世界よ、逆流しろ


7-1



〜第7話〜
予感



 目の前の光景に目が離せない幸子は、ただただ目を見張り、一点だけを見つめていた。その青い瞳は爛々としている。
 彼女が熱心に見つめるその先には雄々しく仁王立ちする空条承太郎の姿。彼の鋭い眼光が射抜く先には、桃色の頭髪をもつ青年・花京院典明が立っていた。彼は歪な笑みを浮かべたのち口を開く。

「《悪》とは敗者のこと……《正義》とは勝者のこと、生き残った者のことだ。過程は問題じゃあない。敗けたやつが《悪》なのだ」

 花京院は《法皇の緑》に構えを取らせると必殺技《エメラルド・スプラッシュ》を放った。しかし、もう幸子の表情は青くなったりしなかった。確信があったからである。空条承太郎が真の《正義》であるということを――

「なに、敗者が《悪》?」

 承太郎はニヤリと口角を上げた。

「それじゃあー、やっぱりィ、てめーのことじゃあねーかァ――――ッ!」

 彼は自身の《スタンド》を出現させると、向かってきたエメラルドの原石たちをラッシュで全て弾き飛ばしてしまった。攻撃に自信のあった花京院の表情に焦りの色が浮かぶ。彼は顔を珍しく青ざめさせて喉を引きつらせた。
 一方、承太郎は狼狽する花京院の隙をついて《法皇の緑》の首を引っ掴むと、開いているもう片方の腕の拳を握りしめる。スタンドが力を込めると、ひ弱な《法皇の緑》の首がメキメキという悲鳴を上げる。すると花京院の口から鮮血が飛び出した。

「オラオラオラオラ! 裁くのは俺の《スタンド》だァ――――ッ!」

 最後の一発に顎をも砕く拳を叩き込むと、その勢いに押されて《法皇の緑》は壁に激突する。すると、本体である花京院にも大きなダメージはフィードバックし、ついに彼は体中から鮮血を流して倒れたのだった。彼のスタンドがぶつかった壁は、余りの衝撃に崩壊しており、朝の気持ち良い風が埃を舞い上げ、日光が保健室を温かく照らす。

「くっ空条君ッ、き、き、傷ッ」
「大した傷じゃあねえよ。さっきは不意をくらってちょいと胸を傷つけただけだ」
「そ、そっか……」
「やわな《スタンド》じゃなくてよかったが、ますます凶暴になっていって気がするぜ」
「……う、う〜ん」

 ホッと胸をなで下ろしたのちに、曖昧な笑みを浮かべる幸子。そんな彼女をちらりと一瞥したのち、承太郎は気絶する花京院のもとへと歩み寄った。幸子は女医のもとへと駆け寄る。そして、《クリア・エンプティ》で女医の傷を出来うる限り《治し》た。
 傷を《治し》追えた幸子は承太郎の方へと振り返る。彼は、気絶している花京院を担ぎ上げていた。花京院は日本男児の平均で考えれば体格の良い方なのだが、そんな彼をも軽々と担ぎ上げてしまえる承太郎はやはり、普通でない。流石は195センチ。

「騒ぎが大きくなってきたな。今日は学校をフケるぜ……おい、あんたも行くぞ幸子」
「あ、うん。花京院君のこと、ジョースターさんに報告しないとね……あ、ちょっちょっと待って、壊れてる部分とか直した方が……」
「いや、あれだけ騒いでこの場になんにもない状態ならなお怪しまれるだろ……そのままでいい。さっさとずらかるぞ」
「うん」

 幸子は女医を辛うじて無事なベッドへと横たわらせると、決壊した壁から外へ出てゆく承太郎を追いかけた。

「おい」
「あ、はい」
「アンタのスタンドは物を治せるんだよな?」
「あ……それなんだけど、一つ条件があって」
「条件?」

 承太郎は花京院を担いだまま整った眉を片方上げた。

「何でも治せるんだけど……10秒過ぎると完全には元どおりにならなくなるの。時間が多く過ぎ去れば、全然直らなくなってしまうし……ごめんね、膝。頬の傷も……」
「おめーが気にすることじゃあねーよ」
「……ありがと」

 幸子はほんのりと頬を染め、微笑を浮かべた。彼女を横目で見ていた承太郎は、学生帽の鍔を掴むとクイ、と少しいつもより下にさげたのだった。

「……その《クリア・エンプティ》っていうのか?」
「う、うん」
「まるで対象物の時間を《巻き戻し》てるみてーだな。治すっていうよりはそっちの方がしっくりくるぜ」
「え……――あ!」

 幸子の中で、ピースの一つ一つが繋がる。DIO自身が態々出向いて彼女をさらった理由だ。彼の《天国へ行く方法》が書かれたノート、それには《加速》というキーワードが頻繁に使われていた気がする。それが彼の目的ならば、まさしく幸子のスタンドの能力はその目的の真逆。

 ――お前の存在は常に私と似ているようで正反対だった――

 もしかして、自分の真の能力は《治す》のではなく《戻す》なのではないだろうか。いや、もしかしてではなくそうなのだろう。《戻す》能力ならば、今までの10秒という制約の説明がつく。戻せるのが10秒までであるから、10秒以内ならばどんなに木端微塵になろうが元通りに直ったように見えるのだろう。そして、DIOの言う似ている様で性質は全く異なった存在。彼はマイナスを利用してプラスに転換させようとしていたのかもしれない。まだ仮想の域を出ないが、幸子にはそんな確信があった。
 頓狂な声を上げたまま考え込み始めた幸子が不思議だったのか、承太郎は彼女を暫く見下ろしていたが、聞き出そうとはせずに無言を貫いた。
 空条宅に到着し、二人はジョセフとアブドゥルを探し始める。といっても、幸子の場合はまだ家の間取りを把握している訳ではないので、無謀な冒険を止めて承太郎について歩いていた。

(やっぱり空条君って大きいなあ……花京院君が小さく見えるし、廊下の床はヌシヌシいってるし……)

 ハーフにしては身長が伸びなかった幸子は、少し羨ましげな視線を送る。そんな彼女の憧憬の眼差しにも気づかずに当の本人である承太郎は歩く。すると、二人がとある部屋に差し掛かった時だ。馴染みのある声が部屋から聞こえてきた。

「今、承太郎ったら学校であたしのこと考えてる! 今、息子と心が通じ合った気がしたわ」
「考えてねーよ」
「きゃああああっ!?」

 ホリィの惚気に冷静に突っ込みを入れて承太郎は歩く。真っ赤な顔をして悲鳴を上げた母親に対してもクールであり、彼は部屋を過ぎていく。彼の担ぐ血の滴った花京院を見たホリィは次に顔を青ざめさせた。事情を問いただそうとする彼女だが、承太郎は「てめーには関係ねえ」の一言であしらってしまった。

「あの、聖子さん、ジョースターさんとアブドゥルさんはどこにいらっしゃいますか? 二人を探してるんですけど」
「広い屋敷は探すのに苦労するぜ……茶室か?」
「ええ、二人とも一緒に居ると思うわ」

 幸子はホリィにぺこりと頭を下げ、さっさと行ってしまう承太郎へとついて行く。そんな彼らの後ろ姿をホリィは寂しそうに見送る。すると、不意に承太郎が振り返りホリィに呼びかける。

「今朝はあまり顔色よくねーぜ。元気か?」
「……」

 幸子は承太郎を珍獣でも見るような目で茫然としながら見上げる。問われたホリィはにっこりと笑みを浮かべてピースをすると、嬉しそうに、そして確信したように、

「イエ〜イ! ファイン! サンキュー!」

という。彼女のその返しに満足したのか、承太郎は「ふん」と鼻を鳴らして踵を返すと再び歩き出した。ハッと我に返った幸子はどんどん去ってゆく彼の背中を追った。

「空条君って意外とママっこ?」
「あァ?」
「ひッ!?……じょじょじょじょ冗談っ、冗談ですっ」
「……」

 冗談半分、興味本位半分で尋ねた幸子の言葉に、承太郎は眉間に皺を寄せて凄んで見せた。すると、簡単に怯えた幸子は顔を青くして首を左右にブンブンと振りながら必死に冗談だと主張する。それがおかしかったのか、承太郎は彼女本人には気取られぬくらいに小さく笑った。


 * * *


「だめだな、こりゃあ……」

 花京院を見たジョセフは深刻な表情で告げた。もう手遅れで花京院は助からず、あと数日の内に死亡する。それを聞いた幸子は表情を曇らせ、承太郎は無言を貫く。
 ジョセフはそんな二人にお前たちの所為ではないと即座に否定した。花京院がDIOに忠誠を誓い、何故承太郎と幸子を襲ったのか、その秘密は彼の額にあった。ジョセフが彼の前髪を掻き上げると、そこにはなにか種子の様なものが根を張っていた。それを目にした幸子はゾクリと背筋に悪寒が走る。

「なんだ? この動いている蜘蛛の様な形をした肉片は」
「それはDIOの細胞からなる《肉の芽》、その少年の脳まで達している」

 ジョセフは語る。悍ましきDIOの《肉の芽》の役割について。
 本体が親指ほどの長さである《肉の芽》は、花京院の精神に影響を及ぼす為に脳まで深々とうち込まれている。《ある感情》を呼び起こすコントロールの役目を持っていた。その感情とは、つまり《カリスマ》。ヒトラーに従う兵隊のような感情、邪教の教祖に憧憬するような感情――花京院は、DIOに憧れ、忠誠を誓ったのだ。

「DIOはカリスマによって支配してこの花京院という少年に我々を殺害するよう命令したのだ」
「手術で摘出しろ」
「この《肉の芽》は死なない。脳はデリケートだ、取り出すときこいつが動いたら脳を傷つけてしまう」

 肉の芽の脅威を知っているジョセフとアブドゥルは承太郎の提案に首を振る。
 アブドゥルがDIOと初めて出会った夜の出来事を話し、自分もジョセフからDIOのことを聞いていなければ花京院のように死ぬまで《スタンド》をDIOの為に使わされていただろうと語る。
 一方、幸子は無言を貫き、ただただ気絶する花京院を見つめていた。逃げ出しそうになりながらも、彼女は下唇を噛んで恐怖心と闘っていた。

(花京院君はただ、DIOに踊らされていただけなんだ……彼も、私と同じ、DIOに良いように駒として、操られていたに過ぎないんだ……)

 似たような境遇に立つ花京院に親近感がわく。と同時に、どうしても助けることができない、自分には助ける術がない事実に挫折しそうになる。

「ちょいと待ちな。この花京院はまだ、死んじゃあいねーぜ!」

 言うや否や、承太郎は自身の《スタンド》を出す。そして、眠る花京院の頭を両手で押さえると彼のスタンドは肉の芽を摘まんだ。なんと、承太郎は自身のスタンドで肉の芽を引っこ抜くというのだ。彼のスタンドは、一瞬の内に打ち込まれた銃の弾丸をも掴むほどの精密な動きが可能なのだ。
 ジョセフとアブドゥルは目の色を変えて承太郎を止めようと腰を浮かせる。そんな彼らに承太郎は花京院……否、肉の芽から視線を外すことなく「俺に触るなよ」と牽制した。
 SPW財団という大きな組織を後ろ盾にもつ彼らが、肉の芽に対して何かアクションを起こさない訳がなかった。彼らはあらゆる手をし尽くしての結果が《助からない》だったのだ。

「やめろッ! その肉の芽は生きているのだ! なぜ奴の肉の芽の一部が額の外に出ているのか分からんのか!」

 優れた外科医にも摘出出来ない理由が《そこ》にあった。
 外界に突出した肉の芽の一部からは、なんと触手が勢いよくとびだし、承太郎の手の甲に先を突き刺した。それはどんどん彼の内部へと進行してゆく。そう、摘出しようとした者の脳へと侵入しようとするのだ。しかし、承太郎は自分の体内に肉の芽が侵入してきているというのに、承太郎あふるえ一つ起こしていない。機械以上に正確で力強い動きで着実に肉の芽を花京院の額から引いていく。周囲の喧騒からか、花京院は目を覚ます。そんな彼に承太郎はただ「動くなよ、手元が狂うからな」とクールに言う。
 幸子はごくり、と固唾をのんで承太郎と花京院を見守る。ついに承太郎のスタンドが肉の芽を額から引っこ抜くと自分の体内に侵入した肉の芽をズルズルと引き出す。そして、触手をスタンドは手で千切る。

「波紋疾走(オーバードライブ)!」

 幸子はびっくりと目を見張りジョセフを凝視した。彼は急に不思議な呼吸をし出して肉の芽に手刀を下すと、なんと肉の芽は灰となって消えたのだった。
 不死身のDIOの一部であるから、通常の攻撃では《死なな》い。それなのに、ジョセフは殺して見せた。その時彼の手に走った眩い黄金色の光はなんであったのだろうか。《波紋疾走》、そうジョセフは言っていた。もしや、太陽の光でしか倒す事の出来ないDIOの新たなる弱点ということだろうか。

「なぜ、お前は自分の命の危険を冒してまで私を助けた……?」
「さあな……そこんとこだが、俺にもようわからん」

 部屋を後にしようとする承太郎をとめて花京院は尋ねた。そんな彼の問いに承太郎は彼を振り返りもせずに一言そう言って今度こそ去って行った。

(……聖子さんの空条君は本当は《優しい》っていうこと、ちょっと分かったような気がする)

 面と向かってお礼を言われるのが恥ずかしい年頃なのか、それともただ単にクールなのか。定かではないものの、幸子が抱く承太郎への印象がほんの少しずつ変化して行った。

「そうだ、幸子……じゃなかった、ラッキー、お主の能力で花京院や承太郎の傷を治せんのか?」
「あ……それなのですが――」

 幸子は改めて自分の能力は《治す》のではなく《戻す》能力であることを説明した。すると彼らは納得したように頷く。

「なるほどな。時間を戻せるのが10秒……だから、どんなものでも10秒以内ならば元通りのできる、というわけか」
「部分的に巻き戻すこともかのうだから、応用性も十分だな……DIOが狙うのもうなずける」

 ジョセフとアブドゥルは揃って口元に手を当てて考え込む。数分後、戦闘で疲れているだろうから、という理由で幸子は下げられ、部屋に戻って休むよう言いつけられたのだった。


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