世界よ、逆流しろ


6-1



〜第6話〜
そして時は動き出す



 こつーん、こつーん、とあたりに足音が反響する。日の当たらない刑務所は湿気がむんむんとしていた。時々、うめき声や絡み付くような視線を感じ、幸子は思わず腕を抱いて隣を歩くホリィに半歩近寄った。奥へと進むにつれて増えてゆく視線に、思わず歩みが鈍くなってしまう。すると、近くにいたアヴドゥルが彼女の肩に手を置き、剣呑な表情で辺りを見渡した。すると、ポツリポツリと向けられる視線が減っていった。

「ありがとうございます」
「かまわんよ」

 幸子が、男性恐怖症の気があることを気遣ってのことだろう。白い唇でアヴドゥルはニッと弧を描いて数回、頭をポンポンと撫でると前に再び向き直った。

「お、恐ろしい……ま、またいつの間にか物が増えている……そ、そして凶暴なんです。か、彼にはなにか恐ろしいものが取り憑いている……こ、こんなことが外部に知れたら私は即免職になってしまう」

 ここまで案内をしてきた看守が戸を開けて怯えたように言った。そんな彼の脇をするりと通り抜けるようにジョセフが前進する。

「大丈夫、孫はわしが連れてゆく」

 言いながら、ジョセフは学生服を着た大柄の青年の入る牢へと向かって行った。すると、彼の声と存在に気づいた青年が、多くの私物らしきものに囲まれた中からギロリと睨みを聞かせて顔を上げた。彼の顔を見た幸子は、一目見て彼が《承太郎》であることを察した。
 日本人離れをした緑のまじる青い瞳に筋の通った鼻、ぽってりとした唇は確かにハーフのようで、高身長でタッパのはる背丈も日本人とは到底思えない。どこか他人を寄せ付けないような雰囲気を纏った男であった。
 ジョセフが近づこうとすると、看守は入口手前で説得するように言ったとのたまわるが、それでもジョセフの歩みは止まることをしなかった。それに続く彼女達も止まらなかった。

「承太郎! おじいちゃんよ! おじいちゃんはきっと貴方の力になってくれるわ。おじいちゃんと一緒に出てきて!」

 ホリィが必死な表情で中にいる学生服の青年に呼びかけた。やはり、彼が《承太郎》であることに間違いはなかった。
 承太郎は寝そべっていた簡易ベッドから起き上がるとすっくと立ち上がる。彼が立ち上がると、長い丈の学ランがまるでマントのようにはためいた。さらに、学帽の鍔のしたからぎろりと睨むような視線を放つ彼は更にワイルドさを醸し出す。これで高校生なのか、と幸子は疑いたくなってしまった。
 そんな彼は格子の傍まで来る。彼に対してジョセフも格子の傍まで歩み寄って行った。190センチを優に超える大柄な男二人が格子を挟んでにらみ合いを始めると、あたりに緊迫とした空気が漂ってくる。幸子は、ホリィとともにジョセフの後ろで立ちながらゴクン、と人知れず生唾を呑んだ。

「出ろ! わしと帰るぞ」
「消えな」

 ジョセフに対し、低く唸るような声で短く吐き捨てた承太郎。そんな彼の態度に、幸子はムッと顔をしかめた。無理もないだろう。ジョセフの孫とはいえ、彼女にとって恩人であるその人をないがしろにされては少々ムッと来てしまう。幸子も、例外ではない。
 更に承太郎は続けた。

「およびじゃあないぜ……俺の力になるだと? 何ができるっていうんだ……ニューヨークから来てくれて悪いが、おじいちゃんは俺に力にはなれない」

 以外! それは《おじいちゃん呼び》ッ!
 ワイルドな風格をしているも、ジョセフを慕っているのか昔の名残なのか、承太郎は見た目に似合わず可愛らしい呼び方でジョセフを呼んだ。その事に驚いていると、不意にポイッ、と承太郎の長く太い指から何かが弾かれる。

「え……」

 それは、指であった。幸子は真っ青になる。思わずジョセフの方を見れば、ジョセフの手から一本、指が消えていた。

(この人は、自分の祖父の指を涼しい顔してもぎ取ることができるのッ!?)

 幸子はのどが震えるのを感じた。なぜ、ホリィは何も言わないのか、ジョセフもなぜ痛みで声をあげないのか、疑問でいっぱいになる。
 ふざけないで。そう声をあげそうになった時だ、不意に彼女は投げ捨てられた指から出血がない事に気づく。ジョセフの指からもだ。そして、冷静になってよくよくみてみれば、もぎ取られた指からは血管ではなくコードのようなものが何本も飛び出ているのを視感したのである。

(う、うわぁ……)

 急に、自分が恥ずかしくなった。怒鳴らなくてよかったと、彼女は思った。一人知れず、穴があったら入りたい気持ちを抱え、彼女はホリィの陰に隠れるかのように小さくなった。

「俺に近づくな、残り少ない寿命が縮むだけだぜ……」

 承太郎はそう言って背を向ける。どうやら説得に失敗してしまったようだ。すると、ジョセフは指をパチリと鳴らして《彼》・アヴドゥルの名を呼んだ。すると、影に佇んでいたアブドゥルはゆっくりと光の中にその姿を現す。状況の変化を察した承太郎は背を向けたまま振り返る。彼の鋭い眼光はジョセフからアヴドゥルに向けられていた。
 ジョセフは、アヴドゥルの簡単な紹介を承太郎にすると、アヴドゥルに彼を牢屋から追い出すように指示を出した。しかし、ただならぬ雰囲気を纏って立つアヴドゥルに対し承太郎はへでもないような態度で再び簡易ベッドに腰を下ろすと言うのだ。

「やめろ、力は強そうだが追い出せと目の前で言われて素直にそんなブ男に追い出されてやる俺だと思うのか? 嫌なことだな。逆にもっと意地を張ってなにがなんでも出たくなくなったぜ」
(……もう、我慢できない)

 幸子は静かに怒っていた。水面に小石が落ちて波紋が広がるように静かに気を荒立てていた。彼女は、承太郎へ挑むような目つきで一歩前に出る。

「アヴドゥルさんは、ブ男じゃあない。とっても紳士で素敵な人です」

 静寂が漂う中に響く凛とした声。その声に引かれるようにして一斉に視線が幸子に集まった。その視線にひるむことなく幸子は承太郎を見ていたのだが、ふと、彼に目があった瞬間、彼女の表情は怒りから驚愕へと変わって行った。

(……き、れい……)

 承太郎の目を見た瞬間、幸子の脳裏に自分の感情とは全く別の考えがよぎっていた。そして次に、思ったことは「眩しい」であった。
 ――強すぎる、光が強すぎる。眩しい、眩しい、でも、温かい。これは、一体、なんだろうか――
 目を座らせて挑むような姿勢であったのにもかかわらず目があった途端に茫然となりだした幸子を、訝しむように承太郎は見ていたが、当の彼女の頭の中では多くの疑問がめぐり、何かと葛藤していたため本人は全くその事に気づかない。そうして、思考が一巡し、漸く、答えに辿り着く。

(……日の光と、おんなじなんだ。真っ直ぐで、真っ白な光と、おんなじなんだ)

 ジョセフにも感じていた光。しかし、承太郎のはもっと、もっと強く、荒々しく、そして温かかった――何故? 彼はこんなにも奔放で親不孝とでも思うような行動をとるのに。
 幸子は、分からなくなった。怒気も、どこへ向けたらいいのか、分からなくなった。

「あ……」

 戸惑いを見せる彼女の前に、すっと立ったのは、アヴドゥル。彼は背を彼女に向けたまま、穏やかな視線を送り、一言、

「ありがとう」

 ――と言った。それだけで、幸子は嬉しくなった。

「ジョースターさん、少々手荒くなりますが……きっと自分のほうから『外に出してくれ』と喚き、懇願するくらい苦しみますが」
「かまわんよ」

 許可を出したジョセフに対し、ホリィと看守がそれぞれ抗議の声を上げるが、「黙ってろ!」という彼の一喝で大人しくなってしまった。
 アヴドゥルはジョセフの許可が下りると奇妙な構えを取る。そして、ゆっくりと円を描くような動作を終えると、突如、彼の体から真っ赤な鳥人が姿を現した。それは若干向こう側が透けて見える。一般人には決して見ることのできない存在、その名も――《スタンド》
 承太郎は驚いた。

「これは!」
「そう! お前の言う《悪霊》をアヴドゥルも持っている。アヴドゥルの意思で自在に動く悪霊! 悪霊の名は!」

 ――魔術師の赤(マジシャンズレッド)!――
 アヴドゥルの《悪霊》がカッと嘴を大きく開くと、そこから放たれたのは紅蓮の炎であった。炎は四方から承太郎を襲い、手足を手錠や足枷のように拘束してしまった。炎が承太郎の腕やズボンを焦がす。しかし、《スタンド》を持っている人間でなければそれすら見えない為、承太郎が何故苦しんでいるのか理解できない。看守なんて茫然としている。しかし、そんな彼らもこの留置場の変化を肌で感じ始めるだろう。異様なほどまでに上昇するこの場を、疑問に思い始めているだろう。
 アヴドゥルの意のままに操られる炎によって囚われた承太郎は、壁にへばりついたまま身動きが取れないでいる。そろそろ根を上げるか、と思われた時、ふと承太郎の体がぶれる。すると、彼の中から現れる一人の”男”。筋骨隆々な体に、靡く頭髪、意志の強そうな眼差しを放つ瞳は承太郎のそれを同じだった。

「おおっ、でっ出おった! 予想以上の承太郎の力! ついに姿を現しおったか!」

 承太郎から姿を現せた《ソレ》はアヴドゥルの《魔術師の赤》の喉を大きな手で鷲掴みにすると締め上げる。その光景に、幸子は思わず「ひぃっ」と悲鳴を上げてしまった。

「貴様も俺と同じ《悪霊》を持っているとは……そしておじいちゃん、あんたは《悪霊》の存在を……」
「知っている。しかし、アヴドゥルも驚いているように、《悪霊》の形がこんなにハッキリ見えるとは相当なパワーだ!」

「ジョースターさん、あなたはお孫さんを牢屋から出せと言われました。手加減しようと思いましたが……この私の首を見て下さい。予想以上に胸が折れそうだ。彼のパワーに下手をすると此方が危ない……」

 アヴドゥルの首にはくっきりと手形が付いていた。下手をすれば、彼の首の骨が折れてしまう。万が一、そんな最悪の事態がおきれば幸子は即座に自身の《スタンド》である《クリア・エンプティ》で《治そ》うとするだろう。

「やめますか? このままどーしても出せ! というのならお孫さんを病院に送らなければならないほど荒っぽくやらざるをえなくなりますが」
「構わん、ためしてみろ」

 ジョセフは覚悟の上の判断のようだ。幸子は、いくらなんでもやり過ぎなのでは、と口を開きかけるが、ジョセフやアヴドゥルの目を見て閉口してしまう。彼らの目は、本気だった。

「ムウン! 赤い荒縄(レッド・バインド)!」

 アヴドゥルが手を捻ると縄状になった炎が承太郎に絡み付く。それは彼の口を塞ぎ、身動きの取れない彼を引きづり回し始めた。火の粉はあたりに飛び、近くに置いてあった分厚い本やラジオにおちて引火。承太郎は壁に激突したり、格子に肩を強かに打ち付けたりしながらも炎の縄から逃れようともがく。その痛々しい姿に、幸子はあまりにも酷だと、アヴドゥルに叫ぶ。ホリィもジョセフに詰め寄ったが、ジョセフは笑顔で流してしまう。
 ぎゅう、と手を組み、彼が死なないことを祈りながら様子を見守っていると、承太郎から現れた《悪霊》は熱で呼吸の苦しくなると段々と力をなくして行き、ゆっくりと彼の体の中へと戻ってゆく。

「正体を言おう! それは《悪霊》であってそうではないモノじゃ!」

 ジョセフは言う。

「承太郎! 悪霊と思っていたのはお前の生命エネルギーが作り出す、パワーのある像(ヴィジョン)なのじゃ! 傍に現れ立つというところからその像を名づけて――《幽波紋(スタンド)》」
(スタンド……)

 ジョセフの言葉を聞いて、蘇るのは、DIOの館に来て初めて《スタンド》を説明されたときのこと。幸子は、その時、何も知らなかった。彼に最初から裏切られていたことを。そのことを思い出し、妙に切なくなった。
 ――そう、怒りや激情ではなく、寂しさと虚無感を、彼女は抱いたのだ。

「いい加減にしろ。俺が出ねえのは人に知らず知らずのうちに害を加えるからだ。同じ悪霊もちとは親しみが湧くが、このまま続けると、テメェ……死ぬぞ」

 承太郎は言うやいなや、長い脚で後ろにあった便器を蹴り上げた。すると、大破した便器が水を噴き上げて辺りにまき散らす。
 幸子はハッとして俯き気味だった顔を上げた。彼女はアヴドゥルを睨みつける承太郎をまじまじと見やる。彼女の中で、空条承太郎という人物は粗暴で自由奔放な奴だというイメージがあったのだ。しかし、今の彼の発言には、コチラや、他の《スタンド》とは無関係の人間への気遣いが感じられた。
 ――まさか、そんなはずはない――
 素直になれない自分が冷たく切り返す。簡単に人間を信用しても、男を信じてもいいのか。そう投げかけてくる。

(気のせいだよ……目が綺麗だと思ったも、気のせいだ……)

 幸子は再び顔を伏せた。
 一方、トイレの水でアヴドゥルの《魔術師の赤(マジシャンズレッド)》が放った火を消した承太郎は再び己の《悪霊》、つまり《スタンド》を出現させ、残り火を振り払う。承太郎の《スタンド》は鉄格子を掴むと一気に左右へと引く。すれば、凄まじい力の影響で格子は嫌な音を立ててひん曲がっていく。そして、格子の一本を手折った承太郎の《スタンド》は鋭利な切っ先をアヴドゥルへと向ける。しかし、対してアヴドゥルは、なんと承太郎に背を向けて《魔術師の赤》を引っ込めてしまう。

「貴様、なぜ急にうしろを向ける! こっちを向けいッ!」

 承太郎は雄叫びを上げるが、アヴドゥルは壁際までくると座り込む。そして言うのだ。
 ――ジョースターさん、見ての通り彼を牢屋から出しました、が――

(カッコイイ……)

 幸子は思わず不敵に微笑むアヴドゥルに対しときめきを覚えてしまっていた。
 承太郎は《スタンド》をしまうと手を制服のポケットに突っ込み、フゥーと息を吐いた。彼からは、もう牢屋にこもろうとする気はなさそうだ。

「してやられたという訳か?」
「そうでもない……俺は本当(マジ)に病院送りにするつもりでいたんだ。予想外のパワーだった」
「……もし俺のこの悪霊が鉄棒を投げるのをやめなかったらどうするつもりだったんだ」
「俺の《幽波紋(スタンド)》は《魔術師の赤》……その程度の鉄棒なら空中で溶かすのはわけない」

 ふっと微笑して紡がれた言葉は絶対の自信の表れ。確かに、彼の《魔術師の赤》ならば容易に鉄棒を空中で溶かすことなど出来てしまうだろう。

「アヴドゥルはお前と同じ悪霊を持つ者……もう牢屋で《幽波紋》の研究をする必要もなかろう」

 こうして、空条承太郎は牢屋から出ることとなったのである。

(流石にこのままじゃあ、看守の人達が可哀想かな……)

 鉄格子がぐにゃぐにゃになり、トイレが破壊されて辺りが水浸しになり、おまけにところどころ焦げ目がついていればここで何かが起こっていたのは明白。しかし、《スタンド》の見えない看守たちに、この状況を上の人間に説明することなど不可能だろう。完全に免職レベルだ。
 無関係の人間に被害が及んでしまうのを良しとしない幸子は、己の《クリア・エンプティ》で出来るだけ『直して』おこうと考えた。入口へと歩き出そうとしている一行の後ろへとさり気なく回ると彼女はサッと己の傍に《クリア・エンプティ》を出す。そして、指示を出した。「ここを《直せ》」と。
 手折られた鉄棒は元へ戻り、曲がっていた鉄格子は真っ直ぐになる。びっしょりと水に浸っていた本やラジオ、床はみるみる乾いてゆき、水も噴出したときの軌道を再び描きながらトイレの中へと納まってゆく。そして、壊れた部分は直って行った。流石に焦げ目は直すことは完全には出来なかったようで、ほんの少し残ってしまった。まあ、目立たない程度であったためよくよく見ない限りはばれないだろう。
 ふぅ、と満足げに息を吐いてジョースター一行のあとを追おうと向き直った。すると、茫然としながら幸子と牢屋を交互に見ている彼らの姿が目に入る。

「おじいちゃん、こいつも《悪霊》……いや、《スタンド》を持っているのか?」
「お、おおそうじゃ。それも含めてこれからのことを話さなければならんからのぉ」

 ホリィを腕に引っ付かせたまま、開いている腕の方の指で幸子を指す承太郎。そんな彼の言葉に、ジョセフは思い出したように頷くと幸子に向かって手招きをする。幸子は素直にそれに応えて彼に駆け寄る。すると、彼は彼女の肩に手を置いた。

「彼女も、《ディオ》と無関係という訳じゃあないからな」

 ――《ディオ》――
 その名を聞いて、幸子の表情は強張る。そんな彼女の表情の変化に承太郎は気づいているのか否か、じっと無表情に見つめていた。

「とにかく、場所を変えるぞ。ここは蒸し暑くてならんわい」

 幸子の肩に手を置いたまま歩き出すジョセフに続いて、彼女も並んで歩き出した。そして、少し距離を置いて承太郎と引っ付くホリィ、アヴドゥルが続いた。


.

戻る 進む
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -