世界よ、逆流しろ


6-4



「あらJOJO、どうしたの?」
「転んだ。あとこいつ、体調不良だそうだ」
「あらあら、ほんと、顔色が悪いわね。JOJOがいるからじゃあないかしら?」
「御託並べてんじゃあねえよ」
「ほほほ、全く減らず口ね」

 どうやら、本当に私の顔色は悪かったようだ。自分でも気づかなかった。女医に促されるままに保健室のベッドへ移動するも、そこには既に先客がおり、ガラの悪そうな二人の男子学生が寝ころんでいた。女医は「ちょっと待っててね」とウィンクしてから、無遠慮に椅子に腰かける空条君の方へと戻って行った。

「ねえねえ、君見ない顔だけともしかして転校生?」
「目が青いけどさァ、JOJOと同じハーフだったりするぅ?」

 横目で、空条君と女医さん――なんだか、大人の女の人ってすごいな。あんな厳つい空条君相手に冗談交わしてる――のやり取りを見守っていると、不意に話しかける。にやにやと私の体を舐めまわすように見てくるのが何だか気持ち悪くて、思わず顔をしかめてしまう。これは、生前の父に教わった秘伝術を使おうではないか。
 私は、ニッコリと笑み(スーパー愛想笑い)を浮かべると口を開いた。

「Good, morning. My name is Lucky. I came to Japan for studying abroad from the United States. I do not understand Japan well, but, please get along well.」
「はう……は?」
「ぐっど……じゃぱん?」

 早口に適当な言葉を英語に変換して話せば、予想通り、相手はぽかん、とした表情で私を見る。やっぱり、どこも一緒、英語を習っているとはいえ、実践できる英語力があるだなんて明治時代の話だわ。
 会話が通じないと分かると、彼らは私に興味をなくしたのか、空条君が制服のズボンを脱ぐ――傷を見るためだ、決して露出狂ではない――間にこちらへとやってきた女医に早びけさせてほしいと甘える。仮病だなんて、バレバレなのに、呑気なもんだ。

「あ、空条君、ハンカチ落ちたよ」

 椅子から立ち上がった空条君のポケットからハンカチが落ちたので指摘をする。空条君はそれを拾い上げた。その拍子に、綺麗に折りたたまれていたハンカチがぱらりと広がった。すると、空条君の表情がみるみる驚愕したものに変わっていった。彼の不自然な変化に私は思わず声をかけようとする。しかし、後ろで悲鳴が聞こえ、振り返れば――

「せっ先生、なにをしてるんです!」
「あ、な……!?」

 私は驚愕した。振り返った先には、なんと、万年筆を中の液が飛び散るほどに勢いよくぶんぶんと振る女医の姿があった。吃驚して口を思わずあんぐりと開けていると、ガラの悪い男子生徒二人も先生の異常な様子に怯えながらも私が思ったことと同じことを指摘した。

「万年筆ですって!? これが! 万年筆に見えるの?」
「っ!?」

 優しく綺麗だった女医の表情は歪み、口からは泡をふき、明らかに万年筆だという物を彼女は体温計だと言い張る。そんな彼女の足下には、奇妙な物が巻き付いていることに、私は気付いた。筋がいくつも這う緑色のソレは、触手のようにも見え、昔父親と見たアクション映画のエイリアンみたいだ。これは、《スタンド》?
 私の脳裏に、一つの人物と考えが浮かんだ。

(わ、私だ……私の所為だ。私が、《ここ》に来たから……空条君の怪我だって……)

 DIOが、私を殺しに来たんだ。いらぬ情報を、漏らさぬように。

(たっ、助けなきゃ……先生を、助けなきゃっ……)

 先生は関係ない。巻き込まれただけ。利用されているだけ。私は、身を固めた。
 恐ろしい形相で怯える男子生徒の目に万年筆を先生は突き刺す。目の潰れる嫌な音が聞こえた気がした。生徒の目を万年筆で串刺しにしたにもかかわらず、奇妙な笑い声をあげてハイテンションな先生は空条君を振り返る。私はその隙に、《クリア・エンプティ》を出して命令した。《彼の目を「治」せ》と。たちまち、男子生徒の目は元通りになった。けれど、ショックで気絶をしてしまったみたいだった。

「JOJOォ、貴方はまさか万年筆に見えるなんて……いわないわよね――――ッ!」

 女医は空条君の顔に向かって万年筆を振り被った。空条君は動じることなく、片手で彼女の攻撃を受け止める、が――

「な! うおおおおお何だこの腕力ッ、女の力じゃあねえ!」
「くっ空条君ッ」
「来るな! 近寄るんじゃあねえ!」

 空条君の怒号に、私の足は止まる。

「床から得体のしれぬものが這いあがっていくのが見えた……ハンカチには《花京院典明》! 《スタンド》!……だと? 石段で俺の足を切ったのも奴の仕業かッ!」
「その通り」

 混乱の中、一つだけ落ち着いた声が落ちる。窓を振り返れば、そこには窓辺に優雅に腰かける花京院君の姿があった。彼はマネキンをカタカタと操りながら私達を熱のない目で見つめていた。

「その女医には私の《スタンド》が取り憑いて操っている。私の《スタンド》を攻撃することはその女医を傷つけることだぞJOJO」

 彼の《スタンド》の名は《法皇の緑(ハイエロファント・エメラルド)》。私の心の恩人であるアヴドゥルさんと同じタイプの《スタンド》らしい。そして、花京院君は、《DIO》に忠誠を誓って今、ここにいる。空条君を殺すためだと、言って。
 彼は直接DIOを指して言ったわけではないが、すぐに分かった。彼から《DIO》の気配を感じたから。

(それに、花京院典明って……確か、夜、偶然、私が会話を聞いちゃったときの男の子だ。彼は、DIOに連れられてきた、人だ……)

 私は、心臓が急激に冷えてゆくのを感じた。鼓動は早くなっているのに、体全身はとても冷たいのだ。
 空条君の頬に万年筆を突き刺す先生の服は、先生の余りの力にブチブチという音を立て始め、胸のボタンがいくつか吹っ飛び、豊潤な乳房が作る谷間が見えた。なんというか、大人の女の人の胸って大きい。……違う、今はそんな所を見ている場合じゃあない。

「私は《あの方》の命でJOJO、貴様を殺しにきたが……優先事項はそちらに在す戸軽幸子様の奪還だ」
「……え?」

 私は耳を疑った。だって、今、彼は最優先事項を私の" 奪還 "だって?

「うそ。だって、首を絞めて殺そうとしたし、殺し屋にわざわざ殺しを依頼だって……!」
「嘘ではありません、幸子様。《あの方》は貴方の帰りを待っておられます。さあ、私と行きましょう」
「なに、それ……自由すぎる、彼は、自由すぎるよ……!」

 自由すぎるDIOの気まぐれに、私は困惑した。だって、DIOは私を殺そうとしたのに、どうして心配などするのだろうか。彼に捨てられたからこそ、彼に頼ることなく一人で立って生きてゆこうとしているのに。なぜ、今更、彼は私をもう一度《闇》へと誘うのだろう。
 嫌だ、行きたくない。死にたくない。私はまだ、パパやママや友達やその他大勢の私に関わってしまったがために殺された人々の分まで生きてない。

「さあ、コチラに」
「い、いやだッ……私は、もう、行かないって決めたっ。ジョースターさんとアヴドゥルさんに協力するって決めたのっ!」
「……なるほど、《あの方》のおっしゃる通り、ジョースター家に何かよからぬことを吹き込まれたようですね」
「ちがっ……彼らはそんなことッ」
「ならば、まずはジョースター家の者達から殺そう」
「待ちな」

 花京院君が迫ってきて、必死に「行かない」ということを叫びながら牽制していると、静かだがとても圧力のある声が聞こえる。

「はいっ!?」

 私は空条君を振り返って驚愕した。なんたって、彼は突然、女医の髪の毛を乱暴に掴むと強引に自身の所へ引き、無防備に開いた口にキスをしたのだ。余りの熱烈なその光景に私は目を向いて思わず大声を上げていた。
 緊迫した状況でなにを、と言いかけたが、次の瞬間、私は彼のスタンドが口で掴む物体を目にする。そう、彼は女医さんの体内に潜む花京院君の《ハイエロファント・エメラルド》をキスをすることで口で噛みつき、引きずり出そうとしていたのだ。作戦は見事成功し、みるみる先生の体から悍ましい《スタンド》が引きずり出されてゆく。

「花京院、これがてめーの《スタンド》か! 緑色でスジがあってまるで光ったメロンだな!」

 的を射すぎてる空条君の言葉に私は不謹慎にも噴き出しそうになってしまった。空条君、面白い言い方するなぁ。《法皇の緑》の頭を空条君の《スタンド》が大きな手で鷲掴みにすると、花京院君の表情から余裕さがなくなる。彼の額にはクッキリと指の跡がある。このまま、《法皇の緑》の頭をひねりつぶせば花京院君の頭も真っ二つだと、恐ろしい事を平然と言ってのける空条君は、ちょいと締め付けて気絶させてからジョースターさんの所へ連れて行くと言った。
 きっと、DIOならば、同じ状況であれば手ひどく相手を叩きのめすか、殺したりするのだろう。けれど、空条君はソレをしない。殺してしまっては元も子もないのだけれど、どこかDIOとは違う雰囲気を、私は改めて感じた。しかし――

「あっ危ない空条君っ!」

 空条君の《スタンド》に首根を掴まれた《法皇の緑》に異様な雰囲気を感じ取った私は警告を叫ぶ。《法皇の緑》の手からぼとぼとと緑の液体がしたたり落ちていた。

「くらえ、我がスタンド《法皇の緑》の……」
「花京院! 妙な動きをするんじゃあねえ!!」
「逃げて空条君ッ」
「エメラルド・スプラッシュ!」

 一瞬、彼の者の背後に大きな荒波が見えた気がした。花京院君の声と共に、《法皇の緑》が手元から何かが放たれる。よく見てみれば、それは大きなエメラルド石の塊だった。石は空条君のスタンドの胸をえぐり、その勢いのまま大柄な彼を壁に叩きつけてしまった。空条君は口から血を噴き、その場に崩れ落ちる。

「貴様のスタンドの胸を貫いた。よって貴様自身の内臓はズタボロよ……そして、女医も」
「え……」

 気絶した女医さんの体はふらふらと支えを無くしたために傾く。受け止めようと走り出したその時、女医の耳やのど、目から大量の鮮血が飛び散り、私の顔を濡らした。「先生っ!」そう私は叫んで《クリア・エンプティ》を即座に出して先生の傷を治す――が。

「うぐっ!?」
「幸子様、そんな女のために力を使わなくとも大丈夫です。これは私の忠告を無視し反抗したJOJOの所為だ。私のスタンドは奴のより遠くまで行けるが広い所は嫌いでしてね。かならず何かの中に潜みたがるんだ」

 私と《クリア・エンプティ》の首に巻きつくのは花京院君の《法皇の緑》の触手。ゾッとするほどに冷たく、温度を感じないその存在に、私は全身が震える。涙が滲み、そんな情けない顔で空条君を見た。彼は、壁に叩きつけられたせいか、それとも《エメラルド・スプラッシュ》によって胸を抉られた所為か、とてもじゃあないが戦えるような様子ではない。
 もとはといえば、私のせいなのだ。空条君のせいではない。だって、私が、空条君の家に転がり込み、そして剰え学校へと通ったがために、彼だけでなく、スタンドとは無関係の生徒や学校の先生にまで大けがをさせてしまったのだ。ならば、もう、取るべき行動は、一つしか残っていない。

「お、お願い……私、DIOの、ところへ戻ります……だ、だから、空条君と先生を、助けて下さい」
「お、い……あんた、なに言って……」
「DIOは! 私のもつ《スタンド》の能力が欲しいんでしょう!? だったら、私が彼の下へ行けば、いい。元はと言えば、私が学校に行きたがらなければ、ちゃんと、断っていれば、少なくとも先生はっ……!」

 泣き出してしまいそうだった。だって、弱虫だから。
 涙が張る目で花京院君を見上げれば、花京院君は、熱のこもっていない目で私を見下ろしていた。無表情であった。そんな彼が、今度はゾッとするくらい無邪気な笑みを浮かべる。その表情が、残酷な面を見せるときのDIOの笑みと似ていたから。

「愚かな人だ」
「え……」
「貴方は、自らの過ちに気づいていない」

 花京院君はそう言って、手元にあるマネキンを操った。彼の目は、怖いくらいに熱がなく、まるで空洞。それなのに、表情は奇妙なほど嬉々としていた。
 私は知らなかった。花京院君が、DIOから命ぜられたもう一つの使命を。

「DIO様はおっしゃった、貴方様がもし、空条承太郎や一般人を庇って『帰る』と言ったら……」
「い、いったら……」
「その時は、その場にいる者全員を、皆殺しにしろ、と」
「そんな! どうして! わざわざそんなこと!」
「少なくとも"そいつら"に、貴方様の心が残るから、だそうだ。どうやらDIO様は貴方様を独占したいらしい」
「なに、それっ……じっ自分で、す、すてたくせに……!」
「嗚呼、貴方は滑稽なほど真っ直ぐだ。だからこそ貴方様は愚かだ。貴方はあの方のことを何もわかっ――――」
「まだだ、幸子。諦めるのはまだ早ぇ」

 ふと、花京院君の言葉を遮る空条君の声。なぜか、その声にドクリと心臓がはねた。俯き気味だった顔を上げて空条君を見れば、彼はフラフラになりながらも自分の足でしっかりと、立っていた。力強く、そして雄々しく。

「立ち上がるか。だが悲しきかな、その行動を例えるならばボクサーの前のサンドバッグ……ただ打たれるだけにのみ立ち上がったのだ」
「……この空条承太郎は、いわゆる不良のレッテルをはられている……喧嘩の相手を必要以上にブチのめし、未だ病院から出て来れねえ奴もいる……威張るだけで能無しなんで気合をいれてやった教師はもう2度と学校には来ねえ。料金以下の不味い飯を食わせるレストランには代金を払わねーなんてのしょっちゅうよ……だが、こんな俺にも、吐き気のする《悪》は分かる!」

 空条君は、拳を握りしめた。

「《悪》とは、てめー自身のためだけに、弱者を利用し踏みつける奴のことだ!」

 私はこの時理解した。頭ではなく、心で感じた。目の前にいる空条承太郎という人物を。
 彼の行動は、世間一般にしてみれば不良とみられるだろう。しかし、彼の行動には彼の確固たる理由があったのだ。
 他の人間ならば、自分を抑え込んで、逃げて、絶対に身を引く場面でも、彼は逃げずに立ち向かった。それが彼の《正義》であり、彼の《信念》。
 空条承太郎が光輝いている様に感じたのは、彼がどんな人間よりも強くて、どんな人間よりも真っ直ぐだからだったのだ。
 私は、漸く空条君を自分の目でしっかと捉えた。眩しくて、まぶしくて仕方がなかった空条君が、漸く見れた。爛々と強い意志で輝く彼の瞳、背筋を伸ばして敵と向かい合う姿勢――ああ、これが《自分の足で立つ》ということなのかと、私は理解した。
 空条君の姿を見ていると、自然と、誇り高い気持ちになる。まるで自分も、強くなったかのような錯覚さえ覚える。

「おめーの《スタンド》は被害者自身にも法律にも見えねえし分からねえ……だから、俺が裁く!」

 かちり、と何かが作動する音が聞こえた気がした。ゆっくりと、黒く霞んでいた視界が、空条君を中心にして段々と晴れてゆく。じゃらじゃらと、心臓に巻き付いていた鎖の様なものが地に落ちてゆくような感覚になる。

 ――ああ、漸く――

「漸く、動きだした……」

 DIOの館の中で止まっていた、私の《時》が動き出した。


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