世界よ、逆流しろ


5-3



 ジョセフは、幸子との約束を守るために、とある村へ、アヴドゥルもつれて三人で向かった。SPW財団の手を回し、人払いは済ませてある。
 村は、荒野となっていた。あちこちに焼けた跡や、まだまだ撤去作業中の木材、手つかずの瓦礫などがあった。
 茫然としている幸子は、フラフラとおぼつかない足取りで、でも、今まで通ってきた慣れがそうさせるのか、彼女は真っ直ぐに自分の家のあった場所へと歩き出した。

「……」
「……」
「……」

 未だに手つかずの場所となっている、幸子の家。

「……あの」
「なんじゃ」
「この、村人たちの、弔いは……」
「異常事態を調べに行ったSPW財団の者たちが来るまで、荒れた果てたままの状態じゃった……DIOの奴め、自分でやる責任もないくせに、身もふたもないことを言いよるわ」

 ジョセフの怒りの言葉を聞きつつ、幸子はふらふらとまた原型も留めていない自分の家だった瓦礫に近づいた。

「……っう」

 限界だった。

「うわぁああああん!!」

 がくっと力を無くした膝をつき、幸子は大声をあげて泣いた。彼女の脳裏には様々な大切な人たちとの思い出が蘇る。マイクとデートの約束をしたのに、テリーと一緒にスイーツを食べる約束だってあったのに、お母さんに誕生日プレゼントを送るつもりだったのに、お父さんにありがとうって伝えたかったのに、祖父母に大好きって伝えたかったのに――
 ボロボロと大粒の涙を流し、ぐしぐしと手で意味もなく拭い、嗚咽を漏らす。

「ご、ごめっ……ごめんなざいっ……ぱぱ、ままっ……ごめんなざいっ……」

 ひたすら謝罪を述べる幸子。嗚咽で苦しいだろうに、それでも彼女は謝る事を止めなかった。二人は、彼女をそのままにすることにする。しかし、余りにも、悲しい少女の背中に、ジョセフは目をつぶり被っていたハットを脱ぎ、彼女の家族たちの冥福を祈るかのように胸に当てた。アヴドゥルは両手を合わせて祈りをささげている。
 その日、少女の悲痛な鳴き声が空に響いた。


 * * *


 窓から差し込む朝日が眩しくて目が覚める。ああ、こんな清々しい朝はDIOと出会ってから久しい。
 幸子は状態を起こすと大きく伸びをした。ふやけた筋肉らが程よく伸ばされて、気持ちが良い。大きな欠伸を一つこぼして、彼女は夜具から這い出る。近くにあるタオルを引っ掴んで洗面所へと向かった。適当に顔を洗うと彼女は、昨日のうちに急遽手配してもらった服に着替える。DIOに用意してもらった派手な物ではなく、落ち着いた色合いのスキニーと青い縦縞の入ったカッターシャツだ。

 ――コンコンッ。

 丁度着替えを終えた頃に、部屋のドアがノックされた。「はい、開いてます」と呼びかけると、遠慮なく戸が開かれる。現れたのは、昨夜のアヴドゥルと共に立つジョセフ・ジョースターであった。昨日よりも比較的気持ちの整理が出来た幸子は、彼らににこやかに微笑みながら挨拶をする。すると、彼らも一度驚いたような表情を浮かべたのちに、柔和な笑みを見せて言った「おはよう」。

「準備はどうやらできとる様じゃの」
「はい」
「これから外へ出てお前さんの日用品やその他もろもろを揃えるぞ。パスポートは昼にはできるらしいからその時になったら財団の者と落ち合うことになっとる」
「分かりました」
「明日は急じゃが、日本へ発つ。わしの孫にちょいとした問題が起きたと娘のホリィから電話があったんでのぉ」
「問題?」
「うむ……まあ、その事はあとで追々話すとしよう。今は君の準備だ」

 日本、と聞いて胸が高鳴ると同時に恐怖心が生まれる。家族と友人知人のいなくなった故郷に再び舞い戻ることが怖いのもあるが、一番の理由が、何故か――もう、DIOと会うことがないのかもしれないという恐怖だった。まだ、ここにいれば来てくれると思っている自分が、いた。彼の館は確かエジプトにあるというのに。
 未練がましい自分に、嫌気さす。弱い自分を振り払うように彼女は頭を振るとジョセフとアヴドゥルを見上げた。これから、朝食である。

(さようなら、DIO……)

 何故こんなにも彼のことが気になるのか、こんなにも胸が焦がれるのか、こんなにも虚しい気持ちになるのか。分かる様で分からない。分からないようにしている自分がいる。分かってしまえば、もう二度と立ち上がることが出来ないと知っているかのように。

「おおそうじゃ、危うく言い忘れるところじゃったわい」
「へ?」

 ぽん、と拳を手のひらに落としたジョセフはクルリと首を傾げる幸子を振り返ると言った。君の偽名なんじゃが――

「アメリカ人風の名前になったぞ。別に日本人が嫌なわけじゃあない。君の名前が日本風だから偽名はアメリカ風にしようとしただけじゃからな」
「はっはあ……?」
「ジョースターさん、言い訳くさいんでさっさと本題に入った方がよろしいかと」
「む、そうじゃな……ウォッホン、エッフン、ゲフンゲフン……えー君の名前じゃが《ラッキー・フランクフルト》という名前になったぞ! 結構きゃわいいナマエじゃろう?」
「ラッキー……フランクフルト……」
「良い名前だと思うぞ、ラッキー」

 ばちこん、と茶目っ気たっぷりなウィンクをするジョセフに、幸子はぽかんと惚けつつも新しいナマエを呟く。軽く放心状態の彼女に、アヴドゥルは苦笑して名前を褒めるのだった。


 * * *


 暗闇の中、薄い布を一枚羽織っただけの男が一枚の写真を眺めていた。その写真には、夜具に横たわる一人の少女が写っていた。少女の頬には一筋の涙が見える。眉間には皺が寄っており、悲しげな雰囲気が見て取れる。男はそんな少女の頬を愛でるように写真を撫ぜる。
 ああ、これは運命か宿命か。逃亡したという報告を受けたと思えば、現在行動を共にしているのはあのジョースター家の一族であるジョセフ・ジョースター。壮絶な青春を共にしたジョナサン・ジョースターの実の孫。彼と同様の波紋法を身に着けている男。どうやら、彼と彼に関わることは奇妙な《引力》が働いているらしい。
 運命の中に、幸子も関与している。DIOと彼女の出会いは、どうやら必然だったようだ。これは妄想でも想像でも推測でもない、確信である。ニヤリと上がる口角。その口元に、愛でていた写真をそっと当てた。

「幸子、貴様はもう逃げることなどできん……」

 例のノートを見せたのも、なにかの予兆か。全て偶然とかたずけるには出来過ぎた関係だ。そう、青春を共にした100年前のジョナサンと同様だ。現在、ジョナサンは首から下がDIOのものとなっている。このDIOを首から上だけにしてしまった彼に対しての敬意を表し、その身を奪った。自分たちは二人で一つの関係だと、気づいた故に。
 DIOは、唇に当てていた写真をもう一度見る。憂い顔で眠る少女は、なんと儚きものか。おそらく、DIOを思って泣いているのだろう。死んだ家族たちの事ではなく、このDIOを。彼には、彼女が自分を思って泣いているという妙な確信があった。

「逃がさんぞ……必ず、こちらへ引き戻してやる」

 逃げる事は許さない。生きているのならば、必ず捕まえる。そう、たとえ一度手離そうとしたとしてもだ。

「幸子……」

 切なげに少女の名を呟いたDIO。彼の脳裏には、陽だまりのように温かな笑みを向けている彼女が映っていた。まるで包み込むような笑みと、気高く生きようとする滑稽なまでに愚鈍な姿は、まるで彼の母親のようだ。それのせいか、はたまたまた別の理由があるのか定かではない。しかし、ああ、早く。一刻も早く――

 ――彼女に、会いたい。


 * * *


 私は、目に映る景色を目に焼き付けた後、瞼を閉じて深呼吸した。久しぶりに踏んだ日本の大地、そして見慣れた平仮名カタカナ漢字、東洋人の顔顔顔――ああ、全てが懐かしい。まだ空港なのに、すでに私は懐古の念でいっぱいになっていた。そんな私はアヴドゥルさんと共にベンチに座っている。その私達の視線の先には――

「パパァ!」
「フフフ」

 仲睦まじくじゃれ合う親子、もといジョースターさんとその娘さんであるホリィさんがいた。ちなみに二人とももう40歳以上のいい年をした大人である。そのはずである。しかし、彼らは熱い抱擁を交わしたと思えば、娘さんは彼をくすぐり、それに耐えかねた彼は大声で悲鳴を上げる。その所為で周囲の視線を集めようとも、ぎろりと睨みを聞かせて「見てんじゃあねえぜ」という態度。凄まじいですジョースターさん。流石、歴戦の戦士の風格を持っているだけあります。

「そうそう、ホリィ、お前に紹介したい人物がおるんじゃよ」

 ジョースターさんはそういうと、私に向かって手招きする。アヴドゥルさんに背中を押されて、立ちあがた私は二人のもとまで駆け足で近寄った。

「紹介しよう。今回、留学としてやってきたラッキー・フランクフルトじゃ。ラッキー、こちらがわしの娘のホリィじゃ」
「ラッキー・フランクフルトです」

 頭を下げて挨拶をすると、目の前のホリィさんはパッと顔を輝かせて私に詰め寄ってきた。

「まあ、可愛らしい子! 髪の毛が黒いけれど、もしかして日系かしら?」
「はい。父がアメリカ人で母が日本人なんです」
「そぉ! あ、紹介が遅れたわね。あたしの名前は空条ホリィっていうの。よろしくね」
「はっはい」

 ひまわりのような笑みを浮かべるホリィさんに、私はほっと安堵のため息を人知れず零す。明るい人柄なジョースターさんの娘さんだから、あまり心配はしていないつもりだったけれど、やっぱり不安だったようだ。でも、それは杞憂に終わった。目の前の女性は笑顔がジョースターさん同様にチャーミングで素敵な女性だった。

「日本ではみんな『聖なる』って意味で《聖子ちゃん》って呼んでくれるの。もしよかったら、ラッキーちゃんもそう呼んでくれないかしら?」

 にこっと可愛らしく微笑む彼女の姿に、全く顔のつくりは違うのに、私のママの面影が被る。どくん、どくん、と心臓が高鳴る。けれど、否な意味ではない。気持ちの高揚によるものだ。
 そうだ、こんな感じだった。いつも私の事を愛おしそうに《幸子ちゃん》と呼びながらひまわりのような笑みを浮かべる人だったんだ。優しくて、一緒にいるとほっとして、温かい気持ちになって、ずっと、ずっとこの人の事が理想の女性像でいるのだと思って――

「は、い……聖子さんっ……」

 泣き出してしまいそうになるのを、必死に堪えて私は呼ぶ。すると、目の前のホリィさんもとい聖子さんは嬉しそうに頬を染めて私の名前を呼ぶのだ、《ラッキーちゃん》と。本当は偽名じゃなくて、《幸子》って呼んでほしかった。


.

戻る 進む
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -