名前は《星の白金(スター・プラチナ)》となった。

「そうだ、幸子。君のも占っておこう」
「え、私もですか? でも私のは名前は決まっていますし」
「いいからいいから、景気づけに占って置いても損はないじゃろう」
「は、はぁ……」
「ふむ、ではこのカードの束から無造作に一枚とってくれ」

 二人に促されるままに幸子はカードを一枚抜き取る。じつは、本人もワクワクと胸を躍らせていたりする。彼女もふつうの女子高生となんら変わらないのだ。
 大柄な男たちが見守る中、幸子は裏になっているカードを表に向けた。

「……」
「……」
「……《世界(ザ・ワールド)》……」
「……逆位置……」
「……」

 幸子は壁に額を打ち付けて一言――

「絶望しかない」

 ――と呟いた。
 そう、彼女が言った通り、《世界》の逆位置は《挫折》や《失敗》を意味するカードなのである。
 幸子は考えた「寧ろわたし、同行しない方がいいんじゃあない?」そんな暗くネガティブな方向へと思考が傾いて行く。

「すまない、俺が占うと必ず幸子には危険な運命の中にある暗示が出て来るのだ」
「いや、むしろ逆に考えてみるんじゃ。DIOのスタンドの暗示は《世界》じゃ! その対極にあると考えればいい方向じゃないのかのォ? DIOの思惑をぶち壊す意味じゃ!」
「そ、そうですね……そういう風にとらえれば……は、ハハハハ」

 明後日の方向を見つめながら、幸子は乾いた笑みを浮かべるのだった。


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