世界よ、逆流しろ


4-3



 なぜ今思い出したのだろう。
 幸子は苦しくなる胸を押さえながら思った。彼女が思い出したのは、ある日のDIOとの会話。月が美しいこの夜の景色を見て、その日を重ねてしまっていた。窓のカーテンからのぞく月はほんの少し、欠けていた。
 カーテンを閉めて暗闇の中に目を移すと、彼女は止めていた足を動かしはじめる。彼女の向かう先はDIOの部屋である。タイミングを見計らったかのようなお呼びに苦笑までもらしてしまう。

 ――世界が、灰色に見える。

 館を出て初めて見た太陽の光や月の光はとても美しく、それらが照らす風景はどれも色鮮やかだった。けれど、今は何を見ても何も感じない。感動も恐怖も、なにもかも、同じに見える。
 覚束ない足取りで行けば、何かに真正面からぶつかった。距離を取って見上げると、そこには灰色の世界の中で唯一色味を持つ存在――DIOが居た。

「部屋に来るのが遅いと思って様子を見に来れば……どうしたんだ、フラフラじゃあないか」
「DI……O……」

 何故気にかけてくれるのだろう。何故こんなにも優しくしようとするのだろう。何故こんなにも彼の声は安心するのだろう。何故こんなにも虚しさを覚えるのだろう。何故、何故、何故――

「っ……DI、O……」

 目頭が熱くなると溢れてくるのは熱い熱い涙。じわりと滲んできたかと思えば、淵から零れ落ち、頬を伝って床に落ちて行った。彼女のその姿を見て、ほんの少し表情をこわばらせるDIO。彼はそっと手を伸ばすと壊れ物を扱うかのように優しく人差し指で涙をぬぐった。

「泣くな、幸子……さあ私の部屋に行こう」

 DIOの言葉に幸子は返事をしないものの、肩を抱いてエスコートする彼に連れられるまま部屋へと移動した。部屋に入ると椅子を勧められたが彼女は立ったまま以前心ここに非ず、と言った状態だった。DIOは痺れを切らしたのか、彼女を強引に座らせようと手首を鷲掴む。しかし、その前に彼女が口を開いて彼の名を呼んだ。
 虚空を見つめたまま、彼を瞳に写すことなく彼女の声が部屋に落ちる。

「殺し、たの?」

 ぽつん、と一言落ちた。

「私のパパとママを……ころし、たの?」

 また一つ、落ちた。
 事実を聞いてもなお、彼女はまだ、信じようとしなかった。DIOを、信じようとしていた。
 否定して欲しかったのだ。彼に、この場で、全てを、「違う」と、「世迷言だ」と。

 ――ウソでもいいから。

 祈るような気持ちで、幸子は尋ねた。そして、暫しの沈黙の後DIOは整った唇を開く。

「ああ……殺した」
「っ……」
「家族も、親戚も、友人も、近所まで全て……殺した」
「どう、して……」
「必要ないだろう? もう君は、一人なのだから」

 DIOの一言で、幸子の何かがぷつん、と切れた。ガックリと膝から床に崩れると、彼女はまるで操り人形のように四肢をダラリとさせながら俯く。DIOはその彼女を見下ろし、ニヤリと口角を上げると座り込む彼女に合わせて膝を突いた。そして、そっと彼女の耳元に唇を寄せる。

「私が、いるじゃあないか」

 甘く優しくとろけるような声音で彼は囁いた。それはまるで彼女の全身を腐食する甘美な毒のようである。誰も逆らえばしない。彼女にはゆく当てなどないのだから。
 そう、DIOは思っていた。しかし――

「もう、出来ないよ……」

 喉が強張って震えるような声が、小さくDIOの耳に届く。目の前の小さな存在はゆっくりと顔を上げ、涙で濡らした顔を晒すと更に続けた。

「もうDIOを、信じられないよ」

 海のように青々とした瞳は、涙でぬれると更に「海」に近づいていた。深いその色に思わず目を奪われていたDIOは、彼女の言葉を理解するのに数秒を有してしまった。
 彼女の言葉を理解したDIOからは、笑みが消える。

「……お前の存在は常に私と似ているようで正反対だった」

 たくらみが不発だったDIOは、表情をなくす。氷のように冷え切った眼差しを向けながら、彼はこう続けた。

「お前の《スタンド》は私のとは違い、脆弱で未完成だ……お前は私と一見似たような思考を持っているが、モノの捉え方がまるで違う。全て、違う」
「っ……」

 DIOは幸子の細い首を鷲掴みにすると、ゆっくりと力を込めていく。幸子は呼吸をするための器官を圧迫され、苦しげに表情を歪ませるも、彼の手を掴むだけで特に大きな抵抗もなくただ涙を流してDIOを見ていた。
 メリメリと骨の軋む音が、聞こえる。

「……カッ、はっ……でぃ……お……」

 徐々にDIOの腕の血管が浮き出てくる。そして、幸子の顔からは血の気が失せ、生気を感じなくなってゆく。彼女は苦痛で表情を歪ませていたが、ふっとある瞬間、眉間や口元の皺がなくなったかと思うと動かなくなった。DIOの手を掴んでいた手もパタリと床に落ちる。この光景を見れば誰もがDIOが幸子を殺したと思うだろう。
 しかし、彼女は生きていた。DIOも気づいている。掴んでいる首の脈から伝わる鼓動によって。

「最初から、こうすればよかったのだ……」

 幸子はこの館に住む者たちとは違う。そう簡単に落ちないだろう。始めから、《あの男》の《スタンド》で彼女の《クリア・エンプティ》を取り出しておけば良かったのだ。
 分かっていた。理解していた。けれど――賭けてみたかった。らしくもなく。
 DIOは部下のテレンスを呼ぶ。下す命令は《ある場所》に《幸子》を送り届けること。誰がやっても構わない。ただし、必ず届けさせるのが条件だ。もし、逃げるような場合は――生死は問わない。


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