世界よ、逆流しろ


6-3



 翌日の朝――
 身支度をさっさと整えた私は、聖子さんのお手伝いをするべく台所へと向かった。台所には、トントントン、と一定のリズムでキャベツを千切りにしていく聖子さんの背中があった。

「おはようございます、聖子さん」
「あら、おはようラッキーちゃん! 早いのねぇ」
「聖子さんのお手伝いがしたくって、うずうずしてしまったんです」
「あらまっ、嬉しいわぁ〜。それじゃあそうねえ、お味噌汁の具を作ってくれるかしら? 食材はここにあるわ」
「がってんです!」

 私は直ぐに取り掛かる。
 聖子さんとならんで台所に立つのは、とても楽しい。まるで、お母さんと一緒に料理をしているみたいだったから、凄く、胸がいっぱいになる。

「できました!」

 野菜を切り終え、お湯をためた鍋に投入し、そこにお味噌を混ぜて完成。味の確認をしてもらったところ、バッチグーという判定を頂きました。
 空条君は、味にうるさいらしいので、聖子さんの厳密な判定が必要なのだ。今回は一発で決まって良かった。きっ昨日は、5回くらい調節し直したけど、ねッ。

「そろそろ朝食ができるから、悪いけれどラッキーちゃん、パパ達や承太郎を起こしに行ってもらってもいいかしら?」
「え……はッはい! ただいま!」

 私は台所を飛び出した。
 正直、空条君を起こしに行きたくない。なんか、ちょっと怖いから。
 ジョースターさんとアヴドゥルさんを起こしたのち、私は空条君の部屋へと向かった。緊張で喉が強張るが、深呼吸し、廊下から彼へと呼びかけた。

「くっ空条君、朝ごはん出来たって……ええっと、お、起きてますか?」

 ……返事がない。
 まだ、寝てるみたいだ。私は意を決して、障子の戸を開けた。

「空条君、そろそろおき……」

 私は絶句した。
 戸を開けて私の目に飛び込んできたのは、なんと、着替え途中の空条君だった。

「ごっごごごごごごめんなさいっ」

 慌てて後ろを向き、空条君に背を向ける。そのまま急いで戸を閉めようとするが――

「すっ直ぐ戸を閉めっ……しめっ!……しっ閉まらないっ!?」

 男の人の着替え姿を初めて見たせいか、それとも相手が空条君で物凄く後が怖いことになりそうだからと肝を冷やしているせいか、パニックになって上手く障子を閉めることが出来ないでいた。
 焦燥感で胃が熱くなり背筋は凍る。壊さないようにしているが上手く戸が引けずにガッツガッツと突っかかる。

「おい」
「はいすいませんッ」

 思いの外近くで声が落ちてきて、私は振り返る。そこには、いつもの改造学ランに学生帽の空条君が立っていた。

「もういいぞ」
「へ?……あ」

 着替え終えていらっしゃった。
 私は恥ずかしくなり、そして情けなくもなり、おずおずと入口から身を引いて道を開ける。すると、空条君は「やれやれだぜ」と呟いてさっさと行ってしまった。

「……」

 徐に戸に手をかけて引く。今度は、すんなりと閉めることができた。
 その場にうずくまって嘆きたくなった。
 しょんぼりとしながら、私は台所へと戻る。そこには癒しの聖子さんが居て、笑顔で「朝食出来たらから運んでもらっていいかしら?」と言う。はい、もちろん、喜んで。
 居間ではお腹を空かせたジョースターさんとアヴドゥルさん、そして、本日私の情けないところを晒してしまった空条君がいらっしゃった。空条君の方はあまり見ずに朝食を運ぶ。ゴハンで最後だって。

「ところで、パパ」
「んー? なんじゃホリィ」
「ラッキーちゃんの学校はどうするの?」
「……ああ」

 学校。そう聞いて私の心臓はどくん、と大きく跳ねた。勿論、喜びでだ。しかし、次にはやはり思い浮かんでくるDIOの存在。もし、私が学校に行くようになったら、また、彼は、私の存在を知った人間を殺して回るのではないだろうか。それだけは、嫌だった。

「あ、わたし……」
「そうじゃそうじゃ、忘れておったわい。昨日、制服が届いたんじゃ。最寄りの高校にするようしたんじゃよ」

 知らないうちに、ジョースターさんは通う高校の準備をしてくれていたらしい。SPW財団の迅速な対応もだが、ジョースターさんやアヴドゥルさんの心遣いに胸を打たれる。
 しかし、最寄りの学校というと――

「まあ、じゃあ承太郎と同じ学校にかようのね!」
「うッ!?」

 なん、だと。空条君と同じ高校に通う、だとッ。
 私は顔が青くなった。ジョースターさんがせっかく制服を用意してくれたし、聖子さんは自分の事のように喜ぶし、断ろうにも断れない雰囲気が部屋に充満している。
 狼狽している私を置いて行き、とんとん拍子に話は空条君と同じ高校に通う方向で進んでいく。結局、私側が急だった――ジョースターさんが知らせ忘れたから――ので、今日は見学、明日頃から登校となった。Oh......。
 とにかく、私は否定して欲しかった。だって、万が一ということがある。ちらりと横の空条君を伺えば、彼は最後のゴハンを嚥下し、味噌汁を啜って、お茶を一杯飲む。そして、ぬっと立ち上がると私を見おろし、一言――

「いくぜ、用意しな」
「Yes, sir...」

 かくして、私は空条君と共に登校することになったのであった。


 不安要素の多いものの、私は久しぶりの学生ライフにドキドキと胸を躍らせていた。友人、先生、知り合い――きっとたくさん、たくさんの人と話が出来る。この世とのつながりが、出来る。
 私はいわば《屍人(しびと)》だ。この世の誰にも認知されていない存在だから、存在していないことと同然なんだ。
 私はまだ《マイナス》だ。だから、《ゼロ》へ向かって歩いて行きたい。いつの日か、《プラス》となることを夢見て――

「お、お待たせしましたッ」

 用意された制服を身に纏い、空条君が待っているだろう玄関へと急ぎ足で向かう。

「はい、承太郎いってらっしゃいのキスよ」
「このアマァ、いい加減に子離れしろ」

 高身長な空条君に対して彼の頬にキスをする聖子さん。されている彼は嫌そうな態度を取っているがそこまで嫌がっている様には見えない。どちらかと言えば、照れくさそうだった。家族の他愛ない日常の一コマを見て、私の胸になんともいえないシコリが出来る。同時に、心がほわほわと温かくなる。二つの相反する感情を同時に抱くなんて、どれほど忙しい奴なのだ、私は。
 私の存在に気づいた空条君は顔をしかめると聖子さんから離れ、対して聖子さんは私を振り返って笑顔になると詰め寄ってくる。何かと思って身構えると、不意に頬に温かく柔らかな感触を覚え、それが聖子さんの唇であったことを理解するのは彼女の仄かに香る優しいお母さんのような匂いを感知するのとほぼ同時だった。

「いってらっしゃい、ラッキーちゃん」
「あ……は、はい、いいい行って――」
「遅ぇ、行くぞ」
「あちょ、待っ……」

 喉が引くついて上手く聖子さんに「いってきます」と言えないでいると、しびれを切らした空条君に腕を掴まれて引っ張られる。よろよろと強引にローファーを履きながらついて行った。

「あらあら、承太郎ったらラッキーちゃんにやきもちかしら?」
「あんま適当なこと言ってんじゃあねーぞこのアマ」
「はーい」
(ひぃ〜……空条君怖いよぉ〜〜)

 聖子さんに救援要請というなの視線を送ったが、何も通じることはなかった。にこやかな笑みを浮かべたまま彼女は私達に向けて手を振るだけだ。でも嬉しいから私はそれだけでも十分で、聖子さんにつられるように笑顔になりながら手を振りかえした。
 暫く聖子さんが見えなくなるまで手を振っていると、「いつまでやってんだ」という声が降ってくる。空条君を見上げると、呆れたような表情で私を見下ろす彼の瞳と視線が絡む。以前なら絶対に見ることなく俯いて逸らす目に、今日は気分が高揚しているからか、彼を見上げたまま私は返事をした。「嬉しいから、つい」と。

「そんなに学校行くことが嬉しいか」
「うん、嬉しいよ。普通のガクセーっぽくって」
「……そうかよ」

 彼は私の腕を離してすぐ前に向き直り歩く。私もそんな彼の一歩後ろをついて歩いた。

(空条君って、背中大きいなぁ)

 通学路を彼について歩き、辺りを見回しつつ、前を歩く彼の背中を見上げ、私は思った。
 DIOとは、常に向かい合わせだった。だから、私はDIOの背中の大きさを知らない。空条君とは、余り向かい合わせになることはないかも。それは私が彼と向き合って話せないからでもあるだろう。彼の前に立つと、何故か彼が眩しくて見ていられなくなるから。

(……あーだめ、だめ。DIOのこと考えてちゃいつまでたっても自立できないよ)

 頭を振りながら私は自身を叱咤した。
 脇を通る車や行き交う人々の《音》がとても懐かしく、DIOの館での出来事がほんの少し薄れていくのを感じる。まるで、あの中での出来事は全て夢幻であるかのように。

「あ、JOJOだわ」
(ん? JOJO?)

 聞きなれない単語が聞こえ、私は声のした方へと振り返る。すると、幾人もの女子生徒が頬を薔薇のように赤く染めて空条君を見つめているではないか。気が付けば、空条君と私の周りには可憐な日本人女子高生たちが集まり、空条君のことを「JOJO」という愛称で呼びながら挨拶を紡ぐ。熱い視線は空条君に注がれ、甘えるような声は空条君の耳に届くように快晴の空へ奏でる。しかし、それらを一身に向けられている空条君はどこ吹く風か。全く相手になどせずに歩く。ただ、ほんの少し早足になった。
 空条君が返事をしないせいか、今度は彼の近くを歩く私へと彼女達は視線を移す。すると、うっとりとした目や恍惚とした表情は途端に引っ込み、次に現れたのは鬼の形相のような鋭い目と剣呑な表情であった。

「ちょっとJOJO! この女なんなの!?」
「あんた、なんで朝からJOJOの隣に立って歩いてるのよ!」
「ひっ、あ、あの……」

 少女達に詰め寄られた私の脳裏を掠めたのは、DIOの館にいたときの記憶。DIOに周りからは近い存在として見られていたがために、思わぬしわ寄せを受けてしまったときの記憶。不用意に命を狙われ、危うく何度も殺されかけ、そして、その度にDIOの残酷さを見せつけられた。
 ああ、DIO……あなたは誰よりも《闇》の中で優しく、誰よりも残酷だわ。

「私はその、ただの留学生で……くっ空条くんには、学校の、案内をしてもらっているだけなんです」
「留学生? ああ、確かに目の色が違うわね」

 どうやら納得してくれたみたいだ。そう思ってほっと胸をなで下ろしていると――

「でもJOJOに近づき過ぎよ!」
「え?」
「そうよそうよ! 後ろをくっ付いて歩いて!」
「でも、案内を……」
「もっと距離くらいおけるでしょ!」

 そんな、殺生な。私は日本に住んでいたとしてもここは全く未知の土地。空条君の案内なしでは出歩くことさえ困難だっていうのに。ちょっと冷たいな、ここの日本人って。
 彼女達は、どうにも私を空条君に近づけたくないのか、歩く空条君に近づかせないよう私の前を歩き始めて壁を作ってしまう。
 ああ、待って空条君心細いので置いて行かないでよ。そんな私の心の弱音が届いたのか否か、空条君はクルリと私と女子生徒たちを振り返り――とても不機嫌そうな顔だった――口を開く。

「おい、ラッキー、さっさと来い。置いてくぞ」
「キャーッ! どうしてJOJOこんなブスを呼ぶのよぉ!」
「ぶっ……!」

 ブスと言われて傷つかない女の子はいない。しかも、ナチュラルかつ大声ではっきりと言われてしまってはダメージ倍増である。人知れずショックを受けていると、女子生徒たちのターゲットは空条君に移り、一斉に彼へと群がって行った。ポケットに突っ込まれている彼の手の腕に自身の腕をからめたり、それを妨害したり、詰り合いを始めたり。とても忙しい女性たちだ。
 ふと、空条君の肩がワナワナと震えだす。そして、日本の有名な山である富士山が噴火したように、怒りを爆発させるのだ。

「やかましいッ、鬱陶しいぞォッ!」
「っ!?」

 びくりと私は肩を震わせる。ああ、心臓が驚いてひっくり返るところだった。

「きゃーっ、あたしに言ったのよ!」
「あたしよおー!」

 恋する乙女はどうやら鉄の心臓を持っているらしい。彼が凄まじい形相で睨みながら怒鳴ったにもかかわらず、きゃーきゃーと黄色い声を上げてはしゃぐ姿には唖然となってしまった。
 私一人が置いてけぼりを食らっていると空条君と女子生徒たちはどんどん先へ進んで行ってしまう。置いていかれては敵わないと、私は急いで後を追おうとした。しかし、空条君が鳥居をくぐって階段を降りているときだった。突然、彼の体が不自然にバランスを崩した。左足からは遠目だが出血しているのが確認できる。ぐらりとバランスを崩した空条君はそのまま長い階段を一気に落ちてゆく。しかし、《スタンド》でなんとか近くの枝に掴まり、惨事を免れたようだ。
 女子生徒たちの悲痛な悲鳴が辺りに木霊する。
 私は直ぐにでも彼のもとへ駆けつけて《クリア・エンプティ》で治したかったが、それを女子生徒たちの壁が妨害する。何度も声を上げて通してと主張するも、全く聞いて貰えなかった。それどころか、肘鉄をおみまいされて後ろへとひっくり返ってしまう始末。ああ、もう5秒以上経ってしまった。階段を今から駆け下りても間に合わないだろう。
 動く彼が、とりあえず命に別状がないことを明らかにしてくれたおかげで、私は全身の緊張から解放された。力の抜けてゆく足にしたがい、その場でヘナヘナと座り込む。
 ふう、と息をついた、その時だった。

「大丈夫かい?」

 ぞわり、と肌が泡立つ。驚いて声のした方へと振り返ると、そこには――私の《待ち望んで》いた人物ではなく、一人の男子学生だった。
 けれど、消えない。《彼》の気配が、消えない。

「貴方、は……」
「この階段はどうやら事故が多いらしい……さあ、手を……握って一緒におりましょう」

 私が何かを言う前に、男子生徒は私の手を取り、歩き出す。体温は感じるのに、なぜか、その手が氷のようにとても冷たく感じ、奇妙な感覚を覚える。階段をあと少しでおりきるというところで、立ち上がった空条君と目があった。何故か、私はそのとき、男子生徒に握られている手をサッと引っ込めて繋がれた手を自ら解いた。
 男子生徒は徐にポケットからハンカチを取り出すと空条君の前に差し出す。

「このハンカチで応急手当てをするといい」

 空条君は男子生徒からハンカチを受け取る。「大丈夫かい?」「ああ、かすり傷だ」という問答をかわした後、男子生徒の方が先に歩き出す。それを空条君はわざわざ止めた。空条君は彼のことを知らないようだった。
 男子生徒は昨日転校してきたばかりらしく、名前は《花京院典明》というらしい。――ああ、やっぱり。去ってゆく背中を見て、私は確信した。

「JOJO! 出血がひどいわ。私と保健室に行きましょう」
「何言ってんのよ、あたしと行きましょう、JOJO!」

 女子生徒たちが騒ぐ中、私の考えはある決意で固まっていた。彼女たちと彼女達に囲まれる空条君を振り返ると私は勇気を振り絞って言った。

「あの、空条君。怪我、酷いみたいだから……私、一人で職員室行くよ」

 そう言い残して私は駆け出した。空条君の声が遠くから聞こえた気がしたが、今はそれどころじゃあない。
 空条君が私を呼んだせいか、取り巻きの女子生徒たちの甲高い悲鳴が辺りに響く。しかし、それすらも私は意識の外、右耳から左耳に流して目的の人物のあとを追った。

「どこ?」

 ある程度離れた場所で私は立ち止まり、辺りを見渡す。どこを見ても、初めてな光景ばかりだし、《花京院君》の姿も見つからない。

「っ!」

 ゾクッと感じたのは、あの気配。転々と感じるあの気配。私の心臓が強く胸を突きあげた。どくんどくん、と呼吸をするのもままならない程に、忙しなく叩くのだ。
 落ち着け、落ち着け、どこにいる、《彼》は、いったい、どこにっ!

「ひっ!?」

 腕を捕まれ、驚き、勢い良く振り返れば、いつの間に近づいたのか、剣呑な表情を浮かべる空条君がいた。彼はその表情のまま、ずい、と私に顔を寄せる。反射的に、私は仰け反った。

「おめー、顔色ワリーぞ」
「え」
「こりゃお前も保健室だな」
「え、なに言って……」

 空条君は私の腕を掴んだまま歩き出す。花京院君を、一緒に追うって事なのかな。
 女子生徒たちはもういなかった。

「くっ空条君、私の顔色が悪いだなんて、ウソ、だよね?」
「……ハァ……やれやれだぜ……おい」
「は、はい」
「あの花京院ってヤローを一人で追おうとしただろ。奴はDIOの手下かなんかなのか?」
「え……あ、いや、その、まだ、確証は、ないけど……どこかで、見たことがあると言いますか。ちょっと気になったっていうか」
「……」
「あ、あの。えっと、あと、そのな、名前、呼ぶとき、わざわざ偽名の方で、呼んでくれて、ありがとう」

 何でここで言うのだろうか、私は。明らかにタイミングが悪すぎる。いくら、沈黙がきついからって、苦し紛れに話題を転換までするなんて、どうかしてる。

「……本名を知られちゃ困るんだろ」
「あ……う、うん」

 結構、気を使ってくれているのかな。そう思うと苦手な人でもちょっと悪いなって思うな。
 空条君は黙ったまま、掴む私の腕を引く。向かった先は、何と保健室だった。驚いて弾かれるように空条君を見上げると、緑色の混じった青い瞳と視線が絡んだ。

「なんで、保健室、だって、花京院君、職員室、留学の話……」
「纏まってから言葉にしろ」
「……はい」

 空条君の鶴の一声で私は押し黙る。押しが弱いだなんて、今更。
 俯く私に対し、彼は無言のまま、保健室の扉を勢いよく開けた。すると、こんな私達に声をかけたのは、一人の女医だった。


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