世界よ、逆流しろ


5-1



〜第5話〜
おせっかいな人



 DIOの館にいたときに使用していたふかふかのソファとは似ても似つかない硬いパイプ椅子に腰かけて、幸子は机の前に置かれている紅茶をただただじっと見つめていた。湯気の立つそれに手を付ける事なく、ただただ、見つめているのだ。そんな彼女を困った表情で見つめながら向かいに座っているのは、190センチを優に超える長身の老人。歴戦の戦士を連想させるような屈強な体躯は、パイプ椅子に座るにはいささか窮屈であろう。しかし、それすら慣れているのか、ただ、虚空を見つめているような幸子を心配していた。
 男の名は、ジョセフ・ジョースター。世界をまたにかける不動産王だ。殺されかけているか弱い少女を見事な蹴りで救出し、その後、抜け殻のような目をした彼女が心配で保護したのである。しかし、それは建前に過ぎない。彼女が心配であったのは事実だが――
 幸子がぶつかった後、ジョセフは黒ずくめの男とすれ違う。明らかに、男は彼女を狙っている事が分かった。一瞬、痴話喧嘩かなにかと思ったが、男の持っていた銃と、鋭い殺気にそれは勘違いなのではという直感が働いた。事実、彼女を救出したのちに、男のことをSPW財団――彼の知り合いであるロバート・E・O・スピードワゴンという男が若き頃に砂漠で油田を発見して設立された財団である――に調べさせれば、「暗殺」を生業とする人間であることが判明した。

(あの時……)

 ソレを見たのは、彼女と暗殺者を追いかけている時だった。男の発砲した銃の弾丸が、幸子の肩を直撃した。ぐらり、と彼女の体は傾いたが、次の瞬間には一気に再生し、まるで撃たれた事実などなかったかのように綺麗に服まで治っていた。その時に見えた、半透明な存在――それこそ、今ジョセフが気になっている事であった。

(むぅ……しかし、この状態では聞こうにも聞き出せんわい……)

 よく手入れのされた艶のある黒髪、海のような青い瞳にそれを縁取る長い睫毛、桜色をした形の良い唇――はっとするような美しさはなけれど、少女のあどけない顔は将来有望だと分かる。
 いやしかし、ジョセフは首を振る。今はそんな所を見ている場合ではない。彼女には、気になる点――いや、ありえない事実――がある。それを確かめなくてはならない。

 目の前に座る戸軽幸子は、現在死亡となっていた少女の名前と同じだった。死んだはずの人間が"普通なら"蘇るわけもない。唯一出来る方法と言えばあるにはあるのだが、その存在は" 日の下には出られない "。それはジョセフ・ジョースターが重々分かっていることだ。目の前にいる彼女が、"究極生命体"でなければ、だが――

(こんなきゃわいい女子がそんな事なわけ……なあ?)

 もしそうだったなら、是非とも50年近く前に会っておきたかった――ではなくて。
 おそらく、彼女こそ、アメリカ警察や日本が知りたがっている真相の解決を握る存在なのだろう。なにせ、彼女が父方の実家である村に行き、その村が一つ消失し、そしてその間に彼女の母方の実家も何者かによって殺された痛ましい事件があったのだ。
 村にいた住民は全員死亡していると報告があったが、どうやら" 替え玉 "を用意していたらしい。もしかするといくつかある行方不明の事件を目の前にいる少女に似た背格好で探していけば、事件同士の関連性が出てくる可能性はあるだろう。
 そして、もし、もしも、『スタンド』が関係しているのならば、また『奴』が関係しているのならば――あるいは……。

(ふぅむ、しかし……下手をすればこの少女が犯人に……)

 現時点では判断が難しい。少しでも情報を得なければ。

「御嬢さん、紅茶は苦手かね?」
「えっ……」

 漸く顔を上げた少女は、今まで紅茶が目の前にあった事すら気づいていなかったのか、呆けたような表情でいた。どうやら、意識をどこかに飛ばしてしまっていたらしい。そんな彼女に苦笑しつつ、彼は手元のファイルから幾枚か束になって止められている資料を取り出し、彼女の前に差し出した。

「これは……」
「君のこと、少しだけ調べさせてもらった」
「っ……」

 強張る表情、そして、渡された資料に勢いよく走らされる目に、ジョセフは確信した。彼女は、黒だ。


 * * *


 DIOの館から離れてニューヨーク(ここはどこかと尋ねて知った)に私はいた。
 そして現在――
 目の前に座るご老人、と評しては失礼になってしまうほど若々しい体つきをしている男の人――そう、男の人だ。今までの事を振り返ると、最近は男運が全くない。しかも、この人、名をなんと言ったか……?
 とにかく、最初は穏やかな表情でいたのに、資料を取り出して私がそれを見た時、目を刃物のように鋭くしてこちらの反応を伺っていた。まるで一つひとつの私の動作を見逃すまいとするその視線に、私は萎縮した。

(そうだこの人の名前は……)

 ここに来るまでに、ぼうっとしながら歩いていたし、聞き流していたから危うく忘れそうになった。今思い出した。この男の人の名前は、ジョセフ・ジョースター。
 そう、"ジョースター"だ。ジョースター家は、昔DIOも養子として確か過ごしていたはず。義兄弟か、DIOか二人のどちらかの、子孫、だよね。
 もし、DIOの子孫ならば――ぞわりと全身の毛が逆立つ。
 私は生きる事を決めた。だって、この世に生まれたから。死んでしまった家族・友達・ご近所さんの分まで生きる。私の所為で殺される羽目になって、私も罪滅ぼしとして死んだ方がいいのかもしれない。けれど、死んでしまったら、彼らから《借りた》ものを返せない。だから、私は生きる。なんとしても、生きる。

「だから、もうだまされない……!」

 私は勢いよく立ち上がると、《クリア・エンプティ》を出した。すると、ジョセフ・ジョースターさんは吃驚して反射的に腕から茨のようなものを出して私を拘束する。

(う、うごけない……!)

 ぎりぎりと締め付けてくる茨。正直苦しい。私は、負けじと彼を睨む。

「もう騙されない! さっきチラッと見えたけれど、貴方、左肩の首後ろに星形の痣があるでしょ! DIOと同じ痣が!」
「確かに奴と同じものをもっておるが、これは――」
「貴方はDIOの子孫だ、絶対そうだ。だから私を殺しに来たッ、そうでしょう!」
「な、なにを言っとるんじゃ。わしがDIOの子孫!? そんなわけなかろう!」
「じゃあどうして同じ痣をっ……」

 私の《スタンド》で茨を外そうともがいてみたが、無理だった。

(……?)

 怖い、どうなるんだろう、殺されるのかな――そんな不安な気持ちが押し寄せてきて、泣きそうになった。そんな私の視界の端にチラリと何かが映る。顔をあげると、ジョセフ・ジョースターさんの近くに、金髪の男の人が立っているのが見えた。彼は、安心させるかのように優しい笑みを私に向けている。そして、鼻息荒くしているジョースターさんを指差し「此奴は大丈夫さセニョリーナ」と言う。DIOとは違った、やさしさを含む声だった。

「……本当に、DIOの仲間じゃないんです、か……?」
「信じてくれるのか!」

 ジョースターさんは良かった良かったと大きなため息をつく。そんな彼を見て、金髪のお兄さんは「やれやれ」と肩を竦め、そして、私にウインクを一つ送るとスウッと消えてしまった。

「怖がらせてすまんかったなぁ……どうやら君は奴の被害者だったようじゃ」

 ジョースターさんは私の拘束を解く。

「これがわしの《スタンド》じゃ。《スタンド》といって通じるかね?」
「……はい」

 落ち着かせるかのような口調と声の所為か、私の荒立った気がだんだんと緩やかになっていく。不思議で、それでいてとても懐かしい感覚だった。その懐古の念が一体どこからきて何にベクトルが向いているのかは分からないが、とにかく懐かしかった。
 おとなしくなった私を見て、ジョースターさんは「うむ」と頷いた。

「この《スタンド》は《ハーミット・パープル》といい、カメラやテレビなどを媒介して念写をすることができる。パワーはあまりないが、人間一人か二人くらいは縛りつける事も可能じゃ」
「拘束……」

 人間一人か二人程度なら拘束具として使えるという言葉を聞き、私の体は密かに緊張を増した。下手をすれば、私の体を引き千切ることもできたんじゃないだろうか、と。その時だ。ジョースターさんはトンデモナイことをいいだしたのは。

「わしは、ある男を追っている……」

 スウ、と彼の目が細く鋭くなった。剣呑なその表情に、私の肌が泡立つ。そんな私の事を知ってか知らずか、彼は、自身の追っている男の名を、口にした。その男の名は――

「その男の名はDIO……わしは奴を倒す為に少しでも情報が欲しいのじゃ」
「……ウソですか?」
「ウソではない……この際だ、わしもちょっと秘密を明かすとしようかのォ」

 にやり、とお茶目な笑顔を見せて彼は言う。そんな彼の雰囲気と表情に、私は毒気を抜かれてしまった。

「わしとDIOは直接かかわりがあるわけじゃあない。しかし、100年前、わしの祖父の因縁により、わしは奴を倒さねばならん運命にあるのじゃ」
「……「因縁」、「運命」……――っ!」

 私はハッとした。そう、DIO自らが口にしていた「ジョースター家との因縁」の話。たった一度だけ、ほんのワンフレーズ聞いただけだったので頭の片隅の奥の奥に追いやられていたが、今、思い出した。
 DIOは、いつか倒さねばならない相手とも言っていた。まさか、その相手に私自身が遭遇するなんて思いもしなかったため、「ふーん」と流す程度にしか聞いていなかった。そうか「ジョースター」は、義兄弟さんの方だったんだ。

「わしは君の敵じゃあない……と言ってもまだ信じられんかな?」
「……いえ、ジョースターさんは私がナイフを持っている事に気づいていましたし、私が《スタンド》を出すまで自分も出さなかった。それに、ジョースターさんの《スタンド》であれば私を捕える事も殺す事も容易い。その手足なら尚のこと。それなのに、私を助けてくれました。DIOを倒すと言いました……これで信じないのならば、私は一生誰も信じる事が出来なくなります」

 私はジョースターさんに刃を向けた事を深く謝罪した。命の恩人に対する態度ではなかったと、何度も謝った。すると彼は照れくさそうに、そして何故か申し訳なさそうな顔をして「顔を上げてくれ」と言う。なんだか、心が久しぶりにほっこりと温かくなった。

「それで、本題なんじゃが……君がDIOの所に行った経緯やいた時の話をきかせちゃあくれんかのォ?」
「ええ、もちろん……ですが、余りお役に立てそうにもありません」

 二人で再び席に落ち着くと、私はこれまでの経緯をざっくばらんに話した。
 父のアメリカの実家に帰り、そこでの友人たちと遊んだ帰り、村が焼け野原になっていたこと。慌てて家に戻って家族を助けようとして、犯人だと思わしき男たちと遭遇したこと。自分も殺されそうになった所をDIOに助けてもらった事。そして、行く当てもないので彼に引き取ってもらったこと。
 DIOに引き取られ、そこで何人かの《同類》を紹介されたこと。そこで過ごしていて暫くし、偶然にも自分の大切な人たちが殺されたのが、DIOの策略だったということを知る。そして、おそらく捨てられるか殺されそうになって逃げたところ、ジョースターさんと出会った事を話した。
 けれど、私はどうしてもあることだけは話せなかった。DIOの、「天国にいく方法」の話である。多分、その話題だけは、DIOがとても純粋だったからなのかもしれない。……言っている意味が分からないけど多分そう。
 とりあえず、それ以外の私が知るDIOの事を話す。すると、目の前のジョースターさんは拳をワナワナと震わせてギリギリと大きな歯ぎしりをしだす。表情をうかがえば、先程まで穏やかだった目が剣呑な光と憤怒の炎を宿していた。

「あのゲス野郎ッ……! 醜悪な吸血鬼めッ」
(DIOはだいぶ綺麗な顔立ちなん……あっ、性格のことか、そっ、そっか)

 私が密かにボケをかましている中、ジョースターさんの怒りは収まらず、顔を真っ赤にするくらい拳に力を込めた。いつか、血管がぷっつんしそうだ。なんとか話題を変えなければと、よく分からない使命感に駆られた私は、咄嗟に口を開いた。ぼそり、と声をかけると、ジョースターさんは剣呑な表情を一度仕舞い、苦笑を浮かべて「ん?」と返事する。そんな彼を見てどこかほっとしながら、私は深く頭を下げながら言った「ありがとうございます」と。

「いくら私が《スタンド》を使えてもあの状況から逃げ出すのは容易じゃあなかったです……ジョースターさんに出会えて、良かった。本当に、ありがとうございました」

 もう、大丈夫。――とは言えないが、DIOに囚われていたような心が、ほんの少しだけ解放された気がした。くすんだ世界が、またちらちらと輝きだしたようにも思う。それもこれも、この茶目っ気たっぷりなおじ様であるジョースターさんのお蔭だ。
 一人でもこれからならやっていける、歩いて行ける気がする。彼と出会えたからか、そんな高揚感があった。

「おや?」

 ひとり自己完結していると、不意にジョースターさんが頓狂な声を上げた。私も「え?」と首を傾ぐ。

「う〜む、わしの聞き間違いじゃああるまいなぁ? 今の、別れ際のカップルがするセリフのようじゃったんだが、まさかのォ〜?」
「えっ……えっ……?」

 すっとぼけたようなセリフと、取り繕ったような表情、そしてチラチラと向けられる視線に「そんな、まさか、ちょっと」と私はパニックになる。一方、ジョースターさんは混乱と期待と申し訳なさが入り混じった私の表情を見て、ニヤリとチャーミングに笑った。

「むぅ、まずは戸籍じゃな。これは財団側がなんとかしてくれるじゃろ。ああ、アメリカ人と日本人のハーフじゃったか? 日本はいけすかんから国籍はアメリカにしておくのがいい。それに、事件の真相にDIOが関与しているとすれば、おそらく例の事件を裁くことは出来んじゃろう。君の家族を襲った男たちは、おそらくはもうDIOらによって消されている可能性が十分ある」

 私の脳裏によみがえるのは、炎の中でDIOが命を奪った男。首のない、男。
 きっと、逃げようとした仲間も、DIOに殺されてしまったに違いない。

「君は、もうかつての君として生きる事は出来ん。新たに戸籍を作り、名前も改名、別人として生きる事になろうな」

 これから生きるために、私は昔の自分を捨てなければならないのか。確かに、もし《スタンド》が関わっているのならば、一般人には見えないから、裁く事も出来ない。なんて、憎たらしい" 悪 "なのだろう。
 私はこれから、新たな人生を歩もうとしている――もう一度、人生を、やり直せるだろうか。

「家はどうするかのう。余り一人にしておくのも……そうじゃ、君はもともと日本暮らしだったし、わしの可愛い娘のホリィが日本いるから、留学という形にすれば問題ないのう」
「えっ!? あああああの!」
「ん? なんじゃ?」

 ぼうっとしてて聞き流すところだった!
 意気揚々と準備に取り掛かろうとしているジョースターさんを慌てて止めた私は彼に詰め寄る。といっても身長差がかなりあるので結局私の首が痛くなるので終わる。……いや、大事なのは結果じゃあない。過程だ。気持ちなのだ。

「命まで助けて貰って、もうこれ以上はご迷惑をおかけできませんッ。ましてや、こんな厄介な奴を連れて歩いていたら大変な事に……!」
「落ち着くんじゃ幸子。君は、結構やばい立場に立っておるんじゃぞ。DIOが、態々周囲の人間を殺しまわってまで君を攫ったんじゃ。君の《スタンド》の能力を、欲してのことかもしれん。更に、DIOの事について知っている君を、今度は殺しにくることだって十分ありうる」
「わたしの……ちから……ころし……」
「それに、財団の影響力は凄まじい。戸籍の一つや二つ、なんとかしてくれるわい」
「え、ええ……」
「それにだな、もうわしはお主を最後まで面倒を見ると決めたからのォ〜……なぁ〜に、歳よりのおせっかいだと思って気楽にしていればいいんじゃよ」

 かっかっかっ、と高らかに笑うジョースターさんに、私はもう何も言えなくなってしまった。


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