世界よ、逆流しろ


5-2



 幸子は頭を抱えていた。彼女の思考はグルグルと巡りっぱなしである。つい数時間前、歴戦の戦士のような風格を持つ男であるジョセフ・ジョースターに危うい所を助けてもらい、さらに保護された。感謝してもしきれない現状に、混乱するばかりだ。
 せめてもの意思に、彼女はアメリカを出る前に、墓参りに行きたいことだけをお願いした。一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、直ぐにジョセフは厳格な面持ちになり「よかろう」と了承した。
 そうして、今――なかなか落ち着くことが出来ず、彼女はベランダに出た。外はもう日が沈みかけており、夕焼けが遠い。そろそろ、夜が始まる。闇が動き出す時間だ。

「……っ」

 その時、ふと、チクリと痛み出す胸。思わず胸倉を乱暴に掴むと彼女はそのまましゃがみ込んでしまった。

(まだ、期待をしてるっていうの……?)

 もしかしたら、また気まぐれにも《彼》がひょっこり現れてこの場から連れ去ってゆくのではと思う自分がいる。しかし、同時に、そんなはずがないという紛れもない現実が押し寄せてきて、彼女の柔い心に浅く傷をつけてゆく。
 己の家族を殺した相手なのに。大切な友人を殺した相手なのに。全ての存在をなかったことにするためにただの知人まで命を奪ったのに――あの時のように、暗い部屋に囚われた自分を再びその青白い手で引いてくれることを期待している自分がいる。チャンちゃらおかしいことだ。
 信じられない。なにを信じたらいいのか分からない。
 あまりにもちっぽけな存在ということを今になって突き付けられ、痛感した幸子は、さらに痛み出した胸を強く抑える。俯く彼女の瞳からはジワリと熱いものが滲み出て、ポタリ、ポタリ、と彼女の膝におちる。

 ――コンコンッ。

 込み上げてくる嗚咽を抑えようと口に手を当てた時だ。不意に彼女の背後からノック音が聞こえる。振り返ると同時に、「失礼する」という声と共に部屋のドアが開かれた。知らない男の声に幸子の全身が硬直する。
 入って来た男は、アラブ系のエジプト人だった。まじない師のような格好に堂々とした立ち姿は、落ち込んでいた幸子にとっては十分に威圧感を与えるものだった。
 男は、茫然と見上げる彼女の表情を見て、ハッと表情を強張らせる。彼女の頬に伝う涙を見たのだ。すると、彼は申し訳なさそうな表情になり、「すまなかった」と頭を下げる。

「取り込み中だったようだな。もう一度出直すとしよう」
「え……あ、あッあの、だい、丈夫です……」

 気を遣わせてはなるまいとしたのか、反射的に幸子は涙を乱暴にぬぐって立ち上がると、背を向けようとする男に声をかけた。すると、彼は苦笑を浮かべて部屋へと入り、半開きのドアを閉めた。
 幸子は、近くの椅子に腰かけるよう促す。男が座ったのを見守った後、彼女も適当な椅子に落ち着いた。

「ジョースターさんから事情は聞いているよ……ああ、紹介が遅れたな。私の名前はモハメド・アヴドゥル。ジョースターさんとは三年前に知り合った仲だ」
「戸軽幸子です」

 アヴドゥルは手を差し出して握手を求める。しかし、その手を幸子は取ることを躊躇った。そのため、会釈だけで済ましてしまう。そんな彼女の態度に、アヴドゥルはなにか事前に聞いているのか、気を悪くする様子もなく、苦笑を浮かべただけだった。

「君は、幼い頃から《スタンド》が使えたんだったな」
「はい」
「実は、私も生まれつき《スタンド》が使えたのだ」
「《スタンド使い》には……生まれつきもないもないのでは」

 持っているかないかの違い。それしかないはず。幸子は言外にそういっている。すると、目の前の男、アヴドゥルは首を横に振った。

「いや、ジョースターさんは最近になって《スタンド》を使えるようになったのだよ」
「え……」
「そうだな……原因とすれば、DIOという男の影響か」
「DIO……」

 「DIO」という男の名が話題に上がった途端、幸子の表情が引きつり、曇る。それをいち早く察知したアヴドゥルは――

「……幸子、占いは好きか?」
「へ?」

 唐突に申し出るアヴドゥルに、幸子は目が点になった。

「こんな成りをしているからお気づきかとは思うが、私の職業は占星術師だ。女性は占いが好きだと聞くが……一つ、占ってみないか?」

 アブドゥルの言葉を聞き、暫く脳内で整理して、漸く、彼の言っている事を理解した幸子ははたと気が付く。彼は、「DIO」のことで落ち込む幸子を、元気づけようとしてくれているのだと。そんな彼を、一瞬でも邪険に思った自分が恥ずかしく、彼女は頬を染めて頷いた。
 彼女の頷きを見た彼は、さっそく占いを始める。本当に、簡単な占いだった。現在の彼女の運勢を占うモノだったのだ。

「むむ……どうやら、最近の出来事の所為で、若干男性恐怖症の気があるな……」
「え、あ……」
「どうやら自覚済みのようだな」

 始めは村を襲った男たち、次にDIOの館で出会った者達、そして――DIO本人。
 冷静に考えれば分かっていたのに、現実を見たくなかったがため、引き起こしてしまった現状だ。

「それと……どうやら、君はこれから大きな運命に立ち向かわなくてはならない事になる」
「大きな、運命……?」
「ああ。それがどんなものかは分からん……しかし、辛く、険しい道になることは確かだ」
「……」

 幸子は押し黙ってしまった。今よりももっと辛い運命が待ち受けていると思うと、心が荒みそうだ。

「すまない。少しでも明るい未来があれと、元気づけてやろうと思ったんだが……」

 落ち込む幸子を見かねてか、アヴドゥルは言う。そんな彼に、彼女は慌てて首を振った。

「あ、だっ大丈夫です……ほら、その……うう占いって、当たるも八卦当たらぬも八卦といいますし。ようは、気持ちの、持ちようだと思います……」
「……そうだな。当たるも八卦、当たらぬも八卦、か」

 フッと、柔和な笑みを浮かべるアヴドゥル。そんな彼の表情を見て、DIOの魅惑の笑みを見た時とはまた違う、安心感を覚えた。
 彼、アヴドゥルは正直なのだ。誤魔化す事はせず、占った結果を正直に本人に伝える。だからこそ、今の彼女にとっては一番心地の良いものだったのだ。本心を、隠されていないと思えるから。

「あの、アヴドゥルさん」
「なんだね?」
「貴方は、DIOと、会ったことがありますか?」
「……ああ、あるよ」

 YESと答えた彼の表情からは、先程の柔和な笑みは消え、今はひどく恐怖を覚えたようなものになった。
 彼は語った。DIOと会った日の夜を――100年の眠りから覚めたDIOの存在を察知したジョセフ・ジョースターから、前もって話を聞いていたために、命拾いできた、あの夜を。

「今思い出しても、嫌な汗が噴き出るくらいさ……奴は危険すぎる」
「……そう、ですね」

 男とは思えないほど壮烈な色気、氷のように冷たい眼差しと透き通るような白い肌。それによく映える黄金の髪。この世のものとは思えない、眩しい程のカリスマ性に溢れた存在。それがDIOだ。
 今でも、幸子の心をわし掴みにして放さないそのカリスマ性は、天賦のものか。鎖のように雁字搦めにされて囚われた彼女は、自身でも、一生抜け出すことが出来ないのではと思う程強い。

「……もう、寝た方がいい」

 ふと、椅子から立ち上がったアヴドゥルが言った。

「顔色が悪い。今日は色々なことがあり過ぎたのだ。疲れている今は、何も考えない方が良い。悪い方向に向かうだけだ」
「アヴドゥルさん……」
「明日になれば、また忙しくなるぞ。パスポート用の写真や服に日用品……SPW財団とも連絡をとって戸籍もつくらなきゃあな。休息は取れるときに取るもんだ」
「……はい」

 見下ろしてくる彼に、幸子は素直に頷き、そしてほんの少しだけ、口角を上げた。それを見た彼も、少しだけ微笑んだ。

「早めに寝ろよ? 本当に明日は忙しいようだからな」

 扉に手をかけて振り返る彼は、少々心配性なのか。いや、それとも世話焼きなのか。それがなんだかおかしくて、幸子は苦笑を浮かべ頷いた。

「はい、そうします…………あの」
「ん?」

 幸子は、椅子から立ち上がると扉の前にいる彼に歩み寄った。そして、手を差し出す。

「あの……握手、し損ねてしまったので……よっよろしければ……」

 自信なさげな声で、ぽそぽそと言葉を紡ぐ。精一杯の彼女の誠意に、アヴドゥルはニコリと笑うと差し出された彼女の手を握った。

「よろしく、幸子」
「……っ! は、はいっ」

 パア、と花開いたように顔を輝かせる幸子。それを見て微笑ましげな視線を送るアヴドゥル。そんな二人が居る部屋の外で、二番目の星が瞬いた。


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